第169話 顔合わせ食事会 前編
「しかし、その年で結婚とはなぁ……」
ゴトゴトと揺れる馬車の中で、ルークが言った。
「あー……すいません。父の教えを守れませんでしたね」
「ああ、あれは……」
「教え?」
スズヤが疑問符をつけて言う。
「あれですよ。学生の身の上のうちは、女子といかがわしい真似をするのは慎むよう言われていたのです」
「あら、そうだったの……」
実際は、教養院の女には間違っても手を出すな、ヤるなら市井の女とヤるか娼館に行け、ということだったけど。
まあ破ったのは確かだ。
というか、スズヤは妊娠中なんだから来なくても良かったのに。
お腹も膨らんできてるし……。
なんか気分が良くなってきたから大丈夫などと言って、無理矢理ついてきたらしいが。
ちゃんと安定期に入ってるんだろうな。
「でも、しょうがないわよ。好きになっちゃったんだものね」
「うーん……しかし王族かぁ……」
ルークはなにやら腑に落ちないものがあるらしい。
「ホウ家のほうはどうするんだ?」
「もうしばらくは父上がお願いします。まー、たぶん、かなり迷惑をかけるかと……」
「うーん……ま、構わないけどな。ユーリにも何か考えがあるんだろうし……」
考えかぁ。
「色々と考えはありますけどね。次の十字軍に間に合うかどうか……」
「そりゃ、なんとかなると考えるしかない。精一杯やるだけさ。やらなかったらなんにもならないんだから」
考えてみれば、ルークはずっとこのプレッシャーに耐えてきたのか。
俺のように逃げることを考えてきたわけではないし。
悩むことも多かったんだろうな。
「良くは分からないけれど、私たち家族くらいは、きっとなんとかなるわ。だってこんなに頼りになる男の人が二人も居るんですもの」
「よせよ息子の前で。照れるよ」
なんだこのおっさん……。
まあ実際、家族分くらいはどうにでもなるんだけどさ。
「ねえ、それより、このお洋服で失礼じゃないかしら」
と、スズヤは通算何度目かになる疑問を口にした。
「大丈夫ですって。そんな大した催しじゃないですから」
「でも、女王陛下様に会うのよ?」
「陛下様はやめましょうね。陛下で大丈夫ですから」
「……失礼じゃない?」
そう言われると、陛下様って失礼なのか?
うーん……。
失礼というより変って感じなんだが、スズヤに説明するのは難しそうだ。
「みんな陛下で通してますから大丈夫なんです」
「お洋服は? 大丈夫かしら?」
「大丈夫ですって。身内の顔見世会ですから。なんなら正式すぎるかもくらいで」
「そうなの……?」
そうです。
顔見世だから、できればシャムにも来てほしかったけど。
「絶対いかない」って断られたし……。
サツキのほうはルークが領を留守にしている間は離れられないから来れない。
ゴトゴトという車輪の音が変わった。
「そろそろ着くか」
ルークが言った。
王城島の入り口はもちろん橋なのだが、石のアーチ橋になっているのは途中までで、最後の6メートルほどは跳ね上げ式になっている。
外敵が迫った時は、この橋を上げて侵攻を阻止するわけだ。
重いと持ち上げに苦労するので木製なのだが、夜になるごとに上げるわけではなく、最近では動作確認のために年二回上げることになっている。
その場合も、交通の邪魔になるのですぐに降ろされてしまう。
馬車がここを通過すると、車輪が石畳の上をゴトゴトと跳ねる音が変わり、木の上を走る音になる。
そうしたら、もうすぐ王城にたどり着くというわけだ。
「お母さん、粗相をしないようにできるかしら……」
スズヤの心配性が再発していた。
*****
「ようこそいらっしゃいました」
王城に入ると、メイドの格好をした女性が四人ほど並び、彼女らが頭を下げて親子三人を出迎えた。
その中には見覚えのある顔もいる。
確かティレトとか呼ばれていた王剣だ。
キルヒナの時に帯同していた。
よう、久しぶり、とでも声を掛けるべきだろうか。
メイドに扮しているという事になっているわけだから、やめといたほうがいいかな。
「ご案内させていただきます。こちらに……」
