第八章 逃走編
第91話 土の味
目を開けると、目の前には枝があった。
雪が溶け、去年落ちた枝葉が顔を出している。
一冬の間に腐った皮が、黒く濡れていた。
あぶくが水の中を登るように、意識が浮揚してゆく。
脳が回復し、意識がはっきりとしてくると、体中にズキズキとした痛みを感じた。
どうなっているのだ、と、体を確かめると、俺は腰の上だけ少し宙に浮いた状態で、上半身だけ地面にぶら下がっているようだった。
かなり無理な体勢だ。
どうやら、意識を失っていたらしい。
しだいに、先ほどまでのことを思い出す。
竜と、竜の尾に叩かれて撃墜されたことを。
腰の安全帯はまだ
腰が浮いていたのはそのせいだ。
そうだ、星屑……。
手早く安全帯を
地面に激突したときに、股関節に負担がかかったのだろう。
骨盤でも骨折していたら、と思うと、恐怖がこみあげてきた。
冷静に考えて、そうしたらこの場から身動きが取れない。
いや……ネガティブな考えはよそう。
こういう時こそ、冷静にならなければ……。
安全帯が外れ、体重を支えるものがなくなると、ぐしゃ、と下半身が地面に落ちた。
痛む腰に力を入れ、なんとか立ち上がると、痛いことは痛いが、骨が割れているような痛みはなかった。
足を半分引きずりながら、星屑のほうを見た。
見る前から、どす暗い悲観的な予感しかなかった。
少し離れて星屑を見る。
星屑は、まだ息をしていて、目をぱちくりとさせていた。
だが、両方の羽は折れ、滅茶苦茶になっていた。
体は横向きに倒れていて、下敷きになっているほうの羽は、根本から異常な向きに曲がっている。
体の上にある羽も、骨が折れてしまっているせいで畳めないようで、だらしなく開いたままだった。
地面に衝突するときに木を引っ掻いたのだろう。
星屑は、クチバシを開けて細い息をしていた。
この様子だと、内臓も破裂しているのかも……。
俺は、星屑が下敷きになってくれたおかげで、助かった、らしい。
そのことは、すぐにわかった。
だが……俺には星屑をどうしてやることもできない。
鷲は、片方の羽が折れてしまっただけで衰弱してしまう。
それが、両方の羽が折れた上、
経験が、この怪我ではもうどうやっても助けてやることはできない。と言ってくる。
もしここがホウ家領の鷲牧場で、最良の治療の道具と、経験に長けたルークが付きっきりで看病する体制が整っていても、どうにもならないだろう。
だから、通常、こういう怪我をしてしまった鷲は、安楽死をさせるのだ。
だが、目の前にいるのは、星屑だった。
騎士院に入ったときから、八年も一緒に空を共にしてきた。
そして、俺の代わりに重症を負った……。
俺の命を助けてくれた星屑に、俺はなにもしてやれないのか。
大きな借りを作ったまま、そのまま逝かせてしまうのか……。
「クルルッ………」
星屑が力のない声を出した。
星屑は、俺を見ていた。
鳥には表情がなく、どういう望みでいるのか、なにが言いたいのか、わからない。
俺を責めているのか。
それとも、俺の無事を喜んでいるのか。
苦痛からの解放を望んでいるのか。
わからなかった。
解ったとしても、それは俺が自分の都合のいいように解釈した結果なのだろう。
一言でも言葉を喋ってくれたら、最後に望むことをしてやれるのに。
恨んでいるのであれば、己の無能を謝ることもできた。
だが、現実には、星屑は喋らない。
言葉もわからない。
俺が、星屑のためにしてやれることは、一つだけしかない。
星屑がそれを望んでいるかは解らない。
望んでいないのかも知れず、これは俺のエゴなのかもしれない。
俺は、命を助けてくれた相棒に対して、酷い仕打ちをしようとしている恩知らずなのかも。
だが、決断をする必要はある。
やるのなら、いたずらに苦痛を長引かせるのは、酷な仕打ちでしかない。
腰の後ろに刺していた短刀を抜き、確かめる。
引き抜くと、鞘の中で曲がっていた。ということもなく、収めたときと同じ輝きを放っていた。
星屑は、短刀を見ても、なんの反応も示さない。
俺が今からやることを察しているのだろうか……。
「星屑……」
俺は星屑の顔を抱いた。
星屑は、何か安心したように、首の筋肉を弛緩させる。
「ありがとう。お前のおかげで、命が助かった」
すまない。
と心の中でいい、俺は短刀を星屑の首裏に深く突き立てた。
ぐいっと横に引くと、鋭利な短刀は、首の骨ごと延髄をブツリと切断した。
星屑は、身じろぎさえせずに、それを受け入れた。
息絶えると、力が抜け、ズシっと重くなった。
ああ、死んだ。
共に空を駆けた友人が死んだ。
俺のせいで。
俺は、星屑の首を慎重に横たえると、短刀をおさめた。
そうして、最も大きな風切羽を三枚取ると、鞍に載せてあった鞄にしまった。
