川原の彼女

王生らてぃ

本文

 あの日も、こんな風に雨が降っていた。



 川原で、ぼろぼろになった制服に身を包み、裸足になって、ぬかるんだ土の上に佇む女の子。やや増水した川の流れは強く、そこにぼんやりと案山子のように佇んでいる彼女とは対照的だった。

 ひとつ下の学年の子だ。

 たしか美術部。

 ひどいいじめを受けているらしいといううわさが、上級生のわたしにも聞こえてくるくらいの、そんな子だった。

 そういえばさっき、五人くらいの女の子の集団とすれ違った。たぶんあの子たちに鞄や靴をとられたんだろう。制服がボロボロなのは、蹴っ飛ばされたりして転ばされたからだろう。傘を持っていないのは、川に投げ捨てられてしまったからだろう。

 雨に濡れて、スカートの裾や、長い髪の毛から水を滴らせるその姿を見たとき、まるで絵画の中の人間みたいだと思った。

 きれいだった。

 遠くから、思わず見惚れてしまった。

 わたしは名残惜しくも、電車の時間が迫っていたのでその場を後にした。美術館で展示されている絵の前を後にするように。






 次の日も雨だった。

 またあの子はそこにいた。ますます勢いを増す川を前にして、ぬかるんだ地面に佇んでいた。だけど、今日はちゃんと鞄を持っているし、靴も履いていて、真新しいビニール傘を持っている。顔は見えなかったけれど、制服は綺麗に洗濯されていたし、濡れてもいなかった。

 わたしは目を逸らして、すぐに歩き出した。電車の時間まではまだまだあったけれど、きれいなままのその子を見ていられなかった。尊敬している漫画家の最新作を読んだら思ったより期待外れだったみたいなそんな気分だ。

 ちょっとイライラしていた。

 怒っているようにも思えた。






 その次の日は晴れていた。

 あの子はいなかった。






 次の日は休みだった。

 あの子はどうしているのかな。






 また次の日は曇りだった。今にも雨が降り出しそうな重苦しい灰色の空が、頭上に重くのしかかっている。わたしは折りたたみ傘を鞄から出して適当に振り回しながら歩いていた。



「あー、今日もアイツ、ムカついたわ~」

「ほんとほんと。わたし不幸です~わたしかわいそう~みたいな顔しちゃってさ」

「ムカつくよね~!」



 ふと、前から歩いてくる制服の集団の、バカみたいに大きな声が耳についた。それは、この間の雨の日に見たあの連中だった。

 わたしの胸は期待にときめいた。

 また、あの子がいた。前よりひどい。制服はところどころ、ハサミで切られたように切り込みが入っていて、髪の毛もザンバラだ。頭の先まで泥に塗れていて、それだけじゃない、体のあちこちに赤黒い血も滲んでいる。

 遠くで雷が鳴った。

 彼女は立ち上がって、ふらふらと歩き出す。血と泥が滴り落ちる足を引きずって、穏やかな川の方へ。

 そのまま、ざぶんと飛び込んだ。

 しばらく上がってこないように思われたけど、そんなことはなかった。彼女はいつかのようにびしょ濡れになりながら河川敷まで上がってきた。

 あちこちから水を滴らせて、まるでお風呂上がりかのように髪の毛を払いあげ、水を絞り出した。それから手足を振り回して、あちこちに引っかかった草や泥を振り払っていた。

 すごくきれいだった。

 かわいかった。

 めためたに打ちのめされて、それでもめげずにそこに立ち続ける姿に、魅力を感じた。






「何やってんのよ」



 気がついたらわたしは、彼女に声をかけていた。

 いつの間にか河川敷の坂を下って、その子のすぐそばまでやってきていた。彼女は最初は俯いていたが、そのまま錆びついた人形の首を動かすようにこちらを見た。顔は土気色で、唇がぶるぶる震えている。



「あんた。何やってんのよ」



 わたしがもう一度問いかけると――

 ふ、と彼女は笑った。

 口元を三日月形にして笑った。



 わたしはそれを見た瞬間、とっさに、思わず、彼女を川に突き飛ばしていた。

 ばっしゃーんと水しぶきを上げて彼女が頭から川に落っこちた。じたばた暴れ、川面が激しく波打った。やがてそれが静かになると、這いずるように彼女は川から上がってきた。すっくと立ちあがり、服から滴る水をしぼり、髪の毛を払い、両手で顔を拭った。

 わたしはそれをじっと見ていた。

 彼女はわたしを水に、ただ、口元で見せつけるように、また笑った。

 ふ、と笑った。



 その笑顔が、あまりに鮮烈で、美しくて――

 心臓がどきどきした。

 抱きしめたくなってしまうくらいだった。

 だけど、そんなことしたらすべて台無しになってしまう。



「気持ち悪い」



 わたしは精いっぱいの悪意を込めて、そう言ってやった。



「何笑ってんのよ、気持ち悪い。気持ち悪い!」



 気がついたら雨が降ってきていた。

 わたしはその場から逃げるように立ち去った。だけど逃げるんじゃなくて、それは、とても気分のいい余韻を洗い流されないように、早く静かな家へ帰りたかったからだ。部屋に勝手からわたしは、カーテンを閉めて真っ暗にして布団を頭からすっぽりかぶり、なんども、なんどもあの笑顔を思い返しては、悦に入った。

 窓の外では雨が静かに降っている。

 彼女はまだ、あの河川敷に立っているのだろうか。






 しばらくして、一年生がひとり、自宅で首を吊って自殺したというニュースが学校中を駆け巡った。それ以来、あの子の姿を見ていないので、たぶんあの子が自殺したんだろうと思う。



「まさかマジで自殺するとはねー!」

「マジマジ。超ウケる」

「本気にしちゃってさ~」



 川原を歩いていると、あの子をいじめていたグループの女子たちが、下品な笑い声をあげながら歩いていく。

 わたしはここを通るたびに、あの子の思い出に浸る。

 何もない静かな川原。

 彼女の笑顔。

 雨の音。

 雨。



 天気予報では、しばらく秋晴れが続くらしい。

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川原の彼女 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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