第243話 育児
俺はシビャクの王城で、報告書を読んでいた。
「だぁーあっ」
「ちょ、やめてくださいっ! 引っ張らないで!」
近くの絨毯の上でシャムとシュリカが遊んでいる。
キャッキャしていて楽しそうだ。
「なにすんですかっ、もおっ」
シュリカは生後八ヶ月になりつつある。
もう立派に動き回って、シャム登りをして髪の毛を掴んだりしていた。
「ユーリ、この子、一体いつ話すようになるんですかっ! 意思疎通できませんっ!」
シュリカはシャムをサンドバッグか登り木と勘違いしているようで、あうあう言いながら押しこくったり蹴ったりしていた。
我が子ながらひどい。
「二歳……あと一年と二ヶ月くらいじゃないか?」
「そんなあっ」
シャムがそう言うと、
「はーい」
黒人の少女がシュリカを取り上げた。
「だーめーでーすーよー、こちょこちょこちょ~」
「だぁ~~あ、いぇいえいあううぇいやぁ~あ~」
お腹をくすぐると、シュリカは妙な言葉を吐きながら身体をよじった。
涎を垂らしている。
「やーぶぅーい」
こんな子どもでも、やられたらやりかえすの感覚はあるらしく、テミにばしばし拳を打ち付けていた。
テミは気づいてもいない様子だ。
最初はテミの黒い顔を見てメッチャ泣いていたもんだが、慣れたようだ。
「テミ、問題はできたんですか」
「できてまス」
テミが、シュリカの世話をしながら紙を渡した。
「……うん、合ってます。では次の段階にいきましょうかね」
「はいー」
どうも、テミは特に勉強を苦にしていない様子だ。
拷問のように感じる者も多いから、これはいいことだろうな。
「見せてみろ」
「セッショーカッカにですか? 恥ずかしいです……」
なぜ恥ずかしいのか……。
「はい、見てあげてください」
「あっ」
シャムがそう言って、勝手に紙を渡してきた。
めくった報告書を開きながら、紙を見る。
連立方程式が書いてあった
二次とか三次とかじゃないやつだ。
「連立方程式か。なかなかやるじゃないか」
「ファ~りがとうございまス」
テミはシュリカにほっぺたを掴まれながら言った。
言葉を覚えながら勉強もして、連立方程式に至っているというのは普通に凄い。
学習内容が極端に理系に偏っているといっても、中々のものだ。
まあ、シャムは六歳の時に素数が無限とかどうとか言ってたわけなので、あれと比べれば驚きは少ないが、それでも中々の知能だろう。
勉強を周囲に強制されるどころか、邪魔されていたような環境下で、貪欲な知識欲を維持し自主的に勉強していたシャムとは少し方向性が違うが、努力を惜しまない優等生的な向上心はある。
「そうですか……? ちょっと覚えが悪いような」
「七ヶ月前は足し算もわかってなかったんだから、覚えはいいさ」
「そうですかねぇ……」
「ありがとウございまス。テミ、頑張りますのデ」
テミはペコリとこちらに頭を下げた。
多少発音に難はあるし、細かいところは分かっていない感はあるが、語学も上達している。
言葉というのは、現地にいれば自然に覚えるなどという人もいるが、健全な学習意欲がなければ覚えるものではない。
「期待してるぞ。ただ、寝る時間は減らすなよ」
来たときと比べれば、肉付きがかなり良くなっている。
栄養状態は良好のようだ。
「はいっ、そうさせていただきまス」
テミは再び深く頭を下げた。
できれば、この国を祖国のように思ってもらえるといい。
そこで、ガチャリとドアが開いた。
「ユーリくん? ……ここでしたか」
「ああ、ミャロか。どうした?」
「リーリカさんからアルビオの報告書です。今度は二千人到着しましたよ」
「そうかぁ……」
また到着したかぁ。
「新大陸は……」
「もう無理です。ティグリスさんは、これ以上送られても家が足りないので待ってくれと」
まあ、そうだよな……。
「とりあえず道具や板材を送ってあげて、少し待ってあげたら良いかと。半年くらいは」
「国内かぁ……やっぱり炭鉱かね」
白狼半島にも、鉱脈規模はさっぱり分からないが、いくつかの炭鉱は存在している。
とはいえ、大して使用はされていなかった。
地元住民が家庭暖房などに使うくらいだ。
石炭は、そのままだと硫黄分や油を含むため、製鉄に使うと酷いくず鉄にしてしまうので、特に使い道がない。
それを防ぐためには、あらかじめ空気を断った状態で蒸し焼きにする必要がある。
そうすると、硫黄分は揮発し、油分は垂れ落ち、コークスができる。
油分のうち重油質のものはコールタールとして回収できる。
