第42話 チェント男爵令息side②

「あの娘はまったく厄介なことをしでかしてくれたもんだ」


 父の声が怒気を孕んで発せられた。


 それはそうだろう。

 テンネル侯爵家の嫡男がブルーバーグ侯爵家の令嬢と婚約を破棄して、うちのリリアと婚約したと手紙をもらった時は隣のクーリエ国にいた頃だった。

 寝耳に水。

 信じられなくて何度手紙を読み返したことか。父に手紙を書き何度も確認したほどだ。

 まだ仕事の途中で新しい取引に手をかけた状態だったから、中途半端に帰国することはできず今になってしまった。


 男爵家の娘が侯爵家に嫁ぐというのは身分の差を考えれば難しい。

 なのに、なぜこうもすんなりとうまくいったのか。しかも婚約破棄という醜聞までついている。


「たしか学園のダンスパーティーで、突然テンネル家の嫡男がリリアを侍らせ婚約破棄宣言をしたと。それが発端だったとか?」


「ああ、そうだ。フローラ嬢を差し置いてリリアと結婚すると言ったそうだ」


「しかし、よくフローラ嬢も納得しましたね」


「フローラ嬢は快く婚約破棄に応じたそうだ。聞けば、フローラ嬢は勉強や研究に忙しく婚約者との交流もほとんどなく、冷たくあしらわれてエドガーはいつもないがしろにされていたそうだ。そんな時に同じクラスのリリアと親しくなり仲を深めるに至ったらしい。リリアの方が優しく温かくて相性もよいと。まあ、そんな説明だったな」


「誰から聞いたんですか?」


「婚約を結んだときにエドガーが言っていた」


「それって、本当のことですかね」


 俺が聞いて聞いてきた話とはずいぶん違うな。むしろ反対だったんだが。


「わしは話半分というか、エドガーのほぼ捏造だろうと思って聞いておったよ。あのフローラ嬢をぞんざいに扱っている時点で信用などあるはずもない」


 父も見抜いていたのか。人を見る目があってよかった。


 実は帰る途中でリゾート開発中のテンネル家の領地に寄ってきた。

 それとなく今回の件を領民に振ってみたところ、エドガーの評判は悪く褒める者は誰もいなかった。その反対にフローラ嬢のことはべた褒め状態。みんなが婚約破棄を悲しんでいた。


 学生とはいえ、仕事を放り投げて友人たちと贅沢三昧で遊んでいたらしいからな。その間、フローラ嬢は仕事に勤しんでいたそうだ。領民や従業員からは慕われて女神だと言われていたと。


 雲泥の差だな。


 次期当主のことを良い評判ならともかく、赤の他人にペラペラしゃべるのはどうかとは思ったが、みんな相当鬱憤が溜まっていたんだろう。父にもあとで酒の肴として話してやろう。激怒するかもしれないが。


 しっかし、こんな嫡男が家を継ぐとなるとテンネル家は大丈夫なのだろうか?


「それはそうと将来はリリアが侯爵夫人となるんですかね?」


 これもまた不安な要素だ。


「いや、テンネル家を継ぐのは弟君だそうだ。エドガーは学園を卒業してから領内の辺境の地へおくって、そこで一から働いてもらうと、それでよければ結婚を許すとのことだった」


「なるほど、あちらも馬鹿ではなかったということですね」


「まあ、そういうことだな」


「で、なんと返事をしたんですか?」


「それでよいと了承した。本人も結婚したがっていたからな。願いを叶えてやったまでだ。そのあとは知らんがね。本人は真相を知らず、侯爵夫人になる気満々のようだ」


 俺はソファの背に凭れて天井を仰ぎ見ると一息ついた。


「お前は侯爵夫人になれないんだぞと本人に言わなくていいんですか?」


「エドガーの働き次第とも言っていたからな。真面目に働けば、次期当主に返り咲くこともあり得るかもとは侯爵殿はいっておったが、さて、どうなることやら」


「含みを持たせてるんですか? はあ? 息子可愛さなんでしょうが、甘いですね」


 呆れる。どんだけ甘々なんだか。

 俺が当主だったら、とっくに親子の縁を切って市井に放り出しているところだ。


「リップサービスもあるかもしれんな。男爵家とはいえ、そこそこ成功している我が家からクレームをつけられたくなかったんだろう」


「なるほど、うちとも取引がありますからね」


 テンネル家とは懇意とまではいかないが商売上の付き合いはあった。


 今回の婚約も破棄という醜聞がなければ諸手をあげて賛成するところだ。

 テンネル侯爵家といえば国で1、2を争う資産家。経営している事業も手広く世話になっている貴族も多い。

 まともな恋愛成就で結婚が成立すれば、うちにもかなりの恩恵を受けることも可能だったろう。


「リップサービスで十分ですよ。あの二人が侯爵家を継ぐなどお先真っ暗な未来しか思い浮かびませんが、どんな形にしろ、テンネル侯爵家へ嫁ぐわけですからね。最高の形で厄介払いができるというものです」


 嫁いでしまえば侯爵夫人になろうが、平民になろうが知ったことではない。

 

 うちで下働きをしていた女と駆け落ちして嫡男として次期当主の責務から逃げ出した叔父。その叔父が遺した娘を哀れに思い養女にしたのが間違いだった。


 平民として暮らしていたから、貴族としてのふるまいを身につけろと言っても一朝一夕では無理かもしれない。しかし、マナーや教養、作法に至るまで覚えるどころかすべて放り出してしまったからな。

 容姿はかわいらしく見た目はいいのだから、貴族らしさを身につけさえすれば可愛げもあったというのに。


「厄介払いか、そうかもな。なにせ学園を卒業してから貴族か商家にでも行儀見習いに出そうと思っていたからな」


 同情で引き取ったものの我々が後悔するのに時間はかからなかった。

 贅沢は貴族のたしなみだとでも勘違いしていたのか図々しくなんでも欲しがった。手が付けられなくなる前に先手を打ったし、今は別の金蔓ができたようで安心しているところだ。

 勉強に励み、控え目で慎ましやかさがあれば、いくらでもお金を注ぎ込んであげたのに。


 父は大きなため息をつくと体をソファに深く沈み込ませた。

 

 テンネル侯爵家に嫁ぐ。

 本来ならこれ以上はないくらいの僥倖だというのに。

 今一つ喜べないのはブルーバーグ侯爵家の存在があるからだった。

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