第48話 強者
十六人のトーナメントということは、全部で四回戦になるわけだ。
二回戦の相手も一回戦と同じような腕前だった。
俺が最後の手を指すと、
「参りました」
と言って、
「うふふ、やっぱり情け容赦ありませんのね……イメージ通りですわ……」
などと意味不明なことを述べながら、今度はあまり残念そうでもなく、退席していった。
***
俺は準決勝にコマを進めた。
「よろしくお願いします」
「ええ、よろしく」
対戦相手はやはり女性で、なんとも落ち着きのある雰囲気の淑女だった。
ここまで全員女なのだが、騎士院の男たちは、一体なにをしているのだろうか……。
女性は、何を言うでもなくコロコロとサイコロを転がした。
俺も同じように転がす。
四対六。
俺のほうが先手であった。
「それでは、始めさせていただきますね」
「どうぞ」
俺は第一手を指した。
***
中盤になるにつれ、俺は無心になっていった。
無心になって考えざるをえないほど、相手は強かった。
明らかに、俺と同じくらい強い。
中盤まで意図的に甲とも乙とも取れぬ戦法を使われ、俺の戦法はかき乱され、常なら終盤になっているような手数を数えながら、未だに盤上は混沌としていた。
いまだに優勢とも劣勢ともつかないのは、俺も混乱させられたが、そうさせるために相手も相応の犠牲を払ったからだ。
相手は、代償として駆鳥の大駒を失い、駒数の上では俺より優位に立っているものの、勢いを欠いている。
俺が、とん、と大駒を動かすと、相手が話しかけてきた。
「早指しですのね」
と。
早指しというのは、時間制限が設けられていない場合は、相手を舐めているとか、急かしているようにも取れる。
といっても、俺も少しは考えているので、相手に失礼にならない程度に間は開けているはずだが。
「女性を待たせるものではないと、父から教わったもので」
教わってはいないが。
こう言っておくのが無難だろう。
「そうなのね。よい心がけだと思いますわ」
「ご気分を害したようであれば失礼」
「咎めるつもりはありませんのよ。でも、早指しができるということは、手が読まれているということ。いささか自信をなくしますわ」
確かにそれは、この女性の言うとおりであった。
早指しということは、相手の手を見てすぐ次の手を指すわけで、それが全く奇想天外な手であれば、こっちも考える必要がある。
時間制限が迫れば、最善の手か確信できずとも、適当な一手を指さなければならないわけだが、これはそういうわけではないのだ。
言ってみれば、相手の手番の間に、次にどこに指してくるか分析が済んでいて、「こう指してきたらこう指そう」という考えが終わっているから、すぐに指せるわけだ。
逆を言えば、相手が長考しなければ、そのようなことはできない。
俺とてミャロとの対局のときは人並みに考えたりもする。
俺もミャロもさっさと指すので、相手の手番の間に考えをまとめることができないのだ。
「僕も内心では舌を巻いていますよ。幸いなことに、顔には出ていないようですね」
「あらそう?」
こちらは真面目にやっているつもりだし、俺のほうは負けたら負けたで構わないので、リラックスできているのかもな。
***
「……参りましたわ」
と、言われた瞬間、どっと疲れた気がした。
「ありがとうございました……」
これほど詰ますのに頭を使った勝負は、本当に久しぶりだった。
「こちらこそ。楽しい対局でしたわ」
あっさりとした礼をいい、女性は席から立ち上がった。
俺の方は、まだ精神的に疲労困憊で、立とうという気が起こらない。
「それはなによりです……」
「それでは、名残惜しくは思いますが、失礼させていただきますわね」
名も知らぬ対局相手は、そのまま観客のなかに消えた。
もう日が暮れているだろうし、少し休んだら、俺も帰るか。
「ユーリくん、お疲れ様でした」
背中から聞き覚えのある声がかかった。
ミャロだ。
柵の向こうにミャロがいる。
「見てたのかよ」
「準決勝ですから、皆で応援していましたよ」
