第49話 決勝戦

 翌日、日が暮れそうな時刻になってから、王城に着いた。

 その時間に来てくださいと言われていたからだ。


 決勝戦は、今までのように一本勝負ではなく、三番勝負ということになっているらしい。

 どっちかが二タテを喰らえばその時点で終わりだが、これでは終わる頃には日付が変わってしまうのではないだろうか?

 昨日一日がかりで三戦したものを、日が暮れてから行うのだから。


 俺はそんな心配をしつつ、開かれた王城の門に近づいた。


「決勝に出場されるユーリ様ですね。お待ちしておりました」


 すると、入り口で待っていた、謎の女性に唐突に声をかけられた。


「本日はご案内させていただきます。よろしくお願いします」

「ああ、はい」


 なんだ、わけがわからんが、そういうことになっているのか。



 ***



「こちらでお色直しをさせていただきます」


 なにやら鏡のある個室に通されたと思ったら。


 お色直しということは、この人はメイドとか役人ではなく、美容師ということか。

 それにしても、お色直しとは。

 結婚式の花嫁じゃないんですから。


「いいですよ。俺はこのままで」

 俺は昨日と同じ服装で、つまり騎士院の制服を着ていた。

「ですが」

「なれない化粧をされて集中できなくなったらコトですから」


 俺がそう言うと、

「では、せめてお顔を洗わせてください。それと寝癖も整えさせてください」

 と言われた。


 寝癖なんかついてたか。


「まあ、それくらいは」


 寝癖くらいは整えてもいいかな。

 アマチュアの大会くらいに大げさな。とは思うが、なんだかやたらと格調高いみたいだし。


 湯で蒸した布を押し付けられ、寝癖を整えられ顔を洗われると、さっぱりした気分になった。


「え、何を塗ろうとしているんですか」


 美容師さんは、なにやら瓶のようなものからグリースのような油を指で取って、俺の髪に塗りつけようとしていた。


「少しだけですから」

「ちょ、要らないって言ったじゃないですか」

「ちょっとだけだから。毛先だけだから」


 なんか変に興奮しているようだ。

 わけがわからない。


「……べつに、減るもんじゃないしいいですけど、なんの油なんですか、それ」

「熊です」


 ちょ。

 熊の油とか。

 なんてもんを塗りたくろうとしとんねん。


「ご安心ください。これは冬眠前の大穴熊の脂肪を精製した油で、牛の油なんかと違って臭くありませんし、きちんと湯で落ちますから」


 う、うーん。

 安心できる要素が一つもないのだが。

 だけど、塗らないことには美容師さんの気がすまないようだ。


「……わかりました。いいですよ」


 もう断るほうがめんどくさい。


 油を撫で付けられて、櫛をいれられると、みるみるうちに髪にツヤが生まれていった。

 最終的に、七三分けを少し崩したような髪型に収まる。


「では、お召し物を」

 なぬ?

