第二十話 謀反と誅伐②

 重い音を立てて、クリフの剣とハイネの拳がぶつかり合う。


 ハイネの義手は大業物、最上大業物のダーインスレイヴとも打ち合える。まして『ヤーングレイブル』は遥か太古の鍛冶たんや達が作り出した名物の一本。魔剣が相手でも互角を張る事は可能である。


 少し動けば触れ合える距離で、二人が睨み合う。


 その瞬間、ハイネの全身に、沸き立つ様な興奮が駆け巡った。


「……いい! 実にいい! 最高だぞお前!」


 ゆっくりと、ハイネが舌を伸ばす。


 べろりと舌なめずりをして、湿った音を立てながら彼女は牙を見せて笑った。


聖堂ここから出ろ、女。二人の決闘を穢すな!」


「……厭だと言ったら?」


「ならば、腕づくにて!」


 ぱっと、クリフが長剣から手を離す。それまで均衡を保っていた力のバランスが急に崩れて、ハイネの体勢がぐらりと傾いた。


 ほんの一瞬、ハイネの動きが止まる。その隙こそがクリフの狙いだった。


 自由になった両手が伸び、ハイネの襟を掴む。刹那、まるで地面に縫い付けられた様に、びたりとハイネの身体は動かなくなった。


「なっ――」


 ――赤の躰術、やわらが三……!


「『落葉らくよう』ッッ!」


 素早く低く身体を回転させて、クリフがハイネの重心を崩す。ハイネの身体がふわりと浮き上がり、そのまま投げ飛ばされた。


 宙を舞うハイネの身体をクリフが追い、再び捕らえては投げ飛ばす。


 ハイネの身体はまるで木の葉の様に三度方向を変えて空中を彷徨い、とどめに入れられた鋭い蹴りによって、真っすぐ聖堂を飛び出した。


「ふぅーー…………」


 大きく息を吐き出しながら、クリフが長剣を拾い、短剣を抜く。足早に聖堂の中を突っ切り、ハイネの下へと向かう。


「立て、女。立って名乗れ。俺と戦え。お前は――」


 鋭く、そして正確に。クリフがハイネに剣を突き付ける。


「お前は、俺が倒す!」


「……いいねぇ。アタシを投げ飛ばす奴なんて、イシュタリアの姐御だけだと思ってたけど」


 ゆらりと、ハイネが立ち上がる。


 彼女の身体にダメージは殆ど見られない。蹴りを入れられた際にハイネが限界まで脱力して、飛ばされた先で完璧に受け身を取ったのをクリフは見た。


 魔術師では到底考えられないほどに、深い深い武術の心得がある。この一瞬のやり取りでそれを読み取り、クリフは剣を握る手に力を籠めた。


 ――突入がほんの少し遅れていたら、マージェリーは瞬殺だったな……。


 言葉以上に、触れ合いは莫大な情報を伝え合う。


 ハイネの膂力、ハイネの技、ハイネの経験や癖までも、クリフには伝わる。


 そして伝わっているのは……決してクリフだけではない。


「今喰らって分かったぞ。その技、赤の躰術だろう。同じだ同じ、あの『鉄血の女神』と同じだ!」


 にやりと、ハイネが牙を剥きだして笑う。


 ハイネの両腕に緑色の魔力が走り、クリフの双剣も赤い魔力を帯びる。


 びりびりと大気を震わせる殺気を放ちながら、クリフが口を開いて言葉を紡ぐ。


「我が声を聞け、女。

 俺は元『緋色の戦斧』大隊長、英雄を捨てた者、魔王ノエル・【ノワール】・アストライアが同胞、クリフ。

 勇者ユークリッドを殺すために、マージェリーの決闘を穢さぬために、俺はこれよりお前を殺す」


「……クリフ。クリフと言えば、大戦の英雄じゃないか! そういやまだ! 今日のアタシは実に運が良い!」


 ごきんと、ハイネの拳が鳴る。


 大戦の英雄、クリフ。大戦に参加して血と泥を啜った者であれば、その名を知らぬものはいない。


 或いは恐ろしき殺戮者として、或いは戦場の御伽噺として、兵士はその名を耳にする。


「ならば元英雄、アタシの声を聞け。アタシは『緑の歌うたい』第二席、鏖殺おうさつする肉食獣、『鉄槌の青嵐』、ハイネ。アタシはこれよりお前を殺す。残りも全て平らげる。ッッ!」


 両の拳を握り込み、ハイネが最初の一歩を踏み込む。次の瞬間にはクリフを間合いに捉える距離まで肉薄し、神速の一撃が迫る。


 ――はやい!


 一瞬ためらうだけで生死の決まる、刹那に活殺が踊る時間。


 しかしハイネと違い、クリフの動きは緩やかだった。


 短剣の刀身側面がハイネの腕に押し当てられ、打撃の軌道が僅かに逸れる。軌道のずれた拳が、クリフの髪を僅かに掠めて飛んでいく。


 ――おお、これはまた珍しいのを。


「シッ――!」


 間髪入れずハイネが体勢を立て直し、跳び上がって足を振り抜く。受け流しは間に合わない。蹴りというよりは斧の一撃にさえ思えるその一撃を、クリフは紅い光を放つ右腕で防御した。


 みし、と骨の軋む音と鈍痛が、クリフに伝わる。


 ――魔力も込めずに何て重い蹴りだ!


