第8話 赤い戦車

「はぁ……はぁ……」

 オリエントから出て体感数分。私はミドに手を引かれて街灯の少ない裏路地を走り続けていた。

「!?」

 何かに気づき、ミドはいきなり止まる。あまりにも突然だったので思わずこけそうになったが何とか踏ん張って立ち止まり、

「どうしたの?」

 と小声で聞く。

 しかし、何故立ちどまったか返答を聞く前に答えはすぐにわかった。

「おい! 門番は今どこだ! さっきの報告だと二人いるって聞いたが、一人じゃなかったのか?」

「確かに人影が二つもあったんだ! そもそも町一つを守っている奴だぞ? 一人という方がおかしい!」

「クソッ。ガキ一人追い詰めて終わりじゃなかったのかよ!」

 複数人の乱雑な足音が通り過ぎていく。声が聞こえるところを見るとかなり近くを通ったみたいだ。

「……行ったかな?」

 外に漏れ出ているのではないかと錯覚するほど大きく自分の鼓動音が聞こえる。ミドがいるとはいえ、不安が消えない訳じゃない。私は逃げ回ることしかできない。一晩乗り切るには、闇雲に逃げていてはだめだ……。

 マスターはオイカワさんか鴉の異形と合流しろと言っていた。確かに、あの人達と合流できればひとまずは安心だろう。だけど、どう合流するかは自力で考えなければならない。

 ミドがいるとはいえ、土地勘もない深夜の町中を走り回っても先ほどのように追い詰められてしまう。かといって、作戦らしい作戦も思いつかない。自分の身の安全がかかっている以上、何とか安全に合流できる方法をひねり出さないと……。

「こっち」

 考え込んでいるとミドはある方向を指さし、また走り始めた。

 私は言われるままについていく。

 それにしても……。

「店から飛び出してから追ってこないのはなんでだろう……?」

 マスターが逃げるように促したとはいえ、裏口から出てくれば数人から追われる覚悟だったが、誰も追ってこない。マスターがうまいこと私たちが逃げるところを隠していたんだろうか?


 ◇


 いろいろと疑問を浮かべながら走り続けてさらに数分経った。ミドのお陰で何とか人目につかずに逃げ続けているが、それも時間の問題だろう。

「とまって」

 何度目かの制止の言葉、私は言われた通り立ち止まる。ミドの表情が硬い。その様子からみてかなり追い詰められたみたいだ。

「いたぞ!」

「こっちだ! 手間かけさせやがって!」

 とうとう見つかった! 咄嗟にミドは私の手を強く引いて走り始めた。しかし、前からも退路を塞ぐように男たちがわらわらと現れる。

 逃げ場がない。このままじゃ……。

 だが、ミドは足を止めずに走り続ける。何か策があるのだろうか?

 彼は手を前にかざす。数秒後、手から黒い炎の弾が現れて正面にいる男たちに放たれた。黒い炎はまっすぐ飛び、男の一人に着弾する。男はのけぞって倒れ、その隙に私たちは男たちの間を縫うように走り抜けた。

「な、なんだあのちびガキ!」

「追え! 門番がまだあの肉塊兵器に手間取ってる隙に捕まえろ!」

「!?」

 突然ミドは何かに気づき、私の手を思いっきり前に引っ張った。私は反応できず、前に倒れそのまま地面に転ぶ。一体何事かと起き上がろうとすると、ミドは数本の鉄パイプを投げつけられ、ふっとばされていた。

「ミド君!?」

 私は急いで起き上がり、彼のもとへ駆け寄る。額に打撲痕があるが、意識はあるようだ。彼は異形だが、別に悪いことをしていたわけではない。むしろここまで私を守って一緒に逃げてくれた。今もそうだ。彼は私を守るために盾になってくれた。

「チッ、手間をかけさせやがって」

 男たちが鉄パイプを引きずりながら近づいてくる。私は彼を抱きかかえ、キッと睨む。効果はないとはわかっている。だけど、今まで守ってくれたミドを置いて逃げるということはできなかった。

