人外魔境へようこそ ~人生、なるようにしかならない~
美袋和仁
第1話 ちょっと待て
《では皆様。良い人生を♪》
そう言うと、神々しいまでの慈愛に満ちた微笑みで、神と名乗った女性は、私達を真っ暗な穴に突き落とした。
いや、手足も使わず、ふっと穴の上に移動させられ、五人は慣性の赴くままに落下したのだ。
先に三人。少し遅れて二人。
「ふざけんなよっ、この駄女神ーっ!」
一人の主婦の罵声を残して、その昏い陥穽は音もなく閉じる。
《駄女神とは。中々に的を射ておりますね》
ふくりと蕾が花開くように楽しげな笑みをうかべ、神を名乗る女性は下界を見下ろした。
足下に届くほど豊かな金髪に澄わたった夏空のように鮮やかな青い瞳。高い鼻梁の整いすぎた顏は、ある種の畏怖すら抱かせる。
《期待しておりますよ。わたくしの世界を引っ掻き回してくださいませ》
彼女の口からまろびた呟きは、誰の耳にも拾われず、下界を馳せる荒んだ風に攫われていった。
事の起こりは一時ほど前。
《ようこそ、わたくしの世界へ。歓迎いたしますよ、地球の方々》
満面の笑みで両手を開く女性に、唖然とする人間が五人。
「あの...... あなたは?」
制服を着た女子高生が、上目がちにおすおずと問いかけた。
茶髪のセミロング。まだあどけない大きな瞳が印象的な可愛らしい女の子である。
《これは失敬。わたくしはモールドレ。貴殿方はエレベーターという箱の落下事故でお亡くなりになりました。覚えておられますか?》
言われて五人に動揺が走った。
「覚えて....る。急にガクンとなって」
「宙に浮くどころが天井に叩きつけられたな。たしか」
今時っぽい若者二人が顔を見合わせる。
片方は細身でザンギリな黒髪。しかし、その絶妙なまばら加減は計算されており、野性味のあるワイルドな髪型になっていた。やや切れ長な眼でキツイ印象を受ける青年だ。
もう一人は正反対で、ガタイが良く角刈りの美丈夫。整った顔立ちだが、太い眉毛が芯の強さを物語る、武道家のような出で立ちだった。
どうやら、この二人は顔見知り、あるいは友人といった感じである。
「あ~...... どうすんのさ、これ」
最後の一人...... ある意味、二人は、呆然と天を仰いだ。
そこには五十代の主婦と生まれたばかりらしい赤ん坊。
彼等四人は、たまたま乗り合わせたエレベーターで、段ボールに詰め込まれた赤子を見つけた。
どれぐらい放置されていたのか。ぐったりとして真っ青な顔。微かに上下する胸だけが、まだ赤子が生きているのだと知らせてくれる。
「やばっ、救急車? 警察?」
あまりの驚愕に狼狽え、皆が右往左往していた時に、件の事故は起きた。
それぞれが思い思いに記憶を辿り、最後には揃って大きく息を吐く。
「つまり、アタシ達は事故で死んだって事かぁ。あ~、ようやく老後のセカンドライフが見えてきたところだったのに」
「えっ? えっ? 死んじゃったの? 嘘ぉっ!」
「.......なんとも短い人生だったな」
「ああ」
各々やるせない気持ちで一杯なとこに、空気を読まない声がかかる。
麗しい美声ではあるが、今の五人には何の慰めにもならない。
《ですので、わたくしの世界でセカンドライフはいかがですか?》
「そういえば、あなたは?」
「わたくしの世界って、あんた神様とかか?」
《左様でございます。わたくしの世界、デイモスは慢性的な人口減少に悩んでおりまして》
眉根を寄せて俯く女性。
自身を女神だと名乗る女性は、とつとつと経緯を説明した。
彼女の世界、デイモスは当然異世界である。
地球では空想上の魔物や魔族が蔓延り、人間は狩られる側で常に死と隣り合わせな生活をしていた。
時代的には中世初期。大きな大陸と小さな小島群が散らばる海洋世界。
星の八割が海で、大陸中央は広大な樹海。その真ん中に魔族の国があり、人間らは海岸沿いに追いやられ、細々と国を営んでいる。
さらには海にも水属性の魔族の国があり、樹海と海とに挟まれた人間らの国は常に魔物や魔族に襲われ、息も絶え絶えなのだとか。
聞いただけで悲惨極まりない状態だ。それ、何て無理ゲー?
