第9話 門番の仕事

 私は怖いもの見たさで屋根の下を覗き込む。すると、そこには直視するのも阻まれる肉塊が大量にうごめいていた。街灯の明かりだけなのでしっかりとは見えないが、数えるのが億劫なほどの量がいる。

「うっ……」

 距離は遠いが思わず吐き気がこみあげてくる。形状は様々で、腕らしきものが三本あったり、首みたいなものが伸びていたりと、かろうじて人型というのはわかるが、到底生物とは 言えない何かが下には存在していた。

「あれが……赤い戦車?」

 オイカワさんが言っていた機械仕掛けの兵器じゃないというのもうなずける。あれは機械ではない。ただの化け物だ。

「こっちに飛んでこないよね……」

 今のところはこちらに気づいている様子はない。屋根の上にいるとはいえ、相手が飛ぶことができないとは限らない。ここは慎重に落ち着いてオイカワさんが戻ってくるのを待とう。

 私が視界を一瞬外したその時、黒い閃光が走った。

 ――――――ッ。

 負の感情を凝縮したかのような悲鳴が響くが、かき消えたかのように一瞬でなくなった。

 目を凝らしてよく見てみると、黒コートを身にまとった人間が一切無駄のない動きで肉塊たちを短刀で斬り捨てていた。その動きはただひたすら速く、壁を足場にして肉塊たちの上を取り、数本のクナイを肉塊たちの足に投げて動きを鈍らせ、瞬時に急所らしいところを 貫く。

「あれは……オイカワさん……?」

 人ひとり担いで建物を飛び越えたり、大人数相手に無傷で勝利したりするので、強いとは思っていたが……異形相手にあそこまでの戦闘を繰り広げるとは思わなかった。いや、むしろこちらの方が本業と言っていたから彼にとってはこれが普通なのだろう。

 肉塊たちは悲鳴をあげながら次々と鋭利な爪をオイカワさんに向かって振り下ろす。しかし彼は短刀一本で受け流し、また肉塊たちの足にクナイを投げつけて相手の体勢を崩した。

 ――――――ッ。

 肉塊たちは突然足に攻撃されたためパニックになり、悲鳴をあげながら同士討ちを始めた。その様子をみたオイカワさんは一度距離をある程度置き、かかとで地面を鳴らしてなにやら合図をする。直後影から白いコウモリ、ミドが現れる。ミドは彼の肩に向かって飛び、着地した。

 彼はミドに二言三言話すと、短刀を逆手持ちにして構える。すると、オイカワさんの持っている短刀から黒い炎が揺らめいた。

 そのあとは本当 に一瞬だった。刹那という言葉がふさわしいかもしれない。数歩踏み込んだかと思えば黒い閃光が走り、数秒もしないうちに肉塊たちは跡形も残らず消えていた。

「凄い……」

 あのおぞましい肉塊たちに臆せずに迷いなく斬り捨てるなんて、到底できないことだ。


 ◇


 オイカワさんは辺りを見渡して安全を確認した後、建物や街灯を足場にしてこちらに屋根の上まで戻ってきた。

「何もなかったか?」

 私は無言でうなずいた。

 戦闘の後だというのに、息切れ一つしていない。何度も言うが、あそこまでの 身体能力のレベルは明らかに異常だ。

「そうか。それにしてもまいったな……オリエントが見つかってしまった以上、町の外に出るっていうのもありではあるが……」

「町の外だと……まずいんですか?」

「まぁな。私の仕事はあくまでも町を守ること。今、町から離れるのは避けたい」

 そういうと、オイカワさんは何かを探すかのように辺りを見回す。そして、ある一点を見つめる。彼の視線の先には薄っすらではあるが古い工場のようなものが見えた。

「あそこか。大本は」

 そう言って彼は一歩踏み出すが何かを思いだしたかのように立ち止まり、こちらを見た。

「どうしました……?」

「いや、どっちの方が安全だろうかと思ってな」

 オイカワさんは考え込むように視線を落とし、数秒後決心がついたのか私を担いで建物の上から飛び降りた。

「え……?」

 あまりにも突然だったので内臓が浮くような感覚がするまで何が起きているか理解できなかった。

「え? あの、ちょっ」

「口は開かん方がいいぞ。安心しろ、すぐ済む」

 その直後、全身に強い衝撃を感じた。視界が上下左右に動き、車酔いに似た感覚に陥る。

――何がどうなっている の……?

