第259話 龍帝謁見*

 十字軍各国から続々と援軍が到着しつつある時、フリッツ・ロニーはまったく別のところに居た。


 クルルアーン竜帝国の帝都アシュレイアは、地中海から少し離れた内地に位置している。

 そのほぼ中央に、龍宮りゅうきゅうと呼ばれている王宮は存在していた。


 龍宮は、幾つかの旅行記では”この世で最も美しい建造物”とまで書かれている、素晴らしい建物だ。

 片面に釉薬をつけて焼かれたレンガを組み合わせることで、全体が幻想的な幾何学模様で彩られている。

 深く濃い青と淡く薄い青、そして僅かな金色と白のコントラストで彩られた王宮は、熱砂の国にありながら海底にある海神の棲家のような雰囲気を漂わせており、一見して尋常の建物には見えない。高さや彫刻ではなく、そのものの美しさで龍帝の棲家であることを表現していた。

 龍帝から遣わされた案内人と、数人の護衛を伴って歩くフリッツ・ロニーは久方ぶりに、そして人生で二度目に訪れる龍宮の美しさに魅入られていた。


 ここアシュレイアは、国祖アナンタ一世によって造られた、クルルアーン人にとって由緒正しい、思い入れの深い都市である。

 なので、唯一無二の帝都とされているが、非公式には”東の都”と呼ばれることが多い。

 それと対を為すのが”西の都”であり、それはガリラヤニンが面している黒海の出口にある、テリュムウールを指す。


 フリッツが良く交流するのは、当然ながら地理的に関わりが深いテリュムウールのほうである。アシュレイアには知己といえるほどの高官はほとんどいない。

 だが、フリッツはアシュレイアに棲む龍帝の一族、及び政に関わるものたち、そして累代龍宮に出入りする大商人たちについてよく知識を蓄えていた。


 案内人に促されながら、フリッツは一般市民の入れる領域を抜け、更に奥へと入ってゆく。

 以前に来たときは、将来有望な政治家としてお目通りが叶ったにすぎない。


 だが今回は違う。統領コンスルとして仕事をこなすために来たのだ。



 *****



「ご無沙汰しておりました。アクナル三世陛下。そしてハリーファ様も」


 龍宮の庭園パラディスに通されたフリッツは、アーン語で挨拶をしつつ、まずは跪いて礼をした。

 本来、国家元首同士の対話で片方だけが礼をするのは問題があるのだが、クルルアーン竜帝国の場合は少し事情が違う。

 竜帝国は歴史ある国であるし、経済規模も違う。また、龍帝の座は皇帝であると同時に、ココルル教の守護者という意味合いも持っているので、言ってみれば皇帝と教皇を足したような相手に対する礼をしなければならない。

 さすがに国を背負っている立場上、地面に頭をつけるような礼の仕方はしないが、跪くくらいはしないと相手の面子が立たない。


「これはご丁寧に。どうか頭を上げ、こちらにお座りください」


 そう言ったのは、宰相であるハリーファであった。

 アクナル三世は幸いにして無能ではないが、こういった世襲で立場が継がれてゆく国家にあっては、君主は常に有能であるわけではない。

 そこをおぎなう宰相という役職は、国家の仕組みの中で常に重い役割を担っている。

 皇帝が凡愚でも、宰相が優秀であれば国は揺るがない場合が殆どだし、逆を言えば皇帝と宰相が両方とも無能であったり、あるいは無能な皇帝が宰相を遠ざけるほど愚劣であった場合、国はあっけなく滅んでしまう。


 実際、クルルアーン竜帝国では二度、そのようなことが起こっている。

 竜帝国という国名や、龍帝という名こそ変わっていないが、アクナル三世もアナンタ一世から確かに続く皇胤こういんというわけではない。


「では、失礼を……」


 フリッツは立ち上がり、帽子を直して椅子に座った。ココルル教圏では、教義にあるわけではないが、砂漠地帯が多いためか帽子あるいはターバンを常にかぶるという文化がある。

 椅子は、アクナル三世もハリーファも、フリッツも同じものだった。庭園に面した少し大きな丸いテーブルに、アクナル三世の対面に置かれた椅子に座る。ハリーファはアクナル三世のすぐ隣に座っていた。


