第24話 ちょっと思い出してみる やっつめ ~伯爵の過去~


「お帰りなさいませ、兄上」


 知らされていた自宅へと戻ったウォルターは、家族から出迎えられ家へと招き入れられた。

 没落以前の邸よりも数段豪奢な伯爵邸。家族は自分の思い描いていた通りの暮らしをしているようで、ウォルターは安堵に胸を撫で下ろす。

 慰謝料返済が終わってから、彼はヒューバートと連絡を取り合い、伯爵家としての体面を保てるよう指示を出していた。

 辺境領地を守護するウォルターの俸禄は破格だ。彼の命の代償として、申し分ない俸禄をもらっている。正確には、あれから色々と交渉を重ね、捕取っている。

 多額の慰謝料があった頃には足元を見られていたし、ウォルターも、まだ若輩で世の中を知らなかった。

 そう言ったアレコレの経験豊富な元冒険者である職人達から悪知恵を叩き込まれ、彼は辺境防衛をちらつかせつつ王宮と交渉を重ねながら、自分の命に見合う報酬を引っ張り出したのだ。


 王宮にしたら辺境などゴミ溜めと同じ。そんな領地に金を遣いたくはなかっただろうが、そこはこれまでの彼の実績がモノをいう。

 正しく辺境を掌握し、犠牲者の数を減らし、あまつ魔族の脅威を退けつつあるウォルターの手腕を、流石の王宮も認めない訳にはいかなかったのだ。

 辺境への襲撃が激減したことは王宮にも知らされている。それに伴い、王宮からの支援も軽減されてきた。

 今までは、辺境領地の衣食全てと医薬品全ての負担が王宮にかかっていたのに、ウォルターが職人を呼び寄せ、その知識が伝授され、辺境の街を復興させたことにより、その経費が格段に減ったのだ。

 樹海という資源の宝庫が目の前にあるメンフィスである。周りの基盤が整いさえすれば、難しい事ではなかった。

 まあ、魔族の襲撃が分散されたというだけで、根本的な解決になった訳ではないのだが。


 結果、ウォルターは俸禄に多額の上乗せをさせたのだ。王宮側も彼が成した成果に文句もつけられず、各成果一つ一つに報償を与え、彼の懐は唸るような金子で満たされる。


 それを有効活用せよと、ウォルターは弟に指示していた。

 どうせ係累に継がせるつもりもない。自分が老いたら返上するか、あわよくば養子を取って継がせるか。そんな軽い爵位だ。

 辺境に必要なのは魔族と対峙できる猛者である。血統で継がせるべき領地ではない。

 だから彼は、俸禄を散財して構わないので、貴族として誰にも後ろ指を指されない家屋敷と生活をするようヒューバートに頼んでいた。


 それは正しく行われたらしい。


 満足げに微笑むウォルター。


 そして玄関先に並ぶ懐かしい面々。だが、その顔ぶれも年をとり、十年前とは全く違う。


「.....大きくなったな」


 思わず呟くウォルターに苦笑いし、ヒューバートは兄の手を握った。


「そりゃあ十年もたったのですから。.....兄上のおかげで伯爵家の復興も成りました。本当に感謝の言葉もないです」


 王都を旅立ったあの日。まだ頭一つ分も自分より小さかった弟は、今のウォルターと変わらない背丈になり、少年らしい細さは消えている。代わりに増えたのがウォルターの手を握る指に感じる剣ダコ。

