第66話 ティレルメ

 焼き菓子を平らげて腹が膨れると、女王陛下は、

「それでは、本題に入りましょうか」

 とようやく言った。


「はい」


 さてさて、なんの話なのやら。

 と思いつつも、俺は温かいお茶と菓子の効果でだいぶ気持ちが和らいでいた。


「実はね、隣の国で戦争が始まりそうなのよ」


 ……えっ。


「……なるほど」

「あら……驚かないの?」


 いや、俺は驚いていた。


「……もしかして、最新の情報かなにかなのですか?」

「はい。四日前にきた、キルヒナからの急使で伝えられたお話です」


 などと、女王陛下は畏まって言ってきた。


 はぁ、と、呆れのため息を口に出しそうになった。

 茶を供されていなかったら、本当にため息をついていたかもしれない。


「僕がそれを知ったのは、去年の七月なのですが」

 今は皇暦2318年の4月だ。

 俺が報告を受けたのは、2317年の七月だった。確か。

「はい?」

「サツキ伯母様には報告しておいたので、一応は報告は上がっているはずなのですが」


 俺が十ヶ月も前に知って、報告したことを、最新の驚きのニュースとか言われてもな。


「聞いていません。どういうこと?」


 陛下は眉をひそめた。


 なんも知らないらしい。

 どこかで魔女家が入ってきて握りつぶしたか。

 魔女家っつーもんは、本当に我が身の保身しか考えてないのは分かってるが、国の将来に関わることも、ここまで無下にできるのか。


「ここ十年ほど、彼らの侵攻が沙汰やみだったのは、僕の伯父が前の戦争で、ティレルメ神帝国の王様を殺したからです。そのために、ティレルメ神帝国は後継者争いで内乱が起き、連中はキルヒナを攻めるどころではなかった。それは知っていますよね」

「知ってるわ。亡命者から聞きました」


 これは知ってなかったらおかしい情報である。

 陛下の話とも合致するが、俺がこの話を初めて聞いたのは、更にずっと昔のことだ。

 イーサ先生から聞いた。


 イーサ先生は、この出来事で混乱している最中のティレルメ神帝国を通って、亡命してきたのだ。


 向こうの世界では誰でも知っている情報なので、亡命の際の事情聴取に応じて喋っているはずだ。


 ティレルメ神帝国の前王は、当時五十歳になったばかりの男で、部下からの信も篤く、民からも慕われた有能な人物であったらしい。


 十字軍というのは、建前は悪魔掃討という立派な看板を掲げているが、実際の目的は、略奪と寸土の獲得であり、要するに大掛かりな小遣い稼ぎのようなものである。

 元より命がけの荒稼ぎのために参加した兵はともかく、将校にとっては、そんな戦で死ぬのは馬鹿らしい。


 この前王も十字軍などで死ぬつもりは毛頭なかったし、老いが見えてきたとはいえ、心身たくましく病気がちでもなかったので、まさか自分が死ぬとはまったく思っていなかった。

 だが、ゴウクの特攻作戦で、突然の事故のように死んでしまった。

 そのため遺書や遺言の類を何一つ残す暇がなく、残った人々が骨肉の争いを繰り広げることとなった。


 ティレルメ神帝国というのは最前線の国なので、ここが内乱をしていたら、この半島に兵を送り込むことはできない。


 結果、十字軍は十年間ストップしてしまった。


「ですが、去年の六月に、後継者争いには一応の決着が見られました。勝ったのは、前王の三男であるアルフレッドという人です。しかも厄介なことに、このアルフレッドは、後継者争いの過程で、後払いの借金で選帝侯を釣りました」

「借金……? ちょっとよく解らないのだけど」


 どうもピンとこないようだ。

 わからないか。


「簡単に言えば、日和見の大貴族をですね、出世払いというか、王になったら払うという借金をして味方に引き入れたわけです」

「王家が借金をしたの?」

「陛下に当てはめれば、陛下が死んだあと、カーリャ殿下がお金で魔女家と騎士家を釣って、キャロルを追い落としたような形でしょうか。カーリャ殿下は王になったら、お金を返す必要があります」