「ふう……いつ見ても美しい庭ですね。人心地ついたような気分になります」


 フリッツはまずは庭を褒めた。庭を褒められて喜ばないあるじはいない。


「そうであろう」


 と、アクナル三世は、やはり満更でもなさそうであった。

 庭園がいいというのは嘘ではない。龍宮の庭園は特に水場が多いが、砂埃の多い過酷な地にあって、緑の配された水気を感じられる場所というのは貴重である。

 とにかく埃っぽさを感じないというのは嬉しいし、ここでしか見たことのない樹木がたくさんあるのも見た目に楽しい。

 庭園にもフリューシャ式やペニンスラ式があるが、整然と刈り整えられた樹木を並べ図形のように庭を作るのを最良とするフリューシャ式と比べると、龍宮の庭園は様々な樹木がバラバラに植わっていて、人間らしさを感じる。他にも、フリューシャ式は貴人が来る際は庭師を遠ざけておくのを良とするが、この庭には普通に世話をする庭師の姿が見えた。


「ふだん海辺の街に住んでいるからか、水があるとほっとするような気がいたします」

「そうですか。あっ、それよりまずは……統領コンスルへの就任、おめでとうございます」

 ハリーファが言った。

「ありがとうございます」

「目出度いことだ。あのオラーセムが見出した才なのだから、当然ともいえるが」


 これは言葉だけでなく、オラーセムはアクナル三世と都合三度謁見している。友とまでは呼べないにしても、知己とは言えるだろう。

 アクナル三世は今年七十四歳になる。三十二歳のハリーファより大分年上である。

 前任の宰相は二代の皇帝に仕え、五年前にこの世を去った。ハリーファは彼に見出され、次世代の皇帝を支えるべく教育された男だ。


「それで、今日は就任の挨拶に?」

 ハリーファが言うと、

「くだらぬことを申すな」

 アクナル三世がハリーファを叱った。


 ガリラヤニンからアシュレイアまで来るのは、快速船を使ってもそこそこ時間がかかる。

 それ以前に、関係が深いといってもガリラヤ連合は竜帝国の属国というわけではない。エンターク竜王国のように、親子や兄弟と評される国というわけでもない。

 仮にも国家元首となる存在が、就任の挨拶くらいで来るわけがない。


「竜狩りの王の軍勢に関してのことであろう」


 と、アクナル三世はいきなり踏み込んできた。


「さすがは陛下。お察しの通りでございます」


 フリッツは、以前謁見したときはアクナル三世と殆ど話さなかったが、性格はオラーセムから詳しく聞いている。

 莫迦でも察するような話を察したことに対して、ご慧眼でございますなどとおためごかしを使えば、彼は逆に不機嫌になるだろう。


「欲しいのは援軍か? それとも、竜狩りの王に寝返ったから、テリュムウールの防鎖を上げて欲しいと願いに来たのか?」


 後者はフリッツが想定していない切り返しであったので、フリッツは内心で起こった驚きが顔にでないよう、意識的に隠さねばならなかった。

 フリッツからしてみればありえない話ではあるが、竜帝国の立場からすれば考えられない話ではないのだろう。


「援軍のほうでございます」

「ふむ……それで、我が竜帝国にどのような益があると?」


 竜帝国はガリラヤ連合と防衛協定を結んでいるわけではないので、ガリラヤ連合がどれだけ攻められようと、軍を出す義務はない。


「都市国家地帯での略奪を無制限に許可しましょう。我々は、その行為に関知しません」

「……?」

 アクナル三世は、顔に疑問符を浮かべた顔でハリーファの耳に何事か告げた。

「十字軍の植民地のことですね」

 ハリーファが補足をした。フリッツの使った都市国家地帯という訳語は、アーン語では一般的ではなかったようだ。


「竜狩りの王の軍が略奪し、焼け野原になったあとなのでは?」

 ハリーファが続けて発言をする。

「彼らは略奪をしません。シャン人は繁殖が遅い。人間のように、七人も八人も産む種族ではないのです。そのため、彼らは略奪して人を出ていかせるよりも、人を養って、これまで通り土地を耕させ続けようと考えています」