コークス炉というのはさほど作るのが難しいものではなく、既に実験炉が二基できていた。
人力ふいごの一号炉はあまり成績が芳しくなかったが、水車を使った二号炉は生産量が悪いながらコークスの生産に成功している。
炭鉱はいいのだが、既に捕虜が炭鉱夫に回されているところがあるので、そことは別にしなければならない。
「なんでもいいので、仕事を作らないと」
「わかってる」
しかし、帰還民というのは扱いが難しい。
彼らは、シヤルタ国民と違って長い間十字軍国家にいて、虐げられてきた人々だ。
クラ人に対しての憎しみは半端じゃない。
男は軍隊に入れればいいが、そうじゃない女などをキルヒナ地域に戻してしまうと、まずいことになる。
どう考えても、現地で生活しているクラ人と強烈すぎる摩擦を起こすだろう。
奴隷が主を倒した時にすることは、主を奴隷にすることだ。
当然だが、友達になろうとは思わない。
彼らが倒したわけではないのだが、同じようなことを考えはじめるだろう。
保護されたところで印刷された用紙を配り、そこでクラ人に対して憎しみの深さを計るためのアンケートを実施したりしているが、できるだけキルヒナには戻したくないのが実情であった。
憎しみが深い者には、それとなく「故郷に戻っても家は残っていませんし、それより、もう二度と侵略されることのない安全な土地があるのですが……」などと誘導し、新大陸に送らせている。
新大陸にはクラ人はいないので、あっちに行ってもらうのが最も好都合なのだった。
「はい、どうぞ」
ミャロに報告書を渡された。
「はいよ」
交換に、ディミトリからの報告書を渡す。
「なんですか?」
「ヴェルダン大要塞が降伏したって報告書だ」
俺は、リーリカの報告書を開きながら言った。
「ああ、そうですか。ええと……約一ヶ月ですね。よく持ちましたね」
「まぁた捕虜が増える。憂鬱だよ」
ヴェルダン大要塞に籠もったティレルメと都市国家の連合軍は、ゴウクが散った時のシャン人軍と同じ憂き目にあった。
兵糧攻めにされたのだった。
だが、以前と違うのは、船に使う貫通爆弾で食料庫の屋根を破り、燃やしたところだ。
ヴェルダン大要塞は、岩山なので当然ながら水がない。
水は攻城戦の前に汲み上げた瓶の水と、あとは雨水を貯めるための池があるだけだ。
火災を止めるには水を使うしかない。
だが、水を使えば飲む水がなくなる。
その結果、飢えと脱水に耐えかねた彼らは、降伏をして扉を開けた。
こちら側の戦死者はゼロだった。
「働き口があるといいんですけどねぇ」
「新大陸の家に使う製材でもさせるか。そのまま造船所でコキ使ってもいいし」
現在の捕虜の働き口には、木こり、炭鉱、皮なめし作業、建築作業などがある。
特に建築作業は労働投入量が大きい単純労働が多いので大量に割かれている。
新しい造船所の建設には、約三千人の捕虜が投入されていた。
「取り敢えず、食料は心配ないのがいいところだがな」
増えた人口を支える食料は輸入に頼っている。
「とりあえずお金だけは沢山あるので、あと十年や二十年は食料を輸入し続けられます。値上がりが怖いですけど」
「その間に新大陸のほうで開拓を進めて貰わないとな。造船も必要だし……」
金は幾らでもあるからいいが、どうせ輸入するなら新大陸のほうから輸入したい。
そのためには農具が必要で、丈夫な農具はやはり鉄製がいい。
できれば鋼のものに焼入れがしてあったらなおいい。
やっぱり大きな高炉と転炉の建造が急務だな。
そんなことを思っていると、暇なのか、ミャロは俺の近くの椅子に座って報告書を読み始めた。
近くで子どもが遊んでいるし、なんだか牧歌的な雰囲気だ。
新聞を読んでる気分になるな。
俺はリーリカの報告書を読み始めた。
「ふうん……アンジェリカは、辛勝ってところか……」
アルビオ共和国の調べによると、アンジェリカは緒戦で勝ったらしい。
規模的には、両軍一万にも満たない小競り合いのような戦いであったらしい。
「彼を解放するタイミングは丁度良かったみたいですね」
「どうだかな」
ピュロスの勝利という言葉もある。
アルフレッドは逃げ延びたようだし、ああいう男は手段を選ばない。
手段を選ばないというのは、言葉にすると簡単なようでいて、実行するのは難しい。
出来る者と出来ない者がいる。
金を稼ぐためなら犯罪も辞さない、などと口では言っても、刃物を持って小売商店に押し入るくらいの男と、拉致した子供を切り刻みながら身代金を要求できる男とでは、やっぱり違いが出てくる。
厄介さでいえば、後者のほうがやはり厄介だろう。
