第4話

 最近のプライバシーの問題は、色々と厳しい。

 念には念を入れて、連絡先を知る知り合いの中で、凌に近い男に伺いを立てる事にした。

 この男は、凌の大事に真っ先に動き、注意を払っているはずだから丁度いい。

 水月はそう考えて連絡したのだが、電話を受けた男は予想外にも落ち着いていた。

「叔父上は、ただ眠ってるだけよ。だから、見舞いに来なくても大丈夫」

「いつ目覚めるか、分からないのだろう?」

「でも、いつかは目覚めるわ。心配しないで」

 表面だけの言葉にしては、気楽すぎる声音だった。

 聞いた話と違う。

 先程の、若者の様子もそうだった。

 会話も殆んどがあの大男の事だったはずなのに、今の状態を悲観している言葉は出なかった。

「……まあ、子供の精神面の肩代わりをしたくらいならば、直ぐに癒えるとみているのか」

「そう言う事に、しておいて欲しいわ」

 いつもの人を食った笑顔で言われているその言葉に頷き、水月は口調を改めて気楽に問いかけた。

「あんたは、もう付ききりではないのか?」

「ええ。面会時間ギリギリに行って、すぐに帰るだけよ」

「そうか……」

 答えた大男は、短く納得した男の真意を正確に察した。

「その時刻に来て、あたしの匂いでも探る気? そんなことしなくても、見つけられるわよ」

 笑いながらの言葉に疑問を投げる前に、ロンは続けた。

「さっき、蓮ちゃんから連絡があったわ。エンちゃんたちが、鏡ちゃんを連れて病院に向かってるんですって。これでしょ? あなたが見物したい見ものは?」

 見もの、ロンは楽しそうに言い切った。

 それを聞いて、水月も笑ってしまう。

「そうか、あんたが楽しめそうな話という事は、本当に凌の旦那は心配ないんだな?」

「さっきから言ってるじゃないの。生憎だけど、鏡ちゃんは兎も角、あの二人も来るんだったら、深刻な事態にまではならないわ。きっと、あの二人なら会えば分かる。だからこそセーちゃんは、あの二人を遠ざけていたんだから」

 言ってから、少しだけ声を潜める。

「心配なのは、鏡ちゃんの方ね。ミヤちゃんの話では、一緒に現場を襲ったらしいじゃないの。叔父上に会いに来る理由が、怒りのせいなのか感情的な何かのせいなのか。見極める意味でも、あなたがあの場に行ってくれるのは有り難いわ」

