第258話 統領選挙*

 連合都市ユニオン・シティ代表による統領コンスル選挙の当日、フリッツ・ロニーは政庁に来ていた。

 ここ二年間、ずっと自分の仕事場として使っていた統領執務室で、何をするでもなく座っている。


 本来なら控室ででも待っているべきなのだろうが、この椅子が一番座り心地がよかった。

 フリッツは、ただすべてを懐かしみながら、今日をもって去るであろう居室を隅々まで眺めていた。


 だが、それも長くは続かないだろう。

 今、大会議場では各連合都市の代表者たちが、次の統領を決めるべく話し合いをしている。

 もう投票に移っているのかもしれないが、いずれにせよ、そう長くかかるものではない。


 統領コンスルとは合議の結論をもって決まるものではないからだ。

 本来であれば、市長、あるいは選挙権を委任された権利者が、集まって会議をする必要もない。

 集まりがあるのは、連合都市にも中央から遠い近いがあり、遠くに住み情報に疎い者には知識のすり合わせが必要だろう、と考えられているからにすぎない。

 したがって、集まりは自由参加で参加の義務はない。馬で乗り付けたその足で投票を済ませ、すぐに帰ってもかまわないことになっている。


 実際には、各代表者は、代表者といっても殆どの場合は市長自身が来るわけだが、事前に数日の間ガリラヤニンに滞在し、候補者がそこを訪ね、賄賂の算段を済ませる流れが定着している。