「着替えるんですか?」


「さすがに、そのお召し物では……」

 苦言を呈された。


 なにが悪いっちゅーんじゃい。


 騎士院の制服は、着ているうちにボロボロになったり、体が大きくなって仕立直しが限界にきたりして、何度か交換している。

 今着ているのは四着目だが、これはつい半年くらい前におろしたばかりの、一番いい制服だ。


 俺も多少気を使って、一番いい服に軽くブラシをかけてきたのだ。

 埃やトリの羽がついているということもない。


「これじゃいけませんか?」

 どこがおかしい? という風に聴くと、美容師さんは困り果てた顔をした。


「失礼ながら申し上げますと、上着の所々に食べ物かなにかのシミができていますし、下衣の裾などは色落ちしていて、ほつれだらけでございます」

「……」


 俺は無言でズボンの裾を見た。

 きちんと洗濯はしているので、泥汚れがついているわけではないが、確かに染めが多少落ちてはいる。

 何度も強くゴシゴシ洗ったからか、裾もほつれてしまっていた。


 汚れたのは、この服を着たまま、石畳舗装のしていない上流の水車小屋に何度も何度も足を運んでいたからだ。

 雨の日など靴ごとグチャグチャになったりしていたものだが、その度に寮の洗濯婦に押し付けて、嫌な顔をされていた。


 そうはいっても、一般庶民の世界でいったら、よほど裕福な商人であっても、平気でもっと悪い服を着ているんだが。


 決勝戦ともなると、これじゃだめか。

 美容師がでてくるほどだもんな。


「お召し物はお着替え願います。そうでないと、わたしが怒られてしまいます」


 哀れを誘う口調で言われた。

 しょうがねえな。

 別にこだわりがあるわけじゃないし。


「じゃあ、お願いします」


 俺は折れた。

 押しに弱いな。


「かしこまりました。それでは……これを」


 お色直し要員が持ってきた服は、俺の目からみてもだいぶ古式ゆかしい服だった。

 あの……。


 これは、大皇国時代の伝統衣装的なもので、晴れ着中の晴れ着というふうなものだ。

 日本で言えば、江戸時代の大名が着ていたかみしもに相当するような、そんな服だ。


 今じゃ誰も着ていない。

 田舎の屋敷にはあるが、ルークあたりがよっぽど堅苦しい席に出るときでも、着ているのを見たことがない。

 おいおい、勘弁してくれよ。


「ふざけてるんですか?」

「え? あの、いいえ」


 ふざけているわけではないらしい。


「俺も服にこだわりがあるわけじゃありませんが、流石に大げさに思えます。この制服くらいの程々なものはないんですか」

「あ、それでしたら……」


 と、持ってきたのは、黒光りするように美しく染め上げられた燕尾服のような服だった。

 これは、ルークが着ているのを見たことがある。


 背中側の上着の裾が伸びているわけではないので、燕尾服というのもおかしいが、まあ、夜間用の礼服である。

 当然ながら、ほつれや歪み、傷などは一切ない。


「これでどうですか?」

「これなら、まあ」


 これならいいか。


 これと比べると、確かに制服もみすぼらしく見える。


「よかった」


 ほっと一安心というふうに、美容師さんは息をついた。


「なんで最初からこれを出さなかったんですか?」


 ほんと聞きたい。

 あんなもの着て出て行ったら、晒し者だよ。


「ユーリ様はとても格式高いお家の生まれと聞きましたので……」


 なにが格式高いだ。

 こちとら農夫の生まれだっつーの。


 美容師さんの助けを借りて服を着替えると、会場へ向かった。



 ***



 ホールには、昨日とは比較にならないほど沢山の人々が集まっていた。

 なんだか知らんがポールと縄で封鎖され、じゅうたんが敷かれた花道みたいのが用意してあって、そこを歩いて盤へ行くようだ。

 ドン引きである。


 なんじゃこりゃ。

 たかが学生の大会だろ。

 どうなってんだ。


 俺は、学院に入ってから六年、まったくこの大会に興味を示してこなかった。

 同級生たちは、食堂でワァワァ言って話題にしていた気がするが、王城まで行って見たいとも思わなかった。

 こんな大騒ぎだったのか。


 内心でびっくりしつつも、俺はなるべく堂々と歩くようにして、盤まで向かった。

 途中、昨日会った七人の先輩や、同寮の連中、いろんな人が脇道に立っていて、俺に声をかけてきた。


「がんばれよ!」

「がんばってくださいね!」

「応援してるからな!」


 中には、ロープから身を乗り出して握手を求めてくる少年もいた。

 みんな笑顔であった。


 背中がむず痒くなると共に、壮絶な居心地の悪さを感じる。

 俺の居場所って、こういう場所じゃなくて、もっと暗くてジメジメしたところな気がする。

 間違えて太陽の下に出てしまったモグラみたいな気分だ。


 盤にたどり着くと、なんと盤から少し離れたところに、女王陛下が座っていた。


 ……アマチュアの学生大会にどんだけ大げさなんだよ。

 天皇杯かなんかじゃないんだから、わざわざ見に来なくてもいいよ。

 女王陛下も暇なのか。


 その隣にはキャロルがおめかしして座っていて、反対側にはカーリャもいた。

 少し離れたところに、何故かシャムも座っている。

 家族枠で誰かが連れてきたのか。


 そして、客席にも立ち見席と貴賓席の別があり、分かれているようだ。


 貴賓席のほうには柵はないが、立ち見席のほうには昨日と同じ、腰丈の柵が置かれている。

 俺から見て右側が貴賓席で、立ち見席の方にはもう一つ小さな机と椅子があって、そこには既に人が座っていた。


 時間計測係、なのか?


