ピエロ
宇野雪月
ピエロ
小学生の時の話だ。
「ねえ知ってる?図書室のピエロの話」
クラスメイトの女子がある日そんな話をしてきた。
「いや」
5年生で転入した僕は、まだその学校についてあまり知らなかった。
「知らないの?じゃあ教えてあげる」
噂話とかオカルトの類が大好きだった彼女は、教えてとも言ってないのに嬉々として語り始めた。
「図書室の入口にピエロの絵があるでしょ。あれね、今は2人いるけど、最初は1人だったんだって。なんで2人になったと思う?」
なんでって言われても、僕はその話を知らない。
「さあ.....なんで?」
「実はね.......」
ひとりだけ描かれたピエロは、図書室にやってくる子供たちを笑顔で出迎えていたの。その頃は図書室はいつでも開いてて、みんなよく使ってたんだって。ピエロはたくさんの人達が来てくれるのが嬉しくて、楽しい日々を過ごしていたの。
だけどね、そのうちみんな外で遊ぶようになって図書室に行かなくなってしまったの。ひとりのピエロはだんだん寂しくなって...お友達をつくることにしたんだって。
だけどいくら声をかけても誰も答えてくれない。そうだよね。聞こえないし、聞こえたとしても誰も絵の中のピエロが喋るなんて思わないもの。でもピエロはそれがわからないから、ずーっと話しかけ続けてた。
でもあるとき、ピエロは気づいてしまったの。自分の声が周りに聞こえてないことに。
聞こえないなら、動けない自分はどうやっても気づいてもらえない。だったらいっそ、
「引き込んじゃえばいいんだ!!」
「いやピエロもうちょっとなんか方法あっただろ」
僕は思わず突っ込んだ。
「他の方法思いつかなかったんだろうねえ」
「でも急すぎないか?」
「仕方ないじゃない。思いつけなかったんだから」
まるで本人の言い訳のようなことを言って、彼女は続けた。
あるときから図書室で児童が消えるって騒ぎになった。お昼休みに図書室へ行った子がそのまま帰ってこなくなって、いくら探しても見つからなかったんだって。警察も動いて凄い騒ぎになったんだけど結局迷宮入り。当時の校長先生と教頭先生が責任取って辞めて....
「だから今みたいに図書室にはクラスでしか行けなくなったんだって」
「へぇ」
つまり、と前置きして僕は率直な感想を述べる。
「ロリコンピエロのせいで自由に出入りできなくなったってことか」
「ロリコンピエロて、あはははは!!」
彼女が死にそうな勢いで笑った。
それが収まった後で続ける。
「矛盾点がいくつかあるよな」
「え?」
「そんだけ騒ぎになったわりにはあまり知られてない話だろ?それ。いつの話か知らないけどさ」
確かに、と彼女も頷く。
「あっ、でもこの学校今年で創立145周年だし、結構昔の話だったら有り得るんじゃない?」
「100年以上遡る噂話ってなんだよやばすぎだろ」
ふふふ、とおかしそうに笑った彼女は言った。
「でもピエロ可哀想だよね」
「まあ...人は拐ったけどな」
「拐ったりしなかったら今もみんな自由に図書室行ってて寂しくなかったんだろうな〜」
いっそ笑わずに泣いたら誰か来てくれたかもしれないのにね、と少し切なそうに呟いた。
───その半年後、卒業直前に彼女は行方不明になった。
図書の授業後点呼した時に発覚、学校中が探し回り、警察も捜索に加わったが、彼女が見つかることはなかった。
僕は直感した。彼女はピエロに拐われた。「魅入られた」のだと。
噂は本当だったのかもしれないと思った。
あれから2年か。
中学生になった僕は今、行事で一般開放された学校に来ている。不自然なほど何も変わらない校内を懐かしく回っていると、一際目を引く区画があった。古い校舎でそこだけ真新しく、殊更目立って見える。
あの事件の後、一時閉鎖され改修された図書室だ。
「....結構変わったな」
書架の配置がガラリと変わり、カウンターからの見通しが良くなっている。念押しのようにあからさまなほど設置されている防犯カメラが通路を監視していた。
学校側も、あんなことが起こったら流石に対策を講じないわけにはいかなかったらしい。かなりの額が掛かっただろうな、と眺めていると、視界の端に見覚えのある色彩が映った。
古びた額縁、薄いタッチで描かれた───
「ピエロ.....」
真新しい図書室で、その絵だけが異彩を放っていた。
だけど、目を引いたのはそれだけが理由じゃない。
僕も何度も見た2人のピエロに囲まれるように、
3人目のピエロがいた。
「斎藤海琴......!」
思わず彼女の名前を叫んだ。間違いなく彼女だった。
噂は本当だった。僕の直感は見事に当たってしまっていた。彼女はピエロに引き込まれていたのだ。
急に吐き気がして思わずしゃがみこむ。頭が理解を阻害しようと必死に記憶を追い出そうとする。
だって、だって、こんなのないじゃないか、あんなに笑って普通に話していたのに、こんな簡単にいなくなる、しかも、
完璧すぎるほど、知っていた話の通りに。
「嘘だろ......」
彼女がピエロに拐われた、ということは分かっていたはずなのに、実際見るとその衝撃は凄まじかった。
絵の中の彼女は優雅に微笑んでいた。
少しづつ頭を整理して、分かったことがある。
彼女は確かに魅入られていた。でもただ魅入られていただけではなかった。
彼女もピエロに魅入っていたのだ。
今思い返せば、行方不明になる前から少し様子がおかしかった。いつも誰かと話していたのに、ひとりでいることが多くなっていた。どこか遠くを見つめているような目をしているのに、うっとりと何かに見とれているような瞳をどこかに向けていて───
あれは多分、ピエロに向けた目だったのだ。〘仕方ないじゃない。思いつけなかったんだから〙
まるで本人の言い訳のようなあの台詞はそういうことだったのだろう。
だから、泣きそうな『2人目のピエロ』と違って優雅に微笑んでいたんだ。
ピエロ。
和訳すると道化師。
人目を引くために派手な衣装を身に纏い、演じ笑い続けるもの。たくさんの人々に笑顔を与えるそれは、しばしば誘拐事件の手口として利用されたという。
3人のピエロは、今も図書室の一角で微笑み続けている。
ピエロ 宇野雪月 @setsuka_uno
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