第226話 戦後の始まり
眼の前には、ソイム・ハオの死体が横たわっていた。
なぜ死んでいるのか――。
「どういう戦いだったんだ。話してみろ」
「はい」
キルヒナの騎兵が話しはじめた。
話をまとめると、ソイムは戦いの趨勢が決まると、即座に逃げた敵を追撃し、追いに追って、その結果強者と刺し違える形で死んだらしい。
銃創があるが、それは決着がついた後に撃たれたものなのだという。
俺がキャロルの死を嘆いていたその時、ソイムは戦場に散っていた。
本当に、世の中どうかしてる。
「……なぜ追撃などしたんだ? 大役をこなしたんだ。休んでいればよかったのに」
俺は言っても仕方のないことを言った。
この役目なら功績を挙げつつ、死ぬ危険も少ないだろうと思って与えた任務だったのに。
まさか真っ先に追撃に移るとは。
追撃はするなと命令しておくべきだったのか。
「ソイム殿は、自らの槍が役立たなくなることを常に恐れておりました。技の冴えが鈍らぬうちに、戦場で死にたいと口癖のように言っておりまして……無理な追撃をし、討ち取られたのは、あるいは本望であったのかと」
「相手は強敵だったのか? ソイムを下すほどの?」
「強敵ではありました。しかし、ソイム殿は先頭に立って散々に切り結んだあとでしたので……疲労もあったのかもしれません」
そりゃそうだよな……。
だが、戦わせなければ良かったのかと言えば、やはりそれはソイムにとって不幸であっただろう。
ソイムは孫に囲まれた穏やかな老後などは望んでいなかった。
今は解体されたユークリッハ騎兵団との戦いで、騎士としての栄誉の極みのような名声を得ながら、ソイムは一時期失意に沈んだような有様であった。
騎士として名を上げることなく人生を終えることを悔やむ騎士は多いが、ソイムは名望があっても失意に沈んでいた。
「相手は?」
「どうも、女が率いる隊であったようで……真っ先に戦場から逃げたわりに、練度は極めて高くありました。なにせ、我々の追撃を受け、半数以上が死してもなお組織的に戦っていたのですから」
だからこそ、逆にソイムに執拗に狙われたのかもしれない。
屑のような相手であったら、むしろ無視していたのかも。
というか、
「そいつは、アンジェリカ・サクラメンタだな」
そいつくらいしか考えられなかった。
というか、女が兵を率いて十字軍に参加しているという時点で、それは一人しかいない。
昔、トット橋で会った、顔をヴェールで隠した女騎士だ。
あのあと調べてみたら、どうもティレルメ神帝国の王族で、地方の小領主をやっているらしいという報告があった。
その後興味を失ったので、その程度の知識しかない。
それほど強い兵を率いているのか。
それにしても、奇妙な縁があるものだ。
「名前は存じあげませんが、必ず捕縛してユーリ閣下の元へつれていくようにと――力足らず、叶いませんでしたが」
「それより、ソイムは、最後の戦いに満足できたのか」
ソイムが死んだことより、むしろソイムの最後の戦いが悔いなきものであったのかどうかが気になった。
意味なき生より意義ある死を望んだソイムに、その者は望みの死を与えてやれたのだろうか。
ソイムに死を与えたのは強者であってほしい。
例えば毒矢が掠め、その毒が元で死んだというような死に様は、ソイムにはふさわしくない。
「満足できたように思われます。切り結んで戦死を遂げましたし――手加減をしていたようには思えませんでした。しかし、一騎打ちなどと言い出して、手を出させなかったわけですから……やはり、私には死を望んでいたように思えます」
「そうか……」
生きていて欲しかったな。
ソイムの、微笑んだような死体を見る。
……うん、やっぱり、生きていて欲しかった。
キャロルが産んだ俺の子どもなどを見たら、喜んだのではないだろうか。
それとも、それよりもなお、槍が錆びぬ内に意義ある死を得ることのほうが重要だったのだろうか。
もはや身近な人間の死には慣れすぎて、亡骸が答えを述べることはないと知っていながらも、それが気になった。
「死にたがりめ――お前の槍、忘れんぞ」
俺はそう言って、王城地下の霊安室を出た。
*****
王城の執務室には、ディミトリとティグリス、ジーノ、そしてミャロが居た。
ルベ家は領を取り返すべく、北へ戻っている。
好都合であった。
四人は接客用のソファに座り、俺は執務机に座っている。
「キャロルは二日前、身罷った」
俺が言うと、事情を予め知っていたミャロ以外は、驚きに目を見張る顔をしていた。
一気に緊迫感が漂う。
「……お子さんは?」
ミャロが言った。
知らなかったのか。
意外だった。
子どもは二日前産まれたわけではなく、産まれたのは五日前だと聞いている。
ミャロは知っているものだと思っていた。
「女の子だ。ちゃんと金髪だぞ」
