第44話 ミャロの憂鬱

 その日、俺は講義を受けていた。


 その講義は、一般法学Ⅳと呼ばれる講義で、誰でも受講できる一般科目の一部だ。

 これを取得すると、この国でいう、司法試験のようなものにチャレンジできる。


 もちろん、シヤルタ王国には日本のように六法全書になるような立派な法体系は存在しないので、日本の司法試験より格段にザルでアホらしいものにはなるのだが、取っておけば一応は資格が増えるというわけだ。


 この講義は聴講生に大人気という講義であり、教養院生も結構取っているが、騎士院生にはまったく人気がない。

 古典文学だの古代シャン語だのを受講するよりかは、いくぶん将来のためになると思ったので、選択制の一般科目では、俺はクラ語とこれを取っていた。


「……あの、ユーリくん」


 一緒に受講していたミャロが、話しかけてきた。

 ミャロはこの講義では、俺と協調しており、なかなか覚えることの多い法学では、勉強という戦場における戦友のような関係にある。


 それにしても、今日はなんだか、ちょっと見たことがないような顔をしていた。


「なんだ?」


「お手紙を……その、お手紙を預かっているのですが」

「俺あてか?」


 ミャロは一枚の便箋を机の上に置いた。


 手紙を人づてに渡すというのは、この国ではなにもおかしなことではない。

 だが、ミャロに手紙を渡されるというのは、もう随分と長いつきあいだが、初めてのことだった。


 それは、ミャロの立場が関係していて、ありていにいえばギュダンヴィエルの名のせいでもある。

 読まれてしまうかもしれない手紙を預ける相手として、ミャロは遠慮されているわけだ。


「あの……いりませんよね?」


 ミャロはおずおずとそう言った。


 ………ん??


 いらない?

 なんで?


「要らないってこたないだろ」


 カミソリとか炭疽菌とかが入ってるのか?

 だったら要らないけど。


「いえ、やっぱりいいです」

 ミャロは再び、机の上の封筒に手を置いて、しまおうとした。


「えっ、俺あてじゃないのか」

「ユーリくん宛てですけど……いらないでしょうから、焼いておきます」


 こらこら。

 なにを言っとるのかね、キミは。


「俺あてだったら読まなきゃマズいだろ。くだらない手紙かもしれんが、目を通しておかないと」


 ましてや、必要事項がメモってあるだけの端切れとかじゃなく、わりと立派な羊皮紙の封筒なんだから。

 封筒と中身とインク代合わせりゃ、五十ルガくらいはするぞ。

 俺は文房具の相場には詳しいんだ。


「いえ。ごめんなさい、最初からなかったことにしてください。ボクとしたことが……自分の都合でユーリくんを巻き込もうとするなんて」


 いやいや、なんか深刻そうな様子だけど、わけがわかんないから。

 というか、諦めようとさせてるんだったら、まったく逆の心理効果を俺に与えているのだが。


 俺は今「これでこのままスルーしたら、なんかとんでもない、取り返しのつかないことが起こるんじゃないのか。だって、いつも冷静なミャロが突然にへんなことを口走り、こんなに深刻そうな面持ちになっているのだから」と思っているぞ。


「すっげぇ気になるが、ミャロがそういうなら仕方ないな。俺は読まないほうがいいんだろう」

 俺は心にもないことを言った。

「そうですね。すいませんでした。最初から処分しておけば、お気を煩わすこともなかったのに」


 俺はひっそりとミャロの肩に腕を回すと、反対側の肩をトントン、と指先で叩いた。


「はい?」


 反射的にミャロが反対側を向いた隙に、机の上ですっと手を動かし、封筒を盗んだ。


「えっ、さっきのユーリくんですか?」


 ミャロが再びこっちを見た時、俺はすでに封筒を開けて、中の手紙を取り出していた。


「ああ、そうだよ」

 手紙を開きながら返事をする。

「うふふ、ユーリくんもそういう悪戯をするんですね」


「まあな。肩が張っていたようだから」

 目線を下ろして、手紙に目を通し始める。

「確かにそうですね。ところで、何を読んでいるんですか? お仕事の書類ですか?」


「さっきの手紙だよ」


「返してください」

 横から声が聞こえてくるが、顔色は見えない。


 俺は手紙を読むのに忙しかった。


「だめだな。悪いが、奪い返そうとしたら、お前をぶん殴ってでも取り返すぞ。これはどうも洒落にならない手紙のようだからな」


 手紙は、ミャロ・ギュダンヴィエルの祖母、ルイーダ・ギュダンヴィエルからの手紙だった。

 一度お会いしましょうというようなことが書いてあり、ミャロの現状については甚だ不本意なので、学費の援助を打ち切ろうと思う。という、わけのわからぬ脅し文句が付いていた。


