第215話 十字軍の会議*
アンジェリカ・サクラメンタは、その日会議に参加していた。
「物資の損耗率ですが、幸いなことに一割の範囲内に収まりました。敵都市ミタルを攻略すれば、損耗分も回収できるかと思われます」
エピタフ・パラッツォが発言した。
アンジェは、この政治劇じみたバカバカしい会議を、冷めた目で見ている。
ユーリ・ホウ率いるシヤルタ王国軍は、明らかに戦略的に撤退している。
ここまでの村々の状態を見れば、戦火が迫るのに慌てて避難したものではないことは、明らかだ。
民家の中には金目のものは一切なく、なにより家の中が荒れていない。
キルヒナ王国の時とはまったく違う。
大慌てで家を引き払ったといった感じがないのだ。
ちょっと旅行に行ってくるだけ、といった空気で、下手をすると家の中が掃除されていることすらある有様だった。
食料はたびたび残っているが、ほんの僅かで、数百人単位を養える量は残されていない。
ということは、ユーリ・ホウは十字軍を内地深くまで引き寄せるつもりだということだ。
どこを主戦場に想定しているのかは知らないが、そこに辿り着くまでの村落や都市からは、こちらが嬉しがるような物資は引き払われているだろう。
「その通りですな」
そう言ったのは、クウェルツ・ウェリンゲンであった。
フリューシャ王国国王、レヴェック二世の甥である。
内心でおかしいと思っていないわけではないだろうが、エピタフに追従した。
できるならば、教皇領には反対したくないというのが本心なのだろう。
教皇領には破門という外交上の切り札があり、それは他国の為政者に対しては滅多に行使されないものの、なんとなく恐ろしく、怒らせないに越したことはない。
過去には、ペニンスラ王国のハーディ・サムリカムリという王が破門され、最終的には斬首された。
カルルギニョン帝国の皇帝だったロンバルドゥス家も代々破門された結果、ついには途絶えた。
ただ、破門されても問題がなかったこともある。
ガリラヤニンのヨハンセム・ハトランなどは、破門されながらも上手いこと戦い、独立してガリラヤ
彼は生涯破門されたままだったが、そのまま連合長の椅子に堂々と座り続け、息子には洗礼を施し、普通に死んだ。
聖職者の恨みというのは一般的に陰湿で根深いものとされているので、エピタフの恨みは買いたくないというのが本音だろう。
「ユーフォス連邦さんの船は? 大変なのではないですか」
そう言ったのは、ガリラヤ連合のフリッツ・ロニーだった。
ガリラヤ連合は、十字軍によって栄えてきた国家だ。
クルルアーン竜帝国と独自の外交チャンネルを持ち、クルルス海峡を自由に通行し、十字軍関係の人の流れ、物の流れを通じて利益を上げてきた。
だが、それは内陸側の長耳諸国を相手にしていた時の話で、内陸諸国が平定され、戦いの舞台が西に移ると、役割は大きな海軍を擁するユーフォス連邦に取って代わられた。
今では貿易国家としては凋落した感があり、むしろ農産国として身を立てている。
昨日、陣地強襲と同時に行われた船への攻撃で、燃やされた船の七割はユーフォス連邦の商船だった。
「大変ですが、我が国の船団の一割にも満ちませんな」
先程のエピタフの発言を引き合いに出したのは、ユーフォス連邦のモーレンガンプ中将だ。
ヨハンセン・モーレンガンプという名前で、立派な上位貴族だが、本人はモーレンガンプ中将と呼ばれるのを好む。
ユーフォス連邦は、十字軍に派兵している国々の中では最も新しい国で、建国の際に新しい軍政を敷き、爵位の高さと軍での序列を分けた。
彼とはユーフォス連邦での社交の場で何度も顔を合わせており、この場にいる中で最も親密と言えなくもない。
「
モーレンガンプ中将は、突然アンジェに話題を振ってきた。
そんなことを言われても、困る。
「さあ……なんとも」
何を勘違いしているのか知らないが、泉のように名案が湧いてくるものではない。
「例の臼砲を船にも配備したらよいのではないですか?」
エピタフ・パラッツォが言った。
「いえ、何度も申し上げました通り、あれは窮余の策で考え出したもので……直接的な迎撃手段としては難しいものです。実際、昨日の陣地爆撃では一羽も撃墜できませんでした」
アンジェは、エピタフ・パラッツォから貰った金の半分以上を、網の購入費に使った。
その他に、分かりやすい手段も必要かと考え、直接迎撃する手段として臼砲を五基購入した。
