第三十三話 呪いの子④

 呪いの子。


 ミケルセン家の第四女は、兄弟姉妹から陰でそう呼ばれている。無論、そう呼ばれている事は彼女本人も存じている。


 未だ僅かに三代限りの血であれど、ミケルセン家は魔法の成就を一意に目指す魔術師の家系である。


 一族が目指すのは銀行業の興進などではなく、偏に時を操っての世界の理解と掌握のみ。故に一族の長となるべき者は、金策に優れた者ではなく魔術師としての素養を強く持った者となる。


 原則として、魔術師の素養に男女は関係無い。


 魔術回路という本来人には備わらない器官を僅かに女の方が備え易いということ以外には、優劣と呼べるものは無い。


 だが、魔術師として男女が平等である事と、人々の認識としての男女が平等である事は話がまるで別となる。


 一族の長となる者は男子であり、女は男の後ろをついて行くもの。魔術師の家系であるミケルセン家であっても、その伝統は三代守られ続けていた。


 ……凡そ人からは呪いと呼ばれて然るべき、怪物の如き天賦の才を備えた女子がこの世に誕生した日までは。


 通常であれば一つから三つしか持てない魔術の属性を七つ持ち、常人の三倍以上の効率と容量で全身を周る芸術の様な美しい魔術回路を備え、五度目六度目の受験は当たり前の魔術師協会の入会試験を実技だけで一発合格した才女。


 少女は名を、マージェリー・ミケルセンと云う。


 そしてその日は、男子全員が我先にと少女の命へ手を伸ばす、血生臭い共喰いの歴史が始まった日でもあった。



「…………」


 時は三日前。


 扉の外で男がこちらを見張っている気配を感じながら、ヘンリエッタ・ミケルセンは物憂げに窓の外を見つめていた。


 聖帝国の中で指折りの富裕層であるミケルセン家の邸宅では、どこの窓にも硝子ガラスがはめられている。しかし硝子一枚隔てた外の世界へは、どう足掻いても自分の力だけで出られそうにはない。


「鳥籠の中の鳥ってのは、多分こんな気持ちなのかしらねぇ……。ペットも飼いづらくなるわ」


 誰かに言い聞かせる様に、ヘンリエッタがぼやく。


 ミケルセン家は現在、勇者ユークリッドと『緑の歌うたい』による事実上の占領下にある。


 マージェリーがこの家を飛び出した翌日、彼女の許嫁であるユークリッドはこの屋敷へとやって来た。


 誰も警戒する筈は無い。彼は既に許嫁であり、云わば家族の一人と呼んで差し支えないものであったのだから。


 ――だけど、ユークリッドあいつは殺した。お父様を私達の眼前で。


 家長であったヘンリエッタ達の父親、ザイドリッツ・ミケルセンは既にこの世にいない。残るミケルセン家の女全員の目の前で、ユークリッドは彼の頭を魔術で撃ち抜いたのだから。


〈――よく聞け、女ども。おれはユークリッド・【ヴェール】・ビリティス、新たな世界を創る者だ。

 おれはお前たちに手は掛けない。お前たちに目を配らない。お前たちを欲したりしない。

 お前たちは小鳥を誘う餌に過ぎない。餌は決まった処に置かれ、存分に香り、舌で蕩けて相手を縛らねばならない。

 小鳥が必ず戻るよう、小鳥が彼方へ移らぬよう、おれはお前たちに静止と静観を望む。おれが望むは。全てが終われば、晴れて自由だ〉


 それ以降、ミケルセン家の人間は全て別々の部屋にて監視に置かれている。移動の自由はなく、事実上の監禁に近い。


 自由を奪われた鳥籠の生活は、既に五日目に入っていた。


「何もせず、何も関心を払わず、ただ傍観を決め込めって訳ね。ラヴィニアお姉さまやマルティナティナなら簡単かもしれないけれど……」


 ――大体、その「全てが終わる」ってのがどうにも引っかかるわね。


 ヘンリエッタが立ち上がり、窓の外を見遣る。


 その行為自体に不自然なものは無い。この部屋ではヘンリエッタが集めた書物を漁ることと、窓の外を眺めることくらいしか無聊の慰めとなるものは無い。


 この日ラヴィニアが窓の外を見たのはただの日課の一つであり、ただの何気ない偶然による行為であった。


 しかしその景色は、四日目までに見たものとは少し様子が違っていた。


 庭から玄関にかけて、幾人もの人が集まっている。何か大きな出来事が起きているのか、こんな景色は今までに見た事がなく、彼女はそれを不審に思いながら見つめ続けていた。


 ――何だか外が騒がしいわね。一体外で何が……?