「こいつの言うこともワケがわからんが、お前の態度から察するに、学費のことを持ちだされて、手紙を押し付けられたのか?」

「……はい。その通りです」


 憤りを覚えるより先に、奇妙さを感じてしまう手紙だった。


 七大魔女家セブンスウィッチズくらいの金もちの家で、ガキに学費を出さないなんて、そんなケチくさいことありえるのか?

 それって脅しになんのかよ。


 正直、親がガキに言うこと聞かせるための子ども騙しとしか思えないのだが。


 子ども騙しなのはいいとしても、ミャロほど頭のいい人間が、それを実際に脅威に感じてるっぽいところが、どうにも腑に落ちん。

 ミャロは実家が大嫌いだから、普通だったらこの手紙を渡されても、その場で断固断るか、破くかするだろう。

 そのほうが、反応としては自然な気がする。


 だが、ミャロは実際に持ってきて、少なくとも渡そうか渡すまいか悩んでいた。

 それは、現実に学費ストップを脅威と感じているからだ。


「まあ、会ってくるくらいは簡単なことだ。明日にでも行ってやるさ」


 どういう経緯でこいつが心配をしているのか知らんが、行ってやれば問題が解決するというのであれば、その程度の労はなんでもない。


「行かないでください。危険です」

「もうこの話はいい」


 俺は手紙を自分の鞄にしまうと、そう言った。


「よくありません」

 しつこいな。

「いいったら、いいんだ。この話は終わりだ」



 ***



 講義が終わると、俺は別邸に向かった。


 ミャロには明日行くと言ったが、俺は今日向かうつもりだった。

 明日行けば、ミャロは必ず同行しようとするだろう。


 そうしたら、話がややこしくなる。

 裏をかいて、今日向かうのが正解だ。


 それに、今日行く理由はもうひとつあった。


「おや、若君。お久しぶりですな」

「ソイム」


 ソイムは王都に住む親戚に会うため、たまたま別邸衛兵隊の交代についてきていた。


 それは知っていたが、特に用もなかったので、足を運ぼうとも思っていなかった。

 だが、こうなっては話は別である。

 ソイムは明日帰ってしまう予定だから、明日になったらもういない。


「いささか夜更けですが、久しぶりに槍を交わしますかな?」


 うおわー。相変わらず元気な爺ちゃんだな。

 今年百歳になったんじゃなかったっけ。


「いや……午前にさんざん振ったからいい」

 勘弁してくれ。


「ほほう、どうやら院でしごかれておるようですな」

 面白そうに笑っている。


「実は、今日はお前に付き合ってもらいたくてな」

「おや、付き合うとは? いよいよ、若君と酒を飲み交わす時がきましたかな」


七大魔女家セブンスウィッチズのギュダンヴィエルの家に招かれたんでな。わけあって、どうしても行かにゃならん」


「……ほほう」

 ソイムは顎鬚に手をやって、興味深そうに撫でさすった。


 ソイムは、なかまになりたそうに、こちらをみている。


「俺のような立場の者が、あの家に招かれる。これはもう、討ち入りみたいなもんだろう。お前がいれば心強い」

「この老骨で務まるものか分かりませぬが、このソイム、喜んでお供させていただきましょう」


 ついてきてくれるようだ。

 ソイムが なかまに くわわった!