「チッ、そう簡単に近づかせてはくれないか。アオヤマ、先に謝っておく」

 混乱している私にさらなる追い打ちをかけるように、何かがこちらに飛んできた。ぶつかると思い、目をつぶる。しかし想像していた衝撃はなく、代わりに上に引っ張られるような感覚がした。

「それってどういう……」

 私の言葉が言い終わらないうちに周りの景色が一変した。先ほどまで建物に囲まれた裏路地にいたはずだが、今は建物の屋根がほぼ視線と同じ位置にいる。しかし、最初の上下左右に引っ張られるような人力ジェットコースター状態ではなく、むしろ無重力のような浮遊感があった。

「え?」

 ほぼ無意識に下を見るとオイカワさんが肉塊たちに囲まれていた。しかし彼は動揺した様子もなく、冷静に両手に黒い炎を灯らせたクナイを数本持ち、肉塊たちに向かって投げる。投げたクナイはそれぞれ肉塊たちの頭や足、胴体らしき場所に突き刺さり、やがて黒い光を放って消滅した。

 それと同時に先ほどまであった浮遊感は徐々になくなっていき、地面に向かって落下を始めた。そこで初めて私がオイカワさんに投げ飛ばされたということに気づく。

「え、えぇぇぇ!」

 無情にも落下速度は加速していき、コンクリート製の地面がどんどん近づいて行った。 建物の二階から引っ張り出されて落下した時とは高さが違う。間違いなく落ちれば死ぬ。

 放心状態で地面に落下し走馬灯が見え、地面にぶつかると思いぎゅっと目をつぶったとき、落下が止まった。想像していた衝撃もなく、痛みも感じない。

「大丈夫ですか?」

 優しい声がかかる。

 そっと薄目を開けると、目の前には褐色の女性の姿があった。

「だ、大丈夫……です」

 どもりながらも自身の意思を伝えると、

「地面に降ろしますよ」

 と言って、鴉の異形は抱きかかえていた私を地面に降ろした。状況から見るに落下していた私を見つけ、瞬時に人型に戻って私を受け止めてくれたんだろう。危なかった……鴉の異形がいなければ死んでいたかもしれない。

「ありがとうございます。助かりました……」

 私は地面にへたり込み、腰を抜かしたのか立てなくなってしまった。

「アオヤマ、大丈夫か? すまんな、両手を空けた状態にしたかったから投げ飛ばしてしまったが」

 少し遅れてオイカワさんがやってきた。言葉では謝っているが表情が一切変わらないのでどういう心境なのか全く読めない。悪気はなかったとは思うけれど、さっきのはさすがに心臓に悪い。

「ヒスイ。流石に一般の人間を放り投げるのはどうかと思いますよ?」

「緊急事態だったから許してほしい。それに、近くにココノがいたから安全面に関しては大丈夫だと思っていた。逆に抱えたまま応戦するほうが危ない」

「だとしても、他に方法があったでしょうに……万が一大けがでもしたらどうするのです?」

 人型の鴉の異形は呆れ気味にそう言った。

 不思議だ。オイカワさんが人間で、鴉の異形が人外のはずなのに全く逆に見えてしまう。

「お前がここにいるってことは粗方人間の方はどうにかなったのか?」

「えぇ、まぁ。加減するのに骨が折れましたが町の外まで誘導した後、モモさんに記憶処理してもらったのでどうにかなっていると思います。ヒスイが叩きのめした連中はやや大けがをしていましたが、それ以外は五体満足だと思いますよ」