 文官を目指していた弟には似つかわしくないソレを見つめ、ウォルターは微かに首を傾げた。


「これは嗜みの範囲を越えていないか?」


 すりすりと剣ダコをなぞるウォルターの指から、はっと手を引き、ヒューバートは曖昧な笑顔を浮かべる。


「これは..... その..... まあ、僕も男だったってことですよ。うん」


 微妙な空気が流れる兄弟に、タイミング良く母親が声をかけた。


「積もる話は中でいたしましょう? ああ、ウォルター、顔を見せてちょうだい?」


 ウォルターの両頬を柔らかな指でそっと挟み、母親は彼の顔を切なげに見つめる。


「痩せたのではなくて? 苦労をかけますね。わたくしが不甲斐ないばかりに.....」


「母上に瑕疵はございません。全ては、あの碌でなしのせいでございます」


 暗に父親のことを示すと、そこに居た家族や執事らの顔が微妙にもにょもにょとなった。

 ん? と訝しむウォルターを余所に、家族は彼を労い、家の中へ案内する。


 言われるまま入った新しい伯爵邸。その応接室のソファーに座り、彼は感慨深げに天を仰いだ。


「ようやく..... 御先祖様に顔向け出来ますよ」


 あれから十年。


 貴族の面汚しをさらし、家名を泥にまみれさせ、爵位しか残せず、ボロ家で家族に苦労を強いた日々。

 必死に駆け抜けた十年だったが、こうして再び陽の目を見た。

 ウォルターは執事のマルセルから御茶を受け取り、その香りで人心地つく。

 良い茶葉の馥郁たる香り。辺境では望むべくもない文明の芳香。十年前の我が家からも無くなった香り。それが戻ってきた。


 幸せに暮らしているのだなと、ウォルターは心の底から安堵する。

 

 そんな彼に柔らかく微笑み、それぞれが思い出話という近況報告に話を咲かせた。


「シャロンは隣国に嫁いだと聞きましたが。祝いしか贈れず申し訳ない」


 深々と頭を下げるウォルター。


 五年前に嫁いだ妹の結婚式に、彼は出席出来なかったのだ。

 その頃、辺境は荒れに荒れる転換期。魔族の猛攻や、招いた職人達の基盤を作るために奔走していたウォルターは、嫁ぐ妹を見送りに王都へ戻ることも叶わなかった。


「仕方がないですよ。兄上のせいではございません」


「そうよ。シャロンだって、貴方に感謝していたわ。御礼の一つも直接伝えられず、残念がっていたわよ?」


 シャロンは無事に学院へ入学し、そこで知り合った留学生と恋に落ちたらしい。

 この国では地に落ちた伯爵家だが、異国では問題ならず、それどころが辺境防衛に関わるウォルターを相手の家は高く評価してくれたとかで、縁談はトントン拍子に進んでいった。


「本当に。良い青年でしたよ? 是非とも貴方に御会いしたい仰ってくださったのだけど.....」


 その言葉だけでウォルターは胸が一杯になる。

 この国の社交界では受け入れてもらえない伯爵家にとって、シャロンの婚家は良い縁だった。

 

『自分にかまわず話を進めろっ! シャロンの幸せが第一だっ!!』


 殴り書きで寄越された兄の手紙を思い出して、ヒューバートの目が緩やかに弧を描く。

 おかげでシャロンも自分も好いた相手と結ばれた。政略、凋落が当たり前な貴族階級の結婚事情で、こんな幸せな事はない。

 温かく目を細めるヒューバートを余所に、ウォルターは母親と弟夫婦のこれからを話していた。そして母親のこれからも。


「ヒューは婿入りする訳ですが、母上に良い話はないのですか?」


 暗に再婚を仄めかす息子の言葉を耳にして、母親は軽く紅茶を噴く。


「良い話って..... こんな年寄りに、そんな話が有るわけないでしょう」


 淑やかにハンカチを口にあて、やや眉をしかめる母親に、ウォルターはさらに詰め寄った。


「何を仰いますか。母上はまだ四十を回ったばかり。その気になれば良い殿方の一人や二人、幾らでも捕まりましょう」


 ヒューが婿入りすると母上は邸で一人ぼっちになってしまう。

 家の管理はマルセルらに任せたとしても、未だに社交界から爪弾きな伯爵家は、ヒューが結婚でいなくなれば、きっと寂しくなるだろう。

 

「再婚で嫁がれるもよし、どなたか良い方を伯爵家に迎えるもよし、母上も人生を楽しんでくださいませ」


 平民でも構わない。母親を大切にして、共に暮らしてくれるなら、婚姻許可をもぎ取ってみせると鼻息を荒くするウォルター。

 そんな息子を困ったような顔で見つめ、母親はヒューバートと顔を見合わせる。


「なら、貴方がお嫁さんでも迎えてちょうだいな。そして孫を抱かせてくれたら嬉しいわねぇ。お嫁さんと孫と、ここで賑やかに暮らしたいわ」


 ふくりと目を細めて微笑む母親に、ウォルターはギクッと肩を震わせた。

 彼には内縁とはいえ妻がいる。さらには愛しい息子達も。

 息子らに伯爵家の因縁を継がせないつもりのウォルターは、サンドラ達をこの家に迎えるつもりはない。

 何処か遠くに家を構え、内縁のまま父親としての責任を果たし、伯爵家とは無関係な暮らしを築きたいと思っていた。


「.....あ~、その。私は伯爵家を永らえさせるつもりはないので。ヒューが家を離れ、母上が亡くなり、私も老いたら、誰か有望な者を養子として爵位を譲るつもりです。それが叶わないなら、国に爵位を返上いたします」


