第2話 舞い上がる

 踊る踊る。舞い踊る。

 地も天も、風は巻いてその地の果て、天の果て……私の魂は駆け、身体は舞う。


 二十日ほど続くエスタの精霊祭は既に半ばを迎えて、人々は享楽の渦の中、浮かれ立って。


 ほらみんな! 踊りなさいな! 今日は楽しい楽しいお祭りなんだから!!

 子供も大人も老人も。男も女もみんなみんな!!


「まったく。ああなっちゃうとシルヴィは止まらないわね。疲れ果てて眠るまで。本当に風のよう」


 そう、私は風。この世界をただよう自由な風。


「シルビア!」


 風が、声を運ぶ。私を呼ぶ声を。

 誰? 誰? ううん、知ってる。これは彼の声。湖の畔で出会ったあの人……ユージオ。


 私は、風になびかれて視線を向ける。

 ああ……あの人だ。頬を上気させて私を見ている。


 風のように舞い踊る私を見詰める……温かい春のような若草色の瞳。

 その視線に温められた私は、天空へと駆け上がるようにさらに舞い狂う。

 ああっ……風よ、風よ、風よ!

 ウィンダルを身に宿して私は舞う。

 心の底から湧き上がる歓喜の気流に身を任せ、私の心を攫った彼に向けて、想いの風を吹き付ける。

 そんな私を見つめる彼は、私の吐き出した熱い風に打ち付けられでもしたように、その相貌を真っ赤に染めていた。

 ああ……分かった。

 この気持ち……愛おしい。

 あの日はじめて視線を交わしたあの瞬間から、私のは彼に向かって吹き付けている。




 夜も深まり、掲げられた松明たいまつも、既に残り火となっている。

 水の精霊ヴァッサーラを模した像が中心に立つ大きな噴水、その淵に腰掛けて、私は踊り舞った身体の火照りを鎮めていた。

 薄暗くなった建物の隅には、飲んだくれて眠りこけた男たちや、それを介抱する女たち。

 さらには人々がまばらになったそこいらで、恋人たちが身体を寄せあっている。

 そんな祭りの夜にありがちな光景を眺める私の隣には彼が腰掛けていた。


「ねえユージオ。……貴男は私をどう口説こうというのかしら?」


 ニコリと笑って隣の彼を見ると、彼はてきめんに顔を赤く染め上げた。

 少し意地の悪い笑みを浮かべて見つめていたら、ユージオは揶揄われていることに気付いて、ムッとした表情になる。

 男の人に言うことでは無いかもしれないけれど、そんな仕草もとても可愛らしく感じてしまう。


「なっ、君……君はそんなに自分に自信があるのか、……そっ、その――風の民ヴィンディーは娼婦のような事をすると……そんな話をっ」


 私は、人差し指を差し出して彼の口を押さえ、おどおどとした彼の若葉色の瞳をジーッとのぞき込む。


「お野暮さんね。そういう時はね……こういう風に相手の瞳をのぞき込んで……」


「……!? ンッ……クッ、ウッ――ムッ、ハァ……」


「……これで良いのよ」


 私は、ネルバ姉が言っていた魅力ある女の手管を使ってみせた。

 火を噴き出しそうなほどに恥ずかしいのを、面に表さないように気を付けて、私は彼の反応を見る。


「なッ、何を!?」


 突然の口づけに目を回すユージオが、とても可愛らしくて――愛おしくて。

 心が浮き立ってしまった私は、噴水の淵に立ち上ってクルリと踊り出す。


「おい、君はまた――」


「あら大丈夫よ、落ちたって溺れたりなんてしないから」


 私はクスクスと笑いながら、噴水の淵をクルクル、クルクル、つま先を立てて独楽のように回り踊った。

 そんな私たちの周りに、不意に、妙な気配が立ち籠める。

 これは……知ってる。

 暴力の気配だ。

 

 風の民ヴィンディーは流浪の民。

 当然、すべての人たちが快く迎え入れてくれるとは限らない。

 私たちは、暴力の気配にはことのほか敏感なのだ。


 酔い潰れた男たちや睦まじい恋人たちとは明らかに違う雰囲気を発した男たち。彼らは何食わぬ顔をしてこちらに近づいてくる。


「ユージオ、こっち!」


「おっ、おいシルヴィア!?」


 突然手を引いて駆け出した私にユージオは戸惑ったけど、周囲に視線を走らせて事情を察したようだった。

 手を取って走り出した私たちを追うように男たちも走り出す。

 そんな彼らの囲みの穴を突き抜けて、私たちは広場から走り去った。




「はぁはぁはぁ……はっ、あはっ、あははは――あははははははは……」


「どっ、どうしたの!? ――ユ、ユージオ!?」


 都市パーダの中にいくつか点在している広場、お祭りの喧噪から取り残された場所までやって来て一息ついたと思ったら、ユージオが突然笑い出した。彼は、それはそれは可笑しそうな様子で、私はびっくりしてしまった。


「はははは、はははは……あっ、ああ、ごめんごめん。彼らのあの顔を思い出したら、プッ――」


「あの、もしかして……知り合いだった?」


「あっ、ああ……出し抜けたと思っていたんだが、見付かっていたらしい。彼らも立場があるからね」


「……私、余計な事をしてしまったのかしら?」


「いや、大丈夫だよ。僕にだって安らぎの時を得る権利くらいはあるんだから」


 朗らかに笑う彼の品の良い顔立ち、それにお目付役までいるなんて、彼、上級市民?

