第65話 日光東照宮

 翌日。まるで昨日の松平達の会話が筒抜けだったかのように家光は老中、若年寄り達を集め、自然に、それが当たり前かの様に日光東照宮の造替の件について声を上げた。


「おおよそ二年後、余がこの世で最も敬愛する祖父、東照大権現様の二十一周忌じゃ。それに伴い、これまでにない程の豪華絢爛な社殿に建て替えたい」


 異論はないな、と強行突破を試みる家光に、待ったの声を上げるものは誰か。それぞれが視線を交わし合う。

 そんな中、松平は助けを乞う様に老中に目を向けるも、二方共に瞳を固く閉ざし、その場にいない素振りをしていた。

 若年寄りに委ねるといった、ところか。松平は意を決して声を上げる。


「幕府は今、新たな礎を築き、躍進を遂げております。その最中、造替とはかなりの痛手となる可能性があります」


 松平は自分を鼓舞するように腹から声を張り上げていた。

 家光は松平の異論とも言える答えに眉を顰める。


「松平、残念じゃ。余はそなたに全幅の信頼を寄せている。そなたならば、余の東照大権現様を思う気持ちがどれほどのものか、分かるであろう」


 まるで城に迷い込んだ子犬の様に心細げに呟く。松平は、くっ、と唇を噛み締めた。上様の気持ちは痛いほどに分かる。しかし、幕府の存続が即ち大権現様の願いを叶える事なのだ。

 松平は屈する心に喝を入れた。


「どうか、考えを改めてくださいませ」


 松平は平伏した。その姿に他の若年寄り達は心が震えた。はやり松平には敵わぬ。満場一致である。

 すると、家光は吐息をつき、そうか、と惜しげに呟いた。

 諦めがついたのだろうか。各々が安堵の表情を浮かべた時だった。

 バンッ——

 襖が大音を立てて開かれた。

 皆が一斉にそちらに目を向ける。


「そなたは…!!」


 思わず声を上げたのは堀田であった。堀田の目に映ったその人物は無論、桃子であった。その場の空気が一瞬にして、なんとも騒がしく、誰もが飲み込まれてしまう独特な雰囲気に成り代わった。


「え⁉︎なんで派手にやらないの?費用どうにかなるでしょ?てか、どうにかするのがあんた達の仕事じゃないの」


 桃子はまくし立てる様にいう。若年寄り達は、唖然とする他なかった。一方、家光は平然と将軍の佇まいである。初めから仕掛けていた秘策であったのだ。

 事の次第はこうである。

 家光は以前から東照宮の再建を企てていた。しかし、一方でその莫大な費用についても気にかけていた。果たして、どちらを取るべきか。頭を悩ます中、ふと思い出したのだ。

 桃子ならば未来の東照宮の姿を知っているだろう。

 もし、今と変わらぬ姿で鎮座しているならば、諦めるのが道理。家光は桃子の記憶に委ねたのだ。


「え〜桃の記憶では東照宮、ギラギラだったよ」


 桃子は小学校高学年時、修学旅行で日光を訪れていた。歴史の趣に関心のない子供の瞳には、ただ黄金色に煌びやかな東照宮を記憶しているだけなのだ。

 桃子の答えに家光は興奮気味に声を上げた。


「そうか‼︎やはり、余がやるべき事なのだな⁉︎」


 詰め寄る家光。桃子は目をあちこちに飛ばす。


「いや〜…桃、誰が作り替えたとかそこまでの知識はないかな〜」


 修学旅行前に下調べした東照宮の事など覚えているわけがない。桃子は改めて歴史の勉強を疎かにした事を後悔した。

 家光は顎に手を添え、何やら思案顔である。


「これから先、余を超えるほどの大権現様を敬愛する者は現れぬ。余が成し遂げる事なのじゃ」


 自問自答し、頷く。


「桃子!協力してくれ!」


 老中や若年寄りが簡単に頷くとは、思っていない。家光は桃子に懇願する。

 桃子はというと

「え〜…あの人たちの雰囲気なんか嫌なんだもん」

 とあまり気が進まないようだ。家光は渋る桃子の心を動かす術を考えた…というよりは、知っていた。

 家光は桃子の瞳をじっと見つめる。


「桃子しか頼れるものがおらんのじゃ」

『桃子しか頼れるものがおらんのじゃ』


 桃子の頭の中で家光の言葉が反響した。そうだ、桃子は非常に承認欲求が強く、ちょろいのだ。


「仕方がないなぁ〜!」


 完全に落ちた。家光は密かにガッツポーズをした。


「ほんとちよたんは桃がいないとダメなんだから!」


 仕方がないな、と呆れ顔をしつつ、どこか嬉しそうな桃子であった。



「とにかく建て替えは、やるべき!」


 こうして最後の切り札として登場した桃子。家光は一本取った、というような勝ち誇った顔をしている。

 一方で若年寄り達は桃子の口から突如語られた未来の話を冷静に受け止めるべきか困惑していた。


「未来から来た…?」

「東照宮が豪華絢爛とな…?」


 この初めから訳のわからぬ存在であった女子の言葉を信じて良いのか?否、我が将軍が信ずるならば信ずるべき…か?否否!将軍が道を誤らぬ様に導く事も役目!

 皆同じ事で頭を悩ませている様だった。

『どうにかするのがあんた達の仕事じゃないの』

 桃子の言葉がよぎる。その一言に側近達のプライドが疼いたもの事実である。

 皆の思いを背負った松平は、コホン、と一つ咳払いをした。


「この女子おなごの言葉を信ずるかどうかはさておき…だ」


 その一言にカチンと桃子は僅かに怒りを感じた。じっと松平を睨むも、相手はしれっと言葉を続ける。


「費用はどうにでもなる。上様の東照大権現様を慕うその心と粋な計らい、異論はございませぬ」


 松平は丁重に平伏した。老中方は松平の決断に納得した様に頷く。他の若年寄りは今一度、松平の偉大さに感服した。


「うむ。これにて落着」


 こうして一年五ヶ月の歳月をかけ、豪華絢爛な日光東照宮が再建された。総工費、金56万8,000両、銀100貫匁、米1,000石、現在の貨幣価値でおおよそ200億円〜400億円の巨額が投じられたのであった。

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