「賢いな。土地を奪っても耕す者がいなければ意味はないというわけだ」

「まさに。そのお陰で、奪うものは十分に残されているでしょう」


 と、フリッツは商材を売り込む商人のような顔をして言った。

 だが、アクナル三世の顔は、それに興味を示したふうではなかった。


「ふむ……まさか、それで援軍の対価に値するとは思ってはおるまいな。北の寒村の富など、砂漠の中の小村と同じようなものであろう。どれほど略奪しようが知れておる。人狩りをすれば幾らかにはなろうがな」


「ふふっ、そんなことを言いながら、陛下が私の提案に心惹かれているのは分かっているのですよ」

「……なんのことだ?」

 アクナル三世はとぼけた顔をした。

「次の皇帝、アーディル殿下のことです。これから龍帝になる御身でありながら、恐れながら、さして戦歴がついておりません」


 クルルアーン竜帝国の臣民は、龍帝の資格として覇王であることを望む風潮にある。

 戦争に長けた皇帝であることは、必ずしも臣民が幸福な生活を送れることに繋がるわけではないが、この国では初代龍帝であるアナンタ一世を神格化したために、どうしてもそのような風潮が産まれてしまった。


 そして、歴代の龍帝の中でもアクナル三世は少し特殊な性遍歴を持っている。

 普通、龍帝は後宮ハレムに多数の女を囲うが、彼は四十も半ばになった頃、一人の女奴隷に魅入られた。

 その女奴隷は、ティレルメ神帝国の辺境から売られてきて、皇帝に献上された奴隷女だったが、容姿は当然として地頭が極めて優れていたらしく、そのうえ権力欲の強い女であった。一種の女傑と言ってもよいだろう。

 彼女は、様々な方法で同輩を蹴落とすと、奴隷から開放され、現在では皇后のように振る舞っている。


 その一人息子がアーディルである。


 通常の場合、龍帝は後宮ハレムで数多くの女を囲い、女たちに多くの子を産ませ、その子らを竜帝国の様々なポストに置き、競わせて有望な子を次の龍帝とする。


 実際には、男性は誰も彼もが精力絶倫というわけではないので、後宮という仕組みがあっても子を多く成さない龍帝も多い。

 だが、それにしてもアクナル三世の場合は特殊で、後宮で一人の女が力を持ったがために、その息子が龍帝になることになってしまった。

 アクナル三世には息子が六人いるが、アーディル以外の五人のうち三人は既に死に、二人も追放状態である。

 アクナル三世は高齢なので、今から新しく子を為し、その資質を見極めるまで育てるのは不可能である。アーディルに龍帝としてふさわしい経歴を積ませるというのは、竜帝国にとっては死活問題の重大事項と言える。


「陛下は、もちろん有能な将軍を補佐につけ、総大将をアーディル殿下とするおつもりでしょう。西の果てで生まれ、東の果てまで名が鳴り響く竜狩りの王の軍を打倒したとなれば、アーディル殿下の治世は盤石です」

「……ふむ」

 アクナル三世は、表情を変えずに顎髭を撫でた。

「戦勝の暁には、もちろん我々も協力は惜しみませんよ。アーディル殿下は先頭に立って赫々たる戦果を挙げたと喧伝させていただきます。陛下にとっては、それがなによりの対価では?」

「それは当たり前のことでしょう」


 ハリーファが口を挟んだ。


「援軍を出すとなれば、金もかかるし兵の命も失われる。王たるものの栄誉とは、臣民や領土を守ってこそ得られるもの。恐れながら貴国は我が国に臣従しているわけではない。血を流して護ったところで、たいした栄誉とは言えません」

 そう言ったあと、

「……当然、古くからの友好国を助けるというのは、それ自体は誇り高い行為として受け入れられるでしょう……ですが、まあ、それではせいぜい兵二千程度であれば考慮に値する、といったところでしょうね」


