第21話 レイ様と 

「レイ様、お待たせいたしました」


 商談に夢中でレイ様を忘れていたなどとは口が裂けても言えませんわね。相手は王子殿下ですもの。


「うん。長い間待たされて心配してたけど、先生からたいしたことはなかったって聞いたから、安心した」


 診察はすぐに終わったけれど、室内履きのことで時間をとってしまったのでやきもきされていたのかしら?


 私の目の前に来ると視線がテーブルの上に注がれています。すでに空になった紅茶のカップとお菓子皿。何かを察したらしいレイ様の顔が、私を見てそれからエルザへと移りました。これはレイ様の指示ではなくエルザの判断だったのでしょう。


 すぐに診察結果を知らせなかったことで、気分を害されたとかはないですよね? エルザを見つめるレイ様は何を考えていらっしゃるのでしょう?  

 ここで先生と商談をしていたなどとは話せませんわね。黙っておきましょう。

 不安に駆られながら成り行きを見守っていると、エルザを見ていたレイ様は少し落胆した表情をされたものの、咎める気はなかったようです。何もおっしゃいませんでした。ほっとしました。


「リッキーは、寝てるのか? のんきなものだな。しかも膝枕してもらうなんて、なんと贅沢な……」


 すいとエルザから視線を外したあと、今度はリッキー様に矛先が向けられました。気持ちよさそうに寝ていますが、それも仕方のないことです。だって子供ですもの、お昼寝も必要です。


「あの……レイ様。怒っていらっしゃいますか?」


 レイ様はなにやら渋い顔でリッキー様を眺めています。気に入らないことでもあるのでしょうか。


「いや、怒ってはいない。うらやましいと思っただけだ」


「うらやましい?」


 何のことでしょう? 言われている意味が分からなくて私は首を傾げます。


「別に……何でもない」


 顔をそむけたレイ様の耳が真っ赤ですけど、熱があるとか大丈夫でしょうか?


「レイ様、耳が赤いですが熱があるのでは?」


 ぎょっとしたように耳に手を当てたレイ様は慌てて


「これは何でもない。熱はない」


 と否定なさいましたが、本当に大丈夫でしょうか?


「レイ様、お隣に座っていただけますか?」


 三人掛けの中央に座っているので、リッキー様の反対側は空いています。


「ああ」


 大人しく座って下さったレイ様の頬がほんのり赤く見えます。熱はないと聞きましたが、自覚がないだけでは。私は心配になってレイ様の額に手を当てて、自分の額にも手を当てました。


「おうっ……えっ、ひええっ」


 レイ様は変な声をあげてソファの背に後ずさるようにしてのけぞりました。とっさの行動について行けず額から手がはずれてしまいました。びっくりしていらっしゃるのか怯えていらっしゃるのか、判断はつきかねますが、顔を見ると頬も赤くなってるような気がします。大丈夫でしょうか?


「耳が赤かったので、熱があるかと思って額に触ったのですが、おいやでしたでしょうか?」 


「熱?!……ねっ、熱か。いや、すまない。突然で驚いただけだ」


 そうでした。他人に体を触られたらびっくりしますよね。つい、弟のような感覚で接してしまいました。配慮が足りませんでした。


「断りもなく不躾な行為をしてしまい申し訳ありません。それでは、体温計で計った方が」


「いや、体温計はいらない。ローラの手で確かめてほしい」


 私が言い終わらないうちにレイ様の声が聞こえました。そんなに急がなくてもいいと思いますが、具合が悪ければそうも言ってられませんものね。


「それでは、失礼します」


 レイ様の額に手をのせて自分の額の体温と比べます。レイ様の仄かに温かい体温が手のひらに伝わります。自分の体温とレイ様の体温を感じながら感覚を研ぎ澄ませると、しばらく手を当て確かめてみました。けれど熱い感じはしません。


「レイ様と私の体温は変わらないみたいですね。熱はなさそうです。すみません、私の勘違いだったようです」


「もう一度、計ってくれないか。万が一ということもあるし」


 万が一。そうですね。よく考えると手のひらでは熱は正確に計れるものではありませんでした。


「エルザ。体温計をお願いします」


 私は部屋の壁際に立っているエルザに声をかけました。彼女が動こうとするとレイ様の制する声が聞こえて、


「いや、いや。体温計はいらないから、こうやって計れば大丈夫」


 って、レイ様は私の額に自分の額をくっつけました。


「あの……あの……」


 レイ様の体温が額に直に伝わって……。何をいきなり、レイ様の顔が至近距離にどこを見たらいいのでしょう。近すぎて鼻がくっつきそうですし、レイ様の息遣いまで聞こえそうです。

 それにそれに、額をくっつけても熱は計れないと思います。


「んー。もう少し、ジッとしてて」


 顔を両手でがっつりと固定されてて、動くにも動けません。体温計で計りましょう。これは絶対変です。こんなことで熱があるかどうかはわかりません。


「レイ様。もうそろそろ……」


 これはちょっと恥ずかしいです。リッキー様が膝の上で寝ている状態では力ずくで押しのけることもできません。動けない体の代わりに心がジタバタともがいています。


「もうちょっと」


 もうちょっとって、どのくらいなのでしょう。じわじわと火照ったような熱が額から顔全体に伝わっていくようで、息をするのが苦しいくらい。早くこの状態から逃げ出したいのに、レイ様は一向に離してくれる気配がありません。半ばあきらめかけたところに、


「ゴホン」


 どこからか大きな咳払いが聞こえました。

 助かった。声が聞こえた瞬間に危機から逃れたとほっとしました。


「お取込み中のところ申し訳ありませんが、ディアナ様がいらっしゃいました」


「セバスか」


 レイ様はゆっくりと顔を上げて声の主に視線を奔らせ、それはそれは大仰なため息をついたあと、邪魔されたのが嫌だったのか不機嫌そうな声で答えました。


「ディアナか、通せ」


 ディアナが来たのね。早く会いたいわ。ガーデンパーティーからいなくなってしまったから、心配をかけてしまったわ。そういえば、パーティーの後に用事があるから帰らないでねと言われていたのを思い出しました。


「はい。承知いたしました。それからもう二方おいでになっております」


「二人? ディアナ以外約束した者はいなかったはずだが」


 レイ様、ご機嫌斜めのような、声が凍えそうに冷たいです。


「王妃陛下と王太子妃殿下がいらっしゃっております」

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