本願寺は全く別。関を廃止し、寺の周りの町では売買自由、それでいて他の町では当たり前の武士による襲撃・脅しによる矢銭の要求から守ってくれる。だから人と物・銭が集まる。
信長の楽市は、本願寺がモデルだったのでしょうか。
敵対しながらも、その施策はしっかりと取り入れていたのは、すごいですね😲
作者からの返信
私には良くわかりませんが、基本、大勢力に守られている警備費用がゼロだというだけで人モノ金が集まってくると思います。この戦乱の時代ならば。
大胡はそこに保険を売ることもしているし。
楽市楽座って今の東京一極集中と同じで、やりすぎると危険なんです。地方が寂れる。
自由市(楽市楽座)を最初に開いたんじゃないかとも言われる六角定頼のお膝元のでするんですかね?あれ?今は欲しいと言ってるだけ?
先物市場とか債券交換所とか文言出て来ましたから江戸時代に魁て藩札的な物を発行・・・一応既に鉄での交換って形で同じような事やってましたね~本来は金銀か米が担保でしょうけど鉄てのが面白いな~と思いましたし。
作者からの返信
京に市を立てるということで。
ここが重要なポイント。
東西の玄関口としていろいろな勢力を混在させてバランサーとして近衛家を使います。
細かいところまで書くと面白くなくなるので、そんなあらすじです。
鉄の相場も一応データを漁って可能性を考察しました。