夢を見ました①
蘆谷道満の襲来があった翌日、知らせを受けた徨葵が湯屋を訪れた。
「伊織を守れず、申し訳ありません」
玄関で出迎えた玉城が深く頭を下げる。徨葵はそれに静かに首を振った。
「湯屋の主は伊織だ。いくら番といえど、湯屋のことに関しては伊織に逆らえまい。歯痒くはあろうがな」
「己の力不足を悔やむばかりです」
頭を下げたまま言う玉城の肩を徨葵は軽く叩いた。
「お前がいるから伊織は安心してここを守るために戦えるのだ。あまり自分を卑下するものではない。伊織はどこにいる?」
「…医務室です。ご案内します」
徨葵の言葉に頭を上げた玉城はそのまま伊織が眠る医務室に案内した。
伊織は依然意識が戻らず、それどころか体の衰弱は悪化するばかりだった。
「なるほど」
医務室の奥の部屋、伊織が眠る部屋の前で玉城が足を止める。徨葵はその理由に気づくと自らドアを開けた。
「ん?あぁ、親父殿がきたのか」
伊織のそばについていた紅が徨葵を見て立ち上がる。伊織の陰陽師の力はさらに強くなっていて玉城はそれ以上近づけなかったが、徨葵は躊躇うことなく部屋に入り、伊織のそばに立った。
「へえ。さすがに親父殿は大丈夫なようだ」
「血の繋がりがあるからな。だが、これ以上力が強くなれば私とて祓われる」
徨葵はそう言うとそっと伊織の頬に触れた。触れた瞬間パチッと静電気が走るようにわずかに光る。徨葵も痛みを感じてわずかに顔をしかめたが、それでも伊織の頬を優しく撫でた。
「伊織の状態は?」
「良くないな。衰弱が激しい。点滴をしても悪化の一途だ。意識が戻る気配もない。このままだと正直厳しい」
紅の見立てに徨葵は静かにうなずいた。
「この子は鬼の性質が強い。故に、陰陽師の力は普段眠っている。それが今、覚醒している。そして伊織の中の鬼の力を祓おうとしている」
「それは…」
「陰陽師としての伊織が、鬼としての伊織を祓おうとしている。このままでは肉体が先に限界を迎える」
徨葵の言葉に玉城は唇を噛んだ。そばに近づけもしない自分では伊織を助ける手だてがなかった。
「私の力を与えよう。そうすれば再び鬼の力が優位になり、陰陽師の力を抑え込める。そうだな。神の加護も与えられれば鬼の力を優位にしたままで陰陽師の力を使うことも可能かもしれない」
「しかし、それでは徨葵殿は」
徨葵の力を伊織に与えてしまっては最悪徨葵は死ぬのではないか、それを危惧した玉城に徨葵は静かに微笑んだ。
「死にはしない。回復するまで眠りにつくだけだ。それより、誰か加護をくれそうな神はいないか?」
「それは、湯屋の常連の方々にお声をかけてみます」
「なるべく早いほうがいい。今夜も湯屋を開けるなら、その時に声をかけてみろ」
「わかりました」
徨葵の言葉にうなずいて玉城は一旦医務室を出た。神の加護を得るといっても誰でもいいわけではない。誰に声をかけるかも重要だった。
湯屋を開けるにはまだ早い時間だったが、玉城は医務室を出た足で参号館に向かった。
「九郎。今日の予約リストを見たい」
詰所に入るなりそう言った玉城に九郎は驚いた顔をしながらも今夜の予約リストを差し出した。
「徨葵殿がいらしたんだろう?主殿のほうはどうだ?」
「徨葵殿が鬼の力を分け与えるそうだ。そうすれば鬼の力が優位になって陰陽師の力を抑え込めるからと。ただ、神の加護があればなお良いとのことでな。加護を与えていただくにどなたが良いかと考えている」
「なるほど。なら、ちょうど今夜は稲荷神さまの予約が入っている。あの方なら玉城殿との相性も悪くないだろうし、あちらも主殿を気に入っている。断ることはないんじゃないか?」
九郎の言葉に玉城は「ふむ」と思案顔をした。
「稲荷神さまなら俺も知らぬ方ではないしな。では、稲荷神さまがいらっしゃったらお声をかけてみよう」
「承知した。他の方々にはなるべく漏れぬようにする。といってもどなたも耳が早い神ばかりだ。隠し通せはしないだろうがな」
「それは仕方ないだろうな。変な横やりを出されなければそれでいい」
