生簀
キヅカ
前日譚
有害な人類(1)
サカナはきれいだ。決まって女しか生まれない。サカナがどうやって、どんな理由で現れたのかはわからない。どうせ、神の気まぐれだ。美しいサカナは人に害を為す。だから非有害な人類はサカナを閉じ込めた。そこが生簀だ。言わばサカナのディストピア。生簀ではすべてが管理されている。サカナの
ツリビトとは、いわゆるハンターだ。サカナを殺すために教育されたプロフェッショナル。選ばれるのは決まって男だ。サカナを誘惑するには男にしかできない。歳若き少年がサカナの殺し道具として利用されている。ツリビトには感情がない。まるでロボットのように命令に従い、釣りを遂行するだけ。人間と変わらず、しかも美しいサカナを「釣る」にはそのほうが都合が良かった。
「君はツリビトを産む機械だ」
「惨い言い方ですね」
鉄の部屋に冷たい声が響く。大きな腹を抱えた女が苦しそうに顔をあげた。
「君が今から産むのは人間ではない」
「罪人の私にはその役目しかないのでしょう?」
「そうだ」
女は美しかった。脚先は尾鰭のように融けてくっついている。人工的に作られたサカナから生まれるのがツリビトである。「養殖人魚」は顔こそ美しいが、その身体は醜い。人魚は孚を産む。
「その腹から出ずるタマゴから這いでる赤子はサカナと同じく人と違わぬが、サカナと同じく人間ではない。君は辛うじて人間だ。バケモノに情をうつすな」
「……わかっています」
「さて。私はそろそろお暇しよう。せいぜい男を産め」
冷たい声を残した男が人魚の前から姿を消す。それを合図のように人魚は何百という孚を産み落とした。
水の中に赤子を擁した丸い玉が浮いている。赤子は今にも生まれたそうに丸の中を泳ぎ回った。それを見ている男が水で満たされた部屋のガラス壁に手をかざす。
「醜いな」
歪めた表情をすぐに戻し、傍らのボタンを軽く押した。水が抜けていく。山のように積み上げられた孚が一生に孵化した。
「産婆!」
男の掛け声に背後に待機していた妙齢の女たちが先程まで水で満たされていた部屋に雪崩込んでいく。赤子が生まれたてに発する金切り声。その不快さに顔を歪めながら産婆たちは赤子をとりあげる。
「私の子供たちはどこですか?」
「君の子供ではない。殺戮者だ」
車椅子に座った人魚が問う。男は徹頭徹尾冷たかった。
「いいえ。人間と違わぬ快楽の末に生まれた命です」
「だとしても、紛い物だ」
「きっと、目はあなたに似ていますよ。釣り師(キング)」
「不愉快だ。口を閉じていろ」
男は付いている杖で人魚をはたいた。人魚の表情は動かない。慣れているのだ。
―ツリビトが生成された。
幾年か過ぎ、青年期に成長したツリビトたちの狩りがいよいよ始まる。釣り糸は生簀に投げられた。
「やぁ」
「あら。あなたが新しい家庭教師?」
美しい少女が眼前の少年を見た。
「ちがうよ。君を陸に釣り上げるものさ」
そう言いながら少年は少女の額に弾丸を撃ち込んだ。すると少女はその様態をかえた。魚の鱗に覆われたその肉体は尚も美しかった。青黒く光るその皮膚に少年は躊躇なく弾丸を浴びせ続ける。だがその鱗は弾を通さなかった。
「あら、残念ね。なら、プランクトンかしら? それとも小魚?」
少女は楽しそうに口元を歪ませる。愉悦の表情はまるで狩りの前の武者震い。ふたりのハンターがその武器をぶつけ合う。
「サカナは漁師に釣り上げられるモノさ」
「プランクトンや小魚は大きな魚の餌なのよ」
10分かそこらへん。その間つづいた狩りはツリビトの勝利で終わった。鮮血で汚れた少年はサカナの生首を雑に捕らえながら部屋を出ていく。
「釣り師、終わりました」
「なら私の目の前からさっさと消えろ。お前はサカナ臭いし醜い」
「光栄です」
ちゃらけた様子のツリビトが張り付いた笑顔で男に向かい合った。
「お前は失敗作だ」
「ご冗談を。ぼくは初回から5回目の今日まで唯一食べられずに釣れてるトップかつオンリーワンのツリビトですよ」
サカナの鮮血を愛おしそうに拭いながらツリビトは軽々と言葉を発する。それに眉を潜めた男が相も変わらず冷めた声で冷たい言葉を投げた。
「ツリビトに感情は要らない」
「感情なんかないですよ。見よう見まねでやってるだけ。ぼくは役者です」
「その薄気味悪いニタリ顔をやめろ」
「つれない人ですね」
張り付けた笑顔が一瞬にして息をひそめる。男はそれに満足気にしばらく黙り込んだ。かと思えば、ツリビトを追い払うようなジェスチャーで彼を下がらせ、その場に投げ捨てられたサカナの頭部に目を遣る。
「儚いものだな」
そう言う男の顔は不気味に笑っていた――。
生簀 キヅカ @kizuca1025
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