第20話 商談
「先生。お聞きしたいのは室内履きのことなんです」
「室内履き?」
「先生がお作りになったと伺ったのですが、どこかと取引してらっしゃるのですか?」
「取引って、そんなものはしてませんよ。自分の趣味で作ったものですからね。ヒールの靴は長時間履くと疲れるしむくんだりするので、家にいるときぐらいはゆったりした物を履きたいと思って考えて作ったんですよ。一人の手仕事ですし、気が向いた時や時間があるときに気分転換も兼ねてのんびりと作っているんです」
「そうなのですね。エルザや侍女の方々も使っていると聞いたので、市販されているのかと思いました」
先生は飄々と話してしているけれど、縫製はしっかりしているし布だって上等なものだし、趣味だとしても立派なものだわ。
「エルザの時は靴擦れで痛みがあると聞いたので、痛みの軽減のために室内履きをあげたんです。それがきっかけでほかの方にもプレゼントしました。女性って大なり小なり足の悩みは持っていますからね」
「そうなんです」
少々興奮して身を乗り出しそうになった時、
「うーん」
リッキー様の声がしました。
そうでした、膝枕の最中でした。
眉間にしわが寄っています。寝心地が悪くなったのでしょう。私はリッキー様の態勢を整えてあげて優しく頭を撫でました。すると安心したのか再び寝てしまったようです。リッキー様が身動ぎしたので驚いて目を覚ましたマロンももう一度眠りにつきました。
「リチャード殿下はフローラ様に懐いてらっしゃるのですね」
先生は微笑ましそうに目を細めてリッキー様を見つめています。
「今日初めて会ったばかりなんですけれど。不思議です」
慕われるのは悪い気はしませんが、マロンを助けたというのもあるのかしら。
「初めてでも子供は人間の本質を見抜く力がありますからね。リチャード殿下はフローラ様の人柄の良さに惹かれたのでしょう」
「先生。私はそんな良いところなんてありませんわ」
だって、いつも地味だ、陰気だ、暗いって言われていましたから。私に良さなんて……ないと思います。
「あなたにはいいところがたくさんあると思いますよ。卑下する必要はありません。私が保証します」
自信に満ちた力強い声で先生は落ち込んだ私を慰めるように断言してくれました。
ああ、こういうところがダメなのですね。先生に気を使わせてしまいました。
「先生、ありがとうございます。それと、話の続きなのですが、単刀直入にお聞きします。室内履きを商品化する気はありませんか?」
いつまでもくよくよしてても物事は進展しませんから、脱線してしまった話を元に戻して先生に聞きました。
「商品化ですか?」
思いがけなかった提案だったのでしょう。先生は心底びっくりといった表情をしています。
「はい、そうです。今日初めて履いてみて、その履き心地の良さにいい意味でカルチャーショックを受けました。もちろん商品化するには多少の改良も必要にはなってくるでしょうが、私はとても気に入りました。皆さんはどうですか?」
私はエルザ達に視線を向けました。
「フローラ様のおっしゃる通りです。わたしも気に入ってますし、家ではずっと履いているくらい手放せません」
「わたしもです。図々しいかもしれませんが、もう一足あればなあと思っていました」
「「わたしも同じです」」
使用された方達の評判はいいようですね。言葉に力がこもっています。
「商品化と言われても一人で暇なときに作っているだけですから、たくさん作るのは無理だと思います。先ほども言いましたが、わたしの趣味なのです」
「でも、その趣味がたくさんの女性の悩みを解決する糸口となるとしたらどうでしょうか?」
「悩みを解決する?」
「そうです。少しでも足の負担を軽くしてあげることができたら、どれだけの方が救われるでしょう。何も薬だけが人を救う手立てではありませんわ」
私の言葉に熱が入ります。良いものは世の中に広めてこそ役に立つものです。
「たしかに、人の役に立つのも医者としての使命の一つでしょうね」
先ほどよりも前向きになって下さっているようです。さあ、もう一押しかしら。
「ええ。そうだと思います。先ほど一人の手仕事だとおっしゃっていましたが、工房を作るという手もあります。幸い私の領地には腕の良い職人がたくさんおりますし、教育や育成も行っており人員の手配もできます。それに平民の新しい職場としても提供できるかもしれません。もちろんブルーバーグ侯爵家の所有する商会が責任をもって協力します。そこはご安心くださいませ」
一気にまくし立てた私に圧倒されたのか先生は目を白黒させています。興奮しすぎたかしら?
「悪い話ではなさそうですね。工房を設けるならば大量生産も容易いでしょうから。それではわたしは技術とデザイン提供という形になるのでしょうか? それから、作ったとしても必ずしも売れるとは限りませんので、その際の責任の所在も気になります。あとは、フローラ様にどれくらいの権限がおありになるのでしょうか?」
先生が危惧なさるのももっともですね。まだ学生ですし、直接商会に携わっているわけではありませんしね。はたから見れば私はただの侯爵令嬢ですから。
「そうですね。父が商会の代表ですので私には決定権はありませんが、紹介することはできます。それと契約するにあたって疑問や不安、不審点などあらゆる問題点を出して頂いて、話し合いを重ねた上で決定します。その時はお一人ではなくどなたか信用できる方や弁護士など契約に詳しい方を同席されてかまいません。こちらとしては後々のトラブル回避のためにも、その方がよいかと思っています」
「……」
先生は真剣な顔であごに手を置いて黙ったまま。様々なことを考えているのでしょう。
「紹介状を書いてもよろしいでしょうか?」
「紹介状?」
「はい。先生宛に私の署名入りの紹介状です。場合によっては商談を待っていただくこともありますので、これをお持ちいただくと父にもスタッフにもスムーズに話が通りますので、面会も早いかと思います。父たちにも事前に伝えておきますのでその点でも有利だと思います」
「でも、紹介状をもらっても、その気になるとは限りませんよ」
「よろしいですよ。ゆっくりと考えて頂いて、必要がないと思われたのなら捨てていただいて構いません」
慎重になることは良いことです。
「わかりました。よろしくお願いします」
「それでは、近いうちにお届けしますので、ご検討のほどよろしくお願い致します」
私の言葉を信用していただけたようで安堵しました。よかったです。王宮で商談するとは思ってもみませんでしたけど。肩の荷が下りたような、一仕事終わった感じです。
先生は残っていた紅茶を飲み干すと部屋を出て行きました。
それと入れ違いに顔を出されたのはレイ様でした。
いらっしゃったのですね。すっかり、忘れてました。
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