と、案内されるまま王城の廊下を歩く。
二回ほど階段を登ると、なにやら豪華な部屋にたどり着く。
夜景の見える、本当に貴賓向けの部屋という感じだ。
一面に彫り物がしてある天井の金箔はすすけているが、壁紙に使われている金糸は新しいっぽい。
定期的に張り替えてあるのだろう。
部屋に対してみると大層おおきなシャンデリアの光が、昼間のようにとはいかないが、十分明るく室内を照らしていた。
床には絨毯が敷かれており、テーブルも豪華だった。
もちろんテーブル自体も重厚で高級な品なのだが、その上にはふんだんに花が活けられた大きなブーケが飾られている。
これだけでも結構な金額になりそうだ。
「よくお越しになられました。歓迎いたしますわ」
既に席で待っていた女王陛下が、改めて席を立って、スカートの両端をつまんで、軽く礼をした。
これは異例なことだ。
女王は普通自ら頭を下げたりはしない。
「えっ……いえいえ、こちらこそお招きいただき光栄に存じます」
さすがのルークも慌てた様子で礼を返した。
こんな女王は見たことがなかったのだろう。
「お
少し膨れ始めたお腹を隠すためか、ゆったりとしたドレスを着ているキャロルが頭を下げる。
うーん……猫を被ってるわけじゃないんだろうけど。
まあ、俺だって逆の立場だったら猫をかぶるし、お互い様かもな。
女王に対してはすでに顔見知りだけど……。
「わっ、わっ、どうも、スズヤ・ホウと申しますわ」
スズヤが緊張してどもりながら、妙な仕草で挨拶する。
スズヤにとっては天上人に近い人々に感じられるんだろうけど……。
これから義理の娘になるわけだから、そんなに畏まらなくてもいいと思うけどな。
みんな自己紹介がてら挨拶をしてるみたいだし、俺もしとくべきか。
「本日はこのような席をご用意いただき、誠にありがとうございます。女王陛下」
ほら、やっぱり猫をかぶる感じになった。
キャロルのこと言えないな。
「ありがとう。本日は楽しんでいただけると幸いですわ。さ、どうぞ、おかけになってください」
女王が言った。
女王はもちろん上座に座っているのだが、その右手側の席が開いていて、その隣にキャロルが座っている。
その更に隣に座っているのは、カーリャだった。
カーリャか。
参加するのかぁ……。
なんかものすっげー睨んできてるけど。
視線で殺す気かな?
席は女王の右側に三つ、左側に二つ用意されている。
左側のは御夫婦が並んで座るのだろうから、俺は右側の席に座るのだろう。
ルークがガチガチになったスズヤをエスコートしながら、そのように座った。
全員が無事席についたのを見ると、女王がさっと目配せで合図をした。
給仕の格好をした王剣らしき人がドアを開けて出ていく。
食前酒か何かを持ってくるのだろう。
「この部屋は調理場が近いので、温かいうちに料理をいただけるんですのよ」
女王が言った。
ふーん、そうなのか。
王城での食事というのは、そこが仕事場の魔女たちが沢山いるので、大食堂のようなものがあるかと思いきや、そういったものはない。
魔女たちはレストランに出前を頼んだり、時間があれば自らランチに出かけたりしており、食事が供される大きな催し物の場合は、仕出し屋が料理を運んでくる手はずになっていると聞いたことがある。
王家の食事を作る調理場というのもあるらしい。
まあ、そりゃあるか。
「そうなのですか。それは楽しみです」
ルークが如才なく返した。
「お、お口に合うとよいのですが……」
キャロルが妙にしおらしいことを言い出す。
こういうキャロルは珍しいな……我が家の中なのに、借りてきた猫のようになっている。
そこでドアが開いて、メイドさんがお盆を持って現れた。
飲み物を各自に配りはじめる。
細長く伸びたコップに、透明な液体が氷と共に入っており、中では発泡している。
炭酸水かこれ。
あんま飲んだことないんだよな、
山の背側には飲料水全てが炭酸水という地域もあるらしいが、ほとんどの地域では珍しい湧き水くらいの存在だ。
炭酸が抜けないよう密閉して運ぶのが大変なので、わざわざ飲むもんでもないかな……別に好きでもないし、と遠ざけてきた。
