第39話 かおすなねずみのおはなし

 店に入ると、空調で程よく冷やされた空気が肌を撫でた。次いで、新品の本が放つ独特の香りが漂って来る。


 キラペディアにて見事に高評価を得たこの本屋さんは一見こじんまりとした内装だが、店の奥行きがかなりあるため品揃えは十分すぎる程ありそうだった。


 実のところ、私はあまり本を読む方ではない。


 例の体質のせいでフィジカルを鍛える方向に舵を切らざるを得なくなったというのもあるにはあるが、それがなかったとしても単純に体を動かすのが楽しいのでどのみち本からは遠ざかるようになっていただろうという確信がある。


 しかし鳴衣は、そんな私でも夢中になって読める本を見つけて来る天才だった。彼女が貸してくれた本、勧めてくれた本がハズレだったことは今まで1度もない。


「――という訳で、今日の来宵にはこれを」


 現に今回も、内容が“夢の世界に迷い込んだ少女の不思議な冒険譚”などというタイムリー過ぎる小説を見せてくれた。


「買う!買うよ!めっちゃ面白そう!!」


「ふふ、来宵なら食い付くと思ったよ……?」


 さあこの魔導書を手に取るのだ、と、執筆中でもないのに軽く14歳のかかる病気モードになった鳴衣から小説を受け取る。ここまで私の興味を引くとは、確かにこれは“魔に導く本”かもしれない。


 文庫本なのでお値段も手頃だ。私は綺沙良に本を勧めに行くという鳴衣と別れてレジに向かい、魔導書小説を自分の物にした。


 正直すぐにでも中身を読みたいのだが、生憎と店内には落ち着いて読めそうなスペースがない。早々に買い物を終えたのはいいが、手持ち無沙汰になってしまった。


「どうしよっかな……」


 ひとまずは邪魔にならないよう入り口付近の比較的開けたスペースに移動する。とはいえ、空調の効いた涼しい店内からわざわざ外に出る気にもなれず。


 ふと、新作コーナーが視界に入った。人目に付きやすいよう入り口のすぐそばに作られたそのコーナーには、赤い帯を巻かれた、何やら見覚えのありすぎる絵本が並んでいる。


「これ……鳴衣ママの絵本だ……」


 それは強い向かい風で帽子を飛ばされそうになっている、パステル調のネズミが主人公の絵本だった。鳴衣ママと鳴衣パパは新作が出来ると私と綺沙良にも1冊プレゼントしてくれるので内容は知っている。


 ちょっとおとぼけのネズミが主人公のシリーズで、今目の前にあるこれはその記念すべき10作目だ。食べ物を切らしてしまったおとぼけネズミが、ガールフレンドのリボンネズミに「今日は風が強いからあんまり外に出ない方がいいよ」と言われながら、それでもお腹の減りには耐えられないと食料探しに出発し――という感じで始まる。その後ネズミには様々な危険が迫るのだけど……


(なんか……本人がなんにも気付かない内に、勝手に危険の方がなんとかなっちゃうんだよね……)


 例えば、この最新作だと最初におとぼけネズミの後ろから鎌首もたげたヘビが忍び寄って来るんだけど、次のページでは靴紐を結び直そうと身を屈めたネズミの頭上を風に乗った瓦礫が飛び越えてヘビをノックアウトしてたりとか。これはまだかわいい方で、後半になると隕石が降って来たり地面が割れたりとドンドンカオスになっていく。


 それでも主人公のネズミはのんきというか、マイペースというか……最終的に自分がどれだけ危険のただ中にいたのかも一切知らぬまま、目的を達成してしまうのだった。


 私なんかは「ええ……?」と困惑するほかない読後感の絵本だけど、ページをめくる度に読者の想像の遥か斜め上を行く神憑り的な幸運と偶然で危険を回避していくおとぼけネズミがウケたのか、今では鳴衣ママを代表するシリーズ絵本となっているのだった。子どもたちが対象ならこのくらいぶっ飛んでいた方が良いのかもしれない。


 私も色んな出来事に巻き込まれるので、実はこのおとぼけネズミには親近感を覚えていたりする。彼の場合は何もしなくても火の粉の方が避けていくので、ちょっと羨ましくもあり、ある種の憧れを抱いてもいる。だから私は今でもたまにこの絵本を読み返して、降りかかる危険がそれを超える理不尽によって潰されていく様子を見て溜飲を下げたりしているのだった。


 まあ、こんな楽しみ方をしているのは間違いなく私だけだろうけど。


「――――」


「……え!?」


 その時、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、私はバッ、と店外に顔を向けた。並木道は買い物を楽しむ人でごった返していて、私はその情報量を処理するのに一瞬手間取ってしまう。


 そうこうしている内に後ろから肩を叩かれ、振り返ると親友たちの顔があった。


「お待たせこよいっちー……あれあれ、何難しい顔してるの?」


「え、あ、ううん、何でも……なんか買えた?」


「めいめいのおかげでいい買い物が出来たよ……にしし」


「非常に……有意義な時間だった」


 何故か悪役チックな笑みを浮かべる綺沙良とドヤ顔の鳴衣に連れられ、私は店を出る。


 雑踏からは、もうなんの気配も感じられなくなっていた。

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