「お産まれになったのですか。それなら……」
ティグリスが、それなら一安心、といった顔をし、胸を撫で下ろした。
ティグリスのような立場の人間でさえ、国を統べる王は女王であるべきだと思っている。
本当に、この感覚の乖離は怖い。
俺は王などただの機関にしか思っていないのに、この国の大多数の人間は、崇め奉るといったら大げさだが、少なくとも仰ぎ見る存在として見ている。
一歩間違えると、その乖離が命取りになるような気がする。
「いえ、失礼。ご愁傷様です。奥様を――」
「いや、いい。葬儀は二日後とする。もちろん国葬だ」
キャロルの遺言書を読むと、遺体は俺の墓の隣に埋葬してほしいと書いてあった。
そうなると、あの丘の上になる。
正式な墓には、また空の棺を埋めることになるだろう。
「その後、赤ん坊を幼児戴冠させて、俺が摂政に立つ」
「……大魔女たちが生きていたら、きっと腰を抜かしますね」
ミャロが言った。
その通りだ。
女王をただの置き物にし、武力を司る騎士身分が実権を握るというのは、古の時代のシャンティラ大皇国の建国期から、魔女や女王が最も危惧していた事態と言える。
それを防ぐため、シャンティラ大皇国の女皇は結婚をしていなかった。
彼女らは生涯未婚で、独自に逆ハーレムのような複数の情夫を作り、彼らと交わることによって子孫を作っていた。
それは、父親を公的に不明にすることで、男性が摂政として立つことを防ぐための仕組みだった。
逆を言えば、そこまでして防ぎたかった事態ということになる。
大崩壊のあと九王国に分裂した後は消滅した文化だし、また実際には複数の情夫を作らず、特定の男性のみをパートナーにした例が多かったらしいが、男性摂政を極度に問題視していたのは変わりない。
俺が摂政に立つというのは、半年前であったら口に出すのも憚られる絶対の禁忌と言っていい内容であった。
「今でよかった。元魔女の方々の影響力が低いうちに行ってしまったほうが良いです」
「それで、戴冠式の時期を決めるんだが……その前に、ディミトリ」
「なんでしょう」
ディミトリはこちらを見た。
「お前に総軍の指揮権を預けたとして、これから軍を北上してリフォルムまで陥とすのに、どれくらいかかる」
「……どうでしょう、鷲で敵の船舶を潰して、補給を船で行って、海岸線を行軍すれば……それでも、リフォルムに辿り着くまで二ヶ月半程度はかかるかと」
「十字軍が二年前崩した城壁は、まだ修繕していないと聞いている」
「なら、予想外の大軍が居ない限り、三ヶ月程度ですね」
まあ、そんなところか。
「じゃあ、とりあえず三ヶ月後に戴冠式を予定しよう。ミャロ……悪いが」
「分かっています」
ミャロは力強く返事をした。
「頼んだぞ。国葬をして、その弔い合戦ということでリフォルムまで侵攻する。リフォルムを攻略して、戦勝気分の中で戴冠式、という流れだ」
「了解しました。しかし、総軍の指揮権を私に預けるとは? 閣下は指揮なさらないのですか」
当然の疑問だな。
「俺は、国葬が終わったら船でアルビオ共和国に向かう」
「はっ――?」
ディミトリがうろたえた様子を見せた。
「国を離れるのですか? それは――」
「捕虜五万三千を、向こうにいるシャン人と交換する交渉をしてくる。交渉の窓口になれるのはあの国だけだ」
国家規模の取引になるので、俺自身が行かなければならない。
「捕虜の中には、国王や高位貴族がひしめいている。シャン人と交換か、あるいは金かで交渉する。これは早急に行わなければならない」
しかし、その間にリフォルム攻略を遅らせるわけにはいかない。
放っておけば、また兵士を送り込み、防備を堅くするだろう。
「しかし――その、ユーリ閣下不在では」
ティグリスが言った。
「不安か?」
「兵からは軍神のように思われているので……」
軍神か。
馬鹿らしい。
「全ての局地戦に俺が出られるわけではない。慣れさせろ」
「……はい、わかりました」
「それにな、食料が足らないんだよ。大軍を北方に送り出す分でカラになるし、捕虜の食い扶持もある。帰りに食料を船で持ってこないと民が飢えてしまう」
「あぁ、なるほど……」
ジーノ・トガが頷いていた。
その間、捕虜の連中には薪作りでもさせておけばいいだろう。
薪は幾らあっても足りないし、年単位で取っておくこともできる。
「あとでもう一度話を詰めよう。向こうの農村にいるクラ人の開拓民の処遇なども、話しておきたい」
「はい」
「ティグリス、ジーノ。お前らはディミトリの下につけ。いいな」
「はっ」
「了解しました」
さて、これで終わりか。
「それじゃ、各々準備に移ってくれ」
俺はそう言って、会議を解散した。
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