「十中八九、怒りの方が上だろう」

 不穏な答えだったが、ロンはそれでも取り乱さなかった。

「……そう言う事なら、あたしは行かない方がいいわね」

「? どうせなら、オレが行くまで足止めして欲しいんだが。近くにいるにはいるが、薄暗いとはいえ人目もあるからな」

 年末の忙しい時期、人の動きも夜まで収まらない。

 全力で走って向かうのは、まずいと言う水月に小さく唸り、ロンは嘆くように言った。

「だって、一人でこなすのなら、慎重な準備が必要な仕事を、セーちゃんから押し付けられてるのよ。空振りと分かってるのに迎えに行く時間が、勿体ないわ」

 受話器の向こう側のその言葉に、水月は確信を持った答えが浮かんだ。

「……成程、分かった」

 やんわりと笑いながら言った男の言葉に、大男が小さく笑うのが聞こえる。

「そう言う話ならば、一応オレも、力を尽くしてみよう。あんたが迎えに行く相手が、明日は一緒に仕事に出れるように、な」

「ええ、そうして頂戴。流石水月ちゃん、話が早いわあ」

 いつも通り、人を食ったような笑い声を聞きながら会話を終わらせ、水月は振り返った。

 そこには、成り行きを見守っている自分の弟子と、大柄な男がいる。

「暫く留守にする。朝には戻るから、心配するな」

「私も行きます」

 すぐに返した律は、傍に立つ大男を見た。

 電話の内容を、隣に立っていた女にそれとなく告げられていた誉は頷いた。

「行ってらっしゃい」

 大男とその主親子に見送られ、師弟の二人が向かったのは、この数年のうちに新しくできた大きな病院だった。

 そこに、今年最後の騒動が待っていた。


 叔父がある時期から更に、色事に無関心になったと同時に、自信を無くしていると気づいたのは、割と直ぐだった。

 どうやら、夜閨に入り込んだ女を、子が出来たか分かるまで近づかせなかった上に、出来てないと分かったと同時に集落ごと消していたことが、裏目に出たようだった。

「一度来た女がその後来ない事を、どうやら自分の手管が下手くそだったからだと、そう思ってるらしい」

「……実際は、どう言っていた? お前は朝、女たちを集落の家まで送っていただろう?」

 真顔で重大な事を告げたミヅキの言葉を受け、カスミも真面目にロンに尋ねた。

「どうって、素敵な男だから、すぐにでも一緒になりたいって、約束を反故にして何度か通いそうになった女しか、いなかったわよ」

 その場で息の根を止めたくなったことが、何度あったかと頭を抱えながら答えると、二人が大きく唸った。

「思うに、子供が出来ないのも、それが理由ではないのか?」

「ん?」

「女を喜ばせる事だけに必死になって、女が思う程旦那の方が興奮していないという事だ。それでは、出せるものも出せん」

「つまり、お前と同じか?」

 真面目な指摘に、ミヅキは笑って首を振った。

「少し違うな。オレは、興に乗るのが遅いだけだ。乗る前に、女の方が果ててしまう。ずるい話だ」

「お前の興に乗るツボが、難しい所にあるのではないのか? 一度、その辺りを私が確かめてもいいぞ」

「あんたが女として相手してくれるなら、やってみてもいいが」

 頭を抱えながら考え込むロンの耳に、聞き流せない会話が聞こえる。

「……そう言う話は、あたしがいない所でやってくれる? 考え事の最中だから」

 本当は、止めなさいと言下に言い切るところなのだが、叔父の自信喪失の原因が自分かもしれないと落ち込む大男の声には、力が入らない。

「まあ、お前が刺々しくなるのは、仕方がない。あの人は、朴念仁だからな。質の悪い女に執着されたら、逃げられまい」

「かと言って、喧嘩仲間の旦那が、男としての自信を無くすのは、張り合いがなさ過ぎて面白くない」

 慰める友人と、厳しい事を言う若い男。

 数ある悩めるできごとを指摘するのがミヅキで、それに乗って画策するのがカスミという系図が、この頃には出来上がっていた。

「あの旦那が気に入りそうな、手ごろでいい女はいないものか?」

「叔父上は、私と好みが似ているというより、気が合うという理由でハヅキを気に入っていた」

「叔母上を? 初耳だな。だが、悪い話じゃないな。まだ若すぎるが、ユウならいい女になるだろう。今から少しずつ、剣を教えてみるか」

 ミヅキが先に長い話をすると、カスミは真面目に首を振った。

「駄目だ、ユウは。あの娘は、力業の方が向いている。知っているだろう? うちの薪集めをしているのが、誰なのか」

