第十章 帰路編

第128話 とある脱走兵の吐露*

 アンジェリカがその報を聞いたのは、六月二十日の朝方のことだった。


 その時、アンジェはキルヒナ王国の首都リフォルムの攻囲戦に参加し、相も変わらず憲兵の真似事をさせられていた。


 リフォルムに斥候がたどり着いてより五日。

 城壁を遠巻きに囲んだ軍は、鼠一匹逃さぬ攻囲を完成させていたが、まだ攻城を始めてはいなかった。


 アンジェは、岩山要塞を攻略の際、そのかなめとなった攻城砲を献策した功績によって、十字軍内で評価が高まっていたが、ティレルメ内部での待遇は未だに変わらない。


 待遇に納得いかぬものを覚えつつも、アンジェは己の陣幕で考えを巡らせていた。

 伝令の役目を帯びた配下の兵が来たのは、そんな時だった。


「脱走兵だと?」

「はい」


 先程まで警邏の任に就いていた兵は、慎ましやかに答えた。


「それがどうした。余程の高官なのか」

「いえ、そうではありませんが……情報を売りたいと、妙なことを申しているようで」


 情報を売りたい?


「また、とんちんかんな奴だな」


 情報など、売られずとも聞き出す方法は幾らでもある。

 人の形でなくなるまで拷問しても、こちらは痛くも痒くもないし、誰に罰せられるわけでもない。


 そもそもが、売るだの買うだのという関係が成り立つ状態ではない、とも言える。


「まあ、会ってみるか」



 ***



 その男は、アンジェが出向くまでもなく、天幕の前まで引っ立てられて来ていた。

 アンジェは、その男の目を見る。


 恐怖、だろうか。

 いや、その中に、媚びへつらおうとする色も見える。


 しかし、居座り様は堂々としている。

 それを支えているのは、根拠の無い自信だろう。


 シャン人特有の端正な顔立ちはしているが、まったく魅力を感じられない。

 アンジェは、ひと目でこの男を嫌いになった。


「言葉が間違っていたら、訂正をしてくれ」


 連れて来られていた翻訳官に言う。

 茶色のローブを着た長耳で、顔には刺青が彫ってあった。

 これによって、奴隷などと間違えられ、連れて行かれることがなくなる。


 もっと言えば、この者はアンジェにシャン語を教えた教師でもあった。


「はい。そのようにします」


 そう言った声に、アンジェは頷いて返す。

 そして、男に向き直った。


「情報を売りたいというのは、お前のことか?」


 アンジェはシャン語で尋ねた。


「これは話が早い。その通りだ」


 偉そうな物言いだった。

 やはり、取引が成立すると思っているようだ。


「ふむ。対価はなにを要求する?」

「貴様……いや、貴君らの圏域での自由な生活と、十分な年金の給付を約束してもらいたい」


 馬鹿か。

 とアンジェは思い、鼻で笑うのをかろうじて堪えた。


 有史以来、奴隷として買われ、有能を武器に国王の右腕まで上り詰めたシャン人もいるが、彼でさえで自由な生活などありえなかったのだ。

 それに加えて、年金の給付とは、恐れ入る。


 子どものような世界観だ。


「情報の内容によるな。内容の軽重けいちょうもわからぬうちに、そのような待遇を確約できるわけはあるまい」


 どの道、この男の待遇を保障することは無理なので、アンジェは嘘をつくことになる。

 アンジェにとっては、たとえ相手がいけ好かない長耳であっても、嘘をつくのは気が進まないことだった。


 だが、喋らなければ拷問を受け、凄惨な死が待っている。

 それと比べれば、嘘に騙されて陣地の外に解放されるほうが、よほど穏当だろう。


「それもそうかも知れぬ。情報とは、金髪のシャン人と、貴君らが取り逃がした竜殺しの男のことだ」


 男は、駆け引きをする様子もなく、あっさりと吐いた。


「ふむ……」


 その話は、アンジェの興味を一気に引いた。

 ただし、その話をここで聞くわけにはいかない、とも思った。


 たまたま担当区域の警邏中に引っかかったものの、アンジェ自身は十字軍の中では重鎮でもなんでもない。


 嘘の口約束をし、話を聞き出したところで、それを聞いたのが自分だけであれば、信じてもらえるかどうか疑わしい。

 また、嘘で聞き出してしまえば、一度喋った後は、口をつぐむ可能性がある。

 書面で待遇を確約してからだ、などとなってしまえば、面倒だ。


 できれば、もう少し立場が上の、十字軍の中でも重鎮とされる人物と共に話を聞くのが好ましかった。



 ***



 というわけで、ジャコ・ヨダと名乗るその男は、ただちに教皇領の天幕へ護送された。


 アンジェが、自国の兄帝のところに連れて行かなかったのは、自分を最も評価してくれている男が、薄気味の悪い教皇領の長である。という悲しい事情があった。

 兄帝アルフレッドのところへ連れて行っても、相手にされず、握り潰される可能性が高かったのだ。


