第123話 起床

「………くん、……でんか」


 声が聞こえると、ぱちりと目が開いた。


「ユーリくん、起きてください」


 ミャロの声だ。


「ああ……起きてる」


 上半身を起こすと、激しく体がだるい。

 寝不足だ。


 外を見ると、外は薄明るく白んでいる。

 早朝か。


「ミャロ。迎えに来てくれたのか?」

「はい」


 目の前には、ミャロがしゃんとした顔で立っている。

 が、顔には覇気がない。

 俺以上に寝ていないのだろう。


「すまんが、少し面倒なことになった……話は聞いてるか?」

「聞いています。今朝、夜衣よごろもの人が来ました」


 夜衣?


「それって……あの王の剣っぽい奴らか?」

「たぶんそうだと思います」

「夜衣ってのがキルヒナの王剣なのか?」

「部隊の性格的には少し違う部分もあるようですが、ほぼ同類といっても差し支え無いと思います」


 やっぱりそうだったのか。


「そうか、わかった。じゃあ……行くとするか。色々と面倒だが、正午までには状況を収拾して出発したい」


「その前に、朝食を用意しましたので、食べてください」


 と、ミャロは編み籠を机の上に置いた。


「用意がいいな」

「ありがとうございます」


 なに気なく、枕の横に置いた時計を開くと、午前の六時だった。

 寝坊してしまった。


「城下では、王配が近衛を率いて、荷を積ませていました。まだ、随分かかりそうでしたから、それほど急ぐ必要はないでしょう」

「リャオはどういう意見だった」


 ベッドから降りながら言う。


「なにも言っていませんでした。ただ、内心で反対でも、口には出さないと思います」

「なんでだ?」

「反対をおおやけにして、ルベ家の隊員を率いて分離してしまえば、作戦が成功した場合、反感を抱く者が多く出るでしょう。この作戦は、どう考えても成功する可能性のほうが高いです」