 そう訝ったヘンリエッタの目に、一人の少女の姿がちらりと映る。


 ユークリッドから、バンコーと呼ばれる男へと渡された少女。かつて覇気に満ち満ちていた双眸からはすっかり生気が抜け落ち、傷ついた身体に力は無い。


 その少女に、ヘンリエッタは確かに見覚えがあった。


「……マリー?」


 マージェリー・ミケルセン。


 当代一の魔術師と謳われ、次期当主の座をほしいままとし、父母からの寵愛と兄弟姉妹からの怨みをただ一人にて独占していた妹。


 どれだけ辛い目に遭ったとしても決して自信を失わず、世界一の魔術師になると云う夢を抱き、ただひたすらに覇道を駆け足にて突き進む少女おとめ


 そんな在りし日の彼女の姿は、今や何処にも見当たらない。


 ――まさか捕まっていたなんて……。でも、あの子には確か護衛がいた筈……。


 はっと、その時ヘンリエッタは息を呑んだ。何気なく頭の中に浮かべた彼女の言葉に、彼女自身が強く驚いていた。護衛の女、という言葉に。


「…………誰だったかしら、あの子の護衛って……」


 溢れ出した思考は止まることを知らない。まるで染みの様にあらわれたその違和感は、留まることなく脳髄の隅々にまで拡がっていく。


 ――護衛? 何から護るために? 女子はマリーにだけ護衛がいたけど何故?


 ミケルセン家の男子には、当然護衛は幾人かついていた。だが女子はマージェリー以外に護衛はついていない。


 男子全員が死んでいる今、護衛付きの家族は彼女だけの筈なのだが、その護衛が誰なのかがヘンリエッタはどうしても思い出せなかった。


「一体、誰から護る為にお父様は護衛をつけたのかしら」


 仮に護衛が実在すれば、と仮定して、ヘンリエッタは思考を続ける。


 どうせ手持ち無沙汰の身なのだ、手慰みの一つとして思考してみるのも面白かろうと彼女は思っていた。元々こうした推論や実験は彼女の好くところである。


 四日前に凶行へとはしったユークリッドを除けば、ミケルセン家へ牙剥く者など居はしない。


 飛ぶ鳥落とす両替商。寄付であれ貸し付けであれ、ミケルセン家は戦時中も平時も、教会へと莫大な額の金を与えている。


 例え魔女狩り部隊イノケンティウスであっても迂闊に手が出せない。それは暗黙の了解として聖帝国全土へ広まっており、暴力や権力に並ぶ経済力と云う絶対的な力で以てミケルセン家は自らの安全を保障していた。


 マージェリーをミケルセン家の者と分かった上で危害を加えるなど正気の沙汰では考えられない。


 だからまず考えるべきは、外ではなく内。つまりマージェリーに家督を奪われた、そして今は既に故人となった、五人の男子へと目を向けるべきである。


「……妙ね」


 違和感は、再びその色を濃くしていく。


 五人の兄弟が既に死んでいることは憶えている。しかし彼らが、それをヘンリエッタはどうしても、ただの一人も思い出すことができなかった。


「妙ね、絶対に変だわ。お兄様たちは何故亡くなったのかしら。身内の死因が思い出せないなんて、そんなことある筈が無い……!」


 ペンと羊皮紙を取り出し、ヘンリエッタが今までに死んだ兄弟とその年を走り書きしていく。


 羊皮紙であれ木製紙であれ、紙は依然として高価なものである。ミケルセン家とは言えそれほど気軽に使い倒せるものではないが、ヘンリエッタは思考したことをまず紙に書く事を習慣としていた。そのままでは霧の様に混ざり合って立ち消える思考の渦も、紙に記せば明確な情報として俯瞰することができる。


「五男のフーコーが亡くなった二か月後に次男のグリムウッドお兄様が亡くなって、その半年後に四男のアグロヴァルと三男のグリシャお兄様が同時に亡くなっているわ。長男のアルカトラズお兄様が亡くなったのは四人が亡くなって一年後……。