「……いいねぇ。アタシの初撃で潰れなかったのは大体二百人ぶりだ」


 糸の様に細く細く目を細めて、ハイネが微笑む。


 根本的に、魔術と接近戦は相性が悪い。


 魔術の行使に必要な段階は三つ。「照準」「詠唱」「発動」の三段階を踏むことで、大方の魔術は行使できる。


 しかし、先の二つのうちどちらかを潰されれば発動できないという致命的な弱点があるため、至近距離まで肉薄されれば自然魔術や降霊魔術はもう使えない。


 その為近接戦闘で使えるのは、単純な魔力操作と刻印魔術のみに限られる。


 一瞬で回せるだけの魔力を込めてクリフが防御したにも関わらず、身体にダメージを通す生身の蹴り。もろに受ければ身体が砕けるのは必至である。


「先の大戦では掛け違ってついぞ出会えなかったが、いやはや星の巡りは恐ろしいねぇ! こんなところで真の強者と死合えるとは!」


 ハイネが着地し、砲弾の様な飛び膝蹴りが繰り出される。


 ほぼ同時に動き出したクリフの短剣の側面が腿の辺りへ押し当てられ、軌道の逸れた膝は空を切った。


 がら空きになった背中へとクリフの長剣が迫るが、間一髪間に合ったハイネの左腕がそれを遮った。派手な火花が散り、二人が互いに距離を取る。


 動かず、しかし殺気は少しも弱めぬまま、ハイネがクリフの短剣を見つめた。


左短剣マインゴーシュ……守りの左、不殺ころさずの左……大公領の戦士にしちゃ珍しい技だ。誰に教わったんだい?」


 ハイネの鼻がすんすんと音を立てて動き、やがて納得した様に一度頷いた。


「……なるほど、剣聖の手ほどきを受けたのか。門弟の奴等と同じ匂いがするぜ」


「そこまで読めるのか。鋭い鼻だ」


 ――いや、この場合恐ろしいのは並々ならぬ戦闘経験の量か。


 ハイネの動きは、一撃一撃が必殺の威力を誇りながらも無駄が極端に少ない。


 身体の使い方が上手い、というのは無論ある。


 ハイネの運動神経と戦闘センスはまさしく天才の域にあるだろう。英雄と呼ばれるものと相対しても、引けを取ることはない。


 しかしそれ以上にクリフが危ぶむのは、ハイネがこれまで詰んだ尋常ならざる経験値の量であった。


 青の王国、黄の聖帝国、赤の大公領、そして魔界。


 この世の版図の全ての流派の技が混淆となり、極限にまで磨かれた一撃として放たれていることを、クリフは先の立ち会い三つで読み取っていた。


「うん、うん。英雄の名、伊達ではないようだね。それじゃあもう少し、負荷を上げていこうか」


 片膝をつき、もう一方の足を伸ばし、ハイネが低く身体を起こす。


 それはちょうど、走り出す際の構えによく似ていた。抵抗と反動を減らし、最速で駆け出すための、始動の一手。


 ハイネの全身から魔力が立ち上り、クリフは身体を半身にずらして短剣を構えた。


 先程までの攻撃より、次の一撃は格段に重い。


 勝負を決める一撃。この一瞬でどちらかの生死が決まりかねない緊張が、二人の間にさっと走った。


「一手、馳走ちそう


「いいだろう、来い」


 雷鳴一閃。爆発の様な音を立ててハイネが駆け出す。


 それは一つの砲弾。或いは一陣の疾風はやて。受け止める事や逃れる事は、如何なる手段を以てしても適わない。


 しかし他人であれば必中必殺となる攻撃も、クリフとなれば話は別となる。


 重心の移動が修正不可能となる命中ぎりぎりのタイミングで正確に短剣を当て、軌道を逸らし攻撃を受け流す。


 生かして守る左手。それが剣聖の伝える左短剣マインゴーシュの極意である。


 魔力の満ちた一撃はするりと受けられ、瞬時に逆手へ持ち替えての短剣の一撃がハイネの脇腹に突き刺さった。


 勝負は決着したかの様に思えたが、しかしハイネの命は依然絶たれていない。


 突き込んだ短剣の刃は、しかし先端が数インチ刺さった程度で止まっていた。肉は裂いても骨やまでは傷つけられていない。


「くっ――!」


「チッ、浅いか!」


 近接戦闘の極意は、筋力と魔力にある。本来ならば敗北は必定であった一撃をハイネが免れた要因は複数あった。


 一つ、ハイネの身体。


 鍛え上げられた鋼の様な筋肉と磨き上げた魔力操作によって、身体の防御力を上げることに間一髪成功したこと。


 二つ、運と経験。


 当然ながら瞬時に全身へ魔力や筋力を回すことは難しい。中途半端に全身へ回せば身体が強張り、致命傷を受ける確率を飛躍的に上げる。


 故にハイネは魔力と筋力を強める場所を運否天賦に懸けた。それは急所のある、短剣で受け流しの体勢から狙うには最も自然な脇腹。


