第30話:不安

教会歴五六三年十月(十四歳)


「宰相、私をどうする心算なのですか」


 アルプスインダ女王が不安で震えそうになる声を必死で抑えながら、俺に質問を投げかけてきたが、何を怯えているのだろう。

 玉座の左に立って、怯えるアルプスインダ女王の不安を少しでも軽くしようと手を握っている、ロザムンダ先代王妃が厳しい目で俺を見ている。

 いや、その瞳の奥には、死を覚悟した者の決意が見られる。

 本多平八郎の知識と記憶の中にある戦人と同じ目をしている。


「恥ずかしながらアルプスインダ女王陛下が何を申されているのかが分かりません」


 俺がそう答えると、アルプスインダ女王の不安の表情がさらに深くなった。

 その表情から俺の事を怖がっている事は理解できたが、理由が分からない。

 俺とアルプスインダ女王との間には圧倒的な力の差がある。

 俺の方が経済力、戦力、権力の全てにおいて隔絶した力を持っている。

 そもそも王家の力が大したものではないのだ。

 アルボイーノ王の時代ですら王家の力で氏族長達を抑えることができなかった。


 俺が農業革命を成しとげた時点で、ストレーザ周辺の領地だったのに、王家を含めた全てのランゴバルド人を敵に回しても勝てたのだ。

 それが今ではナポリを降伏させ上に十五の公国を併合している。

 十数倍の耕作地と数十万のロアマ人奴隷を手に入れたのだ。

 人口が半減してしまった奴隷ロアマ人だが、それでも荒れた耕作地を耕す事くらいはできたから、全人口を一年間養うのに必要な三倍の収穫量があった。


 俺はこの一年で十五公国領の耕作地で農業革命を成し遂げたのだ。

 農業革命を成し遂げたとはいえ、一年目の収穫などたかが知れている。

 来年再来年と飛躍的に収穫量は多くなり、それに伴って養える兵の数が増える。

 これほどの力差があるのだから、今更王家を滅ぼす必要がない事くらい分かる2人も分かるはずなのだが、もしかして分かっていないのか。


「では、はっきりと言わせていただきます。

 いつ私を殺して王位を簒奪する心算なのですか」


 分かっていなかったのか、驚いたな。


「私はアルプスインダ女王陛下を弑逆する心算などありませんし、王位を簒奪する気もありません。

 なによりそのような事をする必要がありません、お分かりにならないのですか」


「分かりません、全く分かりません。

 私には宰相の考えが全く分からないのです。

 最初私は、宰相が私を利用するために助けてくれたのだと思っていました。

 だから宰相の言う通りに神に誓い族長達に命令を下しました」


「はい、アルプスインダ女王陛下は国をまとめる重役を果たしてくださいました」


「ですが、この一年の間、最初の神に対する誓いと討伐命令以外、私は何の役にも立っていません。

 ただ玉座に座ってお飾りの女王を演じているだけです。

 いえ、演じる必要もありませんね、誰も私の事など見ていないのですから。

 これで重役を果たしていると言えるのですか。

 このような女王など不要だと思って当然ではありませんか」


「表立って役に立っていないからと言って、不要だとは言えません。

 玉座にいてくださるだけで、国が安定するのです」


「そんな話しは聞いた事もありませんし、みた事もありません。

 力のある者が王となって民を従えていくのは当然の事ではありませんか。

 宰相が何時王になっても、誰も逆らわないでしょう。

 なのに何故私を生かして玉座に座らせておくのです。

 もう毎晩宰相に殺される悪夢にうなされるのは嫌です。

 殺すのならさっさと殺してください、お願いです」


「アルプスインダ女王陛下を不安にさせた事、不安にさせていることに全く気がつかなかった事、全ては臣の不徳の致すところでございます。

 心よりお詫びさせていただきます、申し訳ありませんでした。

 ただ本当にアルプスインダ女王陛下を弑逆する気はないのです。

