メモリーズ
悟房 勢
第1話
人生に答えを見出そうとするならば、人は
名を
極端な例かもしれないが、徳川家康なぞはそういった意味で言うなら織田信長と違い、人生の成功者なのだろう。銅像なんか目じゃない。東照大権現になった。あるいは、本人は望んでいたかどうかは分からないが東郷平八郎などは東郷神社の祭神となった。それを言えば、靖国神社に祀られている人々はどうか。
いや、この話題をこのまま続ければ別の方向に行ってしまうから止めよう。ただ、
とはいえ、僕はどちらかと言えば、自分が何者かを探すことにこれまでの人生を費やしてきたように思える。名を遺すなんて畏れ多い。かと言って孤独死を恐れない、というわけでもない。本来なら、自分を探求するという行為は、孤独死もを辞せずの心構えでいなくてはならない。名を遺す行為とそれは、対局にあるはずなんだ。
けど、僕にはまだ、そこまでの勇気はない。それでもなお、せめて自分自身は自分のことを知っておきたかった。
どこから来て、どこに向かうか。答えは自分の中にあると思っていた。明確な目標、なりたい自分がイメージ出来なくては、全ては不毛であるということも。
だから、迷う。いつも悩んでいるように思われる。周囲には意志薄弱と思われているのだろうが事実、僕の自分探しの旅は進路も定かではなく流されてばかりで、偶然ここまでやって来た。
どうしてそうなったか。おそらくは、子供の頃の思い出が無いことが原因なのだろう。もちろん、記憶はある。だが、思い出が無いんだ。
例えば、歴史の授業で年表だけを暗記させられたらどうだろう。僕の言いたいことはそういうことなんだ。歴史はストーリーだ。記号の羅列ではない。
僕は子供の頃、両親の喧嘩を見て育った。二人は顔を合わせればいつもののしり合いで、父が居なければ居ないで母が父の悪行を僕に訴えていた。僕を味方に引き込みたかったんだ。だから、僕の家庭はいがみ合いと猜疑心でズタズタで、絶えず気味の悪い緊張感に包まれていた。
このパターンにハマったら大抵の子供は夜の街をうろつく羽目になる。そして、事件に巻き込まれるか、事件を引き起こすか。
僕の場合、ラッキーだったとしか言いようがない。勉強机に向かって参考書さえ開いていれば親の喧嘩が収まる、これに早くから気付いたからだ。
五月蠅くしてはならないと言うのであろう、両親は憎み合っていても僕への愛情はあった。それでも僕は、家には居づらかった。塾にだったら両親は幾らでもお金は出してくれそうだったし、僕は家にいないで済む。だから、塾を幾つも掛け持ちし、家庭からの逃亡を図った。
そのおかげで今の僕がある。大して頭が良くないのに大学にも行けたし、世間でも名の通った会社に入れた。
けど、僕の頭にあるのは真っ暗な田んぼや畑の風景にポツンポツンとある街灯と信号機、それとバスの車内の薄明りだけだった。学校の修学旅行も遠足も運動会も何もない。それはもはや思い出ではなく記憶としか言い様がなかった。
何かを得るために何かを捨てなくてはならない。あれもこれも出来る人間は
渇きは依然として残るのだ。そうなったら、誰しもが心の潤いを求めて、自分探しの旅に出る。
ただ、そんな僕にも思い出がないわけではなかった。
散々愚痴ってしまったが、思い出というのはよくよく考えれば僕だけのものではない。大抵が共有されるものだ。極端に言えば、自分にとっては無かったものだったかもしれないが相手に取ってみれば人生を変えてしまうものだったりする。
それは“名を
そして、その証言こそが僕だったのかもしれない。つまり、僕の言いたいことは、自分探しの答えは自分の心の奥底にはないって場合もある、ということ。
当時、僕は神奈川県のある会社の設計部に所属していた。技術開発は様々な困難と出くわすが、やりがいのある仕事だと思っていた。それがこの十月から地方の品質管理部に転属を命じられた。期間は三年だと言う。