「そうか。じゃあ問題はあと赤い戦車だけだな」

 そんな思考とは別に彼らは別の話を始めていた。

 聞く限り、追手の男たちをどうにかできたらしい。途中「記憶処理」というわからない単語が出てきたが、一体彼らはどうなったのだろうか。

「巻き込んですまんな。お前のことは一旦あの肉塊どもを処理してからでいいか?」

 オイカワさんは鴉の異形と話をひと段落させたあと、私にそう言った。

 私は首を縦に振って肯定する。

 彼らは私の安全を優先し、保護してくれた。あの肉塊たちは怖いが、あれを倒すのが彼らの仕事であれば、それまで待つのが今の私ができることだろう。

「さっき渡したクナイはまだ持っててくれ。危険が完全になくなったわけじゃないし、あった方がまだマシだろ。とはいえ、抜き身で持たすのも危ないな……ちょっと貸してくれるか?」

 私はクナイを彼に返すと、コートの内ポケットから包帯を取り出し、刃の部分を巻く。数秒もしないうちに巻き終わった。

「これで斬れる危険はないはずだ。使うときはしっかり相手を見て投げないと意味がないから考えて使えよ」

 そういって彼はクナイをこちらに渡す。

「ありがとうございます」

 私は礼をしてから受け取る。

 先ほどと違って抜き身の状態ではないとはいえ、やはり刃物を持つことは怖い。だけど、また男たちや異形たちに襲われたときに少しでも自分の身を守るものは必要だ。うまく使いこなせるか自信ないが、オイカワさんも言っていたようにないよりかはマシだろう。

「それで、これからどうするのです? 赤い戦車をどうにかするにしても、彼女を連れて行くのは得策ではないと思いますが」

「ワタシは被害を最低限に減らすために赤い戦車をどうにかしに行く。さっき赤い戦車の肉塊どもが廃工場から出現しているところを見た。とりあえずそこに行って、大本をたたく」

 出現……? その言い方ではまるで増殖しているような言い方だ。確かに相手は肉塊。普通の異形たちとの違う雰囲気ではあったが、もし増殖しているとなればこの町はかなり危ない。

 彼らは構わず話を続けていく。

「モモさんに確認は取らないのですか?」

「一応連絡は取ったが記憶処理で忙しいらしい。ワタシの判断で動けとのことだ。正直面倒だが、やれと言われたからにはやるしかない」

「あなたって仕事だけは真面目にやりますよね。仕事だけは」

「おい、なんで二回も言った」

「重要なことですから」

 先ほどの会話で出てきたモモという人物は、この二人の上司か何かだろうか? オイカワさんが本業と言っている今の仕事は一個人でできる範疇を超えている。となれば、彼にも上司なる存在がいてもおかしくはない。しかし、そうだとしたらモモという人物はいったい何者だろう? ちらっと記憶処理という単語が出ている以上、ただものではないというのは容易に予測できる。

「廃工場に行くのは別に構わないですけれど、結局アオヤマさんはどうするのです?」

「廃工場にはワタシとミドで行く。ひとまずココノとアオヤマは待機だ。頼めるか?」

「無茶しないでくださいよ? 何かあったら連絡すること」

「……」

 オイカワさんはあからさまに目をそらす。それを見た鴉の異形は腕を組んで

「返事は?」

 とやや低い声で言った。

「善処は……する」

「約束ですよ?」

 オイカワさんと鴉の異形に出会ってからまだそんなに時間は経っていないが、今の短い会話だけでなんとなく彼らの関係性が分かった気がする。

「じゃあ行ってくる。何かあったら念話で」

「えぇ。また後で」

 オイカワさんは鴉の異形の返事を聞いた後、軽く手を振ってその場を去った。


 ◇


「さて、私たちも移動しましょうか。立てますか?」

 オイカワさんを見送った後、鴉の異形はそう言って手を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 今日何度目かのお礼を言った後、私は異形の手をつかんで立ち上がった。