気が付かなかったが、周りをよくよく見回せば、キャロルとかもいた。
見覚えのある顔がちらほらいるし、他にも騎士院の制服を着た奴らがたくさん見守っている。
考えてみれば準決だったな。
向こうもやたらと応援が多いと思ったが、こちらにも多かったようだ。
準決にも上がれば、騎士院生にとっちゃ期待の星ってところか。
「暇人め」
「ユーリくんの晴れの姿を見たくて、あれしたわけですから」
あれ、というのは、わざと負けたことだろう。
面倒臭かったとか他に用事があったからとかじゃないのか。
「おめでとう」
次はキャロルだ。
キャロルは柵の最前線にいて、こちらを見ていた。
大げさなもんだなほんとに。
さて、こんなに大勢が見守っているのであれば、相応の礼を尽くさねばなるまい。
俺は将家の長男だし、キャロルは女王陛下の長女だ。
知人より他人が多く見ているような場であれば、相応の態度というものがある。
俺はすっと席を立った。
キャロルのそばまで行くと、キャロルも慣れたもので、すっと手を差し出してきた。
「ありがとうございます、殿下」
俺はしゃがみながらキャロルの手をとって、柵越しに跪くと、手の甲にくちづけをした。
そっと手を放して立ち上がると、キャロルは怒ってんだか愕然としてんだか、よくわからんような顔をしていた。
なんだ、そのつもりで手を差し出してきたんだろうに。
「く、苦しゅうない」
妙な言葉を吐いて、キャロルは踵を返して背中を向けてどっか行った。
考えてみりゃ、ここはキャロルん家だったな。
「ぷっ……くくっ……」
「なにを笑っとるんだ」
ミャロに言う。
「い……いえ……プッ。今のは……クッ……手を差し出したんじゃなくて肩を叩こうとしたんですよ」
「そうだったのか」
やっちまった。
肩を叩こうとしたら手の甲にキスされたもんだから面食らってたのか。
とはいえ、さっきのも、世間的に特段おかしな対応というわけではないはずだが。
***
王城の外に出ると、すっかり夜が更けていた。
なんだか高級な乗合馬車のようなものが、沢山城の前につけてある。
続々と学院生が乗りこんでいるところをみると、学院からのバスみたいなもんらしい。
俺はそれには乗らずに、ミャロが乗ってきたという、黒塗りの馬車に乗せてもらった。
これはギュダンヴィエルの家から出ている馬車なのだろうか。
「先ほどの方は、当代随一と呼ばれる指し手だったんですよ。さすがですね」
馬車の中でミャロが言う。
石畳のせいで馬車の縦揺れはひどかったが、椅子がとんでもなく柔らかかったので、普通に話すことが出来た。
「当代随一といっても、素人学生の中での話だろ」
学生大会で優勝したからといって、大人の中にはもっと上手いのがゴロゴロしているはずだ。
将棋と同じで、学生大会で優勝したからといって、名人戦で優勝した名人からしてみれば、有象無象のアマチュアの一人でしかないのだろう。
俺は趣味でやっているだけなので、そいつらと張り合いたいとは思わない。
それをやろうとすれば、それこそ人生を犠牲にするほどの努力が必要なはずだ。
「それはそうですけれど」
「でも、さすがに強かったな。あのレベルになると、何度かやったら負けが込みそうだ」
「でしょうね。さすがに、百戦百勝とはいかないでしょう」
「ミャロより上手くは感じなかったがな」
強いといっても、ミャロと比べれば格段に扱いやすい相手だった気がする。
序盤から中盤にかけて踊らされている間も、荒らされてる、撹乱されている、という思いはあったが、主導権を奪われたようには感じなかった。
ミャロの場合は、こっちが主導権を握っていると思っていても、そう思わされているだけ。ということがある。
「ユーリくんにそう言われると、もっと頑張ろうという気になるから不思議です」
夕闇であまり見えなかったが、ミャロは嬉しそうに微笑んでいるように見えた。
「これ以上強くなったら、俺も相手をするのが辛くなるからな。かんべんしてくれ」
「斗棋の話じゃないんですけどね。ホントにユーリくんは
なにをいっているんだこいつは。