 これはクリフとの戦闘の他に、ハイネが剣聖の門弟達と戦った経験が生きた。


「――【癒せ】ッ!」


 懐からハイネが符を取り出して脇腹に貼り、短く鍵語を唱える。小さく魔力が爆ぜ、血の噴き出していた傷口はたちまち塞がった。


 手についた血を舐めて、ハイネはくつくつと笑う。


 その頬は紅潮し、焦点の定まらぬうっとりとした表情で、ハイネがクリフを見つめた。


「美味しい……! 実に美味しいぜ元英雄! これだけアタシと打ち合える相手……アルフレッドやイシュタリア姐御を除けば随分と久方ぶりだ! 欲しい欲しい……もっともっと、骨の髄まで味わいたいッ!」


 ハイネの瞳がきらりと輝き、舌なめずりをする。腕から溢れる魔力はぱちぱちと音を立てて明滅を始め、やがてばちばちと弾け始めた。


 辺りには焦げた様な匂いが立ち込め、きんと耳鳴りが始まるのをクリフは感じた。


 業物以上の名品が放つ悋気りんき。人の放つ殺気とはまた違う重さを持つ、武器そのものが放つ気配。


 これがひと際強く放たれる時――武器は初めて武器となる。


「『轟き焦がせ』、【ヤーングレイブル】ッッッ!!!」


 魔力が爆発し、眩い光と砂埃が辺りを覆う。砂と光に満ちた世界の中で、腹まで響く様な雷鳴があちらこちらで轟き始めた。


「……なるほど。それがお前の全力か、ハイネ」


 双剣を構え直し、クリフが冷や汗を一滴垂らす。


 現れたその姿は、異形と呼ぶより他に無かった。


 衣の背中は大きく破れ、その背からは更に四本の腕が突き出している。両腕一対、肩甲骨の辺りに一対、脇腹のすぐ後ろにもう一対。三対六本の腕を持ち、絶えず全身の魔術回路を光らせる怪物がクリフを睨んでいた。


 溢れる魔力が弾け、大気を焼いている。砂埃が完全に晴れると同時に、ハイネはゆらりと動き出した。それを認めて半ば自動的に、クリフの身体も動き始める。


 ―― 一撃でもマトモに喰らえば致命傷になる。幸い攻撃は大振り、このまま捌けば……。


「このまま捌けば、また勝機がやって来る。そう言いたげな顔だね」


「な――」


 先程までとは比べ物にならない、一瞬を越えた刹那の速度。


 言葉を終えると同時に、クリフの眼前にハイネの姿は出現した。


 ――迅い! だが追えない程じゃない!


 すぐに捌かなければ命を獲られる状況。思考の暇はどこにもない。


 再びクリフが左短剣マインゴーシュを振るう。短剣の側面は確実にハイネの腕を捉え……そこでハイネが嗤うのを、クリフは確かに見た。


「……侮ったな、英雄」


 ハイネの腕から魔力が迸り、煌めく。次の瞬間、魔力は雷へと変化した。


 腕から短剣を伝い、電気がクリフの全身を駆け巡る。


「ッッッ!」


 一瞬、ほんの一瞬だけ、クリフの動きは痙攣し止まった。


 しかし時間の上ではほんの一秒足らずであっても、二人にとっては永遠に等しい一瞬である。


 この一瞬の停止が、勝負の行方を決定させた。


「――【阿修羅アシュラ】ッッッ!」


 六本の腕に雷が迸り、その内の一本が低くクリフの鳩尾を抉った。


 ばぎん、と鋼の割れる音と共に、内部で何かが破れるのをクリフは感じた。


 初めに伝わるのは鈍痛。次いで全身を焼き焦がす、激痛と熱が伝わる。


 全身の肌が裂け、肉と脂の焼ける匂いを立てながら、クリフは喀血した。


「がはっ……!」


「中々強かったが、どうやらアタシの方が上みたいだ。ここまで愉しい戦は久方ぶりだったぜ、御馳走様」


 次いで放たれる拳は、五つ。


 頭・両肩・両脚に鉄の拳と雷撃が叩き込まれた。流れる血はたちまちに焼け付き、絶えず襲うこの上ない激痛は反撃の糸口すら与えはしない。


「――――――」


 クリフが白目を剥き、がくがくと痙攣しながら――力なくその場に膝をついた。


 その様子を見て、ノエルが苦々しい顔をして舌打ちをする。


 勝負は、この瞬間に決着を見せた。クリフが膝をついた時ハイネはそう確信した。


「まずは、一人」


 ゆっくりと、ハイネがノエルの方を向く。


ばちばちと爆ぜる雷に囲まれた彼女の姿は、人と呼ぶよりも雷神そのものと呼ぶ方がずっとずっと相応しい。


「次はお前を喰う番だぜ、魔族のお嬢ちゃん」


 まるで王手チェックを掛ける様にノエルを指さして、ハイネは禍々しい笑みを浮かべた。

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