 抱えて逃げる……? いや、ミドの案内もなく闇雲に逃げたところで体力がなくなって共倒れする。

 私は無力だ。何もできないただの人間。どうせ特殊な能力がつくのなら、見えないものが見える能力ではなく、この状況を一発逆転できるような能力が欲しかった。異形が見えるだけの能力なんて意味がない。

 だから私は誰かが助けてくれることを願うことしかできなかった。ミドを守るように抱えて、男たちから距離を取るように少しずつ退いていく。

 しかし、相手は数が多い。そんなことをしても包囲されて逃げ場がなくなっていくだけだ。

「は! 残念だったな。その妙なちびガキも動けねぇ。お前らはここで終わりだ」

「黒い火を使ってたとこを見ると、そのちびガキも門番の使い魔ってとこか? 鴉と違って大したことねぇな。妙に逃げ足だけは速かったが、それだけだ。あまりにも使えないから門番から捨てられたか?」

 先ほど黒い火に着弾していた男も復活しているところを見ると、ミドが先ほど放った黒い火には攻撃力自体はないみたいだ。

たしか、オイカワさんは 人間には当たりどころが悪くなければほぼダメージを与えられないと言っていた。

 男たちは形勢逆転と言わんばかりに煽りながらじりじりと距離を詰めてくる。せっかくオイカワさんやマスターが助けてくれたのにこれじゃあ……。

「ほぅ? ミドが使えないから捨てたと? 少なくとも お前たちのような屑よりかはかなり優秀な奴だぞ? そいつは」

 ふと聞いたことがある声が響いた。男たちはあせったように周りを見回すが、姿は見えない。いったいどこに?

「後ろだ。烏合の衆」

 そう言い放った直後、男たちはいっせいに倒れた。何が起こったか全く見えなかった。しかし、唯一立っている黒コートの持っている短刀を見るに、それを用いて男たちを無力化したのだろう。

「オイカワさん!」

「すまん、少し困った事態になってな。遅くなった」

 短刀をしまい、オイカワさんは淡々とそう言ってケガをしたミドを見る。その時、彼がほんの少しだけ驚いたように目を見開いていた。

「何があったか聞いてもいいか? 手短でいい」

「はい」

 私はオリエントからずっと逃げ回っていたことを話した。ミドがいなければすぐに捕まって、オイカワさんやマスターたちがしてきたことが全て無駄になっていただろう。

「そうか。ミドがちゃんと役目を果たせたんだったらそれでいい。そう簡単に死ぬような奴でもないし、放置してたら治るだろ。おい、ミド。影に戻れるか?」

 オイカワさんがそう言うとミドはこくりとうなずき、一瞬黒い光を放ったかと思えば、白いコウモリの姿に戻っていた。ミドはふらつきながらも私の手から飛び立ち、滑空して池の水に飛び込むかのようにオイカワさんの影へと消えていった。

こういうものを見ると、改めてミドが異形ということやオイカワさんがそれを使役しているということ を実感する。

「もう驚かないのか?」

「え?」

「ペリを見るのは初めてじゃなくても、ペリを使役する奴は初めてだろ? お前、ココノとミドがペリだって言っていたときはかなりショック受けていたみたいだし。だからてっきり、また驚くかと思ったんだが」

「あぁ……いやまぁ……今日だけでいろいろありましたから……」

 内心はかなり驚いていたが、もはや表情に出す余裕は私にはない。

「それもそうか。変な奴らに目をつけられて災難だったな」

 言葉では心配しているようにも感じられなくはないが、彼の表情と声に感情がないのでその言葉が浮いて聞こえる。だが、嘘をついているようには見えなかった。

「とどまっているとまた集まってくる。少し移動するか」

「それって……パルクールでまた移動するってことですか……?」

 あの恐怖の人力ジェットコースターをまた体験することになるのだろうか。そうなると、私の中 で覚悟を固めなければならない。

「パルクール? あぁ、建物を伝って移動するかってことか。それでもいいが、その移動方法使うとお前がしんどいだろ。いざというときに動けなくなったら困るし、基本は歩いて移動だな」

「よかった……」

 またパルクール移動になれば今度は耐えきれる自信はない。あの体験はできれば二度と受けたくない……。

「じゃあ行くか」

 オイカワさんはそう言って歩き始めた。私もそのあとについていく。

 そういえば、彼はどうやってここを特定したんだろう。ミドと一緒にいたからそれを頼りに来たと言われればそれで納得はできるけれど……。彼が言っていた困った事態というのも気になる。だけど、私が聞いてもいい内容なんだろうか?

