第32話 桃子、お江と対峙

 大奥へ戻ってすぐ、桃子は皆に次期将軍が竹千代である確約がなされたことを伝えた。福に仕え、竹千代を想う女中達はさぞかし喜ばれた。


「桃子様!あなたって人は本当に…」


 桃子の前に現れた紫乃は眼に涙を浮かべる。


「なんで紫乃が泣くの〜」

 と桃子は呆れたように声を上げた。


 竹千代の次期将軍確約に騒がしく喜ぶ広間から離れた福と桃子。二人と紫乃、福に仕える女中数人で大奥内の静かな廊下を歩いていた。


「桃子、そなたに何か褒美をやらねばならぬな」


 福は傍を歩く桃子に目配せた。


「まじ!?え〜!桃、何おねだりしちゃおっかな〜」


 そう桃子が口にした矢先、向かいから女中を連ねて、お江がこちらに迫ってきていた。

 それに気づいた桃子はふと、お江に対して気がかりな事があった、と思い出す。


 目前で双方とも足が止まる。お江は穏やかな笑みを浮かべていた。

 途端に桃子は一歩一歩と歩みを進め、お江の前に立つ。桃子の軽蔑する様な顔つきにお江の笑みは消えた。


「あんた、母親としてどうかしてんじゃないの」


 桃子の一声に女中達がざわめき出す。お江は衝撃を受けた様に目を見開いた。


 桃子の気掛かりとは広間での事だった。竹千代が次期将軍であると家康が声明した時、ふと桃子はお江に目を向けた。お江は誰からも見て取れるほど残念そうな表情を浮かべていたのだ。桃子はそれが許せなかった。


「ちよたんはね、あんたが見ないうちに、ハキハキと喋る様になったし、お腹いっぱいご飯を食べる様になった。外で駆けまわるぐらいにも丈夫になったし、人を思いやる心も持ってる。完全絶対将軍向きだかんね、なめんな」


 桃子の語調は恐れ慄くほど強かった。お江はまるで罵られた様に感じ、悔しげに顔を歪めた。   

 そして敗北を認める様に中央から傍に逸れ、去っていく。その際、福はたいそう穏やかな笑みでその一行を見送った。

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