「失礼致します」


 アンジェが辿り着いた時、挺身騎士団大司馬、エピタフ・パラッツォは、簡易聖堂として作られた天幕で祈りを捧げていた。


「おや、アンジェリカ殿。いかがされましたか?」

 エピタフは、跪いた祈りの姿勢から、立ち上がってこちらを向いた。


「興味深いシャン人の投降者が現れたので、お連れしたのですが……祈りを邪魔してしまいましたか」

「いえ、構いませんよ」


「そうですか、安心いたしました。それで……どうも、その投降者が金髪のシャン人の行方を知っている、というようなことを言っておりましたので」

「ほう……それは興味深いですな」

「はい。なので、お連れしました」

「それでは、さっそく尋問をしましょう」


 尋問、というのは、この場合は拷問を意味するのだろう。


「いえ、それをしなくとも、待遇と引き換えに話すと言ってきています」

「待遇……?」

「我が種の版図での自由と、年金が欲しいと」

「プッ」


 エピタフは、吹き出すように笑った。


「ふふっフフ……それは面白い冗談ですね。悪魔ごときが、自由などと。何を勘違いしているのか……」


 心底おかしい冗談を聞いたように、エピタフは楽しげだった。


「ですが、拷問より簡単で、正確でありましょう。嘘一つで済むのであれば」


 拷問というのは、人に苦痛を与えながら、十重とえにも二十重はたえにも、知っていることを話せ、と言う。

 拷問を受ける側は、痛みと苦しみから逃れようと、有る事無い事を話す。


 そういって出てきた情報は、間違っていることが多い。


 拷問者は、その者が情報を持っていながら話さないのか、持っていないので話せないのか、判断できかねるからだ。


 最初から何も知らない者を拷問し、その結果、痛み逃れで喋られた虚偽の情報を得てしまい、それに踊らされてしまう。ということは、良くある。

 暗号の解読法など、それが真であるのかすぐに分かる性質のものであればよいが、軍の行動方針などの場合は、すぐに分かるものではない。


「確かに、その通りです」

「では、外に待たせてありますので」

「行きましょう」


 アンジェとエピタフは、揃って天幕を出た。


 陣幕を出ると、後ろ手に縄をうたれた男と、アンジェの兵が二名、そして、翻訳官がいた。

 翻訳官は、所在なさ気に天幕の骨に左手を置いて体重を半分預けていたが、こちらに気づくと、すぐに背を伸ばして姿勢を良くした。


「そこの者は、翻訳官ですか?」

「そうです。私が連れてきました」


 翻訳官の刺青は、この世界では共通のものだ。

 誰にとっても違和感を感じぬほど、完璧に両言語に習熟した証であって、奴隷の証であると同時に、一種の資格証明でもある。


 奴隷狩りのような連中が、この刺青をした者を襲って市で売ろうものなら、知らなかったでは済まされず、厳重な処罰を受けることになる。

 こういった翻訳官の所有者とは、基本的には軍関係者や奴隷商人と決まっているからだ。


「あなた、腕を出しなさい」

「……? はい、かしこまりました」


 翻訳官は、右腕を出した。


「そちらではない。左腕です」

「はい」


 翻訳官は右腕をひっこめ、すぐに左腕を出した。


「神のおわす聖なる神殿に手をかけるとは、悪魔の分際で許しがたい蛮行です。大司馬の名において、聖断を下します」


 エピタフは、腰に佩いたサーベルに手をかけた。

 アンジェは、何をするつもりか、すぐに察した。


 腕を斬り落とすつもりだ。


 怒っているとすら思わなかったので、アンジェは驚いて声をあげた。


「エピタフ殿ッ! そちらの者は私が連れてきた翻訳官です。どうかご容赦を」

「アンジェリカ殿……あなたはお優しい方だ。ですが、本来であれば神殿を穢した悪魔には、死を与えるのが妥当なのですよ」


 エピタフは眉間に皺を寄せている。

 やはり、神殿……といっても、普通の天幕に形ながらの祭壇が設けられているだけだが……に手を置いていたのが気に障ったらしい。


 この男は、どうにも読めない。


「無知に罪なしの教えにのっとれば、この私にも、天幕を神殿と予め教えておかなかった過失があります。私に免じて、どうか、この場はお納めくださいませんか」


 無知に罪なし、というのは、知らぬがゆえに果実を盗み食ってしまった子どもの罪を、イイススが赦したという、ノク書のエピソードに由来する。


 この天幕の外観には神殿を示す表示があったわけではなく、アンジェも中に入って初めて神殿と知った。

 なので、翻訳官にとっては果実を盗み食いしたどころか、石を触っていたら果実と言われた、というレベルの話だ。

 さすがにこれで腕を失くすのは気の毒すぎる。


「ふむ……」

「それに、この者を斬ったら、新しい翻訳官を連れてこなければならなくなります」


