10話 薬指へ込めた祈り
【10-1】
シャッターが風で揺れる音で目を覚ました。
枕元の小さな明かりをつけて目覚まし時計を見ると、まだ午前2時過ぎを指している。
隣には美穂が小さな寝息をたてている。
小学5年生の平均身長とほぼ同じだと苦笑していた小柄な体。あの当時の美穂をそのままタイムスリップさせたのではないかと思うほど。
でもその小さな存在を一生をかけて大切にすると彼女に誓った。
まだ春になりきっていないこともあるだろうけど、さっき脱いで畳んだブラウスも、風呂上がりに着替えたパジャマも、柔らかくて厚手の素材だった。
そう、それは俺の記憶のなかで、彼女が小学4年生のときに着ていたものとほとんど変わらない。
あの頃からよく襟元に細いリボンを結んでいた。周りの女子に比べても大人っぽいなと分かるくらい、あの頃から竹下美穂は他の女子とは違った。
もちろん体のことはあるけれど、あどけない表情の中に、どこか達観しているような大人びた視線を持つ不思議な存在だった。
きっとそれは、生まれつきの苦労をしながら、同世代のクラスメイトとの距離を感じていたのかもしれない。
掛け布団を直そうとしたときに、美穂の肌に手が触れて焦った。パジャマの前ボタンが外れていて、キャミソールもたくしあげられている。
寝るときにはブラジャーはつけないとガキの頃の妙な知識だけはついていたから……。つまり、美穂は胸元からお腹のあたりまではだけていたことになる。
さすがにこのままでは風邪を引いてしまうと、なんとかキャミソールを下ろそうとしたときだった。
「おはよう……」
「美穂ちゃん、風邪ひくよ。どうしてこういうことに……」
彼女は起き上がって、自分の支度を直しながら、逆に俺に聞いた。
「覚えてないの? ヒロくんお酒弱かったんだね。私も強くないんだけど、まさかそんなに効くとは思ってなかった」
テーブルの上に、サワーのお酒の缶が残っていた。そのとなりにおつまみで開けたポテトチップス。
もしかして、美穂を襲ったのか? 彼女の体に傷を作ったりしなかっただろうか?
すっかり慌てた俺に、美穂は首を横に振って笑った。
「ボタンを外したのは私。ヒロくんは私の傷をずっと触っていてくれて、いつかきれいになりますようにって。私、泣いちゃってた」
そうだったのか……。でも、美穂の顔を見ているとそれだけではなさそうだ。
「もう、忘れちゃったのかなぁ。それともあんなに優しかったのは無意識だったのぉ?」
何となくは覚えてる。そう、美穂が傷のことを恥ずかしいと言っていたので、もう一度ゆっくり触らせてもらった。この傷があろうがなかろうが気持ちは変わらないし、彼女が生きてきてくれたことに感謝していた。
「ごめん、そこまでは覚えてるんだけど、その先はまだはっきりと思い出せなくて……」
「もぉ、ま、でも許してあげる。ヒロくん、私のことそこまでわかっていてくれたから……」
美穂は今夜、初めてを渡すつもりで来ていたのだと。
でも、そこで俺に止められたのだという。
彼女を拒否したのではない。人工弁膜に血栓ができないように、美穂は毎日薬を飲んでいる。同時にそれは怪我をしたときになかなか止血しないという副作用がある。
彼女と初めて交わるということは、多少の出血も覚悟しなければならないのに、別のリスクを美穂に負わせたくない。
次の手術が終わればその薬は飲まなくてよくなる。心臓だって不安もなくなる。そのときに思い切り愛を交わそうと。
でも、美穂が俺のものになったという印がほしいとねだったときに、それならばと、彼女を思い切り抱きしめてキスをした……。
「あのね……。最初止められたとき、ショックだったよ。でもヒロくんが私のことをそれだけ知っていてくれたことで、逆にありがとうって……。初めてのキス。嬉しかった。大好きだよって」
「ちゃんと酔っ払わないで覚えていればよかったなぁ。そんな大事なものを貰ってたんだから。あのさ、明日って何時頃までに帰ればいいんだ?」
「うん? 連絡しておけば夕方までに帰ればいいと思うよ?」
「じゃぁ、明日ちょっと付き合ってくれないか? 一緒に来て欲しいところがあるんだ」
天気予報によれば、いまの嵐も朝には収まり、昼間はかなり暖かくなるといっていた。
「うん、いいよ。じゃあ明日はデートだね」
「おやすみ」
お互いに唇を交わすと、美穂はまた俺に抱きつくようにして目をつぶった。
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