 あれは、薪集めとは言わないとは、ロンはあえて言わなかった。

 例え、森から大木を一本持って帰って来て、それを大きな斧で細く切っているのを見ていても。

 ミヅキも言わないが、残念そうに首を振った。

「あの力で剣を扱えれば、旦那並みの豪剣の使い手になれると思うんだが、残念だな」

 律の弟子仲間にもなって、いいのではと思ったのだがと呟き、男は少し考える。

「身近で仲を取持たなくても、何とかなるかもしれんな。こればかりは、本人次第だからな」

「その、本人次第で思い当たったのだが」

「ん?」

 カスミの真面目な声が、痛い所をついた。

「鏡月は、あのままでいいのか?」

「……」

 珍しく、ミヅキが詰まった。

 そんな男を見つめ、ロンの幼馴染は微笑む。

「あのまま、中途半端な状態では、いずれ歯止めが壊れるぞ。その前に、誰かに思いを留める事を考えてはどうだ?」

「……ようやく年頃になったあの子では、早すぎるだろう」

 歯切れ悪く答える男を見ながら、カスミは更に笑みを濃くした。

「ほう、気が早いな。思いを留める相手を見つける心配を飛び越して、あの子自身の心配か? つまり、やはりそうなのか?」

 ミヅキが、これまた珍しく深い溜息を吐いた。

「オレの思い違いかもとは思う。だが、シノギの旦那の方は、間違いなさそうでな……まだ、悩んでいる所だ」

「え? 何の事?」

 話が見えずに尋ねるロンに、カスミが真面目に答えた。

「叔父上は、どうやら鏡月を気にしているようだ。弟子以上の思慕で」

 甥っ子の一人で一番弟子の男には、衝撃的な話だった。

「ま、まさか」

 衝撃が過ぎて笑ってしまいながら、ロンは首を振った。

「だって、女の人とのことを諦めるのは、早すぎるわ。それに、いくらなんでも、身近の弟子なんて……」

「その辺りの事は、人の思いの複雑さだろう。お前だって、故郷に戻った途端、身近な女を愛しただろう? それと一緒だ」

「そ、それは……」

 また話が違うと言いかけたが、カスミは真面目に首を振った。

「私から見ると、同じことだ」

 同じ血縁の従弟であり、義理の弟ともなった男の言葉に、何も言い返せなくなってしまった。

 困惑する大男の傍で、ミヅキが力なく言う。

「それに、女との色恋を諦めたからあの子を、という事じゃない。あの子が女なら、ここまで悶々としないだろうなと、そう考えていそうな場が、ちらほら見受けられるだけだ」

「見受けられるって、どんな場でよ」

「だから、雑魚寝の場だ」

 意外に身近だ。

「割り切って今の鏡月を襲わない所が、叔父上の優しい所だな」

「そんなことしたら、オレが根元から斬りとってやるが」

 物騒な事を事も無げに言うミヅキに、カスミは真面目に頷く。

「そうなる前に今のうちに、宦官の施行法を学んでおこう。叔父上をそんな理由で失う訳には行かんからな。それに、後々使えそうだ」

「そこまで、極めないでくれる? 無体を働く奴らの罰則が、そっちで定着するのは、御免だから」

 この群れは元々身内の鬱憤を、他の非人情な連中で晴らすという名目で作られたものだ。

 土に返すなら、無体を働く者を二度と見る事はないのに、そう言う罰則を作るとどうしても生き残る度合いが増してしまう。

「別に、現場でそんな生々しい事をするとは言っていない。国によっては、小金稼ぎができるかもしれないと、そう思っただけだ」

 真剣に窘める幼馴染に笑い、男は顔を改めた。

「鏡月の成長云々は別として、叔父上の方は早く立ち直ってもらわないと、困るな」

「表面上は元気だから、そこまで深刻でもないがな」

 真顔の男にミヅキは真顔で答えるが、カスミはまた微笑んだ。

「お前が言い出した事だろう?」

「そう転ぶとは、思わなかった。だが、あの子を巻き込む位なら、正直旦那が廃人になろうが、気にならない」

「ちょっと、それはひどすぎない?」

 きっぱりとした男の言葉に、ロンは思わず声を上げた。

「そりゃあ、他に叔父上が気になる女がいるなら別だけど、今のところいないんでしょう? 廃人になられるよりは、少しでも当たりに近い子をあてがって試したいわ」

「試す? そんな曖昧な話で、大事な子を使う気はない」 

 叔父が弟子の一人に懸想しているというのは、ミヅキの想像だ。

 だが、あり得ない話ではない。

 甥っ子の子供と、その父親違いの兄には、他の弟子たち以上に愛情を注いでいるように見受けられたからだ。

