第45話 キャロルの冒険 前編


 別邸に着いた。


「いやぁ、若君の鋼の心胆、このソイム、感心いたしましたぞ」


 ソイムはなにやら、先ほどのやりとりに感じ入るものがあったようだ。

 馬車の中にいたときから、しきりに俺を褒めたたえていた。


 俺としては、若干ババアにしてやられた気がして、不満なくらいなのだが。


「ああそう」

「久々に胸が踊る気がいたしました」


「そりゃよかった。ご苦労だったな」

「いえ。あのような用事であれば、いつでもお呼び立てください。若返る気分がいたしますので」


 そうさせてもらおうかな。

 ソイムには長生きしてほしいし。

 普通は寿命が縮むであろう修羅場が、若返りの秘訣というのもどうかと思うが。


「じゃあ、俺は寮に戻る。今日は本当に助かったよ」



 ***



 寮にはミャロはいなかった。

 用事が済んだことを伝えて安心させてやりたかったのだが……。


 食堂で遅く冷えた夕食を、結局は一人で食って、寝ようかと思い部屋に戻ると、キャロルがいた。


 キャロルは、真ん中の自分のベッドの上であぐらをかきながら、シーツに置いた本を読んでいる。

 俺に気づくと、顔をあげた。


「遅かったな、なにをしていたんだ」

「ちょっと野暮用でな」


 お前はなにをしているんだ、と聞きたい。


「ミャロの用か」

「なんでわかった」


 エスパーかよ。


「ついさっき、見知らぬ客が玄関に来て、ミャロを呼んだと思ったら、血相変えてすっとんでいったからな」


 あちゃー。

 入れ違いか。


「どんな客だった」

「さあ、テラスからちらっと見たが、縮れ毛で黒髪の女で、細身だったが、男物のズボンを穿いていたな」


 ああ、俺を案内した女だ。

 やっぱり、特別な役柄なんだろう。

 メイド長なんだか、執事長なんだか。


「ふーん、まあいいや。ミャロの件は済んだから」

「どういう用件だったんだ?」

「それは話せないが、とにかく済んだ」


「それならいいんだが」


 深くは聞いてこないらしい。

 よかったよかった。


「そういえば、ミャロといえばさ、ミャロって体つきも薄いし、女っぽいよなー。ホントはあいつ、女だったりしてー……ハハ……」


 ……駄目だ。

 カマかけて探ろうとしたら、なんか変になっちまった。


「なんだ、やっと気づいたのか」

「…………いや」


「フフフ、気づいていないのはお前くらいのものだったが、ついに気づいたというわけだ。お前も肝心なところで抜けているな。あはは」


 嬉しそうに笑ってやがる。

 くそったれ。


「……お前は最初から気づいてたのかよ?」

「私はここに入ってすぐにわかったぞ。なにせ、寮にふたりきりの女だからな。なにかと協力しあっている」


 マジかよ。

 なんてこったい。


「というか、気づいてない奴のほうが少ないんじゃないか? ふつう、あの容姿を見れば、男じゃないことくらい、わかるだろう」


 言いたい放題だ。


「はあ……」


 しかし言い返せない。

 落ち込むぜ。

 親友とかいっておきながら、そんなことにも気づかないとは。



 ***



「ところで、おまえ明日ヒマか?」


 キャロルが聞いてきた。


 なんだ?

 いきなり。


「一日中ヒマというわけじゃないが」

「ヒマなら、私に付き合ってくれないか」

 ?

「王城で用事でもあんのか?」


 確かに明日は休日だが。


「いや、私もそろそろ大人だ。民衆の生活を見て回りたくてな」


 ????

 なにいいだしてんの、こいつ。


「変装して街にでかけてみようと思うのだ」

「いやいやいや」


 お忍びで遊んでみたい年頃ってか。

 それ、危険だから。


「お前なら貧民街のあたりまで熟知しているだろうし、適任だろう」


 ああ、ここにハリセンがあったらな。

 頭ひっぱたいて「なんでやねん!!!」って言ってやるのに。


「最近の貧民街は物騒だから、俺だって行くのは最低限だし、そもそもお前は変装してもそのキンキラキンの金髪が目立ちすぎて、どうしようもねーだろうが」


 キャロルは金髪碧眼だ。

 これはもうどうしようもなく目立つ。


 千人の中に紛れてたって一目で解る。

 なにせ、俺はずいぶんと王都を歩いたが、女王一家以外に一人も金髪を見たことがないのだ。


「私も馬鹿ではない。それくらいのことはわかっている。こういうものを用意したのだ」


 キャロルは枕の下から茶色のなにかを取り出した。

 俺は最初、毛皮か? と思ったが、どうも違う。

 茶髪のカツラであった。


 用意がいい。


「ちょっとかぶってみろ」

「いいぞ」


 キャロルは薄糸で作られたネットのようなものを頭に被り、髪の毛を全部そこにしまうと、ばさっとカツラをかぶった。


 なにでできたネットなんだろう。

 どうも、一般的な糸のようには見えず、ナイロンのような一本ものの繊維のように見えた。

 クジラのヒゲかなんかか?


