第127話 出発

 市門の入り口には、荷物が山になって積まれていた。

 そこから先には、もう人は殆ど残っていない。


 次々と荷物を手放し、最小限の仕事道具や貴重品だけ持ってリフォルムを離れた人々は、もう既に何割かは出発している。


 炊き出しの食事を食べ終え、歩けるものからグループを作り、小隊に護衛されながら歩みを始めた最初の人々は、既に視界から消えてしまっていた。


 臨時に立てた天幕からは、今も煙が立っている。



 ***



「お連れしました」


 午後も三時頃になり、いよいよ千人の殆どが出発したという頃になって、ようやく王剣……じゃなかった、夜衣の人が、王女テルルを連れてきた。


 まあ……しかし、ここで叱責の類をするのも無粋だろう。


 夜衣の人は、平服を着ており、テルルのほうは、厚ぼったいフードつきのローブを着ていた。

 まあ、確かに地味な服装ではあるが……。


 一応、周囲を確認する。

 会話を聞かれるような範囲には、人は居なかった。


「それでは、お預かりする」

「よろしくお願い致します」


 夜衣の女が深々と頭を下げた。

 テルルのほうは、なにもしないで突っ立っている。


「えっ……あぁ、よろしく……」


 少し遅れて、ぺこりと頭を下げた。

 憔悴している様子だ。


 頭を戻す瞬間、金色の髪が、ちらとフードからのぞいた。


「黒く染める、という話では」


 思わずそう言うと、テルルは怯えるように一歩引いて、髪を隠すように手でかばった。

 なんだなんだ。


「………」


 夜衣の女のほうは、難しげな顔をしているだけだった。


 まあ、構わないんだけどな。

 テルルが脱出したことが知れて、困るのはリフォルムの連中なわけだし。

 というか、もう城も出ちゃってるしな。


「こちらとしては、構いませんが……。ただ、避難民の中には、快く思われない方もいるでしょう。できれば、フードに隠れるよう、短く切ることをお勧めします」


 一応、そう言うと、テルルのほうは「信じられない」とでも言いたげな顔で、俺を睨んできた。


 あ、敵認定されたな。

 なんというか、猫の尻尾を踏んづけた感じだ。

 しばらく懐いては来なさそうだ。


 それにしても、なんというか、幼稚な感じだな。

 騎士院の初年度の頃に戻ったような、懐かしい感覚さえ覚える。


「まあ、そのままでも構いませんよ」


 俺は考えるのをやめた。

 無理やり髪切っても問題が起こりそうだしな……。

 それで旅程中に嫌な思いをしたとしても、知ったことではないし。


「避難民の中に、ヒナミ・ウェールツという者がいるはずです。その者は世話係の経験があるので、できれば身の回りの世話をさせて頂ければと存じます」


 なぬ。


 じゃあ、なんでそのヒナミとかいうのを、最初から同道させなかったのだ。

 ……情報を秘匿するのに都合が良かったからか?


