第60話 ささいなうわさ
「レイニー殿下……って、とても……」
レイニー殿下?
学園の昼休み。
生徒がいっぱいの学生食堂で昼食を終えた私は一人でディアナを待っていました。独りぼっちな寂しさを紛らわせるために紅茶を飲んでいたところにふと聞こえた会話。
隣のテーブルから?
「もしかして、お知り合いなの?」
「いえ。そういうわけでは……」
レイニー殿下って、レイ様のことよね。
思いがけず聞こえた名前に驚いて会話の元を探ってみました。
「誤解なさらないでね。ちょっと……ね」
なにやら思わせぶりなセリフを口にした令嬢は、すぐに恥ずかしそうに扇で顔を隠してしまいました。
あの方はシュミット公爵令嬢ビビアン様だわ。
隣のクラスだから話をすることはないけれど、顔は知っています。
オレンジがかった豊かな金髪と少し吊り上がった琥珀の瞳。勝気そうに見える顔立ちは整っていて、華やかさがあってとても魅力的な方です。
ディアナと並んだら場が一段と華やぐのではないかしら。
地味な私とは比べ物にならないくらい美しいご令嬢。羨ましいわ。
「ちょっと?」
ちらりと見たビビアン様の美貌にうっとりとしていると、同じテーブルに座っている令嬢が興味津々に聞いていました。二人でこそこそと話しているようですが、こちらにも声が漏れてしまっています。
「だから、ちょっとよ」
ちょっとって何かしら? 気になるわ。
意味ありげな視線を送って、曖昧に濁してごまかすビビアン様。
よくわからないけれど、レイ様と親しいのかしら?
盗み聞きダメよねと思いながらも気になって聞き耳を立ててしまう。
紅茶を飲むふりをしながら、でも、神経はビビアン様に全集中してしまうわ。
「フローラ。お待たせ」
不意に割り込んできた声に集中が途切れてしまいました。
「ディアナ」
静寂が掻き消えてビビアン様たちの会話を拾えなくなりました。レイ様のことをもう少し聞きたかったのですが、盗み聞きはよくありませんものね。本当は大した内容ではないのかもしれませんしね。邪推はやめましょう。
私は立ち上がってディアナを迎えました。
「フローラ、教室に戻りましょうか?」
「ええ、そうしましょう」
立ち去る前にもう一度ビビアン様に視線を移しました。もうすでに他の話題に夢中なのか談笑しているようです。
レイ様の名前を聞いたから動揺してしまったのね。
素敵な方だもの。
私が知らないだけで時には令嬢のうわさになるのかもしれないわ。
「昨日はどうだったの? リチャードの家庭教師は無事に済んだの?」
「ええ、お褒めの言葉を頂いて、また来週もお願いしたいって、アンジェラ様から直にお願いされたわ」
「そうなのね。よかったわ」
教室までの道のりを歩きながら、心配げにディアナが話しかけてきました。教師の依頼が来たあとにディアナにも報告していたので、昨日が初めての授業だと知っています。
自分の一存では決められないので、両親に相談をしてお受けすることにしました。
でもなぜ私に話が来たのでしょう?
学生ですし、社交界にあまり顔を出す方ではないですから、話す機会もないのに。
サンフレア語が話せることを誰から聞いたのでしょう?
「あの……もしかして、推薦したのはディアナなの?」
「そうよ」
当たり前じゃないのって言わんばかりの表情で即答したディアナ。
やっぱり……
考えてみれば、出所は一つしかないですものね。
「アンジェラが、サンフレア語の教師がなかなか見つからないって悩んでいたから、相談に乗ったのよ。いろいろ手を尽くしたけれど、どの先生も枠が埋まっていて空きがなかったようなの」
「王家には専属の教師はいないの?」
「他の科目の教師はいるけれど、サンフレア語はね。数が限られているから王族といえども確保は難しいのよ」
「そうなのね」
サンフレア語は難しいから、教師の数も少ないって聞いてはいたけれど。
王族にも手が回らないほど厳しいのね。
「語学は小さいうちから学んでいた方が身に付きやすいでしょう? アンジェラもいろいろ当たって教師を探しているようだし。フローラも忙しくて大変だろうけれど、できる範囲でいいから協力してくれたら有難いわ」
「そうね。教師が見つからないのは大変ですものね。どこまでできるかわからないけれど、頑張ってみるわ」
リッキー様に教えるのは楽しかったし、今度は何を題材にしようかしら?
絵本とかもいいかもしれないわ。まずは言葉に慣れることが大事ですものね。リッキー様の好みも聞いてみましょう。
来週の授業のことをあれこれと考えているうちに、ビビアン様のことはすっかり忘れていました。
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