 王位を簒奪する気も必要もありません、安心されてください」


「宰相殿、宰相殿はアルボイーノ陛下を殺した私を許してくださいました。

 あの時は、敵対する氏族長達の罪を証明するために、特別に許してくれたのだと思っていましたが、いずれは処刑されると思っていました。

 アルプスインダ女王陛下を弑逆する時に、私を犯人に仕立てるかと思っていましたが、そのような気はないと言われています。

 何故ですか、もっとわかるように言ってください。

 そうでないとアルプスインダ女王陛下の不安は解消されません」


 どうやらこの世界の常識と俺の常識の間には大きなずれがあるようだな。

 前世の常識では、力を失って無力となった皇室や将軍家を滅ぼさないのが普通だったが、この世界では禍根を断つために滅ぼすのが常識なのだ。

 だからこそ、俺が敵対する氏族に族滅すると脅したのも効果があったのだろう。

 あの時には何気なくこの世界の常識に沿った行動をしていたが、無意識に主家を滅ぼさないという智徳平八郎の倫理観に従っていた。

 

 いや、他の平八郎たちの倫理観はまちまちのようだな。

 東郷平八郎と本多平八郎の倫理観には大きな隔たりがあるようだ。

 本多平八郎は、徳川家康の豊臣族滅をどう思っていたのかな。

 興味はあるが、深く記憶を探るのは止めよう。

 前世の自分の後悔を再び感じるのは嫌だからな。

 だが、困ったな、直接仕えた事のある主家を滅ぼさずに残すのは俺の常識なのだ。


 でもこの常識や倫理観は、智徳平八郎の影響が強い俺だけのモノなのだろうな。

 他の本多平八郎の知識と記憶からは、下克上が当たり前だった。

 いや、日本だけでなく、洋の東西を問わず、衰えた主家を滅ぼして権力を握るのは当たり前の行動だった。

 智徳や東郷も感情はともかく知識的には下克上を否定していない。

 俺も必要なら下克上をためらう事はないだろう。

 これまでだって智徳平八郎の良心を抑えて色々やってきたのだ。


「では説明させて頂いましょう、アルプスインダ女王陛下。

 アルプスインダ女王陛下を弑逆して王位を奪ったら、オーク王国がそれを口実に攻め込んできます。

 だからアルプスインダ女王陛下には生きていてもらわなければいけないのです」


「それは嘘です、私は騙されませんよ。

 宰相の力で強くなったストレーザ公国なら、オーク王国など簡単に撃退できます。

 それどころか、オーク王国を併吞する事も簡単でしょう。

 オーク王国を恐れて私を生かしておくというのは噓に決まっています」


 困ったな、オークの血を継いでいるアルプスインダ女王は肝が太いと思っていたのだが、以外と神経が細かったようだ。

 今日の言動から判断すると、心を病んでいるとしか思えない。

 豚は神経が繊細だと聞いた事があるが、オークも神経が繊細だったのだな。

 そう言えば、オーク王国のクロタール王も、実子のクラムを殺した事に思い悩んでいたから、オーク相手には神経戦を仕掛けた方が簡単に勝てそうだな。


「そんな事はありません、アルプスインダ女王陛下。

 私は国の内政を大切にしているのです。

 ちゃんと治められない状態で他国を攻め取る事はしません。

 だから今オーク王国と争いたくないのです。

 オーク王国と争う気がない以上、女王陛下を弑逆する事はありません」


「ではいつです、いつ私を殺すのです、教えなさい、教えるのです」


 まいったな、法も論もなくなってきたぞ。

 こういう状態の女を相手するのは嫌なのだ。

 面倒だから女王の望み通り殺してしまうか。

 だが流石にこの状態の女王を殺すと心の痛みが強すぎる。

 幽閉するにしても、教会などないし、他氏族に預ける訳にもいかない。


「ロザムンダ殿下、アルプスインダ女王陛下をお願いします。

 私は父上と相談して女王陛下に安心していただける方法を考えます」

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