 翻訳官を見る。

 事情を察し、地べたに這いつくばって許しを乞うていた。


 それでいい。


「……アンジェリカ殿に免じて、この場は許しましょう」

 翻訳官の姿を見て、少しは溜飲が下がったのか、エピタフは言った。

「ありがとうございます」

「それで、くだんの悪魔というのは、これですか」


 エピタフは、男を見下して言った。

 ジャコ・ヨダは、事情がさっぱりと分からぬようで、混乱した様子で、腕を縛られたまま立っている。


「はい」

「翻訳しなさい」


 エピタフの教皇領軍にも翻訳官は居るのだろうが、この場ではアンジェの翻訳官を使うようだ。


「もう、立ってよい」


 アンジェが命令すると、翻訳官は恐る恐る、ゆっくりと立ち上がった。


「要求を述べよ」


 そうエピタフが言うと、すぐに翻訳官がシャン語に直し、ジャコ・ヨダに伝えた。


「さっき述べたとおり、貴君らの圏域での自由な生活と、十分な年金の給付が条件だ」


 その言葉を、翻訳官は今度はクラ語に直し、エピタフに伝えた。


「全て叶え、貴殿に貴族としての待遇を与えよう。知り得る限りの情報を話すのだ」


「なるほど。約束するのだな。では話そう」



 ***



「……そして、連中は六日前にここを出発した。北方に陣取る貴殿らの軍を迂回して帰るには、海際の街道を登るのが正解だろう」


 男が喋り始めた情報には、予想以上に重大な内容がひしめいていた。


 まさか、竜を墜としたのが名に聞こえるホウ家の嫡男で、そこに居たのが金髪の姫であったとは、誰が想像するだろう。

 逃がした魚は、唖然とするほど大きかった。


「これは噂だが、この国の姫も同時に脱出したらしい」


「ほう……テルル姫のことか」


 エピタフが訊ねた。

 アンジェは、エピタフがこの国の王族の子弟の名を暗記していたことに、軽い驚きを覚えた。


「その通り。貴殿らが大好きな、金髪の姫君だ」ジャコ・ヨダは厭らしく口端を歪ませた。「実のところ、私が脱出したのも、それが原因でな。いちはやく城から逃げ出す王族などには、従っていられんと言うわけだ」


 聞いてもいないことまで、よくペラペラと喋る口だった。


「では、次に市内の様子と、貴殿がどうやって逃げてきたのかを聞かせてもらおう」


 アンジェが言う。

 形式上、シャン語を喋らないほうが良いと思ったので、クラ語のまま話した。


 ある意味、そちらのほうが重要な情報とも言える。

 これからの攻城戦に役立つ情報が得られるだろうからだ。


 翻訳官が翻訳をする。


「それは……分からぬ」

「なぜだ?」


「闇夜にまぎれて、人に会わぬよう逃げてきたからだ。城壁に、逃げた時のロープは垂れ下がっているだろうが……今頃は回収されているかもしれん」


 なるほど。


 ここまで口が滑らかなことを考えると、内部の者達を裏切るまいと、情報を出し渋っているわけではないだろう。


 つまり、城内の防衛に従事していた人間が、自由意志で逃げてきたわけではない。

 恐らくは、牢に繋がれていたのだ。とアンジェは考えた。


 戦のどさくさに紛れて脱獄し、あとは逃げるのに精一杯だったのだろう。

 人目をはばかって逃げ続けていた者であれば、他人と会話する機会もあるまいし、大通りや城門の様子をつぶさに観察する機会もなかったはずだ。

 つまりは城下の情況などジャコ・ヨダには分からないし、従ってどこが弱点かも知り得ない。


「アンジェリカ殿、まだに質問はございますか?」

「いいえ」


 聞きたいことは、大体聞いた。


「では」


 エピタフは、剣の柄に手をかけると、おもむろに男の首を撫で切った。


「ングッ……」


 男は、信じられない、と言った目でエピタフを見る。

 次に、アンジェを同じ目で見た。

 言葉にしようにも、気管は鮮血で満たされ、言葉にはならないのだろう。


 六割方切断された首が、両手のひらで抑えられる。

 が、力が入らないようで、あまり意味はなかった。


 対して、顔の表情は豊かだった。

 憎しみの限りを尽くした目でアンジェを見ていた。

 エピタフは、血飛沫がかからぬよう、ジャコ・ヨダの胸のあたりを軽く蹴り、蹴倒した。


 アンジェを見る目は天を見る目に変わり、いくらもしないうちに彼は動かなくなった。


「………」


 貴族にしてやるという約束は? などとエピタフに尋ねるつもりはなかった。

 あまりに馬鹿げた質問だからだ。


 こんな男が殺されたところで、アンジェはなんとも思わないが、考えてみればエピタフの元に連れてきた時点で解放するという選択肢は取れなかったのかもしれない。


 アンジェは、少し責任を感じ、病んだような気分になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る