やっぱり水割りに炭酸水を使うと美味しいので、酒飲みにとっては身近な存在らしい。
「どうぞ、お召し上がりになって」
女王に言われたので、口をつけてみる。
あ、レモンソーダだこれ。
と、飲む前からわかった。
発泡した飛沫が、レモンの香りを口より先に鼻に届けてきた。
ホウ社が持ってきたレモンをソーダにしてみたのだろう。
口に含んでみると、確かにレモンソーダだ。
甘みはさほど強くないが、なんとも懐かしい気持ちがした。
よくよく味わってみると、ミントのような風味も入っている気がする。
ホウ社はレモンを運んできただけだけど、末端では色々と研究されてるんだな。
「いかがかしら? 最近のお気に入りなのよ」
女王が微笑みながら言う。
今日はなんだかテンション上がってるな。
「とても美味しい、です。お肉に絞るものかと思っていたのですが、こんな飲み方もあるんですね」
スズヤが勇気を出して発言する。
「実は、大昔からあったレシピなのよ。ユーリさんが九百年ぶりに運んできてくれたから、また作れるようになったの」
ほーん。
たぶん大皇国時代の話なんだろうけど、そのころから炭酸水にレモンぶちこんで飲むなんて飲み方があったのか。
きっと大昔の料理本とかに書いてあったんだろう。
もしかしたら、ライムあたりと取り違えてたりするのかもしれないけど。
「これもユーリが運んできたものだったの……本当に凄いわ」
うーわー。
照れるからやめて。
「いや、そんなでもありませんから。運んできたのは船員なので……」
「まあ、そんなに謙遜なさらなくても」
女王が嫌がらせをしてきた。
「謙遜なんかじゃないですから……」
「実際たいしたものだと思いますよ。ホウ家の歳入の六分はユーリの事業関係ですから。関連してるお金の流れを含めれば、一割はユーリが増やしていることになります」
ルークが言った。
おいおい、それ女王の前で言っていいのかお父様よ。
そのお金がどこから来ているのかといえば、半分ちょっとはこの王都から来てるんだぞ。
言わばホウ家領は王家天領に対して多額の貿易黒字を持っているわけで、言わば貿易摩擦があるんじゃないのか。
「ええ、まったく。素晴らしいご子息ですわ。教育法を教えて欲しいくらい」
やっぱりというか、女王はまったく気にしていないようだった。
そして俺弄りは続くようだ。
もう諦めたほうがいいのかな。
こういった羞恥プレイに付き合わされるのが今日の趣旨なんだろう。
結婚とはそういうことなのかもしれない。
「いえ……本当になにもしていないのです。強いて言えば、子どものころ伸び伸びと育てたのがよかったのかな」
やめてくれ。
子どもの前でそういうことを言うのはやめてくれ。
「うぅん……やっぱりそうやって育てるのがいいのかしらね。キャロルちゃんはどう思う?」
ちゃん呼びかよ。
俺の両親いるんだけど。
キャラ違いすぎてルークなんてさっきから混乱してるぞ。
「そうですね。やりたいことを応援して長所を伸ばすのが良いのかと……ユーリもシャムさんもそのように育ってきたように思えます」
なんかまともなこと言ってる。
子どもの教育法について今のうちから思うところがあるのだろうか……。
そこで、ガタンと椅子が鳴る音がした。
「……どうしたの? カーリャ」
女王が言うと、
「……ちょっと、中座させていただくわ」
今日はじめてカーリャは口を開いた。
そのまま憤懣やるかたない足取りで部屋を去ってゆく。
ドアが乱暴に閉じられた。
「あ、あの……なにか失礼を?」
恐る恐るスズヤが聞いた。
「いえ、そうではありませんわ。あの子は……ちょっと、いろいろありまして」
「そうなのですか……」
スズヤは不安そうだ。
これからの家族付き合いに暗雲が立ったような気分なのだろう。
「あの年頃の女の子っていうのは扱いづらいものですからね。反抗期ってやつですか」
ルークがオヤジ臭いことを言った。
「子育てというのは難しいものですわ。キャロルちゃんの時は、初めの子ですから、次の王にふさわしく育つようにと思って、厳しく育てたのですけれど……」