 最初から付き従わせると、あらかじめその娘に事情を説明する形になってしまうので、単なる世話係のそいつは、口を滑らせて情報を漏洩してしまうかもしれない。

 なので、一度は暇を出して避難民に紛れ込ませ、リフォルムを出た後に、まあ再雇用みたいな形にした、って感じか。


 面倒だな。

 気苦労の多い仕事だ。


 その割に、髪を染めるという最もクリティカルなところは、本人が拒絶して実行相成らなかったわけだ。


「お気苦労、お察しします」

 思わず、ぺこりと頭を下げた。

「いえ……」

「もし、生き残ることがあれば、ホウ家をお訪ね頂ければ、いつでも重用いたしますよ」

「……もし、そのような事があったとしたら、やはりテルル様のところで、お雇いいただくと思います」


 ああ、やっぱり骨の髄までアレなんだな。

 それがこの人らの生き方なのだろう。


「無粋でしたね。それでは、テルル様はお預かりします」

「はい、改めて、よろしくお願い致します」


 夜衣の女は、テルルのほうに向き直った。

 しゃがみ、テルルの両手を包むように握った。


「テルル様。どうか危難を避け、つつがなくお暮らしください。ご多幸をお祈りしております」

「うん……ヤーニャも、元気で。死なないで……」

「……はい」


 ヤーニャと呼ばれた女は、すっと立ち上がった。


「それでは」


 ぺこりと改めて頭を下げると、踵を返して歩いて行った。

 テルルは、しばらくそれを見送っていた。


「テルル様。お別れはよろしいですか」


 数分して、声をかけてみると、

「……はい」

 という声が帰ってきた。


「それでは、どうぞこちらへお越しください」


 手を差し伸べてみたが、テルルは何かに怯えたように、俺の手を取らなかった。

 ま、いいか。

 所在なく手を戻す。


「では、ついて来てください」



 ***



「ドッラ」


 はぁ、憂鬱だな。


「ユーリ……じゃなかった。隊長」


 ドッラは、充てがわれた十人の手下を従え、荷物の整理をしていた。

 今は、干し草をギュウギュウに縛った馬の飼料を大きな馬車に放り込んでいる。


「ちょっと、こっちにこい」

「分かった」


 ポイ、と干し草を投げ入れると、


「隊長と少し話をしてくる! お前たちは作業を続けるように!」


 大声で指示を飛ばし、こちらに向き直った。


「立派な指揮官ぶりじゃないか」

「まあな……。って、そちらの方は?」

「後で話す……少し、ここでお待ちください」


 テルルに言うと、テルルは少し頷いて、馬車の横あたりで立ち尽くす構えを見せた。

 まあ、いいか。


 そのまま、少し離れたところに移動した。


「あのな、ちょっと言いにくいんだが」


 と、俺が言おうとすると、ドッラは手で俺の口を制した。


「先に一言言わせてくれ」


 なんだ?


「ユーリ。殿下を連れて戻ってきてくれて、ありがとう」


 うわ。


「俺はもう、居てもたっても居られなくてな。あんな思いをしたのは、生まれて初めてだった」


 うーわー。


「待て待て。あのな……、お前には、言おうか言うまいか迷ったんだがな」


 この流れで、「俺は本当の気持ちに気づいた。殿下に愛を告白しようと思う」などと言い出されたら、気まずいどころではない。


「なんだ?」

「キャロルとのことだが……男と女の関係になってしまった」

「は………」


 ドッラの笑顔が凍った。

 それはもう、ピタリと凍った。


「すまん」


 俺は深々と頭を下げた。

 そうする必要があると思った。


「なんで謝る。貴様、まさか無理やり……ッ」

「それは違う」

「……クッ。そう、か」


「殴ってくれていい」

「……いや」


 ドッラは魂が抜けたような顔をしていた。

 可哀想だ。


「殿下を、幸せにしてやってくれ」


 なんか、父親みたいなことを言い始めた。


 キャロルを幸せにする。

 中々重い言葉だった。


 キャロルを幸せにする、というのは、つまりはシヤルタ王国の安堵について責任を持つことに直結する。

 二、三百年前なら簡単といってもいい仕事だったのかもしれないが、現在においては、それはとてつもない難題だ。


 俺は神ではないので、それを「責任をもってやる」などとは言えない。

 国が滅びそうになったら、キャロルを気絶させてでも運び出し、船に乗せてどっかへ逃げる、程度のことしかできない。


 が、それをここでドッラに言っても、意味のないことだろう。


「……あぁ」


 と、曖昧に返事を濁すにとどめた。


「それで、話はそれで終わりか」

「いや、お前に頼みたい仕事がある。だが、辛いようなら他を当たる」

「舐めるな……命令なら、仕事はする」


 どうも、癇に障ったようだ。

 私事を仕事に交えない、というのは立派な社会人の心得だが、人を機械にする理屈でもある。


 俺としては、ドッラがどれほどキャロルを想っていたのか知っている分、傷つき、それが後を引いても、まったく責める気にはならない。


「重要な任務だ。気が抜けた状態が長く続くなら、困る」

「大丈夫だ」

「なら、言うぞ。俺が連れてきたあれのことだ」俺は首を小さく振り、後ろにいるテルル殿下のことを示した。「あれはキルヒナの王女だ。シヤルタまでお連れする必要がある。お前に任せたいのは、姫と宝の入った馬車を守る仕事だ」