正直、がっかりはした。誰かに注文を付けたり、衝突するのは性に合わない。けど、仕方がなかった。二人の子供はまだ小学生だったし、三年という短い期間だったから僕は悩んだ挙句、単身赴任すると決めた。
問題は転勤先だった。三重県にある亀山市というところだ。田舎が嫌いだとか左遷のようで腹が立つとかじゃない。僕の故郷のすぐ隣だというのが問題だった。会社の裏ルールとして故郷への転勤はご法度だった。便宜を図るような人事では統制がとれないというのである。当然と言えば当然で、このことを人事によっぽど言おうとした。だがそうしたら、誰かが代わりに行かねばならなくなる。それを考えると僕は二の足を踏んだ。
この件に関しては言えば、僕にも非がない訳でもない。出身は? と同僚に聞かれたら関西だといつも答えたていたし、本籍地はというと、神奈川県横浜市だった。基本、邪魔くさかったんだ。言葉の鉛で出身地を聞かれるのはいいとして、三重県がややこしかった。文化は間違いなく関西圏で、そこに住む人のほとんどが近いはずの名古屋弁ではなく関西弁に似た言葉を喋っていた。
それに、僕が生まれたのは横浜市で、両親も神奈川県の人だった。出身は? と聞かれたら神奈川県だと言っても差し支えはない。僕はただ、出身地を問う人の誰もが期待していた答えを言ったまでだ。けど、実家はどこかと問われるならばそうはいかない。
そんな屁理屈を言わず三重県って言えばいいじゃないかと思うだろうが、この僕自身が三重県をよく知らない。鈴鹿サーキットとか伊勢神宮とかなら名前は知っているけど、家族で行くはずもなく、学校の遠足もそこへは行かなかったような気がする。だから、この転勤は新天地に向かうようだったし、実際にキャリーケースを持って玄関を出る時は緊張していた。
かれこれ、転勤して来て一か月過ぎた金曜日のことである。僕の元上司の設計部長が亀山工場を視察に来ていた。僕は元部下だけあって案内に加えられていた。昼から来て会議の真似事を一時間ほど行い、工場で製品の製造過程を見ていく。ああでもないこうでもないと工場側の偉いさんが説明していく。
僕は、その行列の最後尾に付いて行けば良かった。転勤して来たばかりで工場側の人間だとは言えないし、かと言って本社側でもない。あまり出しゃばらない方が皆にとっては幸せなのだ。それは夜の宴会も同じだった。
末席で目立たず、話しかけられた時には話す。ビール瓶片手に席を廻るなんてことはしない。ただ、飲み物が無くなったり、注文が出たりした場合は、内線電話を掛けはした。
宴会はというと、亀山市ではなく県庁所在地の津市で
だから、宿泊の場所も繁華街の傍の
打ち上げだというのであろう。時間は十一時前であった。繁華街にはもうほとんど人が見かけなかった。店の看板の明かりもまばらで、目に入るのは外国人ばかり。路地に入るどの交差点にも彼らは立っていてマッサージはいかがですかと声を掛けてくる。薄暗くて顔がよく見えなく、三、四人が固まっているのでなんだか薄気味悪い。
ここも、僕の子供の頃はもっと栄えていた。映画館があったり、本屋があったり、お洒落なアパレルの店があったりしてアーケードは
僕ら五人はそのアーケードを進んでいた。年長者の行きつけのスナックに向かうのである。
道すがら、彼らは自社製品のここが良いとか、外国の製品には負けてないとか、威勢のいいことを言っている。僕はその後ろで、例によって会話に加わることもなく少し離れて歩いていた。
ふと、お好み焼き屋のシャッターの前にうずくまった人を見かけた。酔っ払いだろうと思ったが、様子がおかしい。足を抑えて苦しんでいた。喧嘩でもあったのかと思い直したが、どうも知った顔のように思える。
