#36
クラス内には見慣れた顔で集まっていた。
「視線が痛い」
「しょうがないな」
「顔面偏差値異常だからね~」
春休みが開け、入学式も終わり、俺たちは普通に登校した。
普通に登校したはいいものの教室に入ればいつものメンバーで集まり、周りからの視線が痛い。
「はー平穏な生活はどこへ……」
「まあ雪上と許嫁って時点でそんなものは存在しないようなものだけどね」
「クソさわやかな笑顔と声で留め刺しに来てんじゃねぇよ」
もはや煽りに思えてくるこの笑顔。
この初恋拗らせイケメン野郎め……
初恋の相手が、俺の幼馴染の可能性が一ミリでもなかったら言いふらしてやったのに……
俺が頭を抱えて俯いていたら教室の外が異様に騒がしいことに気が付いた。
「なんだ?」
「あ、おとーさーん!」
背筋に寒気が通り、嫌な予感がして教室の入り口に顔を向けると案の定嫌な予感は当たっていた。
「る、瑠璃か?」
「そうだよ!」
俺の記憶の中の瑠璃とは似ても似つかない姿になっていた。
髪は鮮やかな青になり、目もぱっちりと開き中学時代とは真反対の姿と言ってもいいほど変わっている。
「あ、先輩久しぶりっす」
「灰羅か……」
灰羅は相変わらずの姿で少し安心した。
紀里が暴走しかけてるのを愛理さんが止めている姿は一旦置いておいて。
瑠璃の変わりように少し驚きが隠せない。
「瑠璃になにがあったとかはまあ放課後にでも訊くが、取り合えず学校でお父さんというのをやめてくれ。誤解が生まれてる」
「はーい」
「お前まじでどうした……大丈夫か?」
「大丈夫だよー?ちょっとした高校デビュー?ってかんじー」
頬に人差し指を当てて疑問符が頭に出てそうな顔をした。
取り合えず中学の瑠璃の姿を思い出した。
目が隠れるぐらいに伸びた黒髪で、細目で猫背声も小さく所謂陰キャだったはず……
それが今はどうだ?そんな要素を一ミリも感じられない。
正直なところ瑠璃に何かあったんじゃないかと心配で仕方がない。
灰羅のほうに目を向けてみると、なにもなかったが色々とあったという顔をされた。
「もうそろそろ始まるんだから教室に戻れ。話は放課後に聞くから」
「折角会えたんだけどなーま、いっか。じゃーほーかごねー」
「ばいばーい」と手を振りながら行ってしまった。
「俺も戻ります」と言って灰羅も帰ってしまった。
嵐のごとく過ぎ去っていった二人は二学年に困惑をもたらした。
「えっと今の子は……」
「紀里の弟の灰羅とその幼馴染の瑠璃のはずだが……」
「うん、それは有坂の様子を見てれば分かるけど、樹君とはどういう関係なのかな?」
「中学の後輩であり面倒見てた二人」
「樹コロス」
「きーちゃん一回落ち付こっか?」
もしかして入学当時から紀里に目の敵にされてたのは、あの二人のことがあったからなのか?