 それにしても、カツラをかぶってみると、前髪が妙に長く、具合がよかった。

 目のあたりまで垂れているので、碧眼のほうも上手いこと隠れる。

 キャロルは元の髪の毛が多いので、頭のボリュームがやたら大きく見えるが、許容範囲内だろう。


「なるほど、考えてるな」

「そうだろうそうだろう。それじゃ、明日はよろしく頼むぞ」


 いつの間に本決まりになってるんだ。


「いや、なんで俺が」

「おまえしかいないからだ。他の知り合いは、きっと駄目だと言うだろうし……」


 まーそりゃそうか。


「頼む。いつかはこの国の王になろうというのに、自分が住む王都をまともに見て回ったことがないなんて、私は嫌なのだ」


 うーん……。

 それはその通りなんだよなぁ。

 俺もそれはどうかと思うし。


「しょうがないな」


 どうせ一日の半分以上はヒマだしな。



 ***



「おいっ、起きろ。朝だぞ」


 という声で起こされた。


「ん……?」


 なんだか体がだるい。

 体がもっと眠りを欲している感じがする。


「朝か。うーん……」

 俺は、けだるい体をベッドから起こした。


 ……ん?

 外を見ると、まだ少し暗いのだが……。


「起こすの早すぎだろ……」

 えーと……今日の用事はなんだったっけな。

「俺の用事は昼からなんだが……」


 そうか、昨日、キャロルを街に連れてくとかっていったんだっけか。


「もう朝だぞ。朝食も始まってる。早くいくぞっ」


 どんだけ早起きなんだよ……。

 おばあちゃんか何かかよ……。


 だが、残念ながらキャロルの目はらんらんと輝いていて、元気いっぱいの様子だ。

 意識に一点の曇りもなく、一切の眠気は夜まで襲ってこないだろうことを伺わせる。


 二度寝したいといっても許してはくれないだろう。


「しょうがねえな……」

「よし」


 下に降りて食堂へ行くと、案の定ほとんど誰も居なかった。

 確かに食事は提供されているようだが。


 平日はこうでもないのだが、休日は目覚ましの鐘が鳴ることもないので、やっぱり俺のように惰眠をむさぼるのが普通なのだ。


「おはよ」

 食事を受け取るところへいくと、おばちゃんが挨拶してきた。

「おはよう」

 キャロルがハッキリと挨拶を返した。

「……おはようございます」


「今日はパン二倍で頼むぞ」

 おいおい朝っぱらから……。


「……俺はいつもので」

「ヨーグルト追加だね」


「おまえ、ヨーグルト好きだな」

「健康に良いからな」


 それにここのヨーグルトは味が濃くておいしい。


「保存にいいとは聞いたことがあるが、健康にいいというのは聞いたことがない」

「健康にもいいんだよ」


 この国ではパンにつけるものといえば塩バターだが、どうも摂っている量をみると高血圧になりそうだ。

 騎士院では汗をかくから問題は少ないにしても。


「はい、どうぞ」

 おばちゃんは両手に持ったトレーを俺とキャロルの前に置いた。

「うむ、ありがとう」

「どうも」


 キャロルと俺は同じテーブルにトレーを下ろすと、ぱくぱくと食事をはじめた。

 キャロルはバターが染み込んだパンをもくもくと食べてゆく。

 なんとまあ食欲旺盛なことだ。


 思えば、こいつも寮に入った当初はお嬢様みたいな食い方をしてたっけな。

 パンをこまごまと千切って一々バターを付けて食ったりして。


 そのうち、だんだん千切るパンの大きさが巨大になっていき、今でもさすがに丸のままのパンにかぶりつくような真似はしないが、そんな小さな口によくもまあ入るものだ。という大きさに千切っては口に放り込んでいる。