うわぁ...... と揃いも揃って眉をひそめる。
《なので、貴殿方に御願いなのです。わたくしの世界へ御越しください。そして人間らに知識を与えてほしいのです》
「知識?」
《はい。地球はとても文明の発達した星です。人間も多くて羨ましい。そういった文明を、わたくしの子供達にも教えてくださいませ。その御礼に、一つだけ望む加護を授けましょう》
望む加護と言われて、女子高生が食いついた。
先ほどまでの落胆は何処へやら。鼻息も荒く、女神様に詰め寄っていく。
「それって、異世界転生って事ですか? あちらで教えるなら当然記憶も持ったままですよね?」
女神様とやらは、鷹揚に頷いた。
《勿論です。あちらで、貴殿方が生活に困らないよう、飛び抜けた加護を一つ差し上げましょう》
男性二人も少し興奮気味だ。
「ラノベ展開だな。これって断ったらどうなるんだ?」
《その場合は致し方ございません。地球の輪廻に御返しいたします》
つまり、普通に地球で浄化されて生まれ変わる。当然、記憶の継承もない。
《わたくしの世界への転生を望まれた方のみお連れしても良いと、地球の神々から御許しをいただいておりますので》
なるほど。
得心顔で頷く若者三人。
「じゃ、アタシはそっちで。異世界とか、訳わからないし」
こちらにも空気を読まない強者がいた。
赤子を抱えた主婦は、煩わしげに首を傾いでいる。
「あ~、まあ、そっか」
「御婦人の年齢だと異世界転生といってもピンと来ないでしょうし」
「私達だけで」
どうやら若者三人組は異世界転生を選ぶようだ。
それぞれ、求める加護を話している。
「三人で同じ場所に転生出来るのですか?」
《いえ。転生とはいえ零歳児スタートは申し訳ないので、十歳程の年齢で同じ場所に構築します》
「子供が親も後見人も無しで?」
ぎょっと眼を見張り、角刈りの男性が女神様を見た。
「大丈夫です。人間側には、わたくしから神託を入れておきます。すぐに迎えが来るでしょう」
ほっと安堵を浮かべ、各々が必要な加護を女神様に頼んだ。
「私は癒しの力が欲しいです」
「俺は攻撃魔術。この通り腕っぷしはないんで、ガチンコの荒事には向かないからさ」
「俺は武術の加護を。悟と違って、体力だけはあるからな」
「抜かせ」
《かしこまりました。では、貴殿方の未来に幸多からんことを》
女神様がそう言うと、三人の身体が発光し、次には奈落のような真っ暗な穴に声もなく消え失せた。
それを見送り、静かに佇む女神様に、主婦も声をかける。
「じゃ、アタシは地球に頼みます」
そう言う主婦に、女神様はほくそ笑んで、主婦の腕に抱かれている赤子を指差した。
《その子はどうするのですか?》
「え?」
《地球の倣いに従えば、その子は浄化の前に罪を償わねばなりません。親より先に虹の橋を渡るのは、如何なる理由があろうとも、最大の親不孝ですから。その乳飲み子に石を積ませるつもりですか?》
「なっ!」
主婦も知識としては知っている。親より先に死んだ子供は、地蔵菩薩が迎えに来るまで賽の河原で石を積むと言う。
でも、まさか本当に? この子は間違いなく親に捨てられたはずだ。好きで死んだ訳でもないのに?
「地球の神々だって、そこまで無慈悲じゃ.........」
慌てて言い繕おうとした主婦の瞳に女神様が映る。
その微笑みは限りなく慈愛に満ちていたが、底無しな仄昏らさをも同衾させていた。
呑み込まれるかのような錯覚を受ける深い闇。
無意識に固唾を呑み、主婦は赤子を女神様に差し出す。
「それじゃあ御願いします。この子は普通に良い家庭にでも転生させたげて?」
女神様は微かに口角を上げて、首を横に振った。
《その子は知識を持ちません。わたくし世界の役にはたたないので御断りします》
「そんなっ、じゃあ、どうしたらっ?」
オロオロする主婦を指差し、女神様は花もかくやな笑みを浮かべる。
《貴女が同行なさるなら、赤子は赤子のままで、付録として転生させてあげましょう》
つまりはアタシにも異世界転生をしろと?
「そういうのは先に言ってよっ、そうしたら、さっきの三人に同行させたのにーっ! .........あ」
ハッと顔を上げた主婦に、女神様はニタリと笑みを深めた。
「あんた、謀ったなっ! 何にも言わずに、あの三人を先に送って....... あーっ、やられたっ!」
片手に赤子を抱き、頭を掻きむしる主婦へ、無垢な赤子の手がのびる。
「ふゃぁ、う」
うぐっと顔を顰め、主婦はぐぬぬと唸り声を上げた。
子育てを終えた身に、眩しすぎる赤子の威力。
子育ての辛さ以上に、その幸せを知っているからこそ、抗えない。
まして、相手は新生児である。
悪魔な二歳児、ギャングな五歳児、斜に構えたがる思春期等を長々と越えてきた主婦にとって、生まれたばかりの赤子は、天使であり妖精様だった。
かっ...... 可愛ぇぇ。
しかし、訳のわからない異世界なんかでのセカンドライフなど後免被りたい。
「アタシはさぁ。真っ当に生きてきて、それなりに満足の行く人生送ってきたのさ。子供らも独立して、後は老後を残すのみで、こんな事故に遭っちゃったけど」
うんうんと、したり顔で頷く女神様に腹が立つ。
「だからさぁっ! 加護なんかいらないから、アタシの五十年を返してよっ! 今まで培ってきたモノや手に入れてきたモノ、全部さっ!」
《かしこまりました》
へっ?
先ほど三人にしたように、女神様が手をかざすと、主婦の目の前にインベントリというディスプレイが浮かび上がった。
《ここに貴女が五十年間に手に入れたモノ全てを収納してあります。これで恙無く五十年は暮らせるでしょう。赤子には別で、わたくしから守護の加護を。健やかに育ちますように。では、ご多幸を》
にっこりと満面な笑顔の女神様に見送られ、主婦は赤子と共に真っ暗な穴へ落ちていく。
「ふざけんなよっ! この駄女神ーっ!」
耳に残った主婦の叫び。
《ふざけてなどおりませんとも。切実なのですよ、こっちは》
神妙な面持ちで下界を見下ろしながら、女神様は蕾から香るように仄かな溜め息をついた。
こうして、自ら異世界転生を果たした三人の勇者と、騙くらかされて不本意ながら赤子を背負う幼女の、お気楽極楽、異世界道中が始まったのである、
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