そうだというのなら納得がいくが納得がいかない。
急に蹴られた理不尽さに納得がいかないわ。
丁度落ち着いて考えようと思っていたら春崎先生が来てHRが始まった。
さて放課後に話を聞くと言ったがどうしたものか……
混乱が収まらないまま話が進んでしまいそうだ。
何から片付けていくべきなのか考えているうちに放課後になってしまった。
紀里の特権なのか有坂家の特権なのかは知らないが、入れないはずの屋上に呼び出された。
「待ってたよー」
「待ってたっす」
「うん、やっぱり違和感しか感じられん」
灰羅は中学の時と特に変わっていないので違和感はないが瑠璃はもう……
「さてと、じゃあまず瑠璃。どうしてそうなった」
「うーん軽い気分転換的な?」
「軽い気分転換で髪染めて雰囲気も変わる馬鹿がどこにいる」
「それでいったらせんぱいも変わりましたけどぉ?」
「それはまあ……強制的なものだ仕方がない」
「へー?」
これ以上瑠璃と話していても全くどうしてこうなったのかが見えてこないので灰羅に聞くことにした。
「灰羅こいつはどうしてこうなったんだ?」
「こいつが『おとーさん驚かせたいからー!』とか『昔の自分とはもう違う!』とか言ってこうなったっす。正直俺も驚いてるっす」
「なるほどな……まあ変なリミッターが外れてなくて良かった」
昔の癖で瑠璃の頭に手を乗っけてしまった。
別に瑠璃は何とも思ってなさそうだが、灰羅からの視線が痛い。
理由は分かっているが癖なので許してもらいたい。
「あまり聞くこともなくなったな……二人はどうするんだ?」
「あー俺は先輩にちょっと話があるんで残るっすけど」
「んー私もちょっと話したいことあったけど……明日も大丈夫?」
「大丈夫だぞ」
「じゃ、またあしたーばいばーい」
そう言って手を振りながら瑠璃は先に一人帰った。
「さてと……で、灰羅は何の用だ?」
「瑠璃なんすけど……あの状態でもやっぱり発作は起きるみたいでどうしようかっつう話なんすけど」
「あれでもダメか……」
瑠璃の発作というものは急にトラウマが蘇りなかなか収拾のつかない事態となることだ。
何故そんなことになるかというと、
理由はただの交通事故。
それがただの交通事故だったらというのもおかしいが、瑠璃は目の前でいなくなってしまう瞬間を見てしまったからな。
両親を亡くしそれからは小6、中1になってもずっと引きこもってしまっていた。
生活は勿論酷く俺が初めて会った時は、食事もままならないうえに、睡眠もせずただずっと部屋の隅で座り込んでるだった。
そんなときに灰羅が俺を頼ってきて瑠璃をなんとか生きられるようにはしたが……そこからも大変だった。
そして瑠璃が「おとうさん」と俺を呼ぶようになったのは、俺が時間があれば瑠璃の世話をしていたというのが原因だろう。
まあそれでも基本俺は誰もいない家で過ごしてたからか孤独は消え失せなかったらしい。
まあそんなこんながあって今に至るわけだが……
「俺が中学離れてから学校で発作起こしたか?」
「軽度のものなら何度か。薬飲んで多少落ち着かせてるみたいっすけど」
「飯とかは……大丈夫そうか」
あの顔色を見てれば分かるだいぶ生活もよくなったんだろう。
「あいつ自炊するようになったんすよ」
「そうかそうか……」
「ま、先輩の飯が恋しいとも言ってたっすけどね」
「あまり行く時間ないんだけどな……まあ今度行くか」
「先輩に時間がないなんて……嘘っす。姉さんから理由は聞かされてたっすから」
あいつは口が軽いのか……?
別に口が軽いわけではないだろうがそういえばブラコンだったな。
紀里がブラコンなのは未だに意味が分からない。
「そういえば半年ぐらい前に俺の事調べ漁ってたのはお前らか?」
「いや俺は知らないっす。姉さんも父さんに聞かれてたっすけど知らないとは言ってたっす」
「と、なれば瑠璃か」
「まあうちの特権使って調べることができてかつうちの人間じゃないとなれば瑠璃になるっす……というかなんでうちの特権で先輩を調べていたという事実を先輩が知ってるんすか?」
……どう言い訳したものか。
取り合えず目を逸らして知らないふりらしきことはした。
「まあいいっす」
「そうだな。そういえばお前告ったか?」