 一人で考え込んでいると突然目の前に何かが現れた。ココノさんでも来たのかと目線をあげるとそこにいたのは、神社で見かけた首なしの異形だった。

「ヒッ……」

 何の前触れもなく首なしの少女がいたので、思わずびっくりして声をあげる。

「あぁ、首なしか。助かった、ありがとう」

 オイカワさんがそういうと、首なしの異形は右手を軽く振って返事をする。

「ただ、お前はそのおせっかいな性格をどうにかした方がいいぞ。ワタシは安全地帯に逃げるよう伝達しただろ」

 首なしの異形は一瞬体をビクッとさせたあと、謝るように頭を下げる動作をした。といっても異形には頭がないが。

「いや、怒っているわけじゃないんだが……ここの区間はペリ除けをしている。お前にとっても苦痛だろ?」

 どうして会話が成立するんだろうと私はオイカワさんと首なしの異形の会話不思議な会話を見ていた。言葉を発さなくても、彼には異形のことがわかるのだろうか?

「どうした?」

「いや、彼……女? の言葉がわかるんですね」

「ニュアンスくらいならなんとなくレベルだがな。ある程度なら、コミュニケーションをとれる」

「読心術的なものですか?」

「いや、ジェスチャーとかを見てこっちが判断している感じだな。私はエスパーではないから、読心術なんて便利なものは使えない。根気強く相手の行動を見て、何を伝えたいかを考える。手話みたいなものがわかればいいが、ペリはそういうのわからないからな」

 言葉の話せないペリ相手に自分の意思を伝えることは難しい。人間ですら、言葉がつかえないとなると意思疎通ができない場合もあるのに。

 この人はこの町のペリと向き合って生きてきたのだろうか。

 私は……異形相手には逃げてばかりだった。コミュニケーションをとろうともしなかった。怖いから、話が通じないからと理由をつけて。

 ぎゅっと拳を握る。今までの自分が嫌になる。私はどうしてこんなにも弱虫なのだろう。

 ―――――――ッ。

「「!?」」

 生物とは思えない咆哮。しかし、この咆哮は耳から聞こえた……というよりかは感じ取ったというべきだろう。

 オイカワさんや首なしの異形を見ると、彼らも何かを感じ取ったようにあたりを警戒した。この場の誰もが咆哮を耳にしたのだろう。

「な……に……?」

 周りを見渡す。しかし、それらしい影はない。

 得体のしれない何かを感じ気を失いかけるが、何とか意識を保つ。この世の不快を全てぶちまけたような叫び声。負の感情の塊を音にして発したかのようだ。

 ドクッ……ドクッ……ドクッ……。

 幻聴にしてははっきりと聞こえる脈音が聞こえた。自分のものではない。全く別の誰かの脈音。しかも複数聞こえる。二つ……三つ……? いや、もっと多い。

「なに……これ……」

 思わず耳をふさいで声に出してしまった。

「おい、大丈夫……じゃあなさそうだな。動けるか?」

 私が半ば パニック状態になっているのを落ち着かせるために、オイカワさんは冷静にそう言う。私は首を横に振った。

 あの負の感情の叫び声を聞いたせいか、脈音が耳元で聞こえていると錯覚するほど聞こえる。幻聴とは思えない音量だ。かろうじて周りの声は聞き取れるが、気持ち悪くてそれどころではない。

 震えが止まらない、怖くて仕方がない。

 ――――――ッ!!

