≪TU-02 -さよならは言わない- 3/3≫

「どうしたんですか、マイさん」


 時計を見ると、いつの間にか閉店の四時を回っている。


「どうしてるかと思って。大変なことになっちゃったから……」


「ああ、緊急事態宣言ですか。うちの店、というか、会社から全店舗に営業をやめるよう話が来ましたよ」


「やっぱりそうなんだ」


 電話ごしのマイの声はやはり沈んでいるようだった。


「今日はお酒飲んでないんですか?」


「失礼な。私だっていつも酔っぱらってるわけじゃないんですよ」


 冗談が通じたのか、二人はともに笑った。


「そっちのお店もやっぱり営業自粛?」


「はい」


「今から来ます?」


「ええっ、さすがに今からは。……そんなんじゃなくて」


「しょっちゅう今の時間からもんでーって、電話もなしに来るじゃないですか。一応、受付は4時までなのに」


「あの時と今とは違うでしょ。それに、迎え入れるタクミさんもタクミさん」


「ですよねー……」


 明るく言ったつもりだが、やはり語尾はトーンダウンしてしまう。


「芸能人の人が死んじゃってから、ほんとさっぱりで……」


「ああ、やっぱりそうだったんですね」


「これから、どうなると思います?」


「それは、俺が聞きたいですよ。こんなことになるなんて想像してなかったし。お店だって休業だし、いつ営業再開するかもわからない」


「最近、占いの運勢、よかったんだけどなー」


「占い?」


「タクミさん、信じます? 占い」


「ああ……」


 ハハッと臼井は笑う。


「何で笑うんですか」


「僕の名前、タクミでしょ。己で拓くと書いて、拓己タクミ


「はあ」


 マイはピンと来ていないようだった。


「親は、他人を頼りにしない。自分の力……己で道を開拓してほしいって意味でつけたって言ってましたけどね。おかげで自分の運命は自分の力で切り拓くっていうのが当たり前の人生になっちゃったので」


「やっぱり苦労してるんですね、タクミさん」


「マイさんだって、人の事言えないでしょ」


「やだー。私、人に頼って生きていきたいもん」


「そんなん、俺だって一緒ですよ。だらだらとだらしなく生きていけたらどんなに楽か」


「ほんとですよねー」


 二人は笑い合う。


「でも、これからどうなるんでしょうね」


「どうにもならないですよ」


 臼井の即答に、マイが絶句しているのが電話越しにもわかる。


「なるようにしかならない。世の中、そういうモンでしょ。仕方がないネって」


 臼井はつとめて明るい口調で、電話の向こうのマイに伝える。


「タクミさん、おかしい」


「そうですか?」


「普通の人はこの状況でそんな風に思えないのに。そんなポンポンさらっと言えるのはおかしい。どんだけなの」


「過去は振り返っても仕方ないでしょ。今日に文句言っても昨日は来ないんだから」


「……拓己さん、つよすぎ。たくましすぎるよ」


 あきれ半分、尊敬半分といったマイの口調。


「もっとほめてください」


「引いてるんですよ、ドン引き! ほめてない!」


「あっはっはっは」


「いや、笑うのはおかしいから!」


「でもほら、笑う門には福来たる。って」


「あーもう……、心配して電話してみたけど、いらなかったみたいですね」


「そんなこたないですよ。ありがとうございます」


 それは嘘偽りない本音である。


「いつぐらいに元に戻るのかな。私、仕事終わりに足つぼ受けながらお店のマンガ読んで始発で帰るの、楽しみだったのに」


「店の営業に関してはなんともいえないですね。こればっかりは」


「私はこれから、何をいやしに生きていけばいいんでしょうか」


「それはお互い様でしょ。でもまあ夜の仕事はなくなりませんよ。この店がどうなるかはわからないですけど」


「ですよねー」


「でもまあ僕は大丈夫だから」


「ですよねっ」


 二度目の返事には少し抗議が含まれていた気がした。


「落ち着いたらまた店に連絡くださいよ」


「うん、そうします。それまで元気でいてくださいね」


「もちろん。それじゃ」


「はーい」


 臼井は通話を終えた。


「……やっぱりいるんだよな、カンの良い人って」


 今日、会社から営業時間については22時閉店にするよう通達が来ていた。


「たまたまなのにな。この時間にいたの」


 今後についてはどうなるかはわからない。

 自分がもうこの店で働く日は来ないかもしれないのに。

 だから、せめて思い残すことはないように雑務をこなせるだけこなして帰ろう。

 そう思って、朝まで残っていた。


「残っていた甲斐はあったのかな」


 臼井はスタッフルームに入り、空の乾燥機の中に手を入れる。

 人肌程度のぬくもりがまだ残っていた。

 干してある足つぼ用のタオルはまだ少し湿っている。


「これくらいならいいだろ。どうせ今後はしばらく使わない」


 足つぼタオルを乾燥機に入れ、稼働させる。

 時間はまだ朝の4時半前。

 タオルの乾燥が終わり、片づけて帰るのは5時過ぎになる。

 その頃になれば、始発電車が動き始める。

 うーん。と臼井は身体を伸ばし、掃除機を引っ張り出して、最後のひと掃除にかかった。

 もう、この店で思い残すことが何もないように。

 ……いつの間にか台湾の音楽は、もう止まっていた。

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