アンジェリカという女がどちらのタイプかは知らないが、アルフレッドは間違いなく後者に属する。
「ま、どちらかの圧勝にならなかっただけ良かったか」
「そうですね」
どちらがどれだけ軍を集められるか、などということは読みようがない。
勘でしかなかったが、結果的にはアンジェの勝利に終わって良かったと言えるだろう。
アルフレッドが大敗した場合、こちらの捕虜を値下げするか解放すれば戦力の補強に繋がるが、アンジェリカのほうはテコ入れが難しいのだった。
捕虜には、アンジェリカは味方を捨てて逃げたと言い含めてあるので、アンジェリカを嫌っている。
いいか、アンジェリカの味方をするんだぞ。などと伝えて解放しても、彼らはアルフレッドの軍に参加してしまうだろう。
そうすると、アンジェリカを支援するには、足ながおじさん的に銃器をくれてやるとか、金をくれてやるとかする必要があるわけで、こちらは直接コストがかかってしまう。
ずっと勝ち続けてアルフレッドがすぐに負けてしまうのも良くないが、介入の容易さを考えるとアルフレッドが若干劣勢くらいに自然に傾くのが、安上がりに済む理想形であった。
「よくよく調査させて、じっくり様子を見よう。こっちは軍が疲弊したら立て直し辛いからな」
シャン人の数は限られているのだから、こっちが会戦のたびに流血していたら、それこそピュロスの勝利になってしまう。
とりあえずは白狼半島を封鎖して、キルヒナ領をキッチリ治めないといけない。
キルヒナ領に住む入植したクラ人は、抵抗した軍役は捕虜であるが、一般人には罪を与えていない。
テロル語を習得した元魔女や魔女の卵を代官として派遣して、徴税などをしている。
ただ、自由は制限され、川を越えてシヤルタ王国の本土に侵入することは堅く禁じられており、十歳以下の子どもはこちらの学校に入れることになっている。
「ユーリ」
そこで横からシャムが声をかけてきた。
「ちょっと世話してあげてください。父親なんですから」
そう言って、ずいとシュリカを差し出してきた。
「俺が触ると泣くんだよ」
「え? 泣かないでしょう。さっきから泣いたりしてませんよ」
いや、泣くんだよ。
だって現状で相当嫌そうな顔してるし。
「ほら」
シャムは、シュリカを俺に無理やり預けてきた。
「テミ、一体全体、どこがわからないんですか?」
シャムはテミのところへ行ってしまった。
だから、泣くんだっての。
「だぁーあー! あうーっ! っびゃあ」
なんかわけの分からねえこと言って涎垂らしてるし……。
服にくっつけられたら敵わんので、シュリカの服で涎の垂れた口元を拭った。
「っぶー! ったぁーーーーあ!」
腕を叩いてキャッキャ言ってる。
大きな瞳の下に柔らかそうな鼻がついていた。
あー摘んでみてー。
このほっぺた触りてー。
俺は誘惑に逆らえず、鼻を摘んだ。
「っぴゃ、む、っぷーーーーー」
口呼吸を始める。
「むーーーーう!」
シュリカがすっげぇ邪魔そうに俺の手を払った。
次にほっぺたをむにむにと触りまくると、
「びゅ、ひゃ、ア――――!!!」
泣き始めた。
ほら泣くじゃん。
「ア―――ビャ――――!!!」
膝の上で陸に上がった魚のように暴れはじめた。
「ちょっ、ユーリ、なにしたんですかっ」
シャムが駆け寄ってきた。
「なんもしてねえよ」
「えっ……ほんとですか?」
なんもしてないのに泣いた。
「ほんとだよ」
「もー、しょーがないですねぇ……」
シュリカはシャムに回収されていった。
やれやれ。赤ん坊はすぐ泣くな。
早くメイド長来ないかな。
「ユーリくん……」
ミャロが、報告書から顔をあげて、驚くべきものを見るような目で俺を見ていた。
「なんだ?」
「嘘はよくありませんよ」
「嘘? なんもしてないのに泣いただろ」
俺がそう言うと、ミャロは俺を正気を疑うような目で見た。
「ほっぺたをあんな風に触ったらだめですよ。たしかに触りたくなるようなほっぺたでしたけど」
ああ、そのことか。
「ミャロもさわってみたらいい。気持ちいいぞ」
「……いえ、遠慮しときます……それより、嫌われない程度にしてくださいね?」
「大丈夫だろ」
大丈夫。
大人になったら多分あの感覚なくなるし。
一番柔らかそうなシャムのほっぺでさえ触りたくならないんだから大丈夫だろ。
「あんなのが原因で国が割れるとか嫌ですからね……自重してくださいほんとに」
大げさな。
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