「頭が……割れそう……!」

 脳に直接届く咆哮は確実に私へダメージを与えていった。

 耳をふさいでも全く意味をなさない。このまま咆哮を聞き続けていれば、正気を保つことは難しい。

マシになりかけていた頭痛がさらに痛みを増す。

「いろいろと感じ取りやすいっていうのも災難だな……」

 オイカワさんはあまり影響を受けていないのか、平然とした様子だった。冷静に周囲を見回し、

「首なし、ここはいいからお前は安全地帯に避難しとけ。安全が確保されたらまたそっちに伝える」

 と首なしの異形に指示を出す。

 首なしの異形はこちらに一礼をしてその場を去った。意外と礼儀の正しい異形なのかもしれない。

「アオヤマ、今何が聞こえるか話せるか?」

「脈音と……悲鳴? わからない、なにこれ? 頭が……」

 頭の中を捻じ曲げられるような痛みを感じる。このままでは気が狂いそうだ。

 それを聞いたオイカワさんは一本の黒い杭のようなものを取り出し、躊躇いなく地面に突き刺した。杭は深く突き刺さり、一瞬赤黒く光った直後、半透明な黒い幕のようなものが杭を中心としてドーム状に私たちを取り囲むように現れる。

「何か聞こえるか?」

 先ほど地面に打ち込んだ杭が阻害しているのか、嫌というほど聞こえていた脈音と悲鳴は全く聞こえなくなっていた。先ほどのことが嘘のようだ。

 私は落ち着きを取り戻し

「今は……聞こえないです」

 と答えた。

頭痛も完全に引いたわけではないが、先ほどに比べればマシになっている。

「そうか。試作品だがうまくいってよかった」

 どのような方法で先ほどの脈音と悲鳴を遮断したのだろう。聞いてもわからないと思うが、もし防ぐ手立てがあるのなら聞いておいて損はないかもしれない。

「あの、これは? それにさっきの悲鳴は何ですか?」

「この杭は刺した場所を中心に半径二メートルくらいの半円の壁を出現させる道具だ。さっきみたいに敵からの精神攻撃とかにも有効だが、物理攻撃もある一定までは防げる。気配遮断の効果もあるんだが、材料が特殊なものが多くて量産が難しいから、あまり使いたくはない」

「はぁ」

 ドラゴンの皮とか神話上とかで語られるものの素材を使っているのだろうか? 確かに、そういったものであれば不思議な効果があってもおかしくはない。

「それと、お前が聞いた脈音だったか? 残念ながら私には何も聞こえなかったから断言はできないが、おそらくそいつは赤い戦車かもしれないな」

「赤い戦車?」

「戦車って言ってもいわゆる機械仕掛けの兵器というわけではない。兵器には変わりないがどちらかというと……!?」

 話の途中で何かに気が付いたのか彼は瞬時に何かを投げ、地面の杭を抜き、突然私を肩に担いで走り始めた。

「え!? な、なんですか!?」

「さっき話していた赤い戦車が近いところまで来ていた、運が悪いことにな」

 彼はそう言いながら走るスピードを上げていく。まずい、このままでは人力ジェットコースターになってしまう。そうなれば私は胃の中にあるものを出すことになるかもしれない。

 しかし、先ほどの人力ジェットコースター状態になる前にオイカワさんは立ち止まった。

「……囲まれたか。チッ、想定より多いな」

 彼は私を抱えたまま強く踏み込み、その場にあった街灯などを足場にして近場にあった建物の屋根の上まで上がる。

「一旦ここで待ってろ。流石に屋根の上までアイツらは追ってこないとは思うが……何かあったらこのクナイを敵に向かって投げろ。少しは時間稼ぎになる。いいか、絶対ここを動くなよ?」

 一方的に注意を言った後、一本の特徴的な刃物を渡して彼は屋根から飛び降りた。

 彼が言った通り、渡されたナイフはよくアニメや漫画で見るクナイと形状は似ているが、色が真っ黒で持ち手の部分は包帯が巻かれている。これも特殊な素材でできているのだろうか?

「オイカワさん、大丈夫かな……?」

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