 流れでこうなってしまったが、正直異形と一対一 でいるのはすこし不安だ。

 まだ外見が人の姿だから何とか平静を保っていられるけれど、言葉がここまでスムーズに話せる異形は今日が初めて。だからこそ、何を話せばいいかわからない。

「あの……」

「どうしました?」

「貴女は……その、人間……じゃないんですよ……ね?」

 歯切れ悪く私はそう切り出した。

 適切な話題ではないと自分でも思う。でも、過去のことを思い返すと聞かずにはいられなかった。私にとって、この鴉の異形は正体不明の人型になれる何かだ。

 コミュニケーションが取れるのであれば聞いておけることは聞くべきだと思う。

「そうですね。人の形をとっているだけで人間ではありません。本来の姿は、神社でも見せた鴉の方です……やっぱり、怖いですか?」

 鴉の異形は少し悲しそうに眉尻を下げてそう言った。

「え?」

「私の姿を見た時、おびえた様子でしたし……何より、今も少し震えてますから」

 指摘され、私は自分の手を見る。自分の手はクナイを両手に持ち、強く握りしめているからか小刻みに震えていた。

「あ、えっと……その」

 何か言おうとすると、言葉が全く出てこなくなる。焦っているせいで、気持ちが先だってうまく言えない。

「あぁ、気にしないでください。わからないことに対して恐怖心を抱くのはおかしい話ではないですから」

 鴉の異形は笑ってそう言う。ただ、相手の赤い目は少し悲しそうだった。

「いえ、その……ごめんなさい……」

 相手が指摘した通り、私は目の前にいる存在が怖かった。過去に出会ってきたどの異形にも当てはまらない存在。それがこの鴉の異形だった。

 過去に出会ってきた異形たちは、言葉を話せたとしても同じ単語を繰り返したりするだけでコミュニケーションをとれるものはいなかった。それに、人間に擬態するものも過去に出会ったことはない。

 もしかしたら、人間に擬態した異形は今まで出会ってはいるけれど、私が知らないだけかもしれないが。

「ひとまず、移動しながら話しましょう」

「は、はい……」

 鴉の異形は先導しながら歩き始める。私もそのあとに続いた。


 ◇


「アオヤマさんは、昔から私たちのような存在が見えたのですか?」

 歩き始めてから数分。気をつかってくれたのか、鴉の異形はそう話しかけてくれた。

「そう……ですね。物心つくころから……見えてました。だけど、貴女のように話したりとかできる存在はいなかったですね」

「まぁ……私は成り立ちが特殊ですから。会話をするようになったのはかなり前からですけれど、この姿をとるようになったのはほんの数年前ですからね」

「ほんの数年前?」

 元々備わっていた機能というわけではないのだろうか。

「はい。鴉の姿の方がいろいろと楽ではあったのですが、町暮らしをするうえではこちらの姿の方が都合いいので、多少努力して人型にできるようにしたのです。思った以上に苦労しましたけれどね。何せ鴉の姿では手がなかったですし、体の大きさもかなり違うのでまともに動けるようになるまで随分とかかりました」

「なんで……そこまでするんですか? もともとは、鴉の姿だったんですよね? だったら、町中にいても変ではないですし、無理して人型をとらなくてもよかったんじゃ」

「確かに、町中で過ごす分には足一つを隠せば普通の鴉としてふるまうことは可能です。でも、私としては人間と近い場所で生活してみたかったのですよ」

「人間と近い場所で?」

「はい」

 鴉の異形はそう言うと立ち止まって振りかえった。表情は穏やかで、親しみやすい雰囲気だ。初見ではとても異形だと思えない。

「近くに放っておくと死んでしまいそうな人がいますからね。鴉よりもこっちの姿の方が都合いいんですよ。この姿をしようと思った動機は結局、その一言に尽きます。それに、こっちのほうが鴉よりも表情がわかりやすいでしょう?」