「……話を逸らした挙句俺を刺すのやめてくれないっすか」
何を隠そうこの灰羅、瑠璃のことが好きなのである。
中学の時こいつから恋愛相談を受けたときはどうしたらいいか分からなかったがまあ今は少しは聞けるだろう。
「はーあいつの口からは『先輩、お父さん』しか出てこないし……姉さんは邪魔してくるし……」
「大変そうだな」
「何を他人事のように……こっちも苦労してるんすからね!?」
「紀里が邪魔してるのは少し予想外というかまあなんというか」
しっかりブラコンしてんだな。
俺が第一に思ったのはそれだけだった。
人の恋路を邪魔するものは排除するべきなのか……それでは俺も消される運命になりそうなので、何も言えない。
「姉さんはなんで俺の予定全て知ってるんすか……」
「知らん。盗聴器でも部屋に仕掛けられてるんじゃないか?」
「二年前に見つけてキレたっす」
「あったのかよ……カメラとかは?」
「それもあったのでぶっ壊したっす」
「ブラコンというかただの変態じゃねぇか……」
心の声がつい漏れてしまった。
だが擁護する余地もないぐらいには変態だった。
あの見た目と性格でここまで変態だとなかなかにきついものがあるぞ、紀里よ。
「今度姉さんを止めてくれないっすか?」
「俺には無理だ。愛理さんが抑え込めるかどうか……」
「お願いします……」
「はぁ……まあやってみるか」
流石に可哀そうが過ぎるので手伝うことにした。
と言っても紀里を押さえつけるだけの簡単な仕事だが。
ため息をつきながら悩んでいる灰羅と一緒に駅まで行った。
「じゃあ告白する日決まったら教えるんで」
「まあ頑張れよ」
「うっす」
そう言って俺と灰羅はそれぞれ別のホームへ向かった。
明日は瑠璃の話か……
多少面倒くさいと思ってしまうがまあ仕方がないと割り切った。
「帰ってくるのが遅いです」
「すみませんでした……」
「ま、久しぶりに後輩と話したんですから遅くなるのも仕方がないとして……私も色々と訊きたいことができたんですけど?」
「なんでもお答えします……」
「取り合えずご飯食べますよ」
俺は項垂れながら愛理さんに連れられ食卓に座らされた。
少し待っているうちに俺の前に夕飯が並んだ。
流石愛理さん手際がいい。
「まず瑠璃ちゃんのお父さんってなんですか?」
「あーそれは……」
俺は中学であったことを一から話した。
どうやら愛理さんは瑠璃の両親が亡くなっていることを知らなかったらしい。
そこの説明も多少はしていたら長くなってしまいあっという間に夕飯を食べてしまったと錯覚してしまった。
「なるほど……瑠璃ちゃんにそんなことが……」
「あまり刺激しなければトラウマが蘇ることはないから話すときに多少気にするぐらいで」
「一応気を付けますね」
「そこまで気にしなくていいからな」
「まあ大変なことにならないようにしたいですからね」
それはそうなんだが……
これ以上言っても愛理さんは自分の決めたことを曲げるつもりはないだろうから特に俺からは何も言わなかった。
「なんか聞きたいこと、無くなっちゃいました」
「そうか……あーそうだ、ちょっと愛理さんに手伝ってもらいたいことがあってだな」
俺は灰羅のことと紀里を押さえることを話した。
「きーちゃん……」
「憐みの声が……」
「手伝います、流石にあれを押さえつけるのは樹さん一人でやるのは大変なので」
「猛獣かなんかなのかという扱いだな」
「猛獣と変わらないので」
……なるほどな。
どうやら暴走気味の紀里は猛獣と変わらないらしい。
「あの暴力性とどこからか出てくるバカみたいな力が増幅されて合わさったらダメだろ……」
「まあきーちゃん大概のスポーツできますし……」
「どうなってんだ……」
そういえば一年の時体育の授業で無双して男子の運動できる奴らでも歯が立たなかったのを思い出した。
シャトルランを周りがいないなか一人で百何十回も走って余裕そうな顔してたのがいまだに印象として残っている。
かく言う俺は運動はあまりできないので運動できる奴らを眺めてる側だった。
「きーちゃんと一緒にやったバレーは……思い出したくもないです……」
「マジか……」
「体育館中に大砲の音が何度も響いてましたもん……」
「なるほどなぁ……」
