第44話 蛍の観賞会Ⅰ

 西の宮。

 西門から長いアプローチを抜けて玄関に着くと、侍従長のセバスが出迎えてくれました。


 両脇に頭を垂れた使用人たちが並ぶ中、私はセバスに先導されながら歩いて行きました。王家の方々や貴賓客でもないのですから、そこまで畏まる必要もないように思うのです。


 ただ皆さんの雰囲気が初めての時よりも和らいでいるような気がします。そう感じるだけでもホッとして安心しますね。

 初めて西の宮に入ってきたときの肌を刺すような鋭い視線を送った使用人たちは、得体の知れない女性だと警戒したからかもしれません。

 今はブルーバーグ侯爵令嬢だと認識されているようなので、好意的な態度で接してくれています。


 約束通り、レイ様から蛍の観賞会の招待状が届きました。

 それと一緒にローズ様からは王宮に部屋を用意するので一泊するようにとのお言葉が記されていました。

 時間を気にせずにゆっくりと過ごしてほしいというローズ様の優しいお心遣いだと使者から伺いました。


 一度だけだと思っていたので驚きましたが、両親からも有難くももったいないお言葉、快くお受けするようにと後押しされて戸惑いつつも承諾いたしました。

 もちろん、王家からの招待状ですから断るという選択肢はありませんけれど。


 これがディアナが言っていた流れに乗るというものなのでしょうか?

 それにしても急流過ぎませんか? できればもう少し緩やかで穏やかな流れを希望したいです。



「フローラ様、お待ちしておりました」


 レイ様の部屋へ案内されるとエルザが扉の前で待っていてくれました。


「さあ、中へどうぞ」


 少しだけ見慣れた部屋の中へ入ると、真っ先に目に飛び込んできたのはレイ様の姿でした。


「レイ様、こんにちは。先日はお心遣いいただきありがとうございました」


 私はお茶会の日に夕食をごちそうになったお礼を述べました。


「ローラ。会いたかった。お礼なんていいから、こっちおいで」


 挨拶もそこそこにレイ様に手を引かれ応接室へと連れて行かれました。

 あの……そんなに急がなくても私は逃げませんよ。手をつながなくてもついて行きますよ。

 そんな言葉を飲み込んでされるがままになっていると、ソファの前でふわりと体が浮きました。


「きゃっ」


 突然の心もとない浮遊感に小さな叫び声をあげました。


 何が起きたか状況が飲み込めないまま、気づいた時には横抱きでレイ様の膝の上にのせられてしまいました。私の目の前にレイ様の顔が、レイ様の菫色の目が私を見つめています。

 ドキッ。

 心臓が大きく跳ねました。


「あの……レイ様?」


「なんだい?」


「これは、いったい、どういうことでしょう? 私は子供ではありませんよ?」


 ドキドキする胸の鼓動を抑えながらレイ様に尋ねました。


「うん。知ってるよ。でもいいでしょ、年なんて関係ないよ。俺が抱っこしたいからしてるんだよ」


 抱っこ……したい……?! 言ってる意味が分かりません。衝動的すぎませんか? それに私を抱っこして何がしたいんでしょうか? レイ様の行動は私には理解不能です。


「下ろしてください。レイ様、重いですからきつくなりますよ」


 子供ならいざ知らず、私は大人ですからそこそこ体重もあります。自分で言っていてちょっと悲しいですけど。


「大丈夫。ローラは羽根のように軽いから」


「もう、また。そんな冗談は言わないでください。そんなわけありませんから」


 逃れようと両手で突っぱねようと力を込めましたが、レイ様の体はピクリとも動きません。

 さっきよりも抱き込むように胸に押し付けられてさらに密着度が増したような気がします。

 

「レイ様……」


 私の体はすっぽりと腕の中におさまってしまいました。細身に見える体は思っていたよりもがっちりとしていたみたい。広い胸に包まれていると、何故だが温かい気持ちになります……?!


 ち、違います。


 レイ様に抱かれて心地よいなんて、そ、そんなことあるわけありません。きっと……

 私の勘違いです。きっと……

 相手は王子殿下ですよ。そんな、不埒なことを考えたらレイ様に叱られます。

 自分の気持ちを消化できなくてあわあわしていると、


「ローラ」


 レイ様の感じ入ったようなうっとりとした声が耳に届くと同時に、電流がはしったような甘い痺れが首筋を這っていきました。


「……‼」


 今の感覚はなんだったのでしょう?

 怖いです。

 ぞわぞわと全身が粟立つような未知の感覚。

 ここは逃げ出した方がいいのでは?


「あ、あの……」


 誰か、助けて。心の中で叫びました。

 声なき声で、このわけのわからない感覚から逃れたくて視線をさまよわせました。

 顔を上げたその先に、一人の人物が目に入りました。


「セバス」

 

 彼ならこの状況から助けてくれるかもしれません。期待を込めてもう一度名前を呼びました。

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