どこにでもある臼砲に過ぎず、弾数も三十発しか用意できなかった。
臼砲で発射する散弾は、通常片側の口が空いた金属容器に敷き詰める形で使用する。
そうしないと、本当に射程が短すぎて使えない。
五基はそれぞれ口の大きさが違うので、口の大きさに合わせて散弾を入れる金属容器を作らせたが、アルティマには鍛冶師は二人しかいない。
彼らが騎士団の武器の鍛冶もしているわけで、出発に際しての整備の仕事に加えて、片手間に作らせるのでは、三十発が限度であった。
その三十発も、試射をしてみたところ、斜め四十五度の発射でも、飛距離が百歩くらいしかない。
最初から分かっていたことだが、なんとなくしょぼくれたような威力であり、高度を上げられれば容易に対策されてしまうなとは感じていた。
ただ、火炎瓶の投下というのがどのような高度で行われるものかは、前回の十字軍では数度しか行われなかった攻撃なのだから、誰にも分かりかねることだ。
高度を相当下げなければ狙いが付けられない性質の攻撃なのかもしれず、使えるか使えないかなど判断できない。
その結果が七日前の迎撃であり、エピタフの口利きでアルフレッドの軍に一班を帯同させたところ、見事に迎撃し、大成功に終わった。
そのおかげで、アンジェは各方面から誉めそやされたわけだが、結局、すぐに対策されてしまった。
「やはり、臼砲では砲身長が足らず、低高度の爆撃にしか効果はありません。旧式の鉄砲を船舶のほうに回し、空に向かって射撃させたほうが現状ではずっと良いかと」
「もっと大型の砲では?」
モーレンガンプ中将が言った。
「残念ながら、根本的な解決には至らないでしょう。射程が伸びて鷲を殺せるようになったとしても、取り回しが遅ければ照準が間に合いません。それに、そのように高価な砲を、特別に作って船に乗せたところで……例えば、屠殺場の上空を飛ぶカラスのような恰好で、瓶を投げ落とされれば、どうしようもないでしょう。沢山のお金をかけて作った砲艦が、数羽の鳥と引き換えに燃やされてしまうのでは、割に合わないかと思います」
「ふぅむ……まあ、それでは仕方ない。停泊中だけでも、網を張らせるようにするほかないな」
船に網を張らせるというのは、船乗りたちは嫌がるだろう。
荷物の上と違って、甲板上は船乗りたちが常に行き交う場所であり、ある程度浮かせて設置するにしても、設備が帆の操作の邪魔になりそうだ。
だが、そうさせるしかない。
「網屋が儲かってしかたありませんね」
アンジェが冗談をいうと、モーレンガンプ中将は「ははっ」と声を漏らして笑った。
会議の中に穏やかな笑い声が満ち、なんとなく雰囲気が和んだ。
「ところで、例の火炎瓶についての話はどうなっているのです」
そう発言したのは、兄王であるアルフレッドだった。
アンジェが話題の中心になっているのが気に入らなかったのかも知れない。
今回の十字軍の長はアルフレッドではなく、エピタフ・パラッツォだ。
そのため、アルフレッドは並み居る諸将の一人といった扱いでしかない。
ただ、出兵数からすると十字軍と並んで抜きん出ているので、別格の扱いはされていた。
「ああ、それなのですが、鹵獲した分は各国で持っていて頂いて結構です。投下されなかった国があれば、一本差し上げましょう」
火炎瓶は、各国の陣地に平等に投下されたため、網によって回収された分以外は、どの国が集めて持っているわけでもなく、各国が鹵獲したままになっていた。
だが、昨日以前に教皇領が鹵獲し、隠し持っていたことをアンジェは知っている。
昨日、網によって大量に鹵獲することがなければ、エピタフは鹵獲した事実を隠し、貴重な瓶を隠匿していただろう。
「そうですか。どのような製法で作られたものか、見当はついているのですか?」
「ついておりませんが、連中を征服すれば自ずと分かることでしょう。酒ともまた違った臭いがするので、鉱泉のように湧き出るものかもしれません」
「連中は、空中にてどのように点火を?」
それは、アンジェも気になっていたところだった。
「実演しましょう」
エピタフは、火炎瓶の一本を机の上に立てた。
火炎瓶は全てが点火されるわけではなく、一部分はコルクで栓がされたまま投下される。
エピタフは、コルク抜きで火炎瓶のコルクを抜栓し、中に布を入れた。
中の液体が染み上がってくる。
ここから、どうやって火を付けるのだろう?