 危険な男を敵に回す事でも、一度は試してみたかった。

 真剣な大男に気持ちを察し、ミヅキが溜息を吐く。

「大体、今迄男として生きて来たんだ、あの子自身が好んで女体になるはずがないだろう? 突然、何の理由もなく、女として動けと言われても……」

「理由があれば、いいのか?」

 真面目な声が、男の最もな言葉を遮った。

 振り返ると、顔を伏せたカスミがいる。

 そのまま、真面目に続けた。

「未だ未開拓の集落に、仕事の引き込みと称して、送り込んで見よう。そろそろあの子も、そう言う仕事を覚えなければならない年頃だ」

 最もらしい事情を作り、他の娘では危なくて送り込めないと思わせ、何とか鏡月の女体化を正当化した。

 渋っていたミヅキも、腹をくくれば協力者となる男だ、話はすぐに進みついにある夜、叔父の閨に送り込むことに成功した。

 後は、適当な集落に鏡月を送り込み、適当な所で適当な理由を付けて連れ戻せばいいだけ、だったのだが……。

 そんな適当な試みが、思わぬ者を釣り上げてしまった。

「……どうも、あの臆病な錬金術師が、この辺りにいるらしい」

 その曖昧な言い方だけで、ロンはその正体に思い当たった。

 生き血を材料に作る武器の生成をする為、かつては血の量が多い大きな男を連れ去っていたその錬金術師は、自分たちの目からも何度もすり抜けている程に逃げ足が速い。

 この辺りに来ているのなら、自分達を囮にすればとロンが考えたのを察し、カスミは真面目に首を振った。

「今は、大きな男には目もくれていないようだ」

「あら」

「生きたまま血を生成し直すからな、暴れる力も半端ない。それを抑えるのが、億劫になったのだろう」

 勝手な理由だ。

 一度に多くの武器を生成するための、材料だったのだろうに。

「流石、劣化した化け物ね」

「全くだ。本物ならば、生き血を使うにしても、その材料が暴れないような生成の仕方をするだろう。それこそ、材料本人が気づかぬうちに、武器とかわる位には」

 小さく笑ったロンに頷いたカスミは、今その劣化した化け物が目を付けている者を、推察していた。

「かどわかされる者が目立たぬからこそ、分かりやすい存在だ」

 かの者ならば、何処で姿を消してしまっても、そこまで不自然ではない。

「本当は、そう言い切るのもどうかという話なんだけど、何となく分かったわ。年頃の、娘さんが的になっちゃったのね?」

「もう一息、だな」

「?」

 含みのある言葉に首を傾げると、カスミは真面目に言い切った。

「大概は、所帯を持った娘だ。その大方が、身ごもっているようだ」

「……」

「……これは、本当に偶然なのだがな、この辺りで本当に、増えているようなのだ」

 無言になったロンに、真面目な声は続けた。

「かどわかされた娘が、腹を裂かれた形で見つかるという事が」

 嘘から出た真。

 まさに、その状態になっていた。

「……これ、詳しく調べてから、囮を送る案件じゃない?」

 慌ててミヅキに繋ぎを取り、すぐに鏡月を回収してもらった。

 だが、その決断は遅かったんだなと、数百年経ってようやく分かった。


 電話を切ったロンは、凌のいる病室を出て廊下に出た所で、その若者に遭遇した。

 仕込み杖を握りしめた姿は、いつもと変わらない。

 病室の前に立つ大男に気付き、目を細める姿も。

 正直、ここで鉢合わせする気はなかった。

 感情を表に出さない自信はあるが、限度があるからだ。

 一番親しい叔父の安否という、大事な事を隠している今は尚更。

 だが、そんなロンの気持ちにすら気づかぬほど、若者は怒っているようだった。

「……あんたがついているというのは、本当だったようだな」

「そんな事ないわ。ついさっき来て、今帰るところ」

 本当は、もう少し後に病院を後にする予定だったが、水月の連絡で考え直した。

 自分が宥め役にならずに済んだ分、与えられた仕事を出来るだけ早く収めてしまう方に、力を使いたいと思ったのだ。

「……旦那は、その中か?」

 のんびりとした問いかけに、大男は微笑むだけで返す。

 その気配に頷き、鏡月は再び足を進め、すぐ前に立ち止まった。

 立ちはだかったままのロンを見上げ、のんびりと言う。

「用が済んだのなら、もう帰ったらどうだ?」

「そのつもりだけど、ちょっと早く来過ぎじゃない? 叔父上を攻撃するなら、あたしがいなくなって気配が無くなった頃を見計らわないと、余計な邪魔が入るかもしれないのに」