「よし、食事も済んだことだし、行くとしよう」

 瞬く間に食い終わったキャロルが言った。


「はえーよ。まだ全然食い終わってないんだが」

 こっちは体がだるくて目をパチパチしながらメシ食ってるっちゅーに。


「う……そうだな。今日はおまえのペースに合わせるとしよう」

「どんだけ急いでんだよ……」

「楽しみなことに気が急くのは当たり前だ。しようがない」


 そんなに楽しみなのかよ。

 別にどこいくってわけでもないのに。



 ***



「それじゃ、行くとするか」

 顔を洗って部屋に戻ると、俺はそう言った。


「そうだな。よしっ」

 キャロルはいきなり髪を上げて昨日のネットを装着しようとしはじめている。


「こら」

「ん?」


「なんで変装をして寮から出るつもりでいるんだ? 寮の誰かに見られたら、俺が茶髪の女を自分の部屋に連れ込んでいたことになっちまうだろーが」

「えっ……あ、そうだな。じゃあ、どうしよう」


「変装の用意だけ持って寮を出て、使ってない教室かどこかで着替えて、そのまま学院を出ればいいんじゃないか?」

「そうか……そうだな、わかった。よし、そうしよう」


 キャロルはかばんを取り出した。


 かばんは最上等の皮のもので、どうやってプレスしたのか、王室の家紋の形に凹みができている。

 なにからなにまでランクが違うなこいつは。


「これを使え」


 俺は入寮のときに持ってきたカバンをやった。


「……? なんでだ?」

「そんなに堂々と王室の紋が入ってたら、王城にでも入って盗んできたものかと思われちまうだろ」


 そもそも、それを警戒して紋章をつけてあるのかも……。

 刺繍ならともかくプレスしてあるんじゃ消しようがないし。


「そういうものか。ここはお前の言うとおりにしておこう」


 キャロルは俺のかばんに変装道具を詰めはじめた。

 服も詰めた。

 あーあ、そんなぐちゃぐちゃに詰めちゃって。


 畳むってことを知らんのか。

 お嬢様かよ。


 お嬢様だったな。


「よし、行くぞ」

「そうだな」


 先行きの不安を感じながら寮を出た。



 ***



「……う~~~ん」

「どうした? なにか変か?」


 変装から帰ってきたキャロルは、俺から見ても、どこに出しても恥ずかしくない美人さんだった。


 だけど、これは……うーん。

 仕方ないっちゃ仕方ないのかなぁ。


 服が良すぎる……。


 見た目はシンプルなシャツとスカートだけの服装だが、シャツ一つとっても、絹のような細い糸で紡がれた光沢のある布で、その上から物凄い手間がかかっているであろう薄く細かい刺繍が、全面に施されていた。

 スカートは、フレアスカートのようなものだが、これにも微妙に裾のほうに銀糸の刺繍が施してあり、寸法の合い具合と仕上がりを見ると、やはりこれもキャロルのために腕のいい職人が仕立てあげたものなのだろう。