 つまり、彼らの中では投票先はすでに決まっているのだ。


 そういったものだから、会議といっても長くかかるものではない。

 もともと勝ち目があるわけもないので、フリッツの気分は今日の天気のように落ち着き払っていた。

 まさか、統領選挙をこのような気分で迎えることになるとは、思ってもいなかったことだ。


 執務室の椅子に座ってから一時間ほどしただろうか。トントン、とドアが叩かれた。


「入れ」

 と言うと、真鍮製のノブがカチャリと回された。

「フリッツさま。開票のお時間です」


 運命を告げに来た天使のような気分になっているのだろうか。政庁で手伝いをしている若者は、緊張した面持ちで言った。


「ああ。今行く」


 フリッツは襟を正して立ち上がった。



 *****



 かつてはルールー大聖堂と呼ばれていた建物の巨大な礼拝堂は、現在は会議場に改造されているが、見事な建築を見物したいという要望に応えるため、普段は開放されている。


 政務に使っている部分に観光客や不審者が入ってくると困るので、普段は大会議場と政務空間は完全に分断され、連絡口は閉ざされている。

 そのため、フリッツはやや面倒な迂回路を使って大会議場に辿り着いた。


 本来の役割を久方ぶりに果たすべく、全体が十分に掃き清められたホールは、静かに荘厳な雰囲気を漂わせていた。

 いつも観光客の喧騒で賑やかしい、良く声の響くホールは、今はと静まり返っている。


 フリッツは、敷かれた絨毯を歩き、一つだけ空いた席に座った。

 隣には、ベルビオ・ハトランが座っている。

 自身が立候補する場合、総督や市長は投票前の話し合いには参加できない決まりになっているので、彼は投票の際に呼び出され、自らも票を投じたはずだ。


「では、開票いたします」


 フリッツも見知っている司教が言った。

 昔から、王への戴冠は聖職者が行うと決まっている。


 統領コンスルは王ではないが、教皇領との国交が正常化してから、彼らの顔を立てる形で統領の発表は聖職者が行うことになっていた。

 以前はゲリジムから司教がやってきていたが、ゲリジムは既に陥落し、そこにいた出世頭の司教は教皇領に帰ってしまっている。

 現在の最高位の聖職者は、ガリラヤニンの教区を統括する彼であった。


「ガリラヤニン、50票、ベルビオ・ハトラン。

 コートフェルミ、21票、フリッツ・ロニー。

 ノイミラベル、19票、フリッツ・ロニー。

 エラミトラ、19票、フリッツ・ロニー……」


 フリッツは、自分の名が呼ばれるのを、名だたる大都市の票が自分に投じられるのを、白昼夢でも見ているような気分で聞いていた。

 まさか。ありえない。という考えが頭をよぎる。


「おい! なっ、どうなっている!」


 ベルビオが吠えた。

 その大声は、石造りの大会議場に反響し、重なり合って響いた。


「続けてくれ」


 司祭にそう言ったのは、コートフェルミの市長であるアリョーシャ・エオルフェだった。

 エオルフェ家は、シャンティニオンが陥落し、ガリラヤニンと名を変えた第一次十字軍の頃に教皇領の師団長を任されていた家柄で、戦勝の折にコートフェルミを任された。

 この地に耳の短い人類が住み着いた、その時から始まる最古の名家の一つである。


「ノイテトラフォール、2票、ベルビオ・ハトラン。

 ヘムスプリングス、1票、ベルビオ・ハトラン。

 ノイニルノ、1票、ベルビオ・ハトラン。以上です」


 司教が言い終えると、


「ベルビオ・ハトラン、89票。フリッツ・ロニー、111票」


 と、隣でそろばんを弾いて票数計算をしていた政庁の会計院の代表者が結果を言った。


「よって、フリッツ・ロニー氏を二十七代目の連合統領ユニオン・コンスルに任命いたします」


「なぜっ……!」


 結果がそうなるとは思ってもいなかったのか、ベルビオは狼狽えているようだ。

 それはフリッツも同じ思いだった。


 風が吹けば木は揺れ、葉はざわめき、桶に張った水は揺れる。そういった自然の理が誤りで、お前の勘違いだったのだと言われたような気分だった。

 時間をかけて自分が会得してきた政治の感覚、選挙の理論ロジックが机ごとひっくり返された。ありえないことが起きた。


「戦争が迫っている。今までのように遊戯に興じている場合ではない、ということだ」


 高齢でありながら矍鑠かくしゃくとしたアリョーシャが、しわがれ声で言った。懐から何枚かの紙を取り出し、会議場の大テーブルの上に置く。

 少し遠かったので、フリッツの目では紙の一番上に大きな文字で書かれている、”考課表””顛末書てんまつしょ”といった文字しか読めなかった。


「そ、それは……」


「幾人かの市長は小金に目が眩んだようだが……我々にとっては、ことの重大さが違うのだよ。いくら積まれようが、惑わされてよい判断ではない」

 この場合の我々、というのは、古来から大きな市に根を張った一族、という意味だろう。

 候補者が積む条件がいくら良くても、彼らが累代積み重ねてきた名望や財産の全てに匹敵するものではない。ということか。

「あの蛮人どもとの戦争に勝たなければ、先祖代々が手塩にかけてはぐくんできた市は、破滅してしまうのだからな」


 フリッツには、机の上に置かれている紙について、幾つか心当たりがあった。


 生まれながらにして政治家として生きることを宿命付けられていたベルビオは、経歴キャリアの一環として若い頃に軍に入っていた。

 軍人であったということは、祖国のために命を賭けたということだ。市民は単純によいイメージを抱くし、戦争が起きたときには頼りになると思わせることもできる。


 だが、これまでの選挙では、ベルビオはその前歴を利用したことはなかった。記憶にある限りでは、前面に押し出して戦ったこともない。

 なので、フリッツも半ば忘れていた。


 なにかしら不名誉な出来事があったから、表に出したくなかったのか。


「ここにある顛末書には、君は任された隊を満足に統率することができず、見張りを立てずに野営をしたため、カンジャル騎兵の夜襲で壊滅させられたとある」


 フリッツにとっては初耳の話であった。


 その内容であれば、普通は顛末書という扱いでは済まないはずだ。

 カンジャル騎兵にとって夜襲は常套手段なので、彼らの襲撃の可能性がわずかでもある場所では、必ず見張りを立てなければならない。


 確かに、夜を徹しての見張りというのは、必要でありながら徹底させることが難しい仕事の一つだ。だが、指揮官である限りは、なんとかしてやらせなければならない。

 見張りを立てずに野営をし、襲撃されたというのは、場合によっては利敵行為として軍法会議で裁かれてもおかしくはないほどの失態となる。


 それが”顛末書”という、特定の誰かの責任を強く問う形式にせず終わったのは、誰かが揉み消しを図った結果、そういう形に落ち着いたのだろう。


「それはっ……しかし、それは……二十代のころの話で……」


 ベルビオは、現在四十半ばという年齢にある。確かに、いまさら掘り出されても困る遠い過去の出来事といえる。


「その事件がなくとも、普段の仕事ぶりを評価した上官からの考課表も散々な内容だ。とてもではないが、国の命運を賭けた戦争の指導を任せる気にはなれぬ。カンジャルの部族との小競り合いとは話が違うのだ」