「ああ、なるほど」

 少し不謹慎な例えだったが、それで合点がいったようだ。

「でも、そんなことをして、大丈夫なの?」


 俺も最初はそう思った。

 噂では、その金額は途方も無い額であり、抵当は王家の領地だという。


 ティレルメ神帝国は王家より諸侯のほうが力が強いという、シヤルタ王国に似たような国だが、王家は力を伸ばそうとし、諸侯は王家の力を削ごうとしている。

 つまりは、アルフレッドは、王になるために諸侯に大幅に譲歩し、先祖代々の王が着々と築いてきた基盤を、自ら切り崩して諸侯に渡したということになる。


「大丈夫ではないですが、王になるためには手段を選ばないということでしょう。あちらがたの権力争いは熾烈ですから、王になれなかったら殺される運命ということも考えられます。そうしたら、手段など選んでいられません」


 誇りが命より大事なのは物語の中だけで、実際は大抵の場合において、自分の命のほうが大事に扱われる。

 自分の命がかかった権力闘争であれば、なりふりかまってはいられない。


「そう? そういうものかしらねぇ」


「まあ、それで、アルフレッドは即位後、すぐにカソリカ教皇領に十字軍結成の打診をしたわけです。キルヒナ侵略で、上手くすれば大金が手に入りますから」

「それは解るわ。すぐにお金が欲しいものね」

「それが去年の七月のこと。各国への通達が済んで、軍の招集時期は地域ごとに違いますが、今年の二月から三月の始め。今は四月ですから、キルヒナ王国は早めに集まった軍の動きを察知したのでしょう」

「……それで、ユーリくんはそれをどこで知ったの?」


「僕の社は海の向こうの国と貿易をしています。海をわたって、向こうの国についたら、船乗りはまず酒場へ行って酒を飲みます。あるいは、地元の商人と夕食をとります。そしたら、時勢の会話くらいするでしょう。別にお金を使わなくても、この程度の情報は、そういう会話で知れるものなんですよ」


 諜報活動というと大げさに聞こえるが、実態はその程度のものだ。


 専門のスパイなど養成しなくても、おおまかな情勢などは、向こうにいれば自然と耳に入ってくる。

 隠そうと思っても隠し切れない情報というのはあるわけで、そういう情報は、一歩あるいて手を伸ばす程度の労で手に入る。


 十字軍の出征などというのは、その最たるものだ。

 一国だけで戦争を仕掛けるのであれば、多少の秘匿はできるだろうが、十字軍というのは教皇領をはじめ、たくさんの国に参加受付の打診をしなければならない。

 秘匿などできようもなく、海を駆ける商売をする商人などにとっては、知っていてあたりまえの情報である。


「なるほどねえ」

「この話も、僕が父上に提出した書類が上がっているはずなんですが」


 俺は、ホウ家には義理があるが王家には義理はない。

 俺が報告した情報の取り扱いは、ホウ家が決めることなので、ホウ家以外には一切伝えていなかった。


 ホウ家の中では、もちろん周知の事実だが、混乱を避けるために公言はされていない。

 だが、ルークからはサツキが王家に上げたと聞いていた。

 隠す必要のない事柄だし、王家に対して点数にもなるので、これは間違いなく上げているだろう。


「なにか手違いがあったのでしょう。こちらで調べておきます」

「情報の確度が低いと評価されたのかもしれませんね。残念ながら」


 実務に関わっているのは、汚職に大忙しの馬鹿ばかりなので、そうなってもおかしくはない。

 キルヒナが実際に敵軍の動きを観察した今となっては、この情報が正しいことは明らかだが、読んだところで「外国の酒場で聞いた話なのですが、来年攻めてくるらしいですよ」というだけなので、過去の時点では無視されても仕方がないのかもしれない。

