第211話 シビャクでの一日 後編

 ギュダンヴィエルの屋敷に到着したころには、すっかり陽が落ちてしまっていた。


 この屋敷に来るのは、人生で二回目のことだ。

 馬車を屋敷の正門につけ、馬車から降りると、見覚えのある立派な玄関があった。


「お待ちしておりました、ユーリ閣下」


 玄関先まで行くと、いつか見たパンツスーツ姿の女性が現れ、挨拶してきた。

 名前も知らないが、真っ先に出てきたところを見ると、何かしら顔役の立場にいる人なのだろう。


 メイドには見えないし。


「ミャロの見舞いに来た。大人しく部屋で休んでいるか?」

「はい。お休みになっておられます」

「すまないが、案内してほしい」

「どうぞ、こちらに」


 玄関のドアが開かれ、招き入れられる。


 俺がこのあいだ当主を殺した家なので、入る時に若干身構えたが、何もないようだった。

 そもそも、まだ掌握できていないのなら、ミャロがこの家で寝ているわけがない。


 広い家の中をてくてくと歩いてゆく。

 七大魔女家の家産は没収されたので、他の家は整理されてしまっているが、ギュダンヴィエルの家は無傷だった。

 なんの処罰もなかったので当然だが、以前来た時と何も変わっていなかった。


「以前から聞こうと思っていたが、君はどういう立場の人間なんだ」


 俺は歩きながら尋ねた。


「私は家宰スチュワートです」

「どんな仕事なのだ」


 家宰と単に言われても、良くわからない。


「ギュダンヴィエルという家の中での宰相さいしょうと言えば、認識が正しいかもしれません」


 宰相か。

 また大仰な。


 だが、大体は察しがついた。


「なるほど。以前からそうだったのか」

「いえ、ミャロ様が家長になられてから出世致しました。前任者はルイーダ様の死に際して殉死致しましたので」


 殉死したの。

 そりゃまた凄いな。


「前の役職は?」

「以前、ユーリ様とお会いした頃は、酒類管理の執事でした。ただ、実際にはミャロ様の監視が私の役目でした」

「監視……?」


 また複雑な家庭環境だな。

 まあ、信頼の置けない者をミャロが近くに置くわけがないので、よく分からんが様々込み入った事情があるのだろう。


「到着いたしました」


 コンコン、とドアをノックした。


「ユーリ様をお連れしました」

「えっ――!」


 ドア越しに小さく声がした。


「ユーリ様、申し訳ありませんが、少しこちらでお待ち下さい。部屋の中を見ないように」

「ん? まあ、構わないが……」


 中々珍しい対応だな……。


 家宰の女性はドアを開けて中に入っていった。


「ユーリ――――て―――すか」

「――」

「い―、―んで と―て――――――いよ」

「――――、―――――――。―――――」

「そう―――――――すから」


 中から何か聞こえてくるが、聞き取れない。

 しばらくして、部屋の内側から扉が開いた。


「どうぞお入りください」

「いいのか?」

「どうぞ、お入りください」


 なんなのだろう……。


 俺は部屋に入った。

