第三十一話 呪いの子②

もう遅くなった。

ほら、青蛙たちの歌が

夜とともにはじまった。

かあさんは絶対に信じないだろう、

私がこんなにも長い間、

失くした帯を探していたなんて。

(『ビリティスの唄』第一部より――)



「聖女コーネリアの血液一リットル。確かにお届けしましたよぉ」


 鈴の様な澄んだ声と共に、放られた革袋が薄闇から現れる。放物線を描いてユークリッドの方へと迫るそれは、彼の手前で空間へ縫い付けられた様に静止した。


存在ウーシア】。認識したものの存在を自在に操る、ユークリッドの魔法である。生物には触れねば行使できないが、無機物であれば可視範囲に認めるだけでも十分に操ることが可能である。


 その場に存在を固定された革袋は、まるでそこに静止しているのが当然であるかのようにそこに在った。


「ご苦労だったね、ニケ。確かに受け取ったよ」


「全く、人遣いの荒い魔法使いさんですねぇ。私でなければこんなに早くは着きませんよぉ?」


 一拍置いて、日暮れの薄闇の中から声の主が姿を現す。


 声の主は女だった。歳は二十を半ばに迎える頃だろうか、白陽金十字きょうかいの紋が入った黒い修道服の間から覗くのは、紺色の髪と真っ白な肌、そして血の様に怪しく煌めくガーネットの瞳。背中には細い槍を背負っており、左手薬指以外の指には全て銀の指輪を填めている。


 彼女の名はニケ・カヴァリエーリ。太陽教会の大公領支部に所属する修道会『セント・シモン修道会』の長にして、教会の暴力装置『魔女狩り部隊イノケンティウス』のである。


「さて、早速ではあるけれど中身を検めさせて貰うよ。あの雌犬イシュタリアのことだ、尤もらしいことを並べながらその辺の女の血を送ってきていても不思議じゃない」


 ユークリッドがぶつぶつと呟きながら、静止した革袋を開いて中身を確認する。


 革袋を揺らしながら見た目を確認し、手であおいで香りを確認し、指につけた血をめて味を確認する。暫く考え込んだ後で、ユークリッドは満足そうに一度頷いた。


「……うん、間違いなく聖女の血だ。イシュタリアには感謝していると伝えてくれ」


「うわぁ。女の血を舐めて味で検分って、それもうド変態の所業ですよぉユークリッドさん。だから女にモテないんです」


「変態なのものも、どれも君が言えた事じゃないな」


 ちらりとニケの背後にある闇へと目を向けて、ユークリッドが僅かに眉根を寄せる。


 暗がりの中には、幾人もの死体が山となって積まれていた。


 死体はどれも手足が複雑に折れ砕け、およそ満足に人の形を留めているとは言い難い。まるで極限の無理を強いられたかのようなグチャグチャに潰れ砕けた肉の塊が、そこに積まれていた。


 当然、それはミケルセン邸に元からあったものではない。


「……相変わらず、趣味の悪いことで」


「あら、折角異教徒の皆さんに失礼ですよぉ?」


 ニケが二度拍手をすると、死体の山の陰からふらふらと誰かが歩いてきた。こちらへと近づいてくるにつれて、それがまだ年若い少女であることが分かる。


 歳はじきに成人、十四か十三といったところだろうか。小柄な身体にはかなり上等な衣服を纏っており、香水が振ってあるのか花の様な香りがふわりと香っていた。


 金色の髪は念入りに洗髪がなされており、顔には薄く白粉も打ってある。どこに出しても問題の無い身綺麗な出で立ちだが……


「あ、あ、あ、あうあ、えう、い、ニ、ニ、ニケ、さま」


 だらだらと涎を垂らしながら、話すというよりも喉から洩れるという方が近い形で、少女は言葉にならない音を発する。青い瞳は左右で向いている方向がバラバラであり、身体は時折魚の様にびくびくと強く痙攣していた。