 いや、仕方がなくはないか。


「お話はわかりました」

「はい」

「ですが、今日ユーリくんを呼んだのは、別のお話です」


 まあそうだよな。

 さっきのは、突発的に始まった話だし、戦争の開始を俺に伝えるために、わざわざ呼んだわけではあるまい。

 そんなのは、あと数週間もすれば自然に伝わるもので、俺だけに特別早く伝える必要などはまったくない。


「戦争に際して、援軍をだすのですが、これは他の三つの将家から共同で出させます」


 他の三将家というのは、ホウ家とエット家を除いた三家ということだろう。


 ホウ家が出ないのは約束どおりだが、エット家にもまた事情がある。

 エット家は五大将家フィフスブレイブスの中でも異色の存在であり、アイサ孤島を守っている。


 アイサ孤島から大陸まで往復するのは、天測航法を使わなければ命がけだし、使ったとしても、兵の輸送費だけでもえらい値段がかかるので、遠征に兵を出せというのは酷な話だ。


「そうですか」

 まあ納得というところだった。


 指揮権が混乱する関係で、ある意味では非常な悪手とも思えるが、各々にも事情がある。

 ここにきて、兵力を突出して損耗したいという将家は少ないだろうから、共同で出すことになるのは、仕方がない。


 だが、援軍云々の話というのは、俺とは関係のない話だ。

 俺は卒業していないのだから騎士でもなんでもない。

 さらにいえば、俺はホウ家の人間で、援軍とも関係がない。


 つまり、まだ無関係でいられる立場なのだ。

 もしかして、社の船を補給に使わせてくれとか?


「ですが、今回はそれとは別に、あなたたち学院生たちで、遠征団を作ろうと思っています」

 へ?


 俺は頭のなかが一瞬真っ白になった。


 意味わかんないんだけど。

 少年兵?


「はあ……? それはその、なんで……?」

「娘の提案です」


 娘っていうと、キャロルか?

 あいつ馬鹿なのかよ。


「意味がわからないんですが」

 と、俺は憤りの篭った声をあげた。


「話は最後まで聞きなさい」

 怒られた。

「はい」


 ……まあ、なんか事情があるんだろう。

 とりあえずハイハイ言っとくか。


「今、騎士院には、私の娘と、ルベ、ホウの二家の跡取りがいるわけです」

「はあ」

 俺は気のない返事をした。


「うち一人は貴方ですよ、もちろん」

「わかってますよ」


 言われなくても重々承知だっての。


「この三人……というか貴方達は、もしキルヒナが敗れた場合は、この国を守るために戦うことになる三人です」


 あー。


 そういうことね。

 そういうふうに考えているわけね。


 だいたい察しがついたわ。


「幸いなことに三人とも成績優秀ですし、単位が足りないということはないでしょう。これから戦う相手について見に行くことは、損ではないはず」


「観戦武官の真似事ですか」

 俺はとっさにシャン語を組み合わせて造語を作った。

「観戦武官。まさにそうですね」


 はあ、アホかよ。

 めんどくせー。


 俺は内心でため息をついていた。


 観戦武官といっても、クラ人との間でそういった国際協定があるわけでは、もちろんない。

 向こうからしてみりゃ同じシャン人なわけで、捕まっても協定に基づいて即解放・祖国に送還、みたいなことには、もちろんならない。


 キャロルあたりをみたら、クラ人の世界では金髪のシャン人は超高値で売買されるらしいから、目の色変えて襲ってくるだろう。

 リスク満点だ。


 ただ、キャロルも俺も、多分あのルベ家の先輩も王鷲に乗れるから、徒歩や騎馬で出征する兵とは、事情がまったく違う。

 見て帰るだけなら、確かにリスクは殆どない。


 だから「生きて帰れたら奇跡」とまでは言わない。

 しかし、十分にリスクが高いし、危ない橋だ。


「騎士院の中で成績優秀なものを選抜して引き連れて行ってもらいます」

「それで?」

「それで、とは?」


「僕をここに呼んだ理由ですよ。それを伝えるだけなら、陛下直々に僕に会う必要はないはずです」

「参加をお願いしたいのよ」


 うーわー。

 やっぱりー。

 勘弁して、いや、マジで。

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