第三十六話 祈りの伏魔殿①

 真昼の様に明るく輝く大広間にて、三人は向き合う。


「我が声を聞きなさい、ミケルセンの子女たちよ!

 私は『緑の歌うたい』第一席、星仰ぐ黄金宮殿ドゥムス・アウレア、そしてユークリッド・【ヴェール】・ビリティスが手、シャロン・アビゲイル・バロウズ!

 私の先生の野望の為、そして先生がお造りになられる新たな世界の為、ヘンリエッタ・ミケルセンを殺しマージェリー・ミケルセンを捕える者なり!」


「我が声をお聞きなさい、第一席。

 私はミケルセン家次女にしてミケルセン家第三位後継者、聖帝国国立図書館ムセイオンの司書にして第七分館ポリュムニア館長、『安楽椅子のヘンリエッタ』、ヘンリエッタ・ミケルセン。

 勇者ユークリッドのはかりごとを止め、妹であるマージェリーを救う為に……貴女を倒すわ、シャロン・アビゲイル・バロウズ」


「我が声を聞け、シャロン・アビゲイル・バロウズ。

 アタシはミケルセン家次代当主、魔術師協会第七位、『緑の歌うたい』元第三席、マージェリー・ミケルセン。ユークリッドを斃す為、アタシがアタシである為に、かかる火の粉は打って払うわよ!」


 その口上を以て、戦いの火蓋は切って落とされた。


 マージェリーとシャロンの身体に魔力が奔り、臨戦態勢を取る。


 先に動き始めたのはマージェリーの方だった。


「――――――!」


 きん、と高い音が鳴り、彼女の掌に魔力が素早く集まり始める。


 高速詠唱によって圧縮された情報は魔力によって魔術へと編まれ、世界へと顕れる。彼女の言葉から掌へと顕れた火球は一瞬小さく揺らぎ――高速でシャロンの方へと放たれた。


 優に摂氏三○○度を超える炎の塊が、シャロンへと襲い掛かる。


 しかしシャロンは、絶対絶命であるにも関わらず不敵な笑みを浮かべていた。


 薄い唇が、静かに動く。


「――せなさい」


 ぱちん。


 何かが弾ける音がシャロンの眼前で鳴り、辺りは一瞬静まる。


 詠唱は為されていない。魔術で迎撃している様にも見えない。


 しかしマージェリーの放った火球は、まるで最初からそこに無かったかのようにシャロンの前から


「なっ……!」


「……今、何か致しましたか?」


 にやりと、シャロンの口元が歪む。マージェリーの背に、何か厭なものが走った。


 ――不発? それともまさか……。


「チッ、嘗めんなッ!」


 マージェリーの付けた万華鏡カレイドスコープへと魔力が再び通される。通された魔力と全身にみなぎる魔力の総量は、先程までのものとは別格に多い。


 集めた魔力を万華鏡カレイドスコープへと収束させながら、マージェリーが詠唱を開始する。


「穿て。穿て。穿て。三度祈り、三度願い、三度誓う。一つは主、二つは陽、三つは聖女とわたしの心――」


 広げた指のうち三本へと、青い光が集まっていく。


「あらゆる不義と不届きへ、水星メルクリウスの瞬きを!」


 彼女の叫びと共に、撃ち出された青い光の束がシャロンへと迫る。


 其は、あらゆる不義と不届きを祓う水星の鎌。


 ――惑星術式……水星メルクリウスの加護ですか!


 マージェリー・ミケルセンの持つ才能の中で最も素晴らしきは、その身に宿す七つの魔術属性である。


 魔術には三つの系統とは別に七つの属性があり、パテル陽光ヘリオス異邦人ペルセス獅子レオ兵士ミリス花嫁ニュンフス大鳥コラクスの七つに分けられた属性には、それぞれ対応する星の加護が与えられている。


 マージェリーが発動したのは第三属性の異邦人ペルセス。象徴は鋏と鎌、あらゆる不義を分かつ水星メルクリウスの加護を授かることができる。


 だが、その光の束は先程の火球に比べると随分と緩慢な動きとしてシャロンの目には捉えられた。例え先頭に不慣れなものであっても、十分に視認可能な速度だった。


 ――遅い。所詮こんなものですか。


 だが、マージェリーの意識は未だ集中した状態からは解かれていない。


「――散りばめよSparpagliato!」


 短い叫びと共に、マージェリーが開いた拳を握り込む。刹那、光の束はシャロンの眼前で自ら弾け飛んだ。


「な――っ」


 弾けた光は無数の球となり、四方八方へ高速で飛び散る。光の球がぶつかった場所は石柱であっても削れて丸いあなを穿たれる。人体に当たれば無事では済まないことなど、言うまでも無いことである。


 ――点では駄目だった。ならば面での制圧はどうかしら!


 だがそれでも、シャロンの余裕は揺るがない。


 近付く光球はシャロンの傍から立ちどころに消え失せ、最初の一発が軽く頬を掠めただけで終わった。


 微かに垂れた血を拭い、シャロンが微笑む。


「……これも駄目なの……!?」


「何です、大口叩いてその程度ですか」


 ぱちん。


 シャロンが指を鳴らすと、広間の中へと大勢の人間が入って来る。


 修道服に身を包み、聖典を手に持つ彼ら彼女らに、マージェリーは確かに見覚えがあった。


聖歌隊コーラル……緑の歌うたい!」


 ――マズい。術式使えないんじゃこれは圧倒的に不利!