 家族の行く末を見守り、オーエンス家を終わらせるのだとの説明に、周りは目を見開いた。


「本気ですか? 兄上」


 思わず問いかけるヒューバート。それにウォルターは大きく頷く。


「もはや我が家には負の遺産しかない。先祖伝来の得物も失い、未だに薄れぬ醜聞が、後の後継者達を苦しめるだろう。.....こんな惨めな思いをするのは私だけでいい」


 達観したかのように据えた眼差しでウォルターは語る。それを黙って聞いていた母親は、ガチャンっと大きく音をたててカップをソーサーに置くと、般若の如く眼を剥いた。


「貴方、サンドラや孫達はどうするつもりなのっ?! 未婚で父無し子のまま放り出す気ですかっ?! 無責任にも程があってよっ!!」


 なぜ知っているっ?!


 ぴやっと戦くウォルターに詰め寄り、彼の母親は王都でまことしやかに囁かれる噂を口にした。


 サンドラが双子の私生児を産み落とし、その子供らが祝福を賜ったという話だ。

 王宮総出で捜索しているため、その話は噂の域を飛び出して、かなりの騒動となっているらしい。


「ああ。そうでした。僕にも確認という尋問がありましたね。なんでも、その御子息らは銀髪に紫眼の持ち主なのだとか。王国中を探しても、そんな色目の人物は、我が父しか思い浮かびませんが」


 しれっと宣う弟。ギンっと睨み付けたままの母親。その背後に立つマルセルとソフィアは、ニヤニヤと生温い顔。

 全部お見通しとまでに圧力をかけられ、ウォルターは洗いざらい吐かされた。




「.....そう言うことなのね」


「変わった御令嬢だとは思っていましたが。そこまで、ぶっ飛んでおられたとは.....」


 揃って深々と嘆息する家族達。


 サンドラが身分や地位に執着がなく、子供らを連れて旅を楽しんでいる事をウォルターが話すと、母親達は疲れたかのような顔で溜め息を吐いた。


「まあ、そんな感じなんで。辺境で家族として暮らします。それが叶わないようなら、サンドラ達を隣国に逃がす予定です」


「それが良いかもしれないわね。この国に居ても良いことはないでしょうし。.....でも、孫には逢いたかったわ」


 しょんぼりと項垂れる母親を見て、ウォルターは、ツキンっと胸が痛む。

 結婚してからこのかた、前伯爵の自由奔放さに振り回され、その尻拭いに翻弄され、休む暇も穏やかな暮らしもなかったウォルターの母親。

 ようやく訪れた今の平穏な生活も、穏やかとは言い難い。社交界から爪弾きされ、御茶会一つ参加出来ない母親に、日々の楽しみなどあるのだろうか。


 つと眼をすがめ、ウォルターは思案に耽る。


 王都の家族は、彼にとって人質と同じだ。王宮に握られた駒。

 家族の存在を盾に、王宮は幾らかの命令をウォルターに下せる。

 もちろん唯々諾々と従う彼ではないが、それでも忖度せねばならない時もあるのだ。


 .....いつになったら、こんな惨めな立場から解放されるのだろう。


 ヒューバートは入り婿として子爵家に迎えられた。政的に力のない家だ。なにがしかに巻き込まれる事もあるまい。

 シャロンも国外に嫁いだ。もはや心配は要らない。


 残るは目の前の母親のみ。


 いざとなれば、サンドラに頼んで隣国へと逃がす手もある。

 彼の母親は、伯爵家が没落したさいに生活力も身に付けていた。

 自炊も出来るし手仕事もやれる。サンドラと共に逃がしても足手まといにはなるまい。


 その時の算段を頭の中で弾きつつ思案する彼は、しばらく後に、孫と対面するため母親が辺境行きを申し込んで来るなどとは、思いもしていなかった。


 全ては彼の頭の中の皮算用だったのに。




「わたくしも辺境についていきますっ! 息子と暮らすのだもの。問題はないわよね?」


 にっこり微笑む母が悪魔に見える。


「は? あ..... へっ?!」


 すっとんきょうな顔で間抜けに聞き返すウォルター。

 

 そんなウォルターよりも慌てたのが王宮である。


「ならんっ! 絶対に夫人を王都から出すでないっ!!」


 ウォルターを御する唯一の駒。これを失っては堪らないと、大暴れする国王各位。


 てんやわんやの逃走劇の幕は、ここから上がる。


 やはり、ウォルターの人生は、平穏からほど遠かった。

 

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