「それなら! ここにいるフリッツはどうなのだ。前の十字軍では逃げ帰ってきたではないか」

「政治家は戦闘に参加する必要はない」


 アリョーシャは断じて言った。

 たしかに、それは言う通りであった。十字軍に高位の政治家が帯同するのは、戦後の分割会議に参加するのが主目的で、あとは要所要所で政治的な舵取りをするためだ。


 他の国の場合、政治を司る貴族が将軍も務めるのが普通だ。だが、ガリラヤ連合では将軍は純軍事的な存在なので、封ぜられた領土を得て一国一城の主として活動しているわけではない。

 彼らには国益に関する判断はできないし、求められてもいない。よって政治家が帯同し、必要とされる時に適切な判断をしなければならない。


 国民はそういったことを理解しないが、むしろ剣を取って自ら戦争に参加する方が問題で、流れ矢にでも当たって戦死をしたら誰が分割会議で権利を主張するのか、という話になってしまう。


「それに、フリッツ殿は後備の人員を率いて見事に脱出してみせた。同じような状況にあって虜囚の辱めを受けた者たちが、他国にどれだけいたことか」


 あのとき、フリッツは陣営の状態を見て、勝利はかなり危ういと踏んでいた。

 あらかじめ荷造りをして逃げる準備を行い、敗報が来ると同時に脱兎のごとく退却した。

 国に戻ると、その対応は一部の人々から非難されたが、のちに高額の身代金の要求があると、金額の書かれたリストの一番上に”ガリラヤ連合副統領”の名前が載せられなかったことを評価する向きも出てきて、合計としてはフリッツの評価は下がらず、やや上がったという総評に落ち着いている。


「ベルビオ殿が悪いというわけではない。あなたは立派な、有能な政治家だ」

 エラミトラの市長が言った。彼は場が荒れると、空気を読んで調停したがるタイプの政治家だ。

「ただ、フリッツ殿も軍事に疎いというわけではないし、なにより外交に長けている。これから援軍に各国の軍が来る。今回は、彼らの顔を見知ったフリッツ殿のほうが、統領としては適任だろう。ということになったのです」

「くっ……」


 ベルビオは、フリッツの隣で膝の上に握りこぶしを作り、震わせていた。


 一方のフリッツも、途方に暮れたような気分であった。

 労せず統領になれたのだから、喜ばしいと感じるべきなのかもしれないが、そもそもフリッツは統領になる気は失せてしまっていた。立候補したのは、言ってみれば祖国の今後を想ってのことだ。

 だが、こうなった以上、辞退しますというわけにはいかない。

 結果が出た以上は、それを包み隠して最初からベルビオが当選したという形にすることはできない。どうしても、当選したフリッツが統領の座を辞退した、という形は残ってしまう。

 統領が率先して国を見捨てたとなれば、戦争に甚大な悪影響を及ぼしてしまう。


「しかし、フリッツ殿はなぜ選挙活動をしなかったのだ」


 アリョーシャが、フリッツを鋭い目で睨むように見ながら言った。

 やる気はあるのか、と暗に問い詰めているのだろう。


「……この結果を、予想していただけのことです。逆に言えば、この期に及んで市長の過半が賄賂に惑わされるようであれば、ユーリ・ホウとの戦争に勝てるわけがない」


 フリッツは思ってもいないことを言った。

 政治家は嘘を吐く生き物だ。正直な政治家などいない。フリッツもまた、嘘を吐くのには慣れていた。


「さすがはオラーセム殿の娘婿だ。肝が座っているな」


 アリョーシャは剣呑な雰囲気を解いて、言った。

 フリッツはハトラン家に入ったわけではないので、娘婿ではない。だが、フリッツは何も言わないことにした。


「では、会議を始めましょう。選挙は終わった。次は戦争が待っているのですから」

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