険しい表情で言う玉城にうなずいて、九郎は受付を担当している者に稲荷神が来たらすぐに知らせるようにと指示を出した。
15時。いつものように大提灯に明かりが灯り、暖簾がかかる。昨日の騒動がすでに知れ渡っているのか客の入りはいつもより少なかった。
だが、日が暮れるといつものように賑わい始める。神々もいつもと変わらず訪れていた。
「稲荷神さまがいらっしゃいました」
詰所にいた九郎に知らせが入ったのは21時を過ぎた頃だった。知らせを受けた九郎がすぐさま玉城に連絡をする。玉城は連絡を受けると参号館を訪れた。
「九郎、稲荷神さまは?」
「今風呂を楽しまれている。供は金孤さまだけだ。風呂の後、いつもの部屋で休まれることになっている」
「ではその時に」
ひとまず風呂から上がるのを待つことにしてふたりは詰所に留まった。しばらくして稲荷神が湯浴みを終えて座敷に移動したと知らせがくる。玉城は膳が運ばれるのと一緒に稲荷神のいる座敷を訪った。
「失礼いたします。玉城でございます」
玉城が声をかけると中から「入りや」と声がかかる。一拍おいて玉城が襖を開けると、上座に稲荷神がゆったりと座っていた。普段結い上げている癖のないまっすぐで艶やかな白金の髪は今はおろして床に伸ばされている。女とも男ともつかぬ美しい容貌に笑みを浮かべて稲荷神は玉城を見た。
「玉城よ、久しいな。湯屋の主の加減は如何か?」
膳を持ってきたものが下がったのを見て声をかけられた玉城は深く頭を下げたまま答えた。
「あまり良くありませぬ。命の危機に陰陽師としての力が覚醒したらしく、我らも近寄れぬばかりか己の鬼の力すら祓おうとしている始末です」
「ふむ。それは難儀な。どちらも人の身には過ぎたる力。このままでは命も危うかろうに」
伊織を気に入っている稲荷神が憂い顔をする。玉城は額が畳につくほどに頭を下げた。
「このことで、稲荷神さまにお願いしたきことがございます」
「ほう?我に願いとな?良い。言うてみよ」
稲荷神の許可を得て、玉城は伊織に加護を与えてほしいと願った。
「伊織の父、徨葵が申すには、今までのように鬼の力が優位になれば良いとのこと。その鬼の力は徨葵が分け与えると申しております。ただ、またこのようなことにならぬとも限りません。しかし、神の加護があれば鬼の力を優位にしたまま陰陽師の力も使えるだろうとのことです。もしお許しいただけるなら、稲荷神さまの加護を授けていただきたく思います」
玉城の願いに稲荷神はにこりと笑った。そばに控える金孤もクスクスと笑っている。金孤が笑う気配に玉城はわずかに顔を上げて稲荷神を窺い見た。
「そのようなことなら造作もない。伊織への加護ならば喜んで授けよう」
「よろしいのですか?」
「かまわぬ。我はあの子を気に入っている。そなたの番でもあるしな。それに、ここは我にとって正しく憩いの場だ。ここに伊織がいて、そなたがいて、いずれそなたらの子ができるのを我は楽しみにしているのだ」
稲荷神から子という言葉が出たことで玉城は目を丸くして驚いた。その様子に金孤が袂で口元を隠して笑う。稲荷神も機嫌良さげに笑った。
「何を驚くことがある?そなたは神孤ではないが九尾だ。まして伊織はただの人ではない。孕ませることは難しくなかろう?そなたらのややこを楽しみにしている神は少なくないぞ?」
「そうなのでございますか?ややなど、考えたこともありませんでした」
「伊織は今は人としての生を生きているが、いずれ妖としての生を生きるようになる。長くここの主を務められようが、それでも次代は必要ぞ?」
金孤の言葉に玉城は何と答えていいか言葉を失った。
伊織が人間よりずっと長い生を生きるだろうことはわかっていたが、湯屋の次代については考えたこともなかったし、伊織が口にしたこともなった。
「まあ良い。ひとまずは今をどうにかせねばな。伊織への加護は授けよう。して、いつが良い?」
「できれば今すぐにでも」
再び頭を下げた玉城の言葉に稲荷神は微笑んでうなずいた。
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