 そりゃそうか。

 ルベ家だけが勲章を貰えない、ということになったら、いい面の皮だしな。


「土壇場でやられたら困るんだがな」

「それはないでしょう」

「どうしてだ」

「キャロル殿下がいるからです。現時点ならまだしも、生死に喫緊きっきんの危険があるときに逃げ出したら、たいへんな不名誉ですよ」


 そりゃそうだ。

 当たり前だ。

 あかんな。寝起きで頭が回ってないらしい。


「キャロル、まだ寝てんのか」

「……起きてる」


 キャロルはむっくりとベッドから起き上がった。

 寝ぼけてもおらず、意識はハッキリしているようだ。


「ミャロが持ってきてくれた。食おう」


 そう言いながら、俺は席について、ジョッキに入った水をコップに注ぎ、ソーセージが挟まれたパンを口に頬張った。


 まあ……そんなに美味くはないな。

 兵士用のものだろうし。


 遅れて、キャロルが席に座って、食事を摂り始めた。

 二人して、黙々と平らげる。


「ごちそうさま」

「……ごちそうさま」


 キャロルがうつむきながら言った。

 元気がなさそうだ。


 ミャロが、一瞬キャロルを見た。

 そして、次に俺の方をまっすぐに見ると、


「ユーリくん、キャロルさんと寝ました?」


 と言った。


「………っ」


 キャロルが、厳しい親に悪さを見破られた子供のように、ビクっと震えた。


「寝た」


 俺とキャロルがこの部屋で一緒に寝ていたか、というのは、一目瞭然のことなので、それを聞いているわけではないだろう。


 昨晩はやってないが、二つベッドがあるのに一つのベッドに二人で寝てる、というのは、どう考えたっておかしな話だ。

 ミャロに起こされた時は、まずいなぁ、とは思ってたんだけどな。


「……そうですか」


 ミャロは、静かに俯いた。

 一瞬だけそうしたあと、キャロルのほうを向いた。


「キャロルさん。おめでとうございます」

 ぺこりとお辞儀をする。


「えっ……」

 頭を下げたままのミャロを見ながら、キャロルは呆然とした顔をしていた。


「誰にとっても、良い選択だと思います。女王陛下もお喜びになることでしょう」


 そこまで言うと、ミャロは頭を上げた。


「いや、ちが……」

「――すいません、少し失礼します。ふ、服を整えておいてくだ、さい」


 ミャロは、言い繕いながら顔をそむけ、振り向くと、スタスタと歩いて部屋のドアを開けた。

 そのまま、ドアを締めて、出て行ってしまった。



 ***



「ユーリ、追ってくれっ」

「いいのか?」


 俺が即座に返すと、キャロルは「何を言ってるんだ」という目で俺を見た。

 当たり前だろう、と。


「お前は、俺が追っても構わないのか?」


 俺がそう言うと、キャロルは虚を突かれたような顔をした。

 ぎゅっと顔を歪ませる。


「……っ、頼む……」

「じゃあ、行ってくる」


 俺は、席を立った。

 キャロルの横を通りすぎて、ドアへ行こうとする。


 すれ違ったところで、手を掴まれた。

 見下ろすようにキャロルを見ると、泣きそうな顔で、こちらを見上げている。


「いか……、……ッ」


 一瞬、ぎゅっと俺の腕を強く掴むと、その手を離した。


「……行ってくれ」


 何かを盛大に勘違いされている気がする。


「言い方が悪かったな。俺は昨日今日で浮気ができるほど、器用な人間じゃないぞ」

「えっ……そうな、のか?」

「そうだ」


 俺は、今度こそドアに向かった。



 ***



 ミャロは、部屋を出た廊下の、右の突き当りにいた。

 窓の桟に手をかけ、外を見ているふりをしながら、下を向いていた。


 両肩に力が入っていて、どうにも窓の外を見て黄昏れているようには見えない。


「ミャロ」

「あっ……」


 近寄って声をかけると、こちらを見た。


 泣いてはいない。

 だが、どこか戸惑っているような顔をしていた。


「ユーリくん、すいません……私としたことが、動揺してしまって……すぐに戻りますから」

「まだ時間はあるんだろ? 少し話すくらい、構わないさ」


 俺はすっと手を伸ばし、ミャロの頭を撫でようとした。

 ミャロは、その手を見ると、怯えるように顔を歪める。


 俺の手が、ぱしっ、と払いのけられた。

 軽い衝撃が手に響く。


「あっ……ごめんなさい」

「……いや」


 ミャロに手を払いのけられる日が来るとは……。


「でも……すみません。今は……ちょっと」


 ミャロは、払った手を抱くようにして言った。


「いや……すまんな。無神経だった」


「いえ……、ボクが悪いんです。昨日から薄々察していたのに……いざユーリくんの口から答えを聞いたら、気持ちが昂ぶってしまって」

「そうか」

「でも、勘違いしないでください……ボクはユーリくんの……その、妻になりたかったわけではありませんから」


 そりゃそうだ。


 俺は、ミャロが軍師みたいなのや権謀家になりたがっている、と感じたことは幾らでもあるが、恋人や妻になりたがっている、と感じたことは一度もない。

 

 自分で言う通り、事実それは違うのだろう。


 だが、何かしら割り切れない思いがある、ように感じる。


「わかってる」

「自分でも……なんでなのか、よくわかりません」


 どうも、戸惑っているらしい。

 気持ちを持て余している、と言ったほうが正確なのか。


「それでいいじゃないか。前にも言わなかったか。なんの味気もない、石のような奴じゃあつまらない」


 俺も大昔に彼女にフられた時は、自分でも驚くほど打ちのめされたしな。

 あの頃は俺もアホだったけど。


「………今は、石になりたいです」


 まぁ、そういうこともあるか。


「確か、もっと前に、お前のことを嫌いにはならない、とも言った」

「……はい」

「それじゃ駄目か。お前が嫌になって、俺から離れることにならない限り、俺は突き放したりしない」


 俺がそう言うと、俯いていたミャロが、はっとした表情で、俺を見た。

 先程までと、なにかが違う。

 心にかかっていたモヤは、晴れたのだろうか。


「……そんなこと言って、いいんですか? ボクは、自分でも思いますが、面倒くさい女ですよ。こんなふうに、気持ちも割り切れない。突き放したほうが楽かも」

「楽もなにもない。面倒に思わないからな」

「まったく、ユーリくんは人誑ひとたらしが上手くて、困ってしまいます」


 もう、大丈夫そうだな。


「落ち着いたなら、行くぞ。さっさと顔洗って出かけなきゃな」

「……はい」

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