 鴉の異形はまっすぐこちらを見てそう言い切った。表情も変わらず穏やかで、微笑んでいた。

 嘘を言っているようには思えない。本気で、この異形は人間に溶け込もうとしてこの姿をかたどって生活している。

 今まで過ごしていた鴉の姿から人の姿に変わったときの苦労は私には計り知れないが、少なくとも並大抵のことではないのは確かだろう。

「でも、私がどれだけ苦労しようと人間ではないのは変わりません。怖いとは思いますが、身の安全は保障しますから」

 彼女は安心させるようににこりと笑うと、また歩き始める。

「あなたは……人間のことをどう思いますか?」

 しかし、私はまた質問をぶつけた。眼前の異形は立ち止まり、また振り返る。

 この鴉の異形は今まで出会ってきた異形の中で最も人に近い存在だと思う。人を理解しようと自身の形を変えて、近くにいる人間のために努力を重ねてきた。

 人間を知るために努力をしてきたこの異形は一体、何を学んで思ってきたのだろう。

「人間……ですか。そうですね、一言でいうのなら……」

 彼女は満面の笑みをして

「私は好きですよ」

 と言い切った。

「それってどういう……」

 そう言いかけた時、背筋が凍るほどの悪寒がした。

「!?」

 鴉の異形も似たようなものを感じたのか、明らかに表情がこわばっていた。あたりを警戒した後に異形は真上を見ると、手をかざして目を閉じる。

 何か感じ取っているのだろうか? 声をかけようとした途端、真上から先ほどオイカワさんが戦った肉塊、赤い戦車が建物の上から落下してきた。

 ――――――ッ。

 負の叫びが鼓膜に突き刺さる。耳を無意識に両手で閉じ、逃げようとするが足が動かない。

 赤い戦車は自身の体を変化させ、鋭い爪を出現させて私に向けて襲い掛かる。

「燃えなさい」

 凛と響く声。そして突然赤い戦車から真っ黒な炎が上がる。

 ――――――ッ!!!!

 落下してきた赤い戦車は悲鳴のような叫び声をあげてぶつかる寸前で塵となって消えた。

「アオヤマさん! 話の途中で申し訳ないですが逃げます!」

 先ほどの穏やかな雰囲気とは打って変わって、凛とした表情で鴉の異形はこちらに向く。

「は、はい」

 怒涛の展開でやや思考が追いついていないが、何度も似た展開があったおかげかあまり間を置かずに返答することができた。ひとまず、今起きたことを考えるのは後。とにかく安全地帯に行くことが先決だ。

「おそらく、先ほど襲い掛かってきたものとは別個体の赤い戦車がすぐに来ます。アオヤマさんはこの道をまっすぐ、何があっても止まらずに走ってください!」

「わ、わかりました!」

 肯定して駆けだすと同時に、正面から猛スピードで赤い戦車がまた叫び声をあげながら近づいてくる。

 足がすくむ光景だが、先ほど言われた通り立ち止まらずに必死に足を前に出して走る。怖いものに向かっていくというのは想像以上に精神的負荷がかかる。今まで逃げるばかりだったのならなおさら。