「ニケさま、ニケ、さま……」


「よしよし、可愛いですねぇ。わたくしの事は好きですか?」


「すき、すき、すき、すき…………」


「んん~~! 可愛いですねぇ! やはり女の子は十四歳までが花ですねぇ。勿論例外はありますが」


 少女を抱きしめて、ニケが何度も何度も愛し気に頬ずりをする。しかし少女の方には目立った反応は見られなかった。


 時折痙攣しながら、うわ言の様にニケの名前を喉から漏らしている。


 少女の状態は、どう見ても正常なものとは言えないものだった。生きているのか死んでいるのかさえ、傍目には判断が難しい。


「この子はカルラ・イェルネフェルトちゃんと云ってですねぇ。一月ひとつきほど前、異教徒げっこうの村を滅ぼした折に連れてきたんですよぉ。

 毎日毎日、ママ、ママ、お姉ちゃん、お姉ちゃんって可愛い声で泣いていて……わたくしを血走った可愛いお目々で睨んで……。

 それを見てわたくし、嗚呼、とてもとてもたかぶってしまいまして」


 ぎゅっと、ニケが強くカルラの身体を抱きしめる。


「十日ほど時間をかけて丁寧に丁寧にをさせて……四十三番目のお嫁さんにしてあげたんです♡」


 カルラの身体が一際強く痙攣し、口元から涎が垂れる。零れた涎をニケが舌を伸ばして舐め取り、ゆっくり味わってからごくんと音を立てて嚥下する。


 ぽっとニケの頬が上気し、とろんと蕩けた恍惚の表情を浮かべた。


「んん……甘くて美味しいです。果物だけ与えて一週間飼い続けると、女の子はとっても体液が甘くなるんですよ。マージェリーちゃんには果物をあげてますか?」


「さあ? 食事はバンコー達に任せてあるから、そこまでは知らないね。はおれではなくクラリスに振るべきだろう」


 次の瞬間、そう言ったユークリッドの鼻先へと、ニケの指先が突き付けられた。


「駄目ッ! ダメダメダメダメダメダメ! 駄目ですよユークリッドさん!

 マージェリーちゃんはあなたの妻になるのですから、食べるものはぜぇーーんぶ管理して綺麗に綺麗にしてあげないと駄目駄目駄目です!

 それができないならぁ~……」


 ずい、とニケがユークリッドの方へと詰め寄る。その瞳孔は開いており、まるで蛇の様にユークリッドの方をめつけていた。


 彼を指す指には、銀の指輪がぎらりと煌めいている。


「マージェリーちゃんを連れて行って、わたくしのお嫁さんにしちゃいますよぉ?」


「…………」


 到底冗談とは思えない、ニケの言葉と視線。


 その視線から逸れる様にして、ユークリッドはカルラと呼ばれた少女の方を見た。


 ――母親を天国に、ね……。


「すき、すき、ニケさま、ニケさま、すき……」


「……何が妻なものか、お前のはただの奴隷だ。おれのになるか君のになるか、大した違いはなさそうだけどね」


「……はぁ??」


 凍てつく氷河の様な、あらゆるものを拒絶する声色。


 ユークリッドから離れて引き続きカルラを愛でていたニケの動きが、一瞬ぴたりと止まった。


「…………奴隷だと。そう仰ったのですか。カルラちゃんはわたくしのお嫁さんではないと?」


 ぎりぎりと、ニケがカルラの身体を抱きしめる腕に力を籠める。際限なく強まり続ける力に耐えかねたカルラの身体から、ばきばきと厭な音が立ち始めた。


 やがて上半身のあちこちが明後日の方向へと折れ曲がったカルラの身体はニケの腕から滑り落ち、びくびくと細かく痙攣を始めた。


 しかしニケの目は、もはや塵ほどもカルラの方を向いてはいない。


 ユークリッドによって触れられたくない部分を強く触られたニケの心は、文字通りの一瞬で煮え滾る様な怒りで満たされていた。


「あっあぁっあっあっ、ニケさま、ニケさまっあああっあっあっあっ」


「訂正して下さい。わたくしの【愛】を否定すること、わたくしの信心に疑問符をつけること、例え勇者であってもゆるしませんよ」


 こつん、とニケの爪先つまさきに何かが当たる。限界まで苛立って我を忘れていたニケは、反射的に足を振り上げてそれを。ぐちゃりと湿った重い音が鳴り、ぱたぱたと飛沫が頬に飛び散る。


 例え勇者であっても容赦はしない。その言葉に嘘は無い。


 真っ黒な殺意で塗り潰した様な据わった光の無いニケの瞳と、何を考えているのか分からない嘘臭い瞳がぶつかり合う。永遠にも等しい数秒の睨み合いの後で、ユークリッドは観念したようにゆっくりと瞼を降ろした。


「……悪かったよ。君のそれは愛だ、撤回するよ」


「うふふっ、分かって頂けてとっても嬉しいです♪ ……おや?」


 怒りが収まり正気に戻ったニケの足元に、何かの違和感が伝わる。ゆっくりと足元を見て、足元で潰れているモノが何かを理解した時……彼女は悲鳴の様に鋭く短く息を呑んだ。


「まあ……まあまあまあまあ! カルラちゃんが、わたくしのカルラちゃんが物云わぬ肉片になっているではありませんか!