「どちらの鉢合わせが不味いかの、消去法で来ただけだが。余計な邪魔より、鉢合わせしたくない奴がいる、それだけだ」

 夜にこっそりと通っている若者が来る前に、鏡月は事を終わらせるつもりだ。

 なるほどと頷き、ロンは小さく笑った。

「どうしてそこまで、あなたが怒るのかが分からないんだけど。理由を聞いてもいい?」

「オレも、逆に不思議なんだが。何故お前、この仕打ちを何とも思わないんだ?」

 弟子や実の子供がいるにもかかわらず、ほんの少し世話をしただけの子供に、ここまで大事になる事をやらかした。

「それに、あの子の事もそうだ。何の怒りも感じない程度の、可愛がり方だったのか?」

「……」

 のんびりとした言葉に、ロンは小さく息を吐いてからゆっくりと答える。

「叔父上には叔父上の、それをするに至る理由があったのよ。だから、今は心配しかしてないわ」

「……相変わらず、旦那には優しいな、お前は」

 この男は、元々凌に甘い。

 事実を知られて後ろめたい気分になるのを承知で、ぎりぎりになるまでセイの生存を隠し続けた事でも、それは明らかだ。

 見つけられて保護されるまでの数年、過酷な場所にいた事を知った凌が、気に病むだろうと心配したのだというのは、鏡月も知っていた。

 見上げる若者を見下ろしながら、ロンは周囲の気配を探った。

 息をひそめている男女は、夜間入り口に向かう廊下の角にいる。

 止める気が欠片もないのは、訊くまでもない。

 宥める役の自分は、今回はそれをする気がなかったが、しない事で二人の前を通った時、何を言われるか。

「その位は、仕方ないわね」

 溜息を吐き、ロンは病室の扉の前から身を避けた。

「あたし、これから朝まで忙しいの。あなたが何をする気かは知らないけど、勝手になさい」

 あっさりと引かれ、少しだけ目を見開いた鏡月は、不審がりながらも扉に手をかけた。

 どう言う風の吹き回しかは知らないが、気が変わられる前に実行しよう。

 そんな気概の若者の前で、扉が開いた。

 内側から。

 中にまだ誰かいたから、ロンは全く心配していなかったのかと身構えた鏡月の耳に、眠そうな声が聞こえた。

「ロン、来たのか? 今日は、どんな仕事を押し付けて来たんだ?」

 遠くから聞く事はあったが、ここまで近くで聞くのは久しぶりな、懐かしい声。

 それが誰の者か思い当たって、鏡月は後ずさりした。

 若者よりはるかに大きなその男は、欠伸をしながら顔を出し、廊下で振り返った甥っ子を見る。

「お早うございます。随分無茶な起き方をしましたね。あの子の方は、本人の病室ですか?」

 驚き固まる鏡月の後ろから、ロンが小さく笑いながら銀髪の男に声をかけると、男は力なく笑いながら答えた。

「今、病室にセイ坊が来てな、面倒なのでここから戻れと急かされた。近くに戻ってからの方が、オレとしては楽だったんだが。二度手間させてたのが、悪かったんだろうな」

「まあ、そうでしょうね」

 相槌打つ甥っ子に、銀髪の大男は再び尋ねた。

「で、初めは何処から行くんだ?」

「いえ。あなたは、行かなくてもいいです」

「?」

 薄暗い中目を瞬く大男に、ロンは前方を軽く指さしながら言った。

「今夜は、この子の相手を、よろしくお願いします」

「この子?」

 ようやく、男は目線を少し落とした。

 顔を引き攣らせた若者を見つめ、目を見張る。

「……鏡、月?」

「旦那……あんた、起きなくなったんじゃ、なかったのかっっ」

 呆然と呟く声は、絶叫に近い若者の声でかき消えた。

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