 こんなに心強いことはない。

 俺は生まれてこの方、こいつより強いと思われる人間は、騎士院の教官でも見たことがないのだから。


「そうか。じゃあ、槍を置いて執事の服を着てきてくれないか」

「執事の服……ですかな?」


「ああ。一応は話し合いに行くわけだから、まさか鎧をまとって槍を担いでいくわけにもいくまいよ」


「よろしいでしょう。魔女どもなど、槍がなくともいかようにもできます」


 それでこそ、頼りがいがあるというものだ。


「さすがだな。それじゃあ、さっさと用意して向かおう。日が暮れるまでには帰りたい」



 ***



 ギュダンヴィエルの本家は、王都の一角にある魔女の森に接して建てられている。


 というか、実のところ、七大魔女家セブンスウィッチズの本家というのは、全て魔女の森をとり囲むようにして建っている。

 したがって、魔女の森の周囲はすべて七大魔女家セブンスウィッチズの所有地だし、魔女の森というのは、市民の憩いの森ではなく、部外者立入禁止の私有地ということになる。


 俺は私服に着替えると、ゴトゴトと馬車に揺られ、ギュダンヴィエル家の正門に辿り着いた。

 正門は、当然だが閉じられている。


 その前に止まると、窓の外から、近衛第二軍の軍服を着た衛兵が近づいてきた。

 近衛第二軍というのは、ようするに魔女家が牛耳っているほうの近衛軍のことを指す。


「ここはギュダンヴィエルのお屋敷である! なんの用か!」


 馬車の外から誰何すいかの声が聞こえてきた。


若君わかぎみ

「ソイム、お前は俺がいいと言うまで黙っていてくれ」


 俺は馬車のドアを開けた。

 そして、姿を見せると、言った。


「俺はユーリ・ホウだ。ここにいるギュダンヴィエルの当主に呼び出された。分かったら、今すぐ確認して、さっさと正門を開けろ。客を待たせるな、グズども」



 ***



「ようこそおいでくださいました」


 とんでもなく古い石造りの家に入ると、メイド服とは違った、一風変わった服をまとった女性が、案内に来た。

 細身のパンツスーツのような服を纏っている。


 汚れ仕事を前提にした服ではないようなので、掃除などをする役目にはついていないのだろう。

 秘書のような役柄に見える。


「コートをお預かりします」


 と、俺の背中に回って、襟と袖を取った。

 俺が身を少しよじると、気持ち悪いくらい簡単にコートが脱げた。

 応接のエキスパートなのか。


 そのコートをまた他のメイドに預けると、

「ルイーダ様のところへご案内します」

 と言った。


 ノコノコとついて行く。

 流石魔女家というべきか、立派な家に住んでいる。


 ホウ家の邸宅もよほど作りがいいが、こんなふうに廊下に隙間なく油絵が飾ってあるということはない。


 悔しいが、趣味もいい。

 石造りでありながら、木の板が腰丈まで張られた廊下は、石壁の無骨な印象を上手いこと隠している。

 古く、それでいて、掃除も手入れも完璧に行き届いていた。


「こちらでございます」

 と、ドアを開けた。


 俺はその部屋に入る。

 すると、女性はすすすっと後ろへ下がり、廊下へ戻っていった。


「こんばんは。ようきたねぇ」


 部屋の中で椅子に座っていたのは、かなり年をとった老婆だった。

 ソイムと比べれば若いが、この年齢でまだ隠居していないのかよという印象を受ける。


 こいつがルイーダ・ギュダンヴィエルか。


 話はだいたい想像がついているが、こんな歳になっても利権を追い求める種族なのだろうか、こいつらは。

 死の際くらいは心穏やかに暮らしたいとは思わないのかな。


 空恐ろしい。


「こんばんは」

「そこの椅子に座りな」

「言われなくても、勝手に座るつもりでしたけどね」


 俺は遠慮無く、老婆の対面にあたる椅子に座った。

 体が吸い込まれるような、ふかっとした柔らかい椅子であった。


「そちらは? ホウ家の執事かい?」

「僕が連れている使用人など、どうでもいいことでしょう」

 つまらんことを聞いてきやがる。

 どうせ護衛と察しがついているだろうに。

「それは、その通りだねぇ」


「それで?」

「それで、というと?」

「なんの用があって呼び出したのかと聞いているのですよ」


 さっさと話を進めて欲しい。


「おやおや、気が早い」

「夕食までには帰りたいもので」


 つーか、ここにきた主目的は『このババアと会う』なのだから、ミッションは既に達成しているのだ。

 ここからは言わば余談であり、もう帰ってもなんの問題もない。


 帰るのになんの躊躇も必要としないし、それを引き止めるのはババアの役目だ。


 俺が帰っても、ミャロの学費は保証されるであろう。

 ミャロがこいつから下された命令は『手紙を届けて、ユーリを説得し、連れてくる』なのだろうし、説得のところは置いておくとしても、俺は現実に出向いたのだから、こちらのミッションも完全に達成されている。