 と言うと、


「なんだと……?」


 ドッラはつぶやき、眉間にしわを寄せ、怒りの形相を作った。


「お前ッ!」


 そう言うなり、いきなり俺の胸ぐらを掴む。

 ぐいっと、体が浮き上がるほど力をかけられた。


 鬼の形相でキレてる。

 なんだなんだ。

 なんでキレてんだ。


「どういうつもりだ……ッ! 罪滅ぼしのつもりかッ!」


 ……は?

 なに言ってんだこいつ。


 ……あ~。


 考えてみりゃ、あれも金髪だな。

 しかし、フードで念入りに隠しているというのに、よく金髪と分かったものだ。


 性癖の為せる技なのだろうか。

 青い目で分かったのかな。


「なにをたわけたことを言ってやがる。手を離せ。あまり寝言を抜かしやがると、殺すぞ」


 俺は腰に差してあった短刀の柄を掴んでいた。

 襟を掴まれているので、投げや崩しに繋げられたら困るが、こうしておけば抜刀で対応できる。

 動いた瞬間、襟を掴んでいる脇の下に短刀を滑らせ、急所をえぐればよい。


「……ッ」


 が、ドッラは俺の襟首から手を離した。

 浮きかけた足が地面につく。


「この、糞ボケ野郎。俺が、同情か何かで重要な任務をまかす相手を決めると思うか」


 短刀から手を離し、俺は乱れた服を直した。

 こいつも、相変わらず頭に血が上りやすいな。


 これで人望はあるらしいんだよな。

 勇猛、勇敢こそが騎士の美徳、みたいな連中に。


「じゃあ、どうして俺を選んだ」

「腕っ節がいいからに決まってるだろうが。死んででも、姫が入った馬車を守り通せ」


 こいつは馬鹿だから、そういった愚直な任務はキッチリこなすはずだ。

 あんなにキレたところを見ると、元気がなくなってるようでもないしな。


「お前に自信がないなら、他を当たる」

「やる」


 やるのか。


「そうか。じゃあ、リャオに話を通しておくから、とりあえずオヒメサマに挨拶でもしておけ」



 ***



「リャオ」


 騎上から声をかけると、リャオはこちらを向いた。


「おう。ユーリ殿。もうそろそろ最後の連中が出発するぞ」


 上から話すのもなんなので、俺はカケドリから降りた。


「そうか。それでな、ドッラの隊を例の専任にして警護させたい」

「ン……そうか」

「一番いい馬車を見繕って、先頭に立てよう」

「……そうだな。それがいい」


 リャオは頷いた。

 先頭に立てよう、というのは、つまりは真っ先に逃げられるようにしよう、ということだ。

 後ろと前に馬車があったら、すぐに逃げることはできない。


「俺が持ってきた火薬用の馬車があっただろ。あれがいいな」

「ああ、あの珍妙な装置がついたやつか」


 珍妙な装置、というのは、サスペンションのことだ。

 あれは、丈夫な木の板バネで懸架してある。

 乗り心地はいいだろう。


 一応はお姫様だしな。


「だが、あれは他の物を載せてもう出てしまったぞ」

「そうか。そんじゃ、ドッラは馬車一台と先に行かせて構わないか?」

「ああ。そうしてくれていい。俺たちもすぐに出るしな」


 ドッラはちょうど、干し草を馬車に積んでいた。

 あの上に乗っけておけば、座り心地もよいだろう。

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