 あの肉塊の鋭い爪に貫かれたりしないだろうか、吹き飛ばされて首の骨を折ったりしないだろうか。

 脳裏によぎるものはそういった嫌な想像ばかりだ。

 足が重い。ケガはほぼ治っているから、これはケガのせいではない。嫌な想像が自分の走る速度を落としている。

 速く……速く……。

「そのまま、まっすぐ走っていてくださいね」

 背後から声がかかると、すぐ横を何かが高速で通り過ぎた。通り過ぎたものは速度を上げながら黒い炎の火力を更にあげ、 赤い戦車へと直撃する。

 赤い戦車は黒い炎に包まれ、私が走ってその場に行くころには跡形もなく消えていた。

「……」

 私は恐怖を押し殺して走り続けた。

 安全な場所へ逃げていると言っているが、この町の中にはもう安全地帯なんてないのかもしれない。

 人間の追手はいなくなったが、異形の追手が増えてきているからかそういう考えがふと浮かんだ。

「アオヤマさん、ちょっと失礼しますね」

 ネガティブな考えに飲まれそうになった時、体が一瞬だけふわっと浮き、視線が正面から真上になる。

「ごめんなさい、一緒に走ってしまうとおいていきそうな気がするので……しばらく我慢してくださいね」

 鴉の異形に抱えられていると気づいたときには、猛スピードで道を走っていた。

 最初は怖くてぎゅっと目をつぶっていたが、想像していた衝撃などは来なかった。そっと目を開けてみると、建物の屋根が眼下に広がっていた。

 この光景は今日で二回目だ。しかし、オイカワさんが運んでいた時と違って衝撃はほとんどない。

「怖いと思いますが、すぐ済みますからね」

 鴉の異形はこちらに目線だけ送ってそう笑いかける。

 その時の私は彼女に対してひどく人間らしいなと思った。


 ◇


「……相手もしつこいですね」

 数分私は人型の鴉の異形に抱えられた状態で赤い戦車から逃げ回っていた。しかし、相手も諦めが悪いのかずっと追いかけてきている。

 今は四階ビルの屋上から町を見下ろしていた。おそらくここは裏路地からやや離れた場所だ。

「アオヤマさん、過去に赤い戦車みたいなものは見たことありましたか?」

 鴉の異形は私を降ろしながらそう聞いた。

「いえ、見たことないです」

 私は首を横に振って否定する。

 今まで見てきた異形を一つ一つ覚えていたわけではないけれど、少なくともあんなにグロテスクな異形は見たことなかった。それに、あの赤い戦車は他の異形とはどこかが違う気がする。何が違うかはわからないし、それは気のせいかもしれないけれど……この違和感はなんだろう?

「さて、どうしたものでしょうか……ヒスイからの連絡もまだ来ていませんし……。かといって、このまま放っておくとすぐに赤い戦車がこっちに来そうですし……」

 鴉の異形は赤い戦車を迎え撃つか、このまま逃げ続けるか迷っているのだろう。今の私は足手まといだ。この場は彼女の判断に任せるのが無難。

「うーん……そうですね、アオヤマさんはヒスイからクナイを一本もらっていましたよね?」

「はい、これ……ですよね」

 私は両手で握りしめている包帯で巻かれたクナイを見せた。

「少し貸していただけますか?」

「? どうぞ」

 クナイを前に出すと彼女は

「ありがとうございます」

 と言って受け取り、包帯で巻かれている部分に手を当てる。しばらくすると、黒い炎が鴉の異形の指から発された 。数秒もしないうちに黒い炎はクナイの刃に吸い込まれるように消える。

「一体何をしたんですか?」

「少しだけ、私の力を込めました。はい、返しますね」

 鴉の異形はそう言って、クナイを前に出した。私がそれを受け取ると

「アオヤマさん。申し訳ないのですが少しだけ、私はこの場を離れます」

 と唐突に言い出した。

「迎撃するか、逃げ続けるかで迷ったのですが……このまま放置していれば、他にも被害が出るかもしれません。大体五分……いえ、三分で戻ってきますから、ここで待っていてください。何かあれば、その持っているクナイを真上に投げてください。できますか?」

「は、はい」

 私は反射でそう返した。

 鴉の異形はそれを見て

「では、行ってきます」

 と言い残し、鴉に変化して飛び立つ。

「……行っちゃった」

 なるがままに返事をしてしまったが、本当に大丈夫だろうか……。

 不安に思いながら、鴉の異形が飛び立った方を見ると赤い戦車と思われる肉塊が次々と消失していった。よく見ると、鴉の異形が黒い炎をまとって次々と赤い戦車に体当たりをして攻撃をしていた。

 赤い戦車たちも反撃のために自身の体を変形させて、回避や攻撃を試みるが戦力差が圧倒的にあるのか、なすすべなく塵となっていく。あの調子だと、本当に宣言通り三分以内にすべて倒しきれそうだ。

