第14話:不利

教会歴五六九年六月(十歳)


「バカ者、俺がジョルジャ以外の女と個人的なつながりがあるはずないだろ」


 余計な事を口にして父上を激怒させたのは俺の失敗だった。

 まだ十歳でしかないから、この世界の男女の機微にとても疎いのだ。

 軍略や武芸に関しては毎日の鍛錬でこの世界の常識が分かってきた。

 記憶に染み付いてしまっている元の世界の常識を更新できている。

 だが色恋だけは全く分からない状態なのだ。

 表向きの常識や礼儀は教えられているが、それが現実に沿っているとは限らないのが、男と女の関係というモノだからな。


 だがそんなもめ事など、もう遠い昔の事のように感じてしまうくらい大変だった。

 それくらい激しい変化がランゴバルド王国にはあったのだ。

 領地を侵されたオーク王国が即座に反撃してきたのだ。

 俺が想像していた以上に、純血種のオークは剛力で強かった。

 その結果、自業自得とはいえ、アオスタ公がぼろ負けした。

 潔く氏族が滅亡していれば多少は悼む事ができたのだが、あのバカはさっさと領地を捨ててトリノ公の所に逃げ込みやがった。


 遊牧民族の常識で言えば、勝てないと判断したら素早く逃げるのが正しい選択だ。

 だが、逃げるくらいなら最初からちょっかいを出すなよと強く言いたい。

 弱小氏族がオーク王国に勝てないなど常識だと思うのだが、遊牧民族の考え方は俺とは根本的に違うのだ。

 相手が強かろうが弱かろうがとりあえず略奪して、反撃が強ければ逃げて弱ければさらに略奪のために奥深くに攻め込む、それが遊牧民族の常識なのだ。


 このやり方は、何時でも逃げられる広い草原地帯に住んでいる時ならよかった。

 他の氏族に迷惑をかけないのなら好きにやってくれてよかった。

 だが今の俺は、都市を拠点に領地を富まそうとしているのだ。

 奪い尽くしたら他の土地に行けばいいという考えは迷惑でしかない。

 他の有力氏族も同じように考えが変わったと思っていたのだが、違っていた。

 少なくともトリノ公とその一派は昔のままの考えのようだ。


 そのトリノ公と一派の弱小公達だが、鎧袖一触でオーク軍に粉砕された。

 騎馬の機動力で徒士のオーク軍に対抗しようとしたのだが、駄目だった。

 俺が考えていたのと同じ作戦をオーク軍が使ってきたのだ。

 しかも人間とは比べ物にならない腕力で遠距離投石をしてきたのだ。

 オーク軍の投石隊による一斉投擲は、とてつもない破壊力があった。

 人間の頭部に命中いたら一撃で粉砕されて即死する。

 馬に当たったら、どれほど騎乗技術があろうと暴れる馬を御すことができない。


 クソったれなトリノ公一派は、公言していたようにオーク王国内には逃げず、ランゴバルド王国が首都と定めたメディオラヌムの方に逃げやがった。

 まだ攻城中のメディオラヌムには王家の主力軍がいる。

 氏族の中では最大の戦力を誇っているが、各氏族の力が強いランゴバルド王国では、怒り狂ったオーク王国軍に対抗できるほどの戦力ではない。

 騎馬戦では勝てない事が分かって、ロアマ帝国軍のように籠城しようと思っても、落としていない首都に籠城する事もできない。


「援軍の要請がきているが、どうする、レオナルド」


 追い込まれた連中が、まだ戦力を保っている氏族長に援軍を要請してきた。

 本心は恥知らずな要請など即座に断りたいのだが、そういう訳にもいかない。

 ここで援軍を出さなければ、まず間違いなく王家は負ける。

 負けて滅亡してくれれば簡単なのだが、かなりの戦力を残して逃げるだろう。

 元の草原地帯に逃げ帰るか、南イタリアの方に移動するか、あるいはオーク王国内に侵入して略奪を繰り返しながら移動するかだ。


 その時、繁栄した都市と領地を持つ我がストレーザ公国がどうなるか。

 まず間違いなくオーク軍に狙われる事になる。

 父上なら王家と一緒に逃げる事を選ぶだろうが、俺はこの地に残りたい。

 残って五人の平八郎が満足するような豊かな国にしたい。

 そうなると、氏族長達が逃げると決める前に戦わなければいけない。

 氏族長達に勝ち目があると思わせなければいけない。

 氏族長達に逃げるよりも豊かに暮らせると思わせなければいけない。


「街と村には武装した従属民と奴隷を籠城させましょう。

 指揮は心効いた従属民に任せればいいでしょう。

 街や村を護り切ったら、私の近衛兵として戦士階級に取立てると約束しましょう。

 そうすればどれほど不利になっても逃げたり降伏したりしないでしょう」


「街や村の事はレオナルドの好きにすればいいだろう。

 分家や戦士達はどうする、王都に援軍に行かせるのか」


「いえ、オーク王国軍と正面から戦っても勝ち目がありません。

 それに、下手にオーク王国軍に攻撃を加えたら、王都に目が向いているオーク王国軍を我が国に呼び込んでしまいます。

 それよりもオーク王国軍が帰国したくなるようにすべきです」


「それは、オーク王国に攻め込むと言いたいのか」


「はい、我が国に目を向けさせずに王都を救うには、他に方法がありません。

 もしオーク王国が我らを無視して王都に攻め込んだとしても、王達がそう簡単に討ち取られるとは思えません。

 パタノ・ベネタ平原にまで逃げてから騎馬戦を挑むかもしれません。

 そのままパタノ・ベネタ平原を素通りして、ロアマ帝国軍とオーク王国軍を戦わせる策も取れます。

 以前住んでいた草原地帯にまで逃げ込んでアヴァール騎馬王国を頼り、共同してオーク王国軍を討ち破る策も取れます。

 その間も我らがオーク王国内を荒らし回れば、オークどもは軍を引く可能性が高いです、父上」


「王や他の族長達にそんな知恵があるとはとても思えないが、そういう方法もあるのかもしれないな」


 脳筋の戦バカではないが、父上も軍略を考えるのは苦手だからな。

 現場の戦術指揮官としてはとても優秀なのだが、戦略眼まで求めるのは酷だ。

 今のままの父上でも、ランゴバルド人にしては信じられないくらい視野が広い。

 本来なら家長の権限で黙らせられる俺の意見を極力聞いてくれる。

 まあ、母上にべた惚れしているからだが、それだって普通のランゴバルド人なら家長の権限で妻を黙らせるのが普通なのだ。


「まずは王に使者を送ってもらわなければなりません。

 勝つためには戦力を残した状況で時間稼ぎしてもらわなければいけないのです。

 できれば元の草原地帯に逃げるように、トレント公国からフリウーリ公国に向かうように、東に逃げて欲しいのです。

 先ほどは南のパタノ・ベネタ平原での騎馬戦も口にしましたが、万が一にもロアマ帝国イタリア駐屯軍とオーク王国軍が手を結ぶ事になってはいけません。

 その点も含めて、父上から国王陛下と氏族長達に伝えて欲しいのです。

 それと、できればアルプスインダ王女を我が公国に迎えて欲しいのです」


 王はともかく、氏族長もバカばかりではないから、以前俺が父上を通して献策した戦略戦術を覚えている者がいるだろう。

 そんな連中が、オーク王国に寝返ろうとして、アルプスインダ王女を自分達の手元に置こうとするかもしれない。

 アルプスインダ王女を女王に戴冠させて自分は王配となり、オーク王国の力を背景に他の氏族を滅ぼして専制君主になろうとする者が現れるかもしれないのだ。

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