第七話 勇者殺しの条件②

「奴らの情報を総括すると、だ」


 広げた地図の上に、クリフがとんと指を乗せる。


「マージェリーが来たのは二日前。ユークリッドの本拠地、『緑の歌うたい』本部があるのはここから北に一日の地点だ。これはマージェリーの知っている通りだが――」


「…………」


 苦虫を嚙み潰したような顔で、マージェリーがクリフを見つめている。


「どうした、何かついているか」


「……いや、アンタ意外とえげつない事平気でするんだなって思って」


「質疑応答は丁寧に、これが大公領での礼儀作法だからな」


「どんな礼儀作法マナーなのよ……」


 クリフの言葉に、マージェリーが呆れたため息を吐いた。


 それなりに交流のある王国や聖帝国と違い、赤の大公領は秘密が多い。


 それは大公ザカリアによる大公領成立後、戦争や暗殺、傭兵稼業などのあらゆる暴力手段で鳴らした事が大きかった。


 どの国どの地域においても良い顔はされない大公領の人間が、自らの出自を語る事は稀である。


「呆れた戦争バカね……。大公領の人間は皆血に渇いたケダモノだっておじいさまが話していたのも、何だか信憑性が増してきたわ……」


「まあ、俺の様な男衆おとこしゅであればそうかもしれんがな」


 クリフがどこかを眺める様な、ぼうとした遠い目をする。


「お前やノエルは信じないだろうが。あんな大公領ところにだって太陽はあるんだ。ここや王国にも負けない、眩しい太陽が……確かに


「太陽……」


 その時マージェリーには、彼の話す太陽が本当のものであるのか或いは何かの喩えであるのかをはっきりと判別することはできなかった。


 しかし、それまではただの戦う絡繰りの様だったクリフの目が、微かに人間的な光を帯びた事だけは、不思議と彼女の目に焼き付いて離れなかった。


「話を元に戻すと、だ」


 とんとんとクリフが地図の上に乗せた指を叩く。


「ユークリッドは既にマージェリーを追う算段をつけている。使者は斥候せっこうだった。『緑の歌うたい』は総力を挙げてお前をりに来るのは目に見えているが――」


「不思議と総攻めそれをやらない、と言いたいんでしょ? 当ったり前じゃない、 聖歌隊コーラルなんか何千人来たところで相手にもならないもの。来るなら必ず少数精鋭エリートよ、それは最初から分かってたわ」


 ちっちっ、とマージェリーが得意げに舌を鳴らす。


「『空騒からさわぎの女祭祀プリースト』エヴァ・テッサリーニ、『聖者の左手セファ・ガズラ』フリーデ・カレンベルク……来るのはこの二人だという事も知っていたのか」


「アタシこれでもあの組織で第三席にいたのよ? 第二席のハイネはアタシごと皆殺しにしかねないし、第一席のシャロンは引き籠りだし、バンコーはユークリッドにべったりだから消去法でこの二人だと考えてたわ」


「……なら何故そう言わなかった」


「アタシの勝手な憶測だもの、情報は確実にしておくに限るわ。読みを外して死に目に遭いました、では笑い話のタネにもならないでしょ」


「……それもそうだな。兎にも角にも、『緑の歌うたい』総勢がざっと攻めて来る事はなさそうだ。流石に寝込みを襲われて町ごと消されると敵わん」


「左様な勝手は妾がさせぬわ。むしろ、纏めて出て来た方がありがたいものよ。一度に消す方が楽じゃ」


 今よりも少し血は要るがの、とノエルが言葉を付け足す。


 魔王に及ぶ悪は無しと謳われたノエル・【ノワール】・アストライアであれば、例え少々手練れの人間が何千人束になって掛かったところで木の葉を払うが如くひと薙ぎで片付く。


 事実、大戦の終わり――魔界陥落の折の魔王討伐だけで、三十万余の兵士がノエルらの手で死んだ。人の領分を超える力を得た勇者たちでなければ、彼女を倒す事は叶わなかっただろう。


「敵の手勢、居場所、それはまあ良いのじゃが――」


 ちらり、とノエルがマージェリーの方を見遣る。


「あの者らが言うておったの拝領とは何じゃ。妾は人間むしの身体には疎くての」


「………………」


 三人の間に、俄かに冷たい緊張が走る。


 マージェリーの毛穴という毛穴からぶわっと汗が噴き出し、かたかたと全身が震え始めた。全身を走る怖気おぞけと寒気に、思わず片膝を着く。


「はっ……はーっ……ひゅー……ひゅー……」


 荒く息を吐き出すマージェリーの目尻に、涙がひと粒浮かぶ。


 ユークリッド・【ヴェール】・ヴィリティスの目的は、マージェリー・ミケルセンの胎盤たいばんを拝領すること。


 クリフに脅された使者は、確かに二人ともそう言った。


胎内たいないで子を育むための器官だ。魔術の触媒として使うんだろう」


「成程な。それは確かに娶せる方が都合が良いわな」


 聞いておいて別段何か気にする訳でもなく、素っ気ない素振りでノエルがクリフの返答を受け流す。

 胎盤。孕んだ子を育む、母となった者にのみ生ずる器官。


 恐らくは老いて剥がれ落ちたものではなく、新鮮な状態の胎盤こそユークリッドの求めるものであろう。若く瑞々しいものでなければ魔術の触媒としては機能しない。


「……で、これで敵の目的は分かった訳じゃの。それでクリフよ」


 ノエルがクリフの方を、真っすぐ見つめる。


「ぬし、これよりどうするのじゃ? こやつは連れて行くのかえ?」


「……マージェリー、俺は……」


「いい、一々いちいち優しくしないで。鬱陶しいから」


 伸ばしたクリフの手を振り払って、マージェリーが立ち上がる。浮かべた涙を乱雑に振り払うと、きっと強く二人の方を睨みつけた。


「これで分かったでしょ、あの変態ユークリッドがアタシを狙っている理由が。アイツは何が何でもアタシが欲しいのよ、だからアイツに用があるなら……アタシについてきた方がいいんじゃない?」


「言い方にとげのある奴じゃの。そこは素直に助力を乞えばよかろうに」


「あくまでアイツを殺すのはアタシよ。アンタたちはそのとして着いてくれば良いから。だから危なくなったら……」


 す、とマージェリーが二人から視線を逸らす。


「いつでもユークリッドにアタシを売って、逃げてくれて構わないから」


「…………」


「元々助けて貰う義理は無かったし、アタシに返せる恩なら今ここで返すから。だから――」


「――――」


 その時、クリフが大きく目を見開き、長剣の柄へと手を掛けた。マージェリーの言葉が止まり、彼女もまた何かに気付いたかの様に身構える。


「ん? 何じゃクリフ、もう面倒くさくなったのかや? 構わんぞよ、虫の一匹二匹潰しても、血さえ残っておればいつでも眷属にして――」


 ノエルがそこまで言った時、どん、と何かが叩きつけられる様な音が轟いた。続いて階段を駆け上がる様な音が、幾重にも重なって津波の様な勢いで三人の部屋へと向かってくる。


 ――十人……いや、二十人以上いる! この感じはまさか……。


「扉から離れろマージェリー! !」


 クリフが剣を抜き、マージェリーの方へと駆け寄る。


 扉が蹴破られ、白目を剥いた人の群れが部屋へと殺到してきたのは殆ど同時の出来事だった。

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