 やたら内装の豪奢な、立派な寝室だ。


 ルイーダが使っていた寝室だろうか。

 カーテンが張られた天蓋付きベッドが置いてある。


 壁には、クリーム色に金色の幾何学模様が描かれた壁紙が貼ってあり、暖炉の炎を反射していた。

 明るい色の壁紙のおかげで、薄暗くはあるものの、部屋全体がぼうっと明るい。


 夜間の光源は限られているので、壁が暗色だと、光を吸収してしまって寝室はなかなか明るくならない。

 家の内装を見ると、ギュダンヴィエル家の歴代の家長は落ち着いた暗色の色合いを好んでいたようだが、寝室には不便なので、クリーム色というのは折衷案なのだろう。


「では、ごゆっくり」


 後ろでぱたんとドアが閉じられた。


 俺はベッドの横に置いてある椅子に座った。

 ベッドの上にはミャロらしき団子があって、掛け布団を頭からかぶって、丸まっている。


「ミャロか? 見舞いに来たぞ」

「ゲホッ、ケホッ……すみまぜん、お見せできる姿ではなくて……」

「気にしないよ」

「ハァ、ハァ……だめです……」


 先程、身内で言い合ったからか、なにやら息があがっているようだ。

 酸欠になってもいけない。


「大丈夫だ。部屋が暗くて見えないから」

「ほんとですか……」

「ああ、本当だ。顔を見せてくれ」


 俺がそう言うと、ミャロはおずおずと頭を覆っていた掛け布団を下げた。

 顔が見えると、熱に浮かされたように上気していて、なんとも弱々しい。


 木綿で出来た、しわくちゃの寝間着を着ている。

 あまり見たことのない、珍しい生地だった。


「けほっ、けほっ……はぁ……」


 ミャロは辛そうに、枕に頭を乗せた。


 額に手を当てると、妙に冷たかった。

 見れば、枕の横に氷嚢が落ちている。

 これで冷ましていたせいだろう。


 額では熱が分からないので、汗ばんだ首に手を当てると、温かい湯に触れたような熱さを感じた。

 かなり熱があるようだ。

 俺は、ミャロの額に氷嚢を戻して、椅子に座った。


「すみません……ユーリくん……不甲斐なくて……」


 ミャロの首がこちらに周り、気だるそうにゆるく開いた目で俺を見た。

 顔を横にしたことで、氷嚢がべしゃりと落ちてしまったので、椅子に座ったまま頭の上に戻した。

 ミャロの頭脳がゆだってしまってもいけない。


「そんなことあるか。謝るのはこっちだ。働かせすぎていたな」


 ミャロは昨日、キャロルに会うため、白暮に乗って王都と俺の実家とを往復した。

 それで風邪を引いてしまったのだった。


「そんな……謝らないでください」

「疲れていたんだろう。気づいてやれなくて、すまなかったな……」


 王城で毒が盛られた日から、もう三ヶ月以上経つ。

 その間、ミャロは休み無しで働いていた。


 特に、王都を攻略してからはミャロのスケジュールはギチギチに詰まっており、酷いものだった。


 そんな激務で何十連勤もしたあと、体を休める日も設けず、鷲に乗っての往復出張だ。

 体調を崩すのも当然と言える。


「いえ……あの、アイリーンがなにか言いましたか?」


 アイリーン?