 ざり、とマージェリーの足が一歩退く。そしてその後退は、万の言葉よりも雄弁に、彼女の不利をその場全員に伝えていた。


 さながら指揮者の如くに、シャロンが腕を振り上げる。


「讃美歌二十五番『慈雨は涙の如くに』、斉唱!」


「――――――――。――――。――――――――」


 シャロンの指揮に合わせて、聖歌隊コーラルは歌う。高らかに、涼やかに、淀みなく、喉を震わせ旋律を奏でる。そしてその旋律に鼓動する様にして、大広間の天井には巨大な光の渦が逆巻き立ち込める。


 それはさながら、嵐を呼ぶ積乱雲が如し。


 光の渦から光の豪雨がマージェリーとヘンリエッタへ叩きつけられるのに、マージェリーの魔力障壁が間に合ったのは、今までの経験による刹那の判断の成果であったろう。


「くっ――!」


 ――分かっちゃいたけど何て重さ! 出力が尋常じゃない……!


 聖歌は歌であり、巨大な術式の詠唱でもある。一人では到底御しきれない大きく複雑な術式であっても、数十人から数千人の規模で詠唱し制御すれば易々やすやすと発現することができる。


「どうしましたどうしました? まるで児戯、赤子の戯れではありませんかマージェリー・ミケルセン! 稀代の天才魔術師とやらも、蓋を開ければ他愛なし! やはり貴女は手足を捥いで――」


 シャロンが天井を指すと、天井に再び膨大な魔力が集まり始める。


「顔も潰して袋に成るのが似つかわしいッ!」


「こンの……!」


愚妹マリーッッ!」


 進もうとしたマージェリーの襟を、ヘンリエッタが掴んで止める。次の瞬間、マージェリーが進もうとしていた前方を降り注いだ光の柱がし飛ばすのが彼女の目に映った。


「一旦退くわ、仕切り直すわよ」


「…………チッ、分かったわよ!」


 マージェリーが頷き、中空へと素早く文字を描く。


「我が指先は常世とこよしるし。我が言葉は現世うつしよを渡る歌。の意、の望みに応えるならば示せ。

 止めよ、止めよ、止めよ、私の目を、耳を、鼻を、肌を通り抜ける全てを、静かに強く押し留めよ。今一度、私の姿と私の時に、零れる砂の落ちるいとまを――!」


 かちり。


 マージェリーの術式が発動すると同時に、世界は灰色に染まる。光の雨も光の柱も、シャロンの動きも聖歌隊の動きも、凍り付いた様に止まっている。


 世界は静止していた。凍り付いた様に、まるで最初から一枚の絵画であった様に。


 けれども、溶けない氷はここに無い。この世界は絵画ではない。


 時は動き出す。思い出した様に降り注ぎ始めた光の驟雨しゅううは、マージェリー達のいたところを跡形もなくし飛ばし、轟音と煙が辺りを満たした。


「……~~ッッ、フィニィィィイイイイイッッッッシュゥウウウウウッッッッ!!!!!」


 脳漿が空の彼方へ弾け飛びそうな愉悦と絶頂を憶えながら、シャロンが天を仰いで勝利のときを上げる。一通り叫び終わると、込み上げてくる嬉しさと可笑おかしさをこらえ切れずにげらげらと腹を抱えて嗤い転げ始めた。


「ケハハハハハッ!!!! ケケケケケケケッッ! 無様無様、何とも何とも他愛なし!

 祈りを怠る者の、信仰を穢す者のわざくも脆く儚い!

 卑しくも私の先生を誘惑した下賤で浅ましい雌豚メスブタがぁ! 調子に乗って醜く騒ぐなど聞くにえません!」


 嘲笑と罵詈雑言を浴びせ続けながら、シャロンが煙の中へと近づいていく。


 一頻ひとしきり嗤い終わった彼女の頭は、今や急速に冴え始めていた。


「んん……色々思い出していると腸が煮えくり返る心地ですね。やっぱり二人とも念入りに殺しましょう。

 特に雌豚マージェリーの方は心臓と肺だけ癒しながら、生きたまま薄汚い子宮を引きずり出して夜明けの光にさらしてあげましょう。

 先生は怒るでしょうが、獣姦は最大の禁忌の一つです。人のフリをして先生を惑わす雌豚メスブタはらわたを見せれば、きっと先生も最後には分かって――」


 煙の中央……本来二人のいた場所へと、シャロンが辿り着く。


 しかしそこには、本来ある筈の二人の姿はどこにも無かった。血痕も無く、死体もなく、魔力の残滓も今は見えない。全く逃げ出す暇は無かったにも関わらず、そこから二人は消えていた。


「…………チッッ、しぶとい雌豚ですこと」


 苦々しく、シャロンが舌打ちする。


 曲がりなりにもマージェリー・ミケルセンは天才だ。と捉えなければ危険である。


 つまり、二人はこの脱出不可能な広間から逃げおおせることができたと考えて行動すべきだということを、シャロン・アビゲイル・バロウズの経験は物語っていた。


 この戦いに、まだ決着は着けられていない。

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