愛理さんも運動はできる方だがどうやらそれ以上の人間だったらしい。
人間かどうかも怪しい気がしてきた。
どこにその筋肉があるのかが分からない……
「まあ頑張って押さえつけるしかないですね」
「刺又でも持って行くか……」
「きーちゃんあの力の割に体が細いので、刺又の間に手を入れて押し返してきますよ?」
「……人間じゃないな」
まあ軽く痛めつけただけで人の骨を簡単に折る奴だ。
どこかの霊長類最強さんと似たような生物なんだろう。
「まあ普通に押さえつけるだけじゃ無理なので多少考えないといけませんね」
「俺はなにも分からないから愛理さんに任せてもいいか?」
「はい!出来る限りのことは考えてみますね」
「なんで少し嬉しそうなんだ」
「だって樹さんに頼られるなんて滅多にないんですもん」
生活のほとんどを頼ってる。
頼り切っていると言ったほうがいいかもしれない。
「あ、配信……」
紀里を押さえること作戦は、張り切っていたが配信がある事実に面倒くささを隠さず自室へ行ってしまった。
俺は特にすることもないので寝た。
次の日、京一達から質問攻めされもう喋る気力すらなくなっていたが、約束していた放課後には瑠璃に会いに行った。
「で、なんだ?」
「ねー?せんぱいって何者?」
「普通の高校生だが?」
「ふーん、まあいいや。本題は別だしー」
瑠璃の質問の意図が見えない。
ただ半年前に俺のことを調べていたりしていた時に何かを見つけたのかもしれない。
まあ疑問になるようなことはないと思うんだがな。
「で、本題ってなんだ?」
「告白ってどうすればいいの?」
「お前もか」と喉まで出てきていたが止めて思いっきり飲み込んだ。
「灰羅か?」
「……うん」
こいつらマジで……
なんで俺は両片思いのじれったいところに身を置かなければならないんだ。
どういうところが好きになったとかは聞く必要がない。
「はぁ……ただ単純に好きって伝えればいいんじゃないか?お前と灰羅のことだ。その言葉だけで伝わるだろ」
「なんか紀里ねーが邪魔してくるんだよね~」
そろそろ一回、紀里にはこの世界から消えてもらったほうがいいのかもしれない。
同級生のせいで俺の後輩が付き合えないとかもうどうすればいいんだよ。
特に二人に限っては、瑠璃が廃人のようになっても灰羅が支えてきたとかいうもう未来確定ルート入ってるのにな。
「どういう感じに?」
「あからさまに私の意識を別のところに行かせようとしたりー灰羅と二人きりにさせないような感じ?」
「そうか……まあうん取り合えず二人きりなったら速攻告れ機会がなくなる」
「だって緊張するもん」
「勇気出せとしか言いようがない」
「えー」
他に何か話すべきことでもあるかと考えていたら一番重要なことを思い出した。
「あーあともし灰羅に好きと思ってもらいたいんだったら、二人の時俺の名前を出すのをやめたほうがいいぞ」
「え、うーん……がんばる」
「付き合い始めたらというかこれからは一人で俺に会いに来るのもやめろよ」
「えーせんぱいの料理とか食べたいのに」
「二人で来いよ……」
「昔みたいにせんぱいが家に来てご飯作ってくれて一緒にゲームしたいな~」
瑠璃がなかなかに廃人してた時、俺はこいつの家に行ってよく飯を作っていた。
それからゲームしたり映画見たりして帰るというのが中学の時よくしていた。
勿論灰羅も来ることがあったが、あいつは門限があったりで来れない日が多かったりしていたからな。
「俺も家に帰る理由ができたからな……」
「愛理さんのこと?」
「そうだな」
「そっかー慣れたけどやっぱり一人はさびし~」
「灰羅は……まあそうか変わらないか」
紀里に邪魔されているとか言っていたし今でもあまり来れないのだろう。
「ご飯食べたいな~」
「瑠璃ももう自炊できるんだろ?」
「だってせんぱい来なくなったから~誰もご飯用意してくれないし……」
「お前が自炊できるなんていまだに信じられないけどな」
「ひどー」
まあ俺が信じられないのは、料理だけではなく家事全般なんだが。
あの荒れ放題の家の家事は一体誰がしたと思ってるんだか……
「今日は来てくれないの?」
「一体俺をいつ家に帰してくれるんだ……向こうまで行ったら八時に電車乗っても帰りが何時になることやら……」