 弔いには全て参列した筈なのに死因に心当たりが無い。これは恐らく私の問題じゃない……!」


 びり、と羊皮紙を千々に破いて棚の中に隠し、ヘンリエッタが今度は本棚へと飛びついて片端から自分の蔵書を漁り始めた。


 活版印刷が出回り始めたとはいえ、紙が高価な以上、本はまだまだ高価なもの。持っているだけで財力を示すものとなり、ヘンリエッタであっても持っているだけで読まずに本棚の賑やかしとしている本は大量にあった。


 まず当たり始めたのは、聖帝国の歴史書と年表。


「これだけ多くの人が同時期に亡くなってるんだから、まず考えられるのは疫病。けれどこれまでに貴族階級がバタバタ死ぬ程の疫病の大流行があった記憶は無い……やっぱり無いわね。次に考えられるのは大戦の徴兵による戦死かしら」


 散らかした本もそのままに、ヘンリエッタは別の本棚へと移り再び本を漁って目を通していく。時折元いた机へと戻って手紙や文書の山を掻き分けて、ヘンリエッタは手際よく必要な本と書類を選り分けていった。


 選り分けたものへと一通り目を通して、ヘンリエッタが小さく嘆息する。


「やっぱり誰も徴兵されていない……当然ね。

 ミケルセン家うちは端くれとは云え貴族だし、兵役は免除されているもの。それにそこまで立て続けに死ぬほど、ヤワだった記憶も無いし……痛ッ」


 しゅっと素早く紙の断面がヘンリエッタの親指の腹を滑り、小さく赤い点が広がっていく。


 それが自分の血であることに気付き、思考していたある事柄に気付いた時、ヘンリエッタは目を丸くして短く息を呑んだ。


「……まさか……私の忘れたマリーの護衛に、全員殺された……?」


 ごくり、とヘンリエッタが生唾を呑み込む。自分の出した推論によって、背中に冷たいものが走るのを彼女は感じていた。


「お兄様たちが、護衛のたった一人に……?

 いいえ、でもそう考えれば全ての辻褄は合うわ。マリーはお兄様たち全員から厄介やっかまれてたし、食事に毒も盛られてた。……別荘が爆破されたこともあったかしら。どういう訳か、マリーは必ず生き残ってたけど……」


 血の出た指をヘンリエッタが噛み、血の味を確かめる。


 一つ一つの記憶を手繰っていけば、なるほど確かに兄弟以外にマージェリーの命を狙っている者は有り得ない。


 全員がその護衛によって殺されたとなれば、自分がその護衛を忘れたことによって人物にまつわる記憶……つまり兄弟が殺されたという部分が抜け落ちているのだろうとヘンリエッタは結論付けた。


「……今ので確信になったわ。私の忘れた誰か……マリーの護衛は、マリーを護ってお兄様たちを殺している。

 そしてその護衛は現在、少なくともミケルセン家の人間の記憶からは消えている筈。加えてマリーのあの顔……」


 ヘンリエッタが再び、窓の方を見つめる。そこで考えていたのは、他ならぬ妹のことであった。あの憔悴しきった抜け殻の様子は、間違いなく只事ただごとではない。


 少なくともユークリッドがただ許嫁を連れ戻したという風には、ヘンリエッタには到底見えなかった。


 ――マリー、貴女一体、誰と何をしていたの?


 今この段階では、妹が何をしていたかのをヘンリエッタは知る事もできない。


「多分、マリーの護衛の記憶が無くなっていることとユークリッドたちの企みは繋がってる。調べる価値はありそうね」


 窓に映る遠景へと目を移しながら、ヘンリエッタは静かに思考を再開した。


 彼女はヘンリエッタ・ミケルセン。ミケルセン家の次女にして、帝国国立図書館の司書。


 マージェリーと違って、彼女に魔術の才能はまるで無い。そもそも魔術回路自体が身体に宿っていない彼女には、正面切ってユークリッドと戦う力は無い。


 けれどそれでも、ヘンリエッタ・ミケルセンにはマージェリーにも引けを取らない武器がある。


 人呼んで『安楽椅子のヘンリエッタ』。人並外れた知識と理論と推理力、灰白色はいかいしょくの脳髄ひとつで、彼女は一人静かに勇者との戦いを始めた。

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