 それはそれは趣味の良い服装なのだが、これほどになると、王城の中枢部にしまっておかないと、危なくて仕方がない。

 街なかなどに出したら、宝石が服を着て歩いているようなものである。


 だが、これはキャロルの準備不足とも言えないだろう。

 キャロルの立場じゃ、庶民の服を手に入れるというのは難しいだろうしな。


「まー、とりあえずは俺がいつも服を買っている店があるからな。そこへ行って着替えよう」


 学院からならすぐだし、服屋は別邸の近くで、歩いてもいける。

 あのへんは治安もいいから、道中襲われる心配はないだろう。


「えっ、これじゃだめなのか」


 素で驚いてやがる。


「俺の服を見てみろ。めちゃくちゃ違うだろうが」


 俺の服装はといえば、職人の息子が着ているようなボロ服だった。

 誘拐未遂の一件があってから気をつけていて、寮のほうにも一着常備してあるのだ。

 これも悪い服ではないが、キャロルの服と比べれば、これはもう石ころとダイヤモンドくらい違う。


「夜会に行くんじゃないんだから、庶民の街へ行くなら庶民の服を着ないと」

「そ、そうなのか……じゃあ案内してくれ。その服屋というところに」



 ***



 俺はドンドンと服屋の扉を叩いた。

 まだ朝が早く、服屋はまだ開いていない。


 だが、俺はしつこくしつこく叩き続けた。


 ドンドンドン、ドンドンドン


「なんだァ! うるせぇな! まだ開いてねえよ!」


 ふう、やっと出てきた。

 かぬなら、くまで叩け、店のドア。

 やってみるものだな。


 出てきたのは、まだ二十くらいの若い男だった。

 息子のほうか。


「なんだ、お前かよ」


 息子は俺を見て言った。

 何回か服を購入しているので、顔見知りなのである。


「わるいな、ちょっとこいつの服を見繕ってやってほしいんだ」

「あーん?」


 野郎はキャロルに目を向けた。

 ひとめ見ただけで、目が釘付けになったらしい。


「おまっ、これ、どんだけ……ちょ、これ、おいおいすげーな!」


 なにやら興奮している。

 キャロルに近寄って、まるで体臭をかごうとしているかのように、しげしげと服を見ていた。

 服の出来の良さにびっくりしているようだ。


「まあま、まあまあ入れよ!」


 開店前だからだいぶゴネられると思ったが、向こうから入ってくれとは。


 なんとまあどういうことだろう。

 こいつからしてみれば、画廊に客がモナリザを持ち込んできたような感じなのだろうか。


「なんだこいつは?」


 キャロルはなんだかゴミを見るような目で服屋の息子を見ていた。


 こんなに不躾に体を見られる経験は、産まれてこの方なかったに違いない。

 体を見られているというか、服を見られているのだろうが、キャロルからしたら同じことであろう。


「服が好きなだけだ。許してやれ」

「……そうか?」

「いざとなればなんとでもなる。ほら入れよ」


 キャロルも俺も短刀を帯びているわけで、服屋に入ったところで危険なことにはなりようもない。

 それもそうだと思ったのか、キャロルは店の中に入っていった。


 俺が後に続いて、ドアを閉めると、


「こりゃ王家御用達のル・ターシャのオートクチュールだよ……ちょ、ちょっと触っていいか?」


 野郎は、ここでも舐めまわすようにキャロルの服を見ていた。


 見ただけでどこの服か解るのか。

 有名なブランドかなんかなのかな。


「中身があるんだから触るなよ」


 服を触るにしても、中身があったら痴漢になってしまう。

 体じゃなくて服を触るつもりだったんです。

 そんな言い訳は通らない。


「お前、中身って私のことか」

 ここはスルーしたほうがいいだろうな。


「先に服を見繕ってくれ」

「見繕えってったって……こりゃ、こんな服の変わりなんて、うちじゃとても用意できねえよ」


「俺と同じような程度に見える服でいい」

「そんな……なんてもったいねぇ。着たいと思って着られる服じゃねえのに」


 俺の時はもったいないなんて一言も言わなかったくせに。

 そりゃ着てた服の程度は違うけどよ。


「今日は下町に行くんだ。その服で行って追い剥ぎにでも会ったら大変だろ。下手をすると破かれちまうかも」

「そんなこと、とんでもねえ」

「だから服を変えにきたんだよ。さっさと見繕ってくれ」


「……わかったよ」


 奥のほうへ入っていった。


「なんなんだ? あの男は」


 どうやら会ったことのないタイプらしく、キャロルはずいぶんと困惑している様子だ。


「服屋だから、服が好きなんだろう。お前の着る服なんかは、中流の連中にとっちゃ一生見る機会もないような服だからな」

「ふうん……そうなのか」


 そういう意識がないらしい。

 家にあった服を適当に持ってきたって感覚なのか。


「まあ、おまえをどうこうしようと思ってるわけじゃない。安心しろ」

「それはそのようだがな」


 ややあって、息子は帰ってきた。


「こんなもんでいいか?」


 と差し出してきたのは、どこぞの商人の娘が着ているような服だった。

 微妙に刺繍がはいっているが、安っぽいし、刺繍部分は擦り切れている。


 うーん、まあ、こんなもんならいいかな。

 中古服っぽいし。


「それでいい。値段は、これくらいでいいか?」


 俺は銀貨を四枚ほど取り出して、置いた。


「毎度のことながら太っ腹だなぁ」

「開店前に無理に開けさせちまったからな。その分だ」


「この場で着ていくんだろ?」

「もちろん、そうだ」

 俺は上下を受け取ると、キャロルに押し付けた。


「これを着ればいいんだな」

 服を受け取ったキャロルは言った。


「ああ、着てくれ」

「えっと……それで、どこで着替えるんだ?」


 ???