僕はなぜか、ほっておくことが出来なくなった。行動を共にする四人とは打ち解けていたわけでもなかったし、僕がいない方がこの四人も楽しめるだろう。スマホをいじくる一芝居を打って、急用が出来てしまったと残念がって、僕はこの四人と別れた。
歪んだ形相の男を前にして、僕はしゃがみ込んだ。そして、どうかしましたか、と問う。
「すまないが、靴の紐を外してくれ」
薄暗くて、しかも、うつむき加減でよく分からなかったが、顔を近づけてみて確信した。やっぱりこの男を、僕は知っている。
男はチェスターコートにスキニーパンツ、そしてブーツを履いていた。その姿は、記憶にある男のイメージからは大きくかけ離れていた。
しかし、年甲斐もなく随分とめかし込んだものだ。お目当ての女がどこかこの辺のスナックにいる。その子は歳も若いのであろう、そんな想像が僕の頭をよぎった。
「靴紐」
男はまた、そう言った。さっきから靴を脱ごうとしている。足がどうかしたのであろうか。僕は靴紐を外すのを手伝った。
右足は見事に折れていた。複雑骨折か、二か所以上はいっていると思った。足首は曲がってはいけない方向に曲がっている。腫れもひどい。これでは確かに、靴を脱ぐにもしどろもどろになるはずだ。僕は言った。
「救急車を呼ばないと」
「ここではよしてくれ」
「でも」
「すまん。二十三号線まで連れてってくれ。そこで俺が呼ぶ」
なるほど、そういうことか。小綺麗にしているからには金がないわけではなさそうだ。スマホぐらい持っていよう。それを掛けなかったところを見ると男は騒ぎを恐れている。この人通りのないアーケードに救急車でも来たら目立つってもんじゃぁない。
狭い町だ。瞬く間に噂にもなるだろう。噂は尾ひれ葉ひれがつくと相場が決まっている。それを分かっているのだろう、男は僕におんぶしされ国道まで向かう途中、こうなった
要は、酔って階段から落ちたということだ。スナックはビルの二階にあって見送りの女の子とふざけていた。落ちてからはケンケンしてお好み焼き屋の前まで何とか来た。気のある女の子に無様な姿をさらせない。それは男の服装からみても容易に想像出来る。
男は僕の背中で119番に電話を入れた。やがて国道に出ると十分もせずに救急車が到着した。担架に乗せられた男は、ちょっとわりい、と救急隊員を止めさせた。そして、僕に名刺を差し出す。
サラリーマンの
「すまなかった。あんたの、せっかくの金曜日を台無しにしちまった。俺はこういうもんだ。連絡先も書いてある。お礼をさせてくれ」
名前を見た。やっぱりと思った。僕はこの男を知っていた。
男は僕に向けて手を差し出した。これは間違いなく名刺の催促である。僕は固唾を飲んだ。
名刺をもらっといて出せないなんて言い訳が通じるだろうか。
この場合、どう断ったらベストなのか。そう悩んでいたのはちょっとの間だと信じたかった。渡したくないと感づかれもすれば、どんな言い訳をしたって白々しい。僕は慌ててカバンの中を見たり、ポケットを探ったり、探す素ぶりをした。
「渡す気はないみたいだな、にぃーちゃん」
男の豹変にどきっとした。こいつはこういうやつだった。すぐ頭に血が上る。渡さなかったらどっかでばったり会った時が恐ろしい。だが、渡せば同級生だと知られるかもしれない。いや、そもそもこの男が僕のことなんて覚えてるはずがないんだ。こいつと正面切って話したのは確か中三の三学期だけだ、大丈夫。
僕はそれに賭けた。覚えてないことにはかなりの自信があった。白々しくも、あ、あったと胸の内ポケットから名刺を出した。受け取ったその様子をドキドキして見守っていると男は、僕の名刺を
「池田さん、今日は済まなかった。気を付けて帰ってくれよ」
男は救急車の中に運び込まれていった。
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