第八話 勇者殺しの条件③
「――離れろマージェリー! あれは精霊憑きだ!」
マージェリーを突き飛ばし、クリフが長剣を振るう。部屋へと
室内に
その静止を破ったのは、クリフでもマージェリーでもなく、ノエルが拍手するぺちぺちと気の抜けた音だった。
「おお、精霊憑きとはまた懐かしいのぅ! 昔は
「ンな訳ないでしょうが! あれは聖歌と降霊、エヴァの術式よ!」
「いちいち
「歌で煽ればそれだけで忘我の中から暴力性を引っ張り出せる。歌は言葉の壁を越えられる、最大の対話手段だからな」
右の長剣を構えなおし、左の短剣を抜きながら、クリフが大きく息を吸う。既に何者かが階段を上る音が聞こえてきている。
――残りは十七人……ここでは少し狭い分、向こうが優勢か?
クリフの長剣はおおよそ刃渡り二・五キュビット(※一・二五メートル)。部屋の中や廊下、階段で振り回すには余りにも長すぎる。
破壊しながら戦う事もできなくはないが、ノエルとマージェリーを崩落から守りながら戦い抜ける保証はどこにもない。
「ノエル! おいノエル!」
左の短剣で精霊憑きの繰り出した槍の刺突を捌きながら、クリフがノエルの名を呼ぶ。
「急いでマージェリーを連れてここを出ろ! お前らがいると邪魔だ!」
「……アァン? 誰が邪魔ですって?」
懐から黒い皮手袋を取り出して素早く両手に填めながら、マージェリーがクリフの方を睨みつける。
手袋には幾何学模様を模した金の刺繍と、色とりどりの小さな宝石があしらわれていた。青い光が手袋全体を瞬く間に巡り、炎の様に揺らめく。
「見くびって貰っちゃ困るわよ。これでもアタシは……世界最高の魔術師になる女なんだから!」
精霊憑きの頭を、マージェリーがきつく掴む。
「巡れ、巡れ、地と海を巡る我らの母、人と獣を巡る我らの子。聖者の歌は汝の言葉、聖者の言葉は汝の
人の出せる限界近い速度で唱えられる、語気の強い詠唱。
青い炎が一際高く上がり、精霊憑きは「あ」という声だけを残してぐったりと動かなくなってしまった。後には物言わぬ死体だけが、そこに抜け殻の様に残っている。
すかさずマージェリーが戸口の近くに指で直線を描き、炎を立ち昇らせた。戸口を潜ろうとした精霊憑き達が、触れた傍から立ちどころに灰となって消えていく。
「……『落とし』と『境界』か」
「そ。怪異やバケモノ対策もまた教会の
ちっちっち、とマージェリーが得意げに舌を鳴らして指を振る。どうやら機嫌が良い時の癖らしかった。
落としとは、一度憑いた悪魔や霊魂を清めて祓い、対象から憑き物を落とす技術。境界とは
いずれも魔術としては中等に位置する技術だが、マージェリーからすれば造作もなくこなせるものであった。
「……それで、この状況はどう打開するのかえ? 一人祓った程度で収まるものでもないじゃろう?」
ノエルがベッドに寝転んで、ごろごろと寝返りを打つ。絶体絶命の状況であるにも関わらず、まるで
「あのねぇ……アタシ達今大ピンチなのよ! 町中精霊憑きに囲まれて、蟻の這い出る隙間だってありゃしないの! アタシでもクリフでも、どう頑張ったって手が足りないわ!」
「ま、一人二人の力押しで
「気楽に言ってンじゃあないわよ! そんなものが完成してればこんなところで立ち往生してないっての!」
魔術が自らの肉体を媒介として自然へ自分の意思を表出する技術であるとするならば、魔法とは自然そのものを媒介として意のままに世界を書き換える技術である。
完成してしまえば、町はおろか世界全ての時間を意のままにできる。不老不死へと至るこそさえも容易い。
ただし、魔法を開発する事は世界そのものの一端を解明する事に等しい。星辰の果て、幾百星霜の彼方に至る莫大な時間が必要になる。
ミケルセン家が魔法の研究を始めたのは精々百年前。理論の開発などまるで完成に及ばない。
「……ふぅん、つまりぬしではこの状況を解決できないということじゃな。おいクリフ」
特にクリフの事を見るでもなく、天井を見据えたままノエルが彼の名を呼ぶ。マージェリーの張った境界も、じりじりと擦り減って来ていた。
「手段は問わん。やれるかえ?」
クリフはその問いに答えない。ただ両腕に携えた大小の双剣で壁を破壊し、自我のない死人の群れへと視線を落とす。
それこそが、クリフの返答であった。迷いの無い行動こそが、ノエルの期待に是と答えるものである。
「ん、良かろう。なるべく早く片付けよ」
ひらひらとノエルが手を振り、マージェリーがごくんと生唾を呑み込む。一寸先は闇とはらはらするマージェリーとは正反対に、ベッドに仰臥したままのノエルはクリフが死ぬとはまるで考えていない様子である。
「……それではこれより、状況を開始する。マージェリーには当然協力してもらうし、ノエルにも協力してもらう。三人揃って生き残る為だ、嫌とは言わせないぞ」
狼の様な双眸をぎらつかせながら、その時確かに……クリフは嗤った。
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