鷲の上といえば、襲歩で疾走する馬の上以上に風を受けるはずだ。
というか、エピタフはなぜその方法を知っているのか。
エピタフは、その布の上から、火炎瓶の口に被せるように、何かの器具をかぶせた。
どうも、うまいこと瓶の口に装着できるようになっている、専門の道具らしい。
手に握れる程度の円筒状の道具だった。
エピタフがそれを上から押すと、少し遠くからでも分かるほどに大量の火花が散り、布は一瞬で点火した。
「中に燧石と鉄のやすりが仕込んであり、上から押すことで大量の火花が発生します。
エピタフは、そう言うと火ばさみで瓶から燃えている布を抜き、地面に落として踏み消した。
なぜこのような道具を持っているのだろう。
決まっている。七日前に迎撃に成功した際、鷲乗りの長耳の遺体から回収したのだ。
川底から瓶を回収したのは知っていたが、点火装置まで得ていたとは知らなかった。
「なかなか……それを妨害するのは難しそうですな」
アルフレッドが言った。
エピタフの常軌を逸した長耳嫌いは、ここにいる全員が既知のことだろう。
連中も創意工夫を凝らすものですなあ、とは言えない空気があった。
「とはいえ、この瓶は、悪魔共にとっても貴重な品であることは間違いないわけです。無尽蔵にあるのなら、もっと利用しているはずなのに、それをしていない……」
エピタフの主張は、それほど間違ってはいない。
内地に引き寄せるため、といった理由がある可能性もあるが、鉄砲の一発程度の費用で製造できるのなら、もっと頻繁に投下しているはずだ。
それこそ、半日ごとに来襲して陣地全体を火の海にするような爆撃をされれば、こちらとしてはどうしようもない。
実際、温泉地で湯を汲む程度の気軽さで調達できるものであるのなら、そうしていただろう。
大変な手間をかけて住民を避難させ、内地に引き寄せるといった面倒なことをする必要はない。
そうなっていないのだから、相手にとっても貴重な戦略資源であるという推測は成り立つ。
「どちらにせよ、早期に決着をつけ、ユーリ・ホウの一党を根絶やしにすれば済むこと。そのためには、各自きちんと補給物資に網を張ることです」
今までの十字軍は、集合地点から掠奪をしながら軍を進めると、領土の掠奪を嫌った国軍がしびれを切らして会戦を挑んでくる。という流れが通例だった。
今回はその類型に当てはまらない対応をされているので、会戦前に補給線が予想外に伸びている。
だが、今回は特に教皇領の支援が重厚であるため、まだ補給物資には余裕があった。
ミタル、コツラハといった比較的大きな都市を容易に攻略することができれば、まさか王都シビャクまで明け渡したりはしまい。
決戦で勝利さえできれば、それで長耳の国は終わりだ。
有用性から考えて、長耳国家消滅後に戦乱期が訪れることがあれば、あの巨大な鷲を兵器として利用しようと考える者は多いだろう。
アンジェもその一人だった。
なので、今ここで対策を練っておくことが無意味であるとは思わないが、とりあえず会戦に勝利すれば直面している問題は解決されるというのは事実だった。
「こちらは、奴らがしびれを切らして決戦を挑んでくるまで、迅速な進軍をしましょう。それが総軍指揮官の判断です。良くご理解ください」
エピタフは、そのように言って発言を締めくくった。
「では、何か報告がないようでしたら、これで会議を終わりたいと思いますが――」
その時、天幕の外から火薬の炸裂する耳慣れた音がした。
臼砲の発射音だった。
*****
アンジェが慌てて天幕の外に出ると、銃声が間断なく聞こえ始めた。
鷲が来ているのだ。とアンジェはすぐに判断した。
昨日の今日で、なぜ。
既に、火の手が上がっている。
会議に参加していた諸将と同様に、アンジェはすぐに駆け出した。