 それもかなり裕福っぽい。でも貴族みたいに人を見下すような所は無いし――商家のボンボンなのかしら?

 私がそんな事を考えていたら、怒気を含んだあの気配が、石畳に打ち付ける足音を響かせてやって来た。


「ユージオ様! 大丈夫ですか!!」


 バタバタと街路から広場に駆けて来たのは、平服ではあるものの腰に剣を吊した男たちだ。

 王都の街中で帯剣を許されるのは許可を得た人間だけだし、それにこの人数……ユージオ、貴男いったい何者?


「お戯れが過ぎます! 収穫祭で浮かれる気持ちは分かりますが、せめて供をお連れください!」


「そこの風の民ヴィンディー!  どのようにして取り入ったか知らんが、お前のような根無し草が言葉を交わせる相手ではないのだぞ! それを、口づけなど……エスタ王国の王子、ユージオ様を籠絡しようとは、身分をわきまえよ!!」


「え……」


 王子……さま?


「止めないかマーテル! 彼女に非は無い。僕が彼女の舞いを見たかっただけだ。それにあれは彼女たちには挨拶のようなものだろ?」


 絶句した私がゆっくりと彼に視線を向けると、彼はどこか困ったように――いや申し訳なさそうに私を見ていた。

 ああ……私が彼に口づけをしたから、遠巻きにユージオの様子を窺っていた彼らは、私を捕らえようとしてやって来たのね。


 私は――彼からパッと離れるとクルリと一回りして、「……ええ、ええそうよお兄さん。あらいやだ、王子様だったわね。――まさかそんなお偉いさんだったなんて。この短い稼ぎ時に――選ぶ相手を間違えてしまったわ。……ごめんなさいねお付きの方々。下賤の身の風の民ヴィンディーは退場させてい頂くわ」と、はすっぱな風の民ヴィンディーを演じてみせる。


 それは、私たちの表面しか見ない者たちにはいかにもな態度。

 まるで舞台に立つ演者のように、一つ大きく礼をしてから、私は静かに後ろへと下がる。


「待て、怪しい風の民ヴィンディーめ! どこぞの間者かも知れん!!」


「もういいマーテル!! 彼女は私の身分を知らなかったのだ。風の民ヴィンディーの一夜の座興だ。彼らは祭りが終われば風のように吹き去ってゆく者たちだ……捨て置け」


 私を見つめるユージオの瞳の中に、悲しい諦めの光が見えた。

 ああっ……そうか。

 私は――私の心は、彼の瞳の奥にあるあの光に引き寄せられたのね。

 何かに魂を縛られながらも、自由を求める彼の藻掻き苦しむ魂に……

 ユージオ。彼をその苦しみの中から解放してあげたい。

 でも、私は風の民ヴィンディー――流れさすらうもの。


 逸らしがたい彼の視線を私は、トントントンと後ずさりながらも離さず。最後の最後に振り切るようにして引き離した。




 ああぁ……お祭りは終わった。

 あれほどの喧噪に満ちていた街中も、今はどこかうら寂しい空気が漂っている。

 けれど私たちは風の民ヴィンディー

 朗らかに、さあ唄い踊り奏でましょう。

 今日。私たちはこの街を去るけれど。

 その最後まで、この地の皆に楽しい時を届けましょう。

 首都パーダの市門前。前衛棟での検問を受ける間。

 私たちは門を護る兵士や、出入りする人たちの慰めに……そして、またの出会いをとの想いを込めて、それぞれに唄い踊り奏でる。


「ネルバ――あの、いったいどうしたんだい?」


「シルヴィーのこと? あの娘がどうしたのサロメ?」


「踊りに艶が出た。これまで、無垢な風の妖精シルフのようで、唯々元気で無邪気な踊りだったのに。あの娘。恋でもしたのかね」


「あの子が? まさか……あっ、でもこの間の夜、様子がおかしかったような……」


「まあいいさね。あの娘の踊りは、これから、今まで以上に人を惹きつけるようになるよ」


「ふーん、そういうもんなんだ。でもね、あたしはこっちで男を惹きつけるのさ。……シルヴィー! あたしのキタンと共演するよ!」


 ネルバ姉が鼻息荒く、キタンを片手にキャラバンの馬車から飛び出してきた。

 彼女が奏でだしたキタンの音色に合わせて私は、踊る、踊る、舞い踊る。


「おーいオマエらいつまでやってやがる! 行くぞ! 次の街への出発だぁ!」


 検問での手続きを終えた親方が、いつまでも踊り奏で続けている私たちに声を上げた。

 ああっ……。

 産まれてからこれまで、次の街へ行くのが楽しくて楽しくてたまらなかったのに……こんなにも心が締め付けられるのは何故?

 不意に一筋の風が私の頬を撫でて行く。

 私はその風になびかれて振り返った。


 ああっ、あれは……。

 振り返った先、市門の塔の上に彼は居た。その優しい若葉色の瞳が私に向けられていた。

 悲しげな……それでも思いやるような笑顔を浮かべて。

 私はそんな彼に、満面の微笑みを浮かべると、クルリと一つまわり踊ってから大仰に礼をした。

 大丈夫。

 きっとまたやって来る。

 だって、私たちは風だもの。この大陸を巡る風。

 ユージオ待っていて……。

 それはきっと、私自身へも言い聞かせるものだった。

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優しき千年帝国 獅東 諒 @RSai

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