「どうだかな……あ、ちょっとこの辺で降ろして貰えるか」
「え? 今日はご実家でお休みになるんですか?」
馬車は別邸の近くの道に差し掛かっていた。
別邸にはルークもスズヤもいないので、特に用事はない。
「いや、社のほうに野暮用があってな」
「ああ」
社といっても、水車小屋のことではない。
別邸から、通りを挟んで向かいの建物を借りていた。
ミャロが御者席への窓を開け、止まるように指示を出すと、御者はすぐに馬を止めた。
俺は馬車のドアを開けて、石畳の上へ下りる。
「お泊りは寮なのですよね」
「そのつもりだ」
「では、少し待っていますね」
「そうか?」
先に行っていてもいいのに。
「夜中までかかるようなら考えますが」
「いや、一言ことづてを残すだけだ。すぐ戻るよ」
さっさと用事を済まそう。
俺は急ぎ足で社の中に入ると、たまたまいたビュレに伝言を託し、再び馬車に戻った。
***
そのまま学院まで行って、寮の食堂に着くと、なにやら食堂の隅で見慣れない学生がたむろしていた。
見慣れない学生というのは、体格が大きく、上級生の連中に見える。
まあ、下級生の寮に入ってきちゃならんというわけではないが。
物珍しい。
「おっ、来たようだな」
だいぶガタイのいいお兄さんが俺を見つけて、そう言ったのが聞こえてきた。
今まで背中を向けていた連中も、一斉に振り向いて俺のツラを見る。
ひーふーみーよー……七人か。
あーね。
よくみりゃ、開会式で見かけた野郎どもだ。
七人のうち三人は、講義や修練で一緒になったことがあるので、名前は覚えていないが、顔見知りだった。
「ほら、こっちこっち。座れよ」
オタクっぽい兄さんが俺を手招きする。
あのー、拒否権はないんですかね。
つーか、微妙に酒の匂いがするんだけど。
こいつら、下級生の寮くんだりまできて酒盛りかよ。
別に負けたっていいけど、なんで俺の寮まで来て酒盛りしてんだ。
「えーっと、はい」
俺は近くにまで進んでいって、やる気なさげに挨拶した。
「どうも。ユーリです」
「えらい疲れているな。迷惑だったか?」
ガタイのいいあんちゃんが言ってくる。
そりゃ迷惑だろ……。
俺も疲れてないわけではないし、なんでこんなところで気の向かない職場の飲み会みたいのに付き合わなきゃならんのだと思う。
「夕食を食べていないもので、お腹がすいているんです」
「そうか、じゃあ店にでも繰り出すか?」
おい、かんべんしてくれよ。
「いえ。そもそも、なんの催しなんですか? これは」
「きみの祝勝会だよ」
祝勝会だと?
「気が早すぎるのでは?」
俺が決勝まで進んだ祝勝会だとしたら、志が低すぎる。
優勝してからやるならまだしも。
「君は知らないかもしれないが、今日君が勝利した相手は、リーリカ・ククリリソンといって、ここ三年間優勝を守り続けてきた女だ。優勝は決まったようなものさ」
なんだ、あの対戦相手はそんなに凄い人だったのか。
どうりで強かったわけだ。
だが、彼女がバケモノクラスだとしたら、この寮にはたまたまバケモノクラスが二人いることになってしまう。
勝敗比率でいったら、ミャロのほうが俺より若干強いことになるのだから、これはもう異常事態といえるだろう。
どういうこっちゃねん。
「だとしても、気を緩めたくはありませんので、祝勝会は遠慮させていただきますよ」
酒は飲まないことにしてるし。
「殊勝な心がけだな。そうでなくては困る」
しかし、なんだろうこの人は。
なんだか自然に偉そうだ。
偉そうというか、生まれつき偉い人特有の話し方に思える。
よっぽど身分が高いのか。
実は、この人とも、槍だの剣だのの実技で何回かやりあったことはあるんだが。
誰だったっけ。
「じゃあ、明日の対戦相手の話だけ聞いてくれ」
オタク風の男が言った。
まあ、一応聞いておくか。
「明日の対戦相手は、ジューラ・ラクラマヌスという女だ」
「そうらしいですね」
それはもう知っていた。
俺の三戦目の少し後に試合が終わり、進出が決まったらしく、それはミャロから聴いていた。