 そこに座っていたのは、中年の痩せた女性で、その前には砂時計が幾つか並んでいる。

 昨日のように時間無制限だと、どうしてもダラダラした戦いになりがちなので、女王陛下が見ている御前では流石にまずかろうという判断なのだろう。


 特に誰に言われたわけでもなかったが、俺は盤に座る前に女王陛下に膝をついて礼をした。

 立ち上がってみると、女王陛下はニッコニコ微笑んでいて、キャロルのほうは面白いものでも見つけたみたいに意地悪そうな笑みを浮かべていた。

 シャムはなんだかぼーっとしている。


 誰が連れてきたのかしらんが、そもそもがシャムは斗棋に一切の関心がない。

 見ていてもつまらないだけだし、この場がどういう意味を持つのかも知らないだろう。


 ミャロはここにいてもおかしくないと思うが、いなかった。

 と思ったら、いた。

 立ち見席のほうで見物している。

 俺と目が合うと、小さく手を振ってきた。


 俺は椅子に座った。

 普段はどこで使われているものなのか、ふっかふかの椅子だった。

 肘掛けにまでクッションがついている。

 大人用のイスで、まだ若干身長が伸びるであろう俺には、少し大きかった。


 椅子に座り、背もたれに背中を預け、ホウ家の本宅にあるものより更に上質と思われる盤駒を見ていると、向こうから対戦相手の女性がやってきた。


 おいおい、と笑ってしまいそうになった。

 俺が最初提案されたような、十二単じゅうにひとえもかくやというような、たいへんご立派な服を着ている。

 さらに、銀でできてるっぽい、ちょっとした冠までつけていた。


 すげーな、おい。

 そのまま王様にでもなるつもりかよ。

 女王陛下より派手なんじゃねーの。


 彼女は、椅子の手前で女王陛下に立礼をして、着席した。

 着席も若干大変そうだった。


 近くで見るジューラ・ラクラマヌスは、キツい顔をした美人であった。

 なんかナチュラルにサドっ気がありそうな顔というか。


 俺は今十六歳だが、ジューラは二十二歳のはずなので、歳下と思って舐められているのかもしれない。


「……始めよ」

 女王陛下が言った。


 さ、なんだかしらんが女王陛下の命令があったことだし、始めるか。


 でも、今思ったが、卓上にサイコロがねえな。

 普通、サイコロはプレイヤー同士が転がすもんだ。

 今までの対局では、全てそれをやってきた。


 サイコロがなきゃ、先手が決められない。

 おい、サイコロが用意されてねえぞ。係員なにやってんだ。


 と思ったら、横でコロコロという音がかすかに聞こえた。


「……ジューラ選手が先手です」


 あれ。

 なんか妙な声が聞こえたぞ。

 中年女の声だ。


 間髪入れず、コトリ、と駒を動かしたのは、ジューラである。

 先ほど、勝手に先手を決めた時間計測係が、砂時計をひっくり返したりしている。


 俺の持ち時間が減っていっている。


 俺は一瞬、めまいに似た症状を起こした。

 発作的に全てが馬鹿馬鹿しくなった。


 あのさぁ。


 これが公平じゃないって、普通は馬鹿でもわからない?

 なんで時間計測係がサイコロ転がすのよ。


 誰かサイコロ見てたの?


 見てたのは当の計測係だけで、立ち見からは係の背中が邪魔でサイコロなんざ見えないし、一番近い俺からでも、奴の手元にあるちっさなサイコロの出目なんて見えねえよ。


 計測係の一存で全て決めるってか?


 公平かどうかは、見ず知らずの係員を信用しろと?

 それで納得しろと?


 不正したらハラワタが爆発して死ぬ病気の人間だったら納得もできるが、こいつはそうじゃねえだろ。


 まあいいけどよ。

 先手取られたからって、すげー不利になるわけでもねえし。

 でも、誰かおかしいと思わないのかよ。


 俺は駒を動かした。

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