 文句のつけようがないはずだ。


「そうかいそうかい、なんなら夕飯くらいご馳走してやるけどねぇ」

「孫を脅しの道具に使ってくる人間の家で、夕食をご馳走になるというのは、あまり賢い行動ではないでしょう」


 俺は仲良く話をしにきたわけではなかった。

 友好的な態度をとる意味もない。


「こちらとしても、ホウ家の跡取り息子に毒を盛るのは、賢い行動ではないわいな」


 そりゃそうだろうな。

 俺を殺したとなれば、本格的にホウ家を敵に回す。


 だいぶ社が大きくなった今に至っても、まだヤクザが雪崩れ込んでいないのは、そのせいであると、俺は読んでいた。

 打ち壊しや暴力行為を行うのはいいが、その中に俺が紛れ込んでいたら、場合によっては殺してしまう可能性がある。


 そうしたら、下手をするとホウ家は軍をあげて首都にのぼってくるだろう。

 実際そうなるかは置いておくにしても、魔女家側からしてみれば、そこまで読むのは当然のことだ。


 それは幾らなんでもマズいので、今でも嫌がらせは間接的なものに限られているのだ。


「どうでもいいことです。どのみち、こんなところで食事をしても、味など分からない」

「騎士院の食堂で孫と食事をすれば、そちらのほうが美味しいのかい?」


 つまらんことを聞いてくるババアだ。


「当たり前でしょう。親友とする食事であれば、塩をかけただけのパンでも美味しく感じられるものだ」


 少なくとも、こんなところで食うメシよりはな。


「……なるほどねぇ」


 ババアは、俺がミャロのことを親友と呼んだことから、何かを読み取っている様子であった。

 まずったな、失言だったか。


「さっさと話を始めてください」

「うすうす感づいてるんだろう?」

「さてね」


 こういう連中の前で、わざわざ自分の思考を晒すのは得策ではない。


 十中八九はホウ社のことだろうが、他にも心当たりは幾らでもあった。

 ミャロのことかもしれないし、キャロルのことかもしれない。

 下手をするとカーリャのことかも。


「あんたがやってる商売のことさね」


 やっぱり社のことだったか。


「それで?」

「ウチの傘下に入りな。そうすりゃ、守ってやる」


 俺は吹き出しそうになった。

 誰から?

 お前らのご同胞から守ってもらうのか?

 お前らに金を払って?