決勝の相手は、ホウ社にさんざん有形無形の嫌がらせをしかけてきている、ラクラマヌスの女だ。
他の試合を見ていなかった俺も悪いのだが、なんでよりにもよって。と思ったものだ。
「そうだ。ラクラマヌス現当主の長女筋の孫に当たる。つまりは当主の長女の長女だな」
ガタイのいい男が言う。
長女スジの孫ということは、順当に行けば次の次の当主ということになる。
だが、当主が短い間にコロコロ変わると混乱のもとになるので、一代スキップして孫に継がせるという選択肢も、魔女家ではわりと頻繁に取られることを、俺は知っている。
これはミャロから聞いた。
つまり、その選択肢を取られると、母をスキップしてジューラ・ラクラマヌスが直接次の当主になってしまうわけだ。
そうはいっても、それは順当に行けば、の話だ。
魔女家は長子存続が絶対というわけではないので、いろいろと選択肢がある。
謀略の家系らしく、基本的には能力重視である。
長女が無能なので、次女にする。
でも、待っているうちに、長女が子供を産んで、その子供が優秀そうなので、やっぱりその子供を当主にすることにしよう。
そういった決定の変更は魔女家当主の心のうちで行われ、当主が不意の事故に備えて用意している遺書に書き残される。
だが、周囲がどう見るかという観点から言えば、明らかに出来が悪くない限りは、やはり次の次の当主として見られるわけだ。
俺は、ジューラ・ラクラマヌスのことは良く知っていた。
年齢は二十二歳、容姿端麗で、白樺寮内での派閥は上から二番目の大きさのものを持っている。
母親はラクラマヌス家の
母親の年齢と立場から考えれば、もっともっと大きなギルドをいくつも支配しているのが普通である。
そもそも、教養院の卒業と同時に任ぜられた官職も、数年で辞めている。
実際には、務まらなかったので辞めさせられたという形らしい。
つまりは無能で、これはジューラの母親の二人の妹も同様である。
教養院の卒業年齢は、三人姉妹全員が二十五歳。
満期卒業であり、努力を惜しまず勉学に取り組んだ才女であれば、十七歳ごろには卒業してしまう教養院では、あまりよろしい成績とは思えない。
そのせいで、ラクラマヌス家で大きな官職についているのは、現当主ひとりだけという有り様らしい。
「よく使う戦術は、先手番でイッカク風車、ジャミコ包囲戦、王鷲交換槍備えだ。特にイッカク風車からの槍衾押しをよく使う。後手番でヒッグス突撃槍、マルコ迂回戦、場合によってはサルーアン自陣包囲を使う」
……なにをいっているのだ、こいつは。
半分も分からない。
こういう連中ってけっこういるんだよな。
主要な戦型でも、実戦での扱いは人によって変わってくる。
その変わってくる、言わば変形用法に、さらに固有名詞を付けたがる人々だ。
分類学でいえば、亜種で済ます部分まで固有名をつけるようなものだ。
全部覚えていたら切りがない。
よっぽど斗棋が好きなんだろう。
そんなに斗棋が好きなら、ジューラを途中で蹴落としてくれればよかったのに。
そういう問題ではないか。
「なるほど。勉強になりました。ありがとうございます」
俺はぺこりと頭を下げた。
「よし。あまり長居するのもなんだ。帰るか」
ガタイのいい兄さんがそう言って、立ち上がる。
「そうだな」「そうですね」などといって、他の連中も席をたった。
よかったよかった。
これで寮も平和になる。
OBじゃないが、先輩が寮に居座っているという状況は、誰だって気分がいいものではない。
「自己紹介がまだだったな。もう知っているかもしれないが、俺はリャオ・ルベという。明日は応援しているぞ」
ガタイのいい兄さんは、去り際にそう言って握手を求めてきた。
「もちろん存じ上げていますよ。応援よろしくお願いします」
俺は息をするように嘘をつくと、グッと力強く握手を握り返した。
こいつ、ルベの人間か。
名前に記憶はないが、
言わば俺の同類ということになるか。
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