自らの騎士団を監督せねばならない。
「ギュスターヴ! 陣に戻るぞ!」
「ハッ!」
警護のため外に待機していたギュスターヴ他の騎士に言い、足を緩めることなく走り続ける。
地面を行き交う兵たちを避けながら、空も見ていた。
昨日と比べれば、それほどの鷲が空を舞っているわけではない。
「アンジェ様! こちらのほうが早うございます!」
ギュスターヴの案内に従いながら走っているうち、煙の臭いが漂い始めた。
ギュスターヴは、煙から炎上している位置を考えつつ、避けるように進路を選んでいるのだろう。
五分ほど走ったところで、アンジェは見た。
急降下してきた鷲が、何かを投下して、それがフリューシャ王国の網の上に落ちたのだった。
瓶とは質の違うそれは、思い切り網の上に落ちると、深く沈んだ。
網を固定する四方の柱は、アンジェの発案によって、棒というより板のように仕立ててある。
それが
投下されたものは、網に当たると、柱を激しくしならせ、一度反動で空中に浮かんだ。
そして、再び網の上に戻ってきた。
ようやく落ち着いた落下物を見ると――それは、樽だった。
大樽ではなく、酒飲みの中流階級が、家に蒸留酒を貯蔵しておくのに使うような、片手で抱えられる程度の小さな樽だ。
嫌な予感がし、アンジェは補給物資の山から二、三歩後ずさった。
「アンジェ様!」
ギュスターヴが庇ったのとほぼ同時に、その樽は内部から炸裂した。
パギィ! というような奇妙な音が鳴り、各部の木材が鉄枠を吹き飛ばしながら折れ飛んだ。
アンジェは、それをギュスターヴが庇う肩越しに見ていた。
樽が弾けるのと同時に、網の上で巨大な火球が出現し、それは膨らんだかと思うと、周囲に飛び散る。
火炎瓶の何倍もの量の液体が、燃え盛りながら周囲に飛散した。
「ギュスターヴ! 大丈夫か!」
アンジェは、慌ててそう言った。
飛散した火焔は、ギュスターヴにもふりかかっていた。庇ってくれていなければ、アンジェが被害を受けていただろう。
「大丈夫でございます」
ギュスターヴは、慌てることなく襟の留め具を外し、マントを取り外し、安物のそれを地面に放り捨てた。
「それより、どうか退避を」
「ああ、そうだな……」
ギュスターヴに案じられながら、アンジェは火によって燃えゆくフリューシャ王国の補給物資を見ていた。
網を超えて拡散した火は、一部が天幕にも届き、燃え移ろうとしている。
「なぜ……」
なぜ、昨日使わなかったんだ。
答えは分かりきっていた。
これは、内部から爆発するものだろう。
だとすると、もし網がなかったら、樽は地面に激突して割れ、その後に中の火薬が炸裂していた、ということになる。
今、目の当たりにしたような効果は発揮できない。
つまりは、網によって容器の破壊が阻止されることを逆手にとった兵器なのだ。
「ははっ、昨日の今日だぞ。仕事熱心だな……」
どこから湧いたものか、笑みがこぼれた。
昨日の段階では、ユーリ・ホウは網の存在を知らなかった。
それは確かなことだ。知っていたなら、瓶が大量に鹵獲されてしまう作戦など行うはずがない。
ということは、昨日の失敗を踏まえて、昨日今日のうちにこれを作り、今投下してきたということになる。
今は、午後三時頃か。
呆れる他ない。
「アンジェ様。ここは火に包まれる恐れがあります。危険です」
「分かっている」
アンジェは、再び小走りに走り始めた。
「凄い奴だな……」
その胸には、賞賛に近い感情が渦巻いていた。
それが過ぎると、これから自身が十二万の十字軍と共に身を投じることになる敵地に、薄ら寒い不安を感じたのだった。
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