できるなら埋めてやりたいところだったが、それはできそうにない。
やるべきことがたくさんある。
***
これからどうしよう。
そう考えた時、まず頭に浮かんだのは、観戦隊のことだった。
どれくらい経ったのか判らないが、おそらくはキャロルまたはリャオが指揮を引き継いでいるはずだ。
キャロルはどうなったか判らないが、とにかく事故ったのは間違いないから、現在はリャオが指揮をとっている可能性が高い。
もしかしたら、まだ空中にいるかもしれない。
俺は、一縷の望みをかけて、空を見上げた。
当たり前だが、日差しさえ遮る枝葉に邪魔をされ、天空の様子など解らなかった。
目につく範囲で一番高い木を探すと、それに登ることにした。
筋肉が麻痺しているような感じがして、どうにも登りづらく、途中何度も激痛が襲ってきたが、とにかく登った。
そうやって木の頂上に至ると、俺はできるだけ枝を切り払った。
そうして、上空を見た。
いた。
王鷲たちは、俺のいる真上をくるくると回っていた。
そして、遠く……ここから三百メートルほどのところにも、同じようにして同数程度の鷲が回っている。
俺は笛を吹いた。
とにかく大きく音を出すと、ずっとこちらを気にかけていたのだろう。
鷲が一羽降りてきた。
すぐにわかった。
リャオの鷲だ。
だが、鷲はハチドリのような滞空を長時間続けることはできない。
リャオは、少しそれに挑戦はしてみたものの、すぐに諦め、バンク角を大きくとって地上を見られるようにしたまま、器用に小回りを始めた。
俺は、まず、あらかじめ決めておいた符丁で笛を吹いた。
姫はどこだ、つまりはキャロルはどうした。という符丁だ。
リャオは、死んだとも編隊にいるとも言わずに、ついて来い。という意味の笛を鳴らした。
旋回を一時やめ、旗のついた槍をビッと一方向に向ける。
もう半分の鷲が周回している地点だ。
やはり、キャロルも墜ちていたか。
半分は俺、半分はキャロルの落下地点に別れ、地上を監視していたわけだ。
俺は素早くポーチを探ると、コンパスを取り出して方角を確認した。
ガラス面の外側に取り付けてある、矢印のついた金属蓋を回し、キャロルの方向をマークする。
地上に降りたら、鷲が回っている方向はわからなくなってしまう。
しかし、難しいところだ。
王鷲は、森林には着陸できない。
それが、たぶん生息分布が限られている理由なのだろうが、王鷲は岩場で狩りをする生物なのだ。
森林の林冠部に突っ込んでいって、無事でいられるようにはできていない。
単純に、森で生活するには図体が大きすぎるし、羽の構造が更に問題だからだ。
鷲の羽でもっとも重要なのは、羽の先端部にある初列風切羽で、これが破けると飛行が難しくなってしまう。
一番引っかかりやすい羽の先端が重要なのだから、それを傷つけずに樹冠部を突破して鷲を森に降ろすというのは、絶望的な作業になるだろう。
安全に鷲を離着陸させるには、具体的に言えば、安全をとって直径七メートルほどの幅が必要と言われている。
五メートルあれば可能性は見えてくるにしても、鬱蒼とした森で、上にも下にも直径五メートルのスペースが空いている。というところは、存在しない。
そんな場所があったら、リャオが既に鷲を降ろしているだろう。
もう一つ、懸念があった。
上空を見ると、リャオの鷲も疲れているのが見て取れるのだ。
バランスがあまりとれていない。
リャオの鷲は、ルークが育てたものではないが、それでも十分以上に良く鍛えられた鷲だ。
それが疲れているということは、他の鷲も、もう限界なのだろう。
少なくとも、三百メートルほど離れたキャロルのところに、俺が辿り着くまで待っていられるとは思えない。
万全の体調であるなら、すぐにでも到着する距離だが、さすがにこの痛みでは全速力で走れるか怪しい。
ピーッピピッピー、と、鷲の体調を尋ねる符丁を吹くと、ピッピッピッピ、と四回吹いてきた。
これは、鷲の体調を五段階評価で答えることになっていて、五は「もう限界、墜落します。お元気で」といったような意味だから、リャオの返答は、帰りの道程があることを考えると、限界に近いことを意味していると考えていい。
キャロルを鷲に乗せて帰らせる、という手は潰れた。
キャロルと合流、開けたところに移動、そこから鷲に乗せて離陸、俺は誰か知らんが団員と二人で自力で帰還、そういう手は時間的余裕が許さない。
また、笛のみのコミュニケーションでは、後日このポイントで待ち合わせ、といった複雑な作戦立案を、その場で行うこともできない。
俺は決心して、ピーッ、ピーッ、ピーッと、三回長く笛を吹いた。
帰投せよ。という意味の笛だ。
そうすると、リャオは、笛を返してきた。
負けた。という意味の符丁だ。
負けた?
