己の身に迫る化け物を見据えていた伊織がゆらりと動く。伊織が軽くトンッと地面を蹴ると、化け物よりもさらに早いスピードで距離を詰めた。

鬼一きいち

刀の名を呟いて柄を握る手に力を込める。そのまま早さを殺さず伊織は化け物の体を両断した。それは一瞬の出来事だった。

『アレ?アレ?ア、レ…?』

己の身に何が起きたのかも理解できず、呪いから産み出された化け物はベシャリと崩れ落ちた。その体から毒々しい赤い玉が覗いており、伊織はそれに刀を突き立てて割った。それと同時に化け物の体が砂塵と化して消え失せる。伊織は刀を鞘に納めるとホッと息を吐いた。


「すごい…」

たった一太刀で化け物を滅してしまった伊織に弟天狗が呟く。玉城はそれに苦笑すると客たちに向き直った。

「お騒がせして申し訳ございません。もう片付きましたので、皆さまご安心しておくつろぎください」

玉城の言葉に客たちは自分の風呂や座敷に戻っていった。客たちが戻っていくとあとを菖蒲に任せて大窓から外に出る。念のためにと場の浄化を行う伊織のそばに行くと、気づいた伊織が小さく微笑んだ。

「大丈夫か?」

「もちろんです。ただ、穢れが濃いので一応浄化をしておこうと思って。お客さまたちはどうですか?」

「問題ない。常連の方々はお前の実力を知っているしな」

玉城の言葉に伊織はクスッと笑った。

「私が刀を握るのは久しぶりですからね。あの天狗の兄弟は?」

「そっちも大丈夫だ。今九郎が手当てしてる。兄のほうも意識を取り戻した。あの化け物、天狗を喰らってでかくなったようだな。誰かが故意に核を埋め込んで妖力を集めようとしたようだと兄天狗が言っていた」

「核。これですか?」

眉間に皺を寄せた伊織が真っ二つになった赤い玉を示す。それを見た玉城が険しい表情でうなずいた。

「これだな。素手で触れるなよ?」

伊織はうなずくと懐からハンカチを出し、ハンカチで包むように赤い玉を取り上げた。

「中に戻りましょう。意識が戻ったのなら、詳しい話を聞かなくては」

うなずいた玉城は伊織を抱き上げるとふわりと飛び上がって大窓から屋内に戻った。そばにいた従業員に大窓を閉め、客たちに伊織からだと酒を振る舞うよう言いつけてふたりは詰所に行った。


 詰所には手当てを終えた兄弟天狗と九郎、菖蒲がいた。

「伊織さま、相変わらず美しい刀さばきでしたわ」

「ありがとうございます。菖浦さん、お客さまたちに酒を振る舞うよう指示を出しましたが、改めてお騒がせしたことの謝罪をお客さまにお願いします。九郎さんも。参号館でも酒を振る舞ってください」

「わかりましたわ」

「わかった。じゃあ俺は参号館に戻るが、何かあったらいつでも呼んでくれ」

菖蒲と九郎がそう言って詰所を出ていくと、伊織はソファに座っている兄弟天狗に目を向けた。

「助けてくれたこと、お礼を言います。ありがとうございました」

「どういたしまして。成り行きとはいえ、ご無事で何よりでした。まずは場所を変えて、お話を聞かせてください」

伊織の言葉に兄天狗はうなずいて立ち上がろうとした。ふらつく体を弟天狗が支える。それを見た玉城はため息をつくと狐の姿に戻った。

「乗れ。連れていってやる」

「しかし…」

「本人がいいと言っているのです。どうぞお乗りください」

躊躇う天狗たちに伊織が微笑む。天狗たちがおずおずと背に乗ると伊織が詰所を出る。玉城は天狗ふたりを背に乗せてその隣を歩いた。

「あの、ここは湯屋ですか?」

玉城の背に揺られながら兄天狗が尋ねる。伊織は微笑みながらそれにうなずいた。

「ここは湯屋憩い湯です。知っていておいでになったのではないのですか?」

「憩い湯。ここが。この湯屋のことは知っていましたが、場所までは」

「兄者を助けなければと思って強い力を感じるほうに飛んでいたらここについていました」

兄天狗に続いて弟天狗が言う。見たところまだ若い天狗たち。恐らく里を出たことはなかっただろうと思われた。危険が去って周りを見る余裕が出てきたのか、ふたりはきょろきょろと視線をさ迷わせていた。

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