 と付け加えた。その程度であれば、竜帝国にとっては負担にもならない、痛くもなにもない数なのだろう。

 だが、兵二千ではとても足らない。


「なるほど……では、物質的な対価があればよいのですね」

「即物的な金貨ではいけません。国家として出せるものの最も重いものでなければ」

「なら、ノイキルートを出しましょう」


 フリッツは言った。ノイキルートとは、都市国家の名前である。

 クルルアーン竜帝国とガリラヤ連合の国境にあり、クルルアーン竜帝国領に食い込む形で建っている、要塞都市である。


 フリッツがその都市の名前を出すと、ハリーファは目を大きく見開いた。

 まさか、国境の要衝となっている都市を差し出すとは思わなかったのだろう。


「ただし、援軍は精鋭二万人、そして竜騎兵を十以上という条件をつけさせていただきたい。また、敵軍が六万以下だった場合も、ノイキルートは渡せません」

「それは……」

「敵軍の数に条件をつけなければ、もし竜狩りの王の軍が五千ほどの小勢で、こちらを見て逃げ帰った場合でも、ノイキルートを渡さねばならないことになります」


 ノイキルートを渡すという案は市長会議で出したものだった。合意も取り付けてある。


「それでは、連合都市ユニオン・シティの市長たちも納得できかね――」

 とフリッツが言いかけたところで、アクナル三世が手のひらで発言を制した。

「誰にでも分かる理屈をあえて言葉にされるのは好かぬ。大会戦になって、しかも我が国の大軍が奮闘した場合のみ、ノイキルートを譲渡する。ということだな」

 アクナル三世が言った。

「……その通りです」


 フリッツは、イイスス教圏諸国からの援軍は期待できないと見ていた。


 まず、今まで十字軍にもっとも軍を出していたティレルメ神帝国からは、当然一兵も出てこない。

 ユーフォス連邦は海岸線の主要な港湾都市を破壊されていて経済的に疲弊している。もっとも健全なのは、広大な農業適地と強力な陸軍を持つフリューシャ王国であるが、これも自国防衛のために軍を温存しておきたいのが本音で、積極的に兵を出したくはないだろう。

 この戦争について真面目に考えているのは、当事者のガリラヤ連合と、あとは教皇領だけだ。


 彼らは、ガリラヤ連合を防波堤、防壁として利用しようとしているだけだが、少なくとも積極的にユーリ・ホウの軍と対抗せねばならないという目的意識だけは一致している。

 だが、教皇領だけで出てくる援軍では、いくらなんでも心許ない。


「もし条件に合わなかった場合は、援軍は出し損になるということか」

「もちろん、その場合は戦費を補償いたします。決して竜帝国の損にはならないように」

「まあ、その時は軍事演習とでも思っておけばよいか……」


 そう言うと、アクナル三世は、ふいにフリッツから目線を外し、椅子の背もたれに深く背中をもたれかけさせた。

 肘掛けに肘を置いて、手を髭にうずめる。

 深くなにかを考えている様子だった。


 ハリーファは、何も言わず、相談に乗るでもなく沈黙している。考え事をしているようなので、それを乱すと怒りを買うのかもしれない。

 フリッツも答えを急かすことをせず、ただ座っていた。


竜人隊ドラゴニュートを出そう」

 ドラゴニュートとは、王家直属の竜帝国最精鋭の歩兵軍である。全員が長銃で武装している。

「龍帝、お言葉ですが」

「分かっておる」

 と、アクナル三世はハリーファの進言を制した。


 どこまで読んでいるのだろう。フリッツには、髭に隠れた老帝の思考を見透かすことはできなかった。

 ノイキルートを売り渡すという案が、言ってみれば空手形で、本当に渡す気はないことも見抜いているのだろうか。

 その可能性はある。


「ここにいるハリーファと話を詰めるゆえ、今日は用意させた部屋に泊まるがよい。明日、正式な話をするとしよう」

 これ以上はハリーファと内々の話をしたいということだろう。

「分かりました。よい返事を期待しています」


 始めから想定していたカードを出し終えたところで、必要な譲歩を引き出せた。

 ノイキルートの譲渡なしで大軍の約束を取り付けられれば最善だったが、そこまで上手くいくとは最初から考えてはいなかった。


 竜人隊というカードを自分から渡してきたことを考えると、アクナル三世は跡継ぎ息子のアーディルのことを自分の想像以上に重視しているのかも知れない。

 そんなことを考えながら、フリッツは席を立った。

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