なにに負けたんだ。と思っていると、リャオはまた別の方向を槍で指した。
コンパスを確認すると、意味がわかった。
自分が落下したはずの森から考えて、その方向は、主戦場となる地帯であるはずだ。
ああ、シャン人のほうの連合軍は、やはり負けたのか。
しかし、今の状況では、本当に勝っていてほしかった。
リャオは、続けて了解。という笛を返すと、その場で槍を掲げた。
そして、何やらゴソゴソとやっているかと思ったら、俺のいるところの近くに槍を落とした。
鷲にくくりつけてある荷物も、続いて落ちてくる。
これを使え、という意味だろう。
ありがたい。
もう本当に限界に近かったのか、リャオはすぐに羽を翻し、編隊を一つにまとめると、飛び去っていった。
------------------------- 第97部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
地図概略
【本文】
<i175953|13912>
補遺として、ヘルベラの会戦について解説を述べる。
この会戦は、前近代的武器と近代的兵器のぶつかり合いであったといってよい。
軍事的には
が、ここでは簡単に戦局の推移を説明するに留まりたい。
この会戦が、状況が似ているにも関わらず、第十四回十字軍のときに起こったマルセナスの会戦と異なる地域で発生したのは、ティレルメ神帝国のインフラ整備の進歩により、街道網に若干の変化が見られたからであった。
この戦闘の戦端は、まずクラ人の鉄砲の砲声から始まった。
シャン人の軍団は、コークス・レキという大貴族が指揮していたが、主な武器は刀槍や弓、投石器といった原始的なものであり、弓の届く戦場以外では、鉄砲に対して一方的に攻撃される状況にあった。
しかし、シャン人の軍団は、前戦争での戦訓を生かし、丸太で作った簡易な陣地設営をしており、鉄砲の攻撃をほぼ弾いた。
戦端が開かれてから一時間が経過したころ、クラ人側の総大将であるティレルメ神帝国帝王、アルフレッド・サクラメンタは、一向に崩れぬ陣地にしびれを切らし、兵を寄せさせた上で騎兵突撃を命じた。
この時のシャン人の軍団は、若干ながら斜線陣気味の歪んだ陣形をしており、右翼の兵が厚く、左翼の兵が薄い形をしていた。
それに気づいたアルフレッドは、騎馬軍団を兵の薄い側から迂回させての包囲攻撃を立案し、配下の騎兵軍に命じた。
が、騎兵軍がシャン人軍左翼の端に至った頃、右翼の方向からシャン人の騎兵軍が現れた。
姿を消していたカケドリの騎兵軍は、会戦の直前に到着することで偵察の目をくらまし、丘陵地を利用して姿を隠していたのである。
機動防御のために残された少量の騎兵を除いて、ほぼ全軍をかき集めた騎兵軍は、横合いから銃歩兵列をえぐった。
この時の騎兵隊の突撃力は凄まじく、最左翼を担当していたフリューシャ王国の兵たちは、溶けるように崩れていった。
ユーフォス連邦の軍団も貫かれ、次にあった共同傭兵軍の隊列も崩れると、次にあったのはガリラヤ連合軍であった。
ガリラヤ連合軍は、全体から見れば少数であったものの、東に居るカンジャル騎兵を相手にしてきた歴史を持ち、対騎兵用とも言える特異な軍制を採用していた。
それは銃兵と長槍兵を交互に配置につかせ、更に三〇〇名を基本単位とした四角い方陣を作らせ、それを並ばせるというもので、基本的に一方向への攻撃力しか持たず、後ろを取られると弱い通常の戦列を工夫したもので、全方位に防御力と攻撃力を持っていた。
アルフレッドは、後背からの騎兵突撃により中央を突破されることを警戒し、彼らを二つに分け、両翼の後ろに予備隊として配置していた。
そして、突撃があると共同傭兵軍と教皇領軍の間に割って入らせていたのだった。
ガリラヤ連合軍は、そこで見事に仕事をこなした。
鳥を長槍でえぐられながらも、方陣を一つ崩壊させた駆鳥兵たちは、そこで足が止まった。
足が止まってしまえば、あとは銃砲の餌食となるばかりである。
射程内で足が止まり、鉛球を射掛けられた駆鳥兵たちは、たまらず後退せざるをえなかった。
そして、騎兵の突撃が刺さったシャン人歩兵戦列の左翼が崩れかかると、もはや機を失ったと見たコークス・レキは、全軍撤退を指示した。
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