「さっき案内してくれた家宰の人か」

「はい」

「べつに、取り立ててなにも言われていない」


 普通の会話だった。


「そうですか……ふーっ、よかった……けほっ」

「あの人は、親戚かなにかか?」

「いえ、遠縁で、三才年上の……ぼくが騎士院に入るまで、そば付きになるよう育てられた人です……あれで優秀なんです」


 まあ、優秀そうではあったけど。


「妙な、ゲホッ、ゲホッ……はぁ……変な勘ぐりを、してくるのが玉に瑕ですが……」

「そうか。わかった」


 咳がひどい。

 あまり会話をしないほうがよさそうだ。


「あのな、土産を持ってきたんだが」

「えっ……なんですか……?」

「ほら」


 俺は胸の内ポケットから、小さな袋を取り出して、ミャロに見せた。


「ああ……モロ・メッロの練乳飴。わたし、大好きなんです」


 食べたことがあったのか。


「舐めるか?」


 咳に効くかと思って持ってきたのだ。

 多少の効果はあるだろう。


「はい」


 俺は飴を一つ手に取って、包み紙を開き、ミャロの口に運んだ。

 ミャロの唇がぱくりと飴を咥え、俺の人差し指と親指の先を、一瞬挟んだ。

 すぐに離れ、少し乗り出していたミャロの頭が、枕に戻る。


「ん……ふみゅ……」


 ミャロは、ゆったりと枕に頭を沈め、目を瞑ったまま、口の中でコロコロと飴を転がしはじめた。


 どうも、大分思考能力が失われているようだ。

 普段なら、畏まって「いやいや、後で食べますので。ありがたく頂きます」とか言いそうなものだ。


 なにか愛らしい動物の目新しい生態を見ているようで、癒やされる。


「ゆーりくん……これたかいのに……ありがとうございまふゅ……」

「俺のせいで病気しているんだ。気にするな」


 モロ・メッロの練乳飴は、ホウ社が卸している砂糖で作られている。

 練乳ももちろん手作りで、砂糖自体も超高級品である上、中東方面から運ばれてきた香辛料まで練り込まれている。

 モロ・メッロ自体が王都で一番お高い王家御用達の菓子店ということもあって、一粒で王都の1LDKが一ヶ月借りられるくらいの値段がする。


「金持ちだからな。こんな時くらい使ってやらないと」

「おいひいれす……」


 ミャロは、ミルク味の飴を舐めて、気分が落ち着いてきたのか、ぼーっとしている。

 夢うつつというか……。


 そのまま、何分かかけて飴を一つ舐めきった。


「手……つないでください」


 手?


 布団の横を見ると、ミャロが手を出していた。

 まあ、構わないだろう。


 俺は椅子を動かして、ベッドの近くに寄った。


「これでいいか?」


 手を握ると、やたら熱かった。


「はい……はぁ、落ち着きます……」

「このまま寝てもいいぞ」

「そうします……」


 いつものミャロと違う……。


 ……もしかして、酔ってるのかも。

 風邪を引いた時、酒を飲んで眠ってしまうというのは一般的な治療法だ。

 大いに有り得る。


「ユーリくん……ありがとうございます……」


 何か言い出した。

 感謝される筋合いではないというに。


「これくらいのこと、いつでもやるさ」

「違います……そうじゃなくて」


 そうじゃなくて?


「昨日のこと……一日空けてもらって……」

「疲れただろ。悪かったな」


 今の風邪だって、辛いはずだ。

 せめて一日休んでから出発させれば防げただろう。

 あるいは、無理な日程にはせず、向こうで一泊させればよかった。


「違うんです……」


 なにが違うというのか。


「キャロルさんと話させてくれて……ありがとうございました……」


 ……ん?

 行かせてくれて、ありがとうという事だろうか。


「本当に……わたし、キャロルさんとは友達なのに……話さなくなってしまって……全部見透かされていました……でも、仲直りできて……」


 どんな話をしたんだろう。

 気になる。


 なんにせよ、仲直りできたのはいいことだ。


「本当に良かったです……行かなかったら、一生後悔するところでした……」


 ミャロは、握っている俺の手をギュッと掴んだ。


「わたし……醜い女です……欲が深くて、友達甲斐もないのに……キャロルさんは……」


 言葉が断片的になってきている。


「今の仕事だって……小さい頃からの望みそのもの……だったはずなのに……今はユーリくんに気に入られたくてやってます……ばかな女ですよ……」

「そんなことはないだろ……」

「人生って……ほんと、ままなりませんね……。望みを叶えても……幸せは遠のいていく……」


 ミャロは今、幸せじゃないのだろうか。

 不幸なのか。


「お婆様……」


 ミャロは、薄く開いた目を眠そうにぱちぱちと瞬きしはじめた。


 意識が微睡まどろんでいるのだろう。

 もうすぐ眠りそうだ。


 音を発すると、微睡みが裂けてしまいそうだった。


「ユーリくん……愛してますよ……」


 うわ言のようにそう言うと、ミャロは完全に目を閉じた。

 寝息を立て始める。


 眠りが深くなるまで、放っておいたほうがいいだろう。

 俺は、しばらくの間、ミャロの手を握ったまま椅子に座っていた。

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