「あれ?今、別の場所に住んでるの?」
「ん?ああ、愛理さんと二人暮らしすることになったからな。普通にいい場所に住まわせてもらってる」
「ずるー!いいな~前の家ちょうだーい」
「いやあれは神崎家のだからな?」
まあ親から許可取れたら住まわせてやりたいとは思う。
一人でアパート暮らしさせるよりはいいだろうからな。
でもまあ瑠璃があのアパートから離れるつもりはないだろう。
「久しぶりに一緒にゲームしたいなー」
「それはネットでもできるだろ」
「ん~なんか一緒のゲーム画面でやって色々言ってお菓子食べてやるのがいいじゃん?」
「それは一理あるな」
「アニメとか映画も見たいし」
「楽しい事へ誘惑するな」
「バレたぁー」
楽しそうな瑠璃が見れて俺は安心した。
しかしここまで言われると、俺も久しぶりに瑠璃の家に行きたくなった。
「あの頃は楽しかったな~」
「そうだなぁ」
愛理さんに怒られるんだろうな……
そんなことは分かっている。
なんだかんだ言って楽しかった時の記憶が蘇ってしまった。
スマホを取り出し愛理さんに電話をした。
「あの~愛理さん?今日夕飯いらないです……」
「あーはいはい、わかりましたよーだ。樹さんは私よりも後輩のことを優先するんですねー」
「あと多分帰ってくるの明日に……」
「……はい?」
あ、まずい。
ただ一言、心の中で、浮かんできた。
流石に瑠璃の家に行くと、電車に乗って帰っても真夜中になるのと、明日は休日ということを考えた結果、今日は実家に寝泊まりしようと考えた。
それで帰ってくるのが明日という話なのだが、俺の言い方が悪かった。
「帰るの遅くなりそう、実家に寝泊まり、ついでに掃除とかして帰る」
「樹さん明日は覚悟していてくださいね!」
愉快そうにその言葉を残され、愛理さんに電話を切られた。
「一回忘れるか……」
「せんぱい顔色わるいよー?」
「よし、瑠璃の家行くか」
「わーい!ひさしぶりだー」
「はぁ……」
明日に不安を持ちながらも瑠璃の家に行くことにした。
「お邪魔します」
「なんか気持ち悪い」
「だってお前ここにいるだろ……」
昔は「いるかー」と言って入っていたせいで何を言えばいいのか分からなかった。
なので取り合えず「お邪魔します」と言ってみたが、ダメらしい。
これ以上入るときの挨拶など思いつかないので、取り合えず入った。
「綺麗……だと?」
廊下にゴミが一つもなく、綺麗に片付いている。
昔はゴミ袋が何個も積み重ねられ、道があるかも怪しかったというのに……
俺は朝こっちに来れないからわざわざゴミ出しの日を覚えさせ、部屋から出るように言っていたのにまったくしなかったのが嘘みたいだ。
「舐めすぎじゃない?」
「いやーもしかすると部屋の中が……嘘だろ、おい」
部屋の扉を開けてみれば、普通のマンションの一室じゃないか。
何故か割れてる食器は落ちていないし食べ終わったカップ麺の容器も重なっていない。
初めて来たときなんか腐敗臭だけじゃなく様々な臭いが混ざり合って鼻がもげるかと思ったのに……
俺が来る度に、汚くなっていた部屋はどこに……
「瑠璃の成長に泣けてきた」
「おとーさんじゃん」
「立派になったなぁ……」
食器もしっかり洗って乾かされてるし……
普通の家過ぎて正直驚いている。
部屋の中を見渡していたら、信じられない物が置かれていた。
「お前……アイロンかけれるようになったのか……」
「一番感動するのそこー?」
「いやもうお前……まじか……いやーなるほどな……がんばったな」
語彙力がなくなっていることはわかっている。
でも、それでもこれだけの成長は正直驚くの一言では表せない。
荒れ放題で虫も湧いて人が寄り付かないような家が、普通の人が暮らしている家になったんだぞ?俺としてはもう泣けてしょうがない。
「おなかへったー」
「ぐーだらは変わらずか」
「感動冷めてない?」
「いや、そんなことないぞ」
「これでも料理できるよーに、なったんだよ?」
「じゃあ手伝え」
「えー」
「『えー』じゃない。どれぐらいできるのか見てみたいしな」
「はーい」
瑠璃は近くに折り畳まれていたエプロンを……エプロンを!?
瑠璃が、瑠璃が、エプロン……?