女王は手に持っていたコップを置いて、話しはじめた。
その目はなんだか寂しいような、昔を懐かしむような、そんな目だった。
「朝から晩までお勉強をして、時間の合間をぬうようにして習い事もさせる……そんな日常は、年端もいかない子供にとっては苛酷ですわ。王になる者としての責務だとは思っていても、親としては心が痛んで仕方がありませんでした。だから、カーリャちゃんのほうは……キャロルちゃんが居るわけですから、それほど厳しく育てる必要はないか、と思ってしまったのです」
思い出話は続くようだ。
とはいえ、これから親となる身としては興味深い。
息子だか娘だか、どちらにしろカーリャのようには育てたくない。
「キャロルちゃんも、それは多少は不平不満も言いました。カーリャばっかりズルいだとか……まあ、でも根が真面目ですから、多くの責務をこなして、こうして立派に成長していきましたわ」
うーん、なんとも目に浮かぶようだ。
多少ぶつくさ言いながらも、お受験のような詰め込み教育を延々とさせられるキャロル。
入学式で出会った頃のキャロルが、まさにその最終形態だったんだろうな。
「でも、そうすると、やっぱり段々と差がついていきました。褒められるのはキャロルちゃんの方ばかり。次期女王として期待されるのもキャロルちゃん。自分は褒められも期待されもしない……。カーリャちゃんは次第に辛そうな表情をするようになりました。私は、その頃になって初めて過ちに気づいたのです。でも、気づくのが遅すぎましたわ。それから一時は厳しくしてみたのですけれど……甘やかされて育った子が、急に多くの節制や習練を強いられても、耐えられるわけはありませんでした。逆に世を拗ねたような性格になってしまって……」
女王陛下も母親だったんだな。
カーリャに関しては見捨てているものだと思っていたけど。
やっぱり母というのは子のことを常に想っているものなのかもしれない。
でも……カーリャに関しては教育が悪かったからああなったのかというと、難しいよな。
人間の成長が産まれついての素質によるものなのか、それとも産まれてからの経験によるものなのかというのは、かなり線を引きにくい難しい問題だ。
ADHDや自閉症は生まれついての疾患だし、これは矯正できるようなものではない。
正常の範囲内でも自閉度やIQには高い低いがある。
それでも、カーリャは厳しい教育を受けていても劣等生だっただろう。とは言い切れない。
人間の成長というのは単純に言い表すには難しいもので、カーリャがキャロルを凌ぐ未来がなかったとは、誰にも言い切れないだろう。
「あら、ごめんなさい。喋りすぎてしまいましたわ」
まったくだ。
これから身内になるとはいえ、気を許しすぎじゃないだろうか……。
いや、身内になるんだからいいのかな、こういうノリでも。
俺が考え過ぎなのか。
「女王陛下のお心、きっと伝わっていると思います。いつか……いつかは笑って話せる日が来ますわ」
スズヤは同じ母親として共感する部分があったのか、目尻に涙を貯めて感動しているようだ。
たぶんスズヤは、先程カーリャが出ていったのが女王陛下との確執のせいだと思っているのだろう。
単純に、キャロルに俺を寝取られた的な苛立ちがあって、この席自体が気に入らなかったのが原因だと思います。
「ありがとう、スズヤさん……。あ、料理の手配がまだでしたわね。そろそろ並べさせますわ」
やっと会食がはじまるらしい。
待ってた待ってた。
その前に、ふと気になって隣に座るキャロルを見てみると、先程の女王の言葉が心に重く残っているらしく、なにやら難しげな表情をしていた。
料理や会話など耳に入っていなさそうな様子だ。
「どうかしたか?」
小声で聞いてみる。
「いや……今度カーリャとちゃんと話してみようかと思ったけど、どうせ喧嘩になるよなぁ……と思って……」
ごもっともな意見だった。
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