「このクナイの出番もないかな?」

 視線を自身が握っている包帯に巻かれたクナイに移す。

 しかし、安心したのもつかの間。再び、赤い戦車が負の感情を押し固め、一気に放出したかのような絶叫を発した。それもさっきのような叫びとは比べ物にならない音量だ。

 思わず後ずさりしてしりもちをつく。距離が離れているとはいえ、この音量では耳が正常に動いているかもわからない。

 私は鼓膜を守るために、クナイを一度地面に置いて両耳を強く両手でふさいだ。

 嫌な予感がする。

 最初にこの叫び声を聞いたときもこれを合図に一斉に襲ってきた。

 ということは……。

 脳裏に嫌な想像がよぎるのと同時に、屋上の柵に赤い肉塊が付着していた。鴉の異形と話していたときにはあんなものはなかった。

「――!?」

 咄嗟に地面に置いたクナイを両手に持つ。

 肉塊が付着している箇所を睨んでいると、上からぼとぼとと肉塊の破片のようなものが屋上の柵にどんどん雨のように降っていた。

「まさか……自分を破片にして飛ばしている?」

 そこまでして私を狙う理由は……? 鴉の異形が迎撃に言っているのだから、普通であれば注意自体はそっちに向くはず。

 逆に私は赤い戦車に対しては一切攻撃を加えていない。一体、どういう理由でこっちを狙っているの?

 そうこうしているうちに赤い戦車はむくむくと体を大きくしていく。

 ――クナイを投げなきゃ、鴉の異形は気づかない。

 巻いていた包帯をとり、震える手で思いっきり赤い戦車に向かって投げる。しかし、素人なうえに手が震えていたためクナイの飛距離は全く伸びず、赤い戦車のいる場所の数歩手前でクナイは無機質な音を立てて落ちる。

――失敗した。やられる……。

 そう思った矢先、クナイが黒い閃光を走らせた直後に黒い火柱があがる。

 炎はぎりぎり私がいる場所には届いていなかったが……もし、手前で落としていれば炎に巻き込まれていたかもしれない。

 私は急いで立ち上がって、炎から距離をとった。

 この炎の柱で鴉の異形はこちらに気づくはず。あとは、おとなしく待っていればなんとかなる。

 なるべく目立たないように屋上の柵に近づかず、端の方へと身を寄せる。

 もう頼りのクナイはない。もし、遭遇すれば逃げることも難しい。

「アオヤマさん!」

 声のした方を見ると人型の状態で柵を乗り越えているところだった。

「危険な目に遭わせて 申し訳ないです。こっちへ」

 彼女の指示に従い、鴉の異形のそばへ行くと

「先ほどと同様の移動手段をとります。大丈夫ですか?」

 と尋ねた。

 無言でうなずくと

「では、失礼します」

 と言ってまた私を抱える。

「高所から飛び降りるので、怖ければ目をつぶっていてください」

 その声と同時にいきなり周囲の景色が高速で動き出した。というより、鴉の異形が移動しているからそう見えるだけだろう。

 車で移動しているような気分だ。違う点と言えば、見る景色が高所というところと風が直接肌に触れるため、臨場感がありすぎることだろう。

 ふわっと内臓が浮く感覚のあと、周囲の景色がさらに加速した。オイカワさんにぶん投げられたせいで、抱えられている今はそんなに怖くないように感じる。

「さっき、ヒスイから連絡がありました。一度、合流してからこれからのことを考えましょう」

 無言で頷いて肯定した。


 ◇


 途中で何度か赤い戦車に 遭遇したものの、何とか逃げ切って裏路地を抜け、開けた場所にたどり着いた。

「ここで降ろしますね」

「は、はい。ありがとうございます……」

 周囲を見渡してみると、遊具らしきものが街灯に照らされてぼんやりと見える。おそらく、公園だろう。正確な広さはわからないけれど、オイカワさんが応急処置をしてくれた神社の境内と同じくらいの広さだろうか。

「一応、ここは裏路地から離れているのでしばらくは大丈夫だと思いますが……いささか嫌な予感がします。早いところヒスイと合流して移動しましょう」

 そう言って鴉の異形は歩き出す。私も無言で後をついていった。

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