 目の前に試着室があるんだが。


 あ、そうか。

 こういう試着室がある服屋に来たことがないのか。


 ル・ターシャとやらも、店には試着室があるのだろうが、多分キャロルの場合は採寸も着付けもなにもかも、職人が王城まで出張ってきておこなっているんだろうし。


「そこに入って、カーテンをしめて、着替えるんだ」

 俺は試着室を指さして言った。

「えっ……」


 なにやら絶句しているようだ。


「わ、わかった。そういう仕組みなのだな」


 そういう仕組みなんだよ。

 キャロルはそそくさと試着室の中に入っていった。


「あと、帽子くれ」


 よく見りゃ、あいつのカツラは髪質がよすぎる。

 下町では、あんなに髪の毛が綺麗な女は、水商売以外では殆ど居ないから、少し異常に見えてしまう。


「わかった。ところで、下取りは」

「駄目に決まってんだろ」


 仮にも王女の着ていた服をイメクラみたいに売るわけに行くか。


「駄目か……どの道、店にある金じゃぼったくりになるしな……わかったよ。帽子は、そこのを好きなの一つ持ってけ」


 服屋は帽子がたくさん引っ掛けてあるスタンドを指さして言った。

 どれがいいかな。


 選んでいると、カーテンがシュっと擦れる音が聞こえた。

 早いな。


「……これでいいか?」

 再び現れたキャロルが聞いてくる。

「……いいんじゃないか?」


 なんとゆーか、街で見かける女と比べると、背筋が伸びすぎていて少しへんな気がするが……。

 元着ていた服は、足元に落ちている。


「その洋服は持って帰るんだろ……痛むといけねえから俺が畳んどくゼ」


 ……下心が見え透いている……。

 まあ、それくらいは許してやってもいいか。


 服屋は試着室の床にあった服を拾って、机に持っていった。

 下着は着替えていないし、服屋も変態みたいな顔をしているわけではなく、むしろ純粋でキラキラとした目をしている。


 まだ体温が残っている脱ぎたての服を持って行かれた形になるわけだが、キャロルのほうは気にしていない模様だ。

 そもそも、そういう変態的な嗜好に関する観念を持っていないのかもしれない。


 まあいいや、帽子を選ぶか。


「ほら、これでどうだ」

 俺はスタンドから適当な帽子をとって、キャロルに手渡した。

「うん」

 きゅっと帽子をかぶる。


 カツラのぶん頭が大きくなっていると思って、男物を渡したのだが、どうやらちょうどいいようだ。


 服屋の息子を見ると、恋人との別れを惜しむように、ゆっくりゆっくりと服を畳んでいた。

 こいつ……。


 俺はたたみ終わった瞬間、さっと服をかばんの中に突っ込んだ。


「あっ……」

「じゃあな」


 そう言って、キャロルの手を引いて店を出た。



 ***



 キャロルの私服の入ったかばんをホウ家の別邸に預けると、キャロルを連れて出発した。

 いよいよキャロルの冒険の始まりだ。


「着心地はどうだ?」

「悪くはないが……寸法があっていないようで、少し動きづらい」


 さすが、生まれてこの方オーダーメイドしか着たことのない奴の言うことは違う。


「庶民はみんなそんなもんだぞ」

「そうなのか?」


「ああ。新品の服なんて着られるやつは、あんまりいない。特に俺たちみたいな子どもは、すぐに成長して服が合わなくなるからな。子どもの服を数年おきに新調するなんて家は、そうはないよ」


 現に、俺も七歳まではルークが買ってきた古着を着ていた。

 農作業をさせるような子どもに新品の服を買ってやったってしょうがない。という理由があったのだろうが。


「へえ、そういうものなのか……」


「それで、どこに行きたいんだ?」

「できれば貧民街のほうに行きたい」


 …………。


「……そういえば、昨日貧民街がどうとかって言ってたな」


 貧民街というか、スラムとまではいわないまでも貧乏な奴が暮らすところというのは、王都にだいたい二箇所ある。

 北側西区と、南側西区だ。


 北側西区と南側西区というのは、王都の二大経済中心地区である、大橋と王城島周辺から遠い。


 そして、交通の便がすこぶる悪い。

 王都において川を渡るには、王城島の入島許可を得ていない庶民は、東の大橋を渡るしかないが、この二つの地区は、王都でも大橋からもっとも離れたところにある。


 つまり、この二つの地区というのは、いわば流通経済的に見放された土地なわけだ。

 なので、経済的に発展が遅れ、あぶれ者が集まっている。

 だが、南側のほうは北側より若干治安はいい。


 北側の都市郊外は、痩せた土地が広がるばかりで、働き口が殆ど無いのだが、南側はそうでもないのだ。

 川の流れの関係なのか、こちらは乾いた牧草地帯が広がっており、放牧の関係で多少は働き口がある。

 そのため、治安も北に比べれば若干は良い。


 俺の知っているのは南側で、俺の持っている水車小屋は、その地区を通り抜けた先にあった。


「俺も貧民街を全部知っているわけじゃないけどな、俺の知ってるところだったら、案内してやるよ」

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