そろそろ脳がバグり瑠璃が瑠璃に見えなくなってきた。
脳が何かの影響を受けて俺が瑠璃と知覚している存在が本来とは別のものと変わっているかもしれない。
「おとーさん?なにつくるー?」
「なにがいい?」
「オムライス」
「材料は?」
「ある!」
「はぁ……作るか」
仕事を分担するかと思いきや……
「おとーさんは私の分、私はおとーさんの分つくろー」
「また面倒な……」
「私が料理できるところ見るんでしょ?」
「あーはいはい」
一気にやったほうが楽だと思うが、瑠璃はそうしたいらしいので、仕方がなく分けることにした。
先に瑠璃が作り、あとに俺が作ることになった。
今のところ全然手際も悪くないし、普通に作っている。
普通に手際よく完成した。
俺も適当に作り、瑠璃の分ができてしまった。
「本当に料理できるようになったんだな」
「んー」
「美味いか?」
「おいひー」
「食べながら喋るな」
俺も瑠璃のオムライスを口に入れた。
……美味い。
普通に美味い。
ここがいいとかは特に出てこないが、普通に食ってて美味いと感じる。
「やっぱりおとーさんのほうがおいし」
「そうか?」
「懐かしい味」
「なるほどな」
そういえば初めてここに来た時にオムライスを作ったんだっけか。
灰羅から瑠璃は卵が好きと聞いていたから、卵とか買っていったが、料理する場所はないし冷蔵庫の中身はほとんどが賞味期限切れてて、調味料系が多少生き残っていたので、コンロ周りだけ掃除して、仕方がなくオムライスを作ったな。
瑠璃の前にある皿には、もう何も残ってなかった。
相変わらず食うの早いな。
昔と変わらないことに少し安心感を覚えながらも、俺も急いで食った。
「この後なにする?」
「映画でも見るか」
「なにみるー?」
「なんでもいいぞ」
皿が洗い終わって振り返ると、もう見る物を決めて待っている瑠璃の姿があった。
容姿は変わったが、行動はあまり変わっていない。
家だからなのかもしれないが。
瑠璃の横に座った。
「懐かしいな」
よくここで映画を見たり、ゲームしたりしていた。
大分環境が変わったとはいえこの居心地は忘れてないものだな。
瑠璃はテレビをつけて、映画などを配信しているサイトを開いた。
何を見るのかと思っていれば、おもむろにホラー映画を選択し、俺が止める前に再生し始めた。
「おい」
「ほらはじまるよー」
俺はあまりホラーは得意ではない。
瑠璃はそれを知っていて、ホラー映画を選んできた。
別に見れないことはないので、仕方がなく止めることなくホラー映画を見ることにした。
〈瑠璃視点〉
「ふわぁ……って、あれ?」
目が覚めたら、横で一緒に映画を見ていたはずの先輩が寝ていた。
多分面白くなかったから、暇で寝たのだろう。
起きるまでは、放置。
しばらく起きないから、散らかしたものを片付けた。
「おとーさん?おきてー」
起きる素振りは一切見せない。
かといって起こす気はない。
起こせば、この家から離れていってしまう。
もうこれ以上離れてほしくない。
この家から人が消えていく感覚はもうこれ以上知りたくない。
おとーさんが来なくなってから一カ月もしないうちに来た、またあの離れていく感覚。
そして、家事ができるようになってから、灰羅も来ることが少なくなってしまった。
でも今でも偶に来てくれるのは、灰羅だけ。
おとーさんは今日無理やり連れて来ただけで、これからも来てくれるわけがない。
中学の時のような生活に戻りたいと何度願いても、あの時の世界は戻ってこない。
おとーさんが来なくなってから、何度も実感した。
「やだなぁ……」
どうしてあの時……
思い出そうとした時、別の記憶も一斉に蘇ってきた。
「あっ、あ゛ぁ゛あ゛ああ゛あ゛あああ」
頭が痛い。
両親を目の前で失った感覚が、すべてが、濁流のように流れ出てくる。
抑えようとしても、止まることの知らない水は溢れ出てくる。
頭を必死に手で押さえながら、私は寝室へと行き、そのまま気絶するように崩れた。
最悪の目覚め。
最悪の世界。
最悪の顔。
目元だけ擦り、部屋を出てみるとそこにおとーさんの姿はなかった。
ただ一つメモを残して。
『楽しかった。すまんもう来ない』
どうやら私が発作を起こしたときに、おとーさんは起きたらしい。
「周りが見れなくなるのはよくないなぁ……」
今も周りがぼやけてうまく見えない。
なんでこうも私の生きる世界は、思い描く世界とは逆で、私の世界に黒塗りをしたような世界なんだろう。
綺麗になった部屋を見て、ただ一つそう思った。
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