 赦せません……! 何度、何度、何度……一体どれだけ愛する者を奪う御積もりなのでしょうかッッ!」


 奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、ばりばりと頭を掻き毟りながら、ニケが何度も何度も地団駄を踏む。


 踏みつける度に血や肉が辺りに飛び散り、ニケの顔や修道服を濡らす。やがて飛び散った血が口へと入り、その血を嚥下して――程なくニケの意識は突如として正常に引き戻された。


「ふぅうううぅう─────」


 大きく息を吐き出して、ニケが静かになる。


 落ち着く、というよりも我に返るという表現が正しい様な豹変。その態度の変貌はユークリッドにも通ずるところがあった。


「……まぁいいでしょう。ということですね。だってだって、この子に真実の愛があったなら、決然きっと二人は分かたれなかったでしょうから。例えばそう、わたくしと先輩の――」


 そこで、ニケ・カヴァリエーリは初めて言葉に詰まった。


 先輩。その言葉がどこから出てきたものなのか、誰を指しているのか、どうしてその言葉を用いようと思ったのか……彼女はどうしても思い出す事ができない。


「……先輩って、誰のことでしたっけ。そう言えば、どうしてわたくしはここへ来ようと強く思ったのでしょうか……? 明瞭はっきりと思い出せません。どうにも腑に落ちないのです」


「おれが知る筈無いだろう。終わったなら死体を持ってさっさと帰れ」


「はぁい、分かりましたよぉ」


 ぱちん、とニケが指を鳴らす。


 その音を合図として、屋敷の周りからぞろぞろと幾人もの人影が現れた。闇の中ではっきりとは見えないが、子供の様な小さいものから七キュビット(※約二・八メートル)を越える巨躯の者までばらつきがある。


 どれも兵士の様には見えず、まるでその辺りの村や町から拾ってきた様な者ばかりであった。


 その内の最も大きい男をニケが指さすと、男は四つ這いとなり彼女はその背にふわりと飛び乗った。その身のこなしにぎたちない部分はどこにもなく、彼女が戦闘部隊であることを雄弁に語っている。


「さあ、頑張りましょうね異教徒の皆さん! 頑張る皆さんのことを、わたくしと神様はしっかり見てますよぉ!」


 背に負っていた槍を、ニケがすらりと抜いて構える。


 其は、太陽教会の秘蔵する七槍のひとつ。


 穂も拵え、柄や石突に至るまで全てが純白の槍。雲の切れ間から覗く月明りに照り輝くそれは、人界にある武器の中でも最も美しいものの一つとされていた。


「――『いと高き天、十三の冠、眼下に映るは三十万余の白き軍勢。雨の様に歌い、風の様に駆け、いかずちの様に罰し、光の様に笑う刃たちよ。血肉を脱ぎて我が穂につどえ』【ブリュンヒルデ】」


 ずぶり、と音を立てて、男の背骨へとニケが白い槍――ブリュンヒルデを突き立てる。槍の穂がしっかりと刺さり、固定された後、真っ白な槍には幾筋もの赤い光の筋が走り、男の巨躯を瞬時にむしばんだ。


「オオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」


 大地が震える様な、人の限界をとうに超えた大きく重い咆哮が男から発せられる。


 その咆哮をときとして、辺りに控えていた他の者たちは一斉に動き始めた。山と積まれた死体へと我先に向かい、食らい付き、咀嚼もそこそこに飲み下しては次の肉へと手を伸ばしていく。


 一見すればエヴァ・テッサリーニの使っていた降霊魔術ネクロマンスによる精霊憑きの様にも見えるが、唯一にして余りにも大きな違いが二者には介在する。


 つまり、精霊憑きは死人に精霊を憑けて動かしているだけだが、ブリュンヒルデで動かしている人間は


 太陽教会中央管財課の記録によれば、ブリュンヒルデの権能は『信仰の顕現』。突き刺して魔力を通した生物の脳に干渉し、意のままにする事ができる。それまでの意思に全く関わらず、相手を神と太陽の手先へと変えられる権能が、この槍には与えられていた。


「ほら、行きますよぉ。力の限り走りなさい。死ぬまで走りなさい。死んでも走りなさい。いいから早く走れ」


 ぐり、とニケが刺さったままの槍を捻じると、男が緩慢な動作で向きを変え、大きく一度息を吸い……猛烈な勢いで走り始めた。


 男に倣うようにして他の者たちも一斉にニケを追って駆け出し、辺りに轟音と砂埃を撒き散らしながら強制された行軍スタンピードが始まった。爪が割れても骨が砕けても、その列から外れることは死んでも適わない。


 次第に小さくなっていくユークリッドの姿へ、ニケは大きく手を振った。


「おらばです、ユークリッドさん! 出来ればもう会いたくないですけど!」


「……おれだって会いたかないよ、ゲテモノ趣味の変態め」


 手を振り返すことなく、ユークリッドは踵を返して屋敷の方へと向かう。扉を開けて控えていたバンコーへと血の入った革袋を預け、一度も立ち止まることのないまま彼は早足で歩き続けていた。


 聖女の血を手に入れた今、この二日で概ねの準備は整った。後はただ、魔王を待つだけである。そんな彼が次に向かう所は、ミケルセン邸では一つだけである。


「小鳥の様子を見に行こうか。妻の様子を診てやるのも、夫たる者の務めだからね」


「御意のままに」


 愉しみ、という感情は欠片も籠っていない言葉をバンコーへと投げかけて、ユークリッドは地下へと繋がる階段へと足を進めた。

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