第6話 ブルーバーグ侯爵side
「婚約解消? それは本当なのか?」
「はい」
娘のフローラがこくりと頷いた。
私はローレンツ・ブルーバーグ侯爵。
夕方、フローラをダンスパーティーへと送り出したばかりだったのに、数時間もせずに娘は帰宅したという。具合でも悪くなったのかと心配していたところに、私達に話があると聞き妻のシャロンと一緒に席に着いたのだった。
そこで聞かされたのがエドガーによる婚約破棄宣言。
「結婚まで一年もないというのに今更解消とは……」
私は呆れて次の言葉が出てこない。婚約をして二年。来年学園を卒業したら結婚式を挙げる予定だった。二人とも了承しているはずではなかったか。
「エドガー様は真実の愛を知って、そのお相手のリリア・チェント様と結婚なさりたいそうですわ」
「真実の愛……」
なんと答えたらいいのか。演劇の話でもあるまいに。貴族の結婚で真実の愛などとほざいて婚約者をないがしろにすることなど、ありえないだろう。
結婚後、新しい事業を始めるために準備を進めているのに、婚約解消?
頭が痛い。
まったく、アッサム・テンネル侯爵は何をしていたんだ。何も気づかなかったのか?
色々な事柄が頭の中を駆け巡って言葉が出てこない。
ここいらで助け舟を出してくれないかと私は隣に座るシャロンを窺うように見る。
蜂蜜色の艶やかな金色の髪、春の若葉のような明るい翡翠の瞳。スッと伸びた鼻梁にふっくらとした唇。人が羨むような美貌は結婚した今でも変わらない。時には少女のようにはしゃぐ姿もまたかわいい。
そんな愛する妻の今の顔は、無表情……
怒っているのか、落胆しているのか、悲しんでいるのか。
ダメだ。感情が読み取れない。
視線はまっすぐにフローラに向けられている。
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
私達の沈黙をどのように理解したのかわからないが、フローラが頭を下げる。
この件でフローラが謝ることは何もない。すべてあちらの失態、有責である。これははっきりしている。
「フローラが謝る必要はないよ。こちらが損をすることはない。むしろあちらの方が慌てているのではないかな? あとはまかせなさい」
私はフローラに余裕の笑みを見せた。
こちらに不利な契約はしていない。事業を始めるのはすべて結婚後である。婚約破棄が正式に決まれば撤退すればいいだけの話で困るのはテンネル侯爵家のほうだ。
フローラは私の言葉に安心したのか表情が緩んだ。
「フローラ、つらかったわね。大丈夫よ、あなたのことは私達が守るから」
シャロンがフローラの隣に座ってそっと肩を抱いている。
「お父様、お母様。ありがとうございます」
フローラは緊張から解き放たれたのか安堵の息を漏らした。シャロンは労るように娘の背を撫でている。落ち着いたころを見計らってフローラを部屋に返した。明日は学園を休んでいいと言葉を添えて。
「明日、テンネル侯爵家に行きますわよね?」
扉が閉まり、二人残された部屋で若干弾んだようなシャロンの声が響いた。
「ああ、そのつもりだが」
「やっぱり、わたくしたちの言う通りでしたわね」
「……」
「最初から反対していましたのに、母親のカンを信じてくだされば、こんなことにはなりませんでしたわ」
そうだった。
シャロンもだが、テンネル侯爵夫人も乗り気ではなかった。
なぜか推しは次男のスティールだった。相応しいのは次男だと何度も言われたのだが、フローラより一つ年下で、跡取りではないことを理由にアッサムとともに却下したのだった。
その結果が婚約破棄という失態につながってしまうとは……
「すまなかった」
ここは素直に謝った方がいいのだろう。何を言われても忍の一文字だ。
覚悟を決めてシャロンに向かって頭を下げた。
「それでは、帰りにケーキ店に寄ってもいいかしら?」
てっきりチクチクと嫌味を言われて特大の雷が落ちるかもと思っていたら、ケーキ店? スッキリ、爽やかな、楽し気な表情で、ケーキ店?
ケーキ一つでご機嫌でいてくれるなら、お安い御用である。私はOKを出した。
「よかったわ。嬉しいことがあった時にはケーキよね。明日、朝一で予約をお願いしなくちゃ」
婚約破棄は嬉しいことなのか?
妻はうきうきと浮かれている。もしかして、待ち望んでいたのか。
「では、あなた。先に休ませていただきますね。明日、ケーキ店に寄るの忘れないでくださいね」
念を押し、部屋を出ていく妻の足取りはルンルンと聞こえてきそうなほどに軽やかだった。
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