第56話 アフタヌーンティーⅠ

「はい。今日はここまでにしましょう」


 私は時計を見やり時間を確認すると教科書をパタンと閉じました。


「ローラおねえちゃん、もう終わり?」


 机に向かって、一生懸命単語を覚えていたリッキー様が私に微笑みかけました。


「はい。今日は終わりですよ。よく頑張りましたね」


「うん」


 リッキー様の隣に座っていた私もつられて笑顔になりました。

 今日はリッキー様の勉強部屋で隣国のサンフレア王国のサンフレア語を教えていました。

 なんでも、先生が急にサンフレア王国に帰国されたそうで、新しい先生が見つかるまで教えてほしいとの要望を受けたのです。


「フローラちゃん。お疲れ様。わかりやすくて、とてもよかったわ」


「ありがとうございます」


 アンジェラ様のお褒めの言葉に、緊張していた私はホッとして肩の力が抜けました。

 アンジェラ様は部屋の隅で控えていらっしゃいました。初めての授業で心配していらしたのでしょう。私は教師免許を持っているわけではありませんから。


 サンフレア語は習得が難しくて先生を探すのも大変だとよく耳にします。

 私は幸運にも仕事関係でサンフレア出身の方と縁があって覚えることができたので、少しでもお役に立てれば幸いですわ。


「ネイティブ並みに発音も完璧なのね。すごいわ」


 アンジェラ様は感嘆の息を漏らすと私をご自分の私室へと案内してくださいました。


 青磁の花瓶に生けてある大振りの牡丹の花々が目を引きます。

 薄いクリーム色の壁紙は光沢があるので、シルクが織り交ぜられているのでしょう。焦げ茶色の家具はこの国ではあまり見かけない異国風なデザインのようで、とても素敵です。


 レイ様のお部屋はモノトーンが基調でシンプルなのですよね。無駄なものは置かない主義なのか、用の美がお好みなのか使いやすく必要なもので構成されているように感じました。

 最近は花が飾ってあって殺風景な部屋に彩りが加えられていますけれど。そういえば絵画も飾ってありましたね。

 初めて入室した時よりも華やかになっているような気がします。


 レイ様のことが頭の中を掠めながら、珍しい設えの室内を見渡して目をキラキラさせていると、椅子に座るように促されました。


「ローラおねえちゃん」


 リッキー様の声がしました。

 勉強が終わって姿が見えなくなったと思ったら、ここにいらしたのですね。ソファに座り足をプラプラさせています。リッキー様の膝の上でゆったりと寛いでいたマロンがムクッと頭をあげました。

 私の姿を見つけたマロンは膝から飛び降りて、足元へとやってきました。ぴょんと肘掛けに飛び乗って、それから私の膝の上におさまります。


「にゃーん」


「マロン、こんにちは」


 私が挨拶すると嬉しそうにあごの辺りをペロペロと舐め始めました。


「くすぐったいわ」


 ちょっとザラザラした舌の感触が肌をくすぐります。しばらくはマロンに付き合っていましたが、くすぐったさに我慢ができなくなって、


「マロン、もう、お終いよ」


 私の顔から引き離すと膝の上にのせました。

 まだ物足りなかったのかジタバタしていたマロンもやがて体を丸めて大人しくなりました。そっと体を撫でてあげると目を閉じて満足そうにしています。


「マロンも相変わらずフローラちゃんが好きなのね」


「ぼくもすきー」


 アンジェラ様の言葉にリッキー様が答えます。そして、素早く移動すると私の隣に座りました。

 二人掛けの椅子ですからゆったりとしていますが、リッキー様はぴったりとくっついています。


「くす、くす」


 その様子がおかしかったのか、アンジェラ様から笑いが漏れていました。


「そうね。リチャードもフローラちゃんが好きなのだものね」


「うん」


 リッキー様も嬉しいのか大きく頷きました。膝の上にはかわいい子猫。隣にはかわいい天使。目の前には美しい王太子妃殿下。こんな光景を眼福だというのでしょうね。幸せですわ。

 温かな空気に包まれてほわほわとした気分に浸っていると


「ああ、そうだったわ。これからお茶をと思ったのだけれど……このあと公務があるのよ」


 アンジェラ様が思い出したように告げました。

 

「ごめんなさいね」


 すまなさそうな顔で謝るアンジェラ様。

 いつまでもお邪魔している私の方が悪いのだわ。用事が終わったのなら、すぐに退出するのが当たり前なのに。アンジェラ様に気を遣わせるなんて申し訳ないわ。


「いいえ、私も礼儀をわきまえず申し訳ありません」


 私はマロンをリッキー様の膝の上に預けて立ち上がると、礼を取りました。

 

「すぐに失礼を……」


「そうじゃないの。あなたが謝る必要はないし、帰る必要もないわ」


 ちょっと、慌てたようにアンジェラ様が私の言葉を遮りました。


「実はね、わたくしは時間がないけれど、そのかわり西の宮でお茶の用意しているの。レイニーと一緒にお願いできないかしら?」

 

「レイ様とですか?」


 思いもかけない突然の申し出に、私は目を丸くしてアンジェラ様を見つめてしまいました。 

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