 ウケ狙いかよ。

 馬鹿も休み休み言え。


「守ってやる?」

「大騎士様には気に触る言葉だったかね。だけどね、王都には王都のしきたりってもんがあるんだよ」


 しきたりを破っているのは重々承知している。

 だが、こいつらのいうしきたりというのは、誰が決めたものでもない。

 もちろん王家が発した法令の類でもない。


 長い時間をかけて、悪しき習慣が根付いていって、こいつらはそれを自分に都合よく『しきたり』と呼んでいるだけだ。

 しきたりを守れ、というのは、その悪しき習慣に染まれと言っているのと同じで、そんなもん知ったこっちゃなかった。 


「それで?」

「だから、それを乱すってことは」


「いや、違いますよ。いくらで守ってくれるんですか?」


「……そうさね、売り上げの三割と言いたいところだけど、特別に二割でいい」


 二割。

 ふざけた話である。


 王都の税率に加えて売り上げから二割も取られたら、社の成長に必要な金が余らなくなってしまう。

 論外だ。


「話になりませんね。それでまけているつもりとは」


 バカバカしい。だれが払うか。


「じゃあ、どんな値段ならいいんだい」

「さあ、そもそも取引するつもりはありませんでしたからね」


 ホウ家は将家だし、その息子が魔女に膝を屈して助けを求めたなんてことになったら、大問題になる。

 最初から取引する気などなかった。


 1%程度なら、こちらも膝を屈したことにはならないから、構わないかと思って聞いてみたが、二割とは。


「そうですね、月々ホー紙を三十枚、尻を拭く紙としてここに納めるくらいなら、やってあげてもいいですよ」


「お前さん、なめてんのかい?」

 ルイーダの顔色が変わった。


「さてね」

「この界隈ではね、根拠のない自信に縋っていると、とんでもなく痛い目にあうんだよ」


 まー、そうやって何人も痛い目に遭わせてきたんだろう。

 ハロルあたりはそんな感じだろうな。


「老人の説教癖には困ったもんですね」

「なんだって?」

「僕の抱く自信が身の丈にあったものかどうかは、僕が知っていればいいことだ。他人にしたりげに説教されることではない」


 他人の評価で自分の身の丈を決めていたら、しぼむ一方である。

 人並みに身を立てることはできない。


「若者らしい無謀だね」

「どうでしょう。無謀かもしれないし、正確な分析かもしれない。それは、試してみなければわからない」

「若造には分からないのかもしれないけどね、たった二人でギュダンヴィエルの家に来て、そういう無茶な口をきくのは、誰がどうみたって無謀なんだよ」


 ルイーダはパンパン、と手を叩いた。

 後ろの扉がガチャリと開いた音がする。


 ゴロツキでも現れて、俺と従者をしばきあげるつもりだろう。

 やっぱりナメてんだな、根本的に。


「ソイム、やれ」


 俺は後ろも見ずに言った。


 床板を踏み割るような踏み込みの音と、拳で何かを殴る音が聞こえた。

「ガハッ!」

 誰とも知らぬ男の野太い声が響き、ガシャンと家具が壊れる音がした。


 そのあと数合、人を殴ったり投げたりする、けたたましい音が聞こえたかと思うと、急に静かになった。


 そして、バッタン、と扉が閉まる音が聞こえ、ソイムが勝手に扉を閉めたことを知った。


 できておるのう。

 確かに、誰かに部屋の中の惨状を見られて、大騒ぎになってはコトだ。


「失礼ですが、なめているのはどちらですか? 僕らは戦争を生業なりわいとしている一族ですよ。不良どもを従えて偉ぶっている貴方がたとは、根本的に違う。一緒にしてもらっては困ります」


 ギャングが軍隊に喧嘩を売るようなものだ。

 ある意味で、こいつらも平和ボケしているんだろう。


「……ふん、度胸はあるようだね」

「あなたもね。感心しますよ」


 今やこの場における戦力は逆転している。

 もちろん、俺がなにをするわけでもないことを確信しているのだろうが、動じる様子もないというのは、たいした肝の座りようだ。


「交渉は決裂だね。勝手におし」


「言われなくとも、勝手にしますとも。孫の学費をタテに人を脅してくるセコい連中などと、交渉をするつもりはありません」


「やけにそれに拘るねぇ」

「当たり前でしょう。ミャロは申し分なく良くやっている。脅すにしても幼稚にすぎる」


 いかに魔女家で男が冷遇されているにしても、金にまったく困っていない家が、学費を止めて学院をやめさせる、などという行為は許されるものではない。


 学院を卒業するということは、この国では貴族として一人前という資格を与えられるのと同義である。


 騎士院か教養院、いずれかの院を卒業しなければ、騎士としても、中央の官僚としても、栄達の道はない。

 預家の連中と同じ、紙の上だけの貴族になってしまう。


 ルイーダがやった脅しは、脅しとしても程度が低い。


「どれだけ優秀だろうが、知ったこっちゃないね」

「あなたが入れたんでしょうに。どれだけ自分勝手なんだか」


 呆れた女だ。

 俺のクソオヤジでさえ、思い通りの学部に入らなかったからといって、学費を干すなんてことはしなかった。


「あたしが入れたんじゃないよ。やつが勝手に入ったんだ」


 なんだって?

 ミャロはこいつに無断で入ったのか。


 いや、まあ、そういうこともあるか。

 教養院を蹴って、当人の希望で騎士院に入るってのは。

 憧れだったんだろうしな。


 しかし、ミャロもとんでもないことをするものだ。


「勝手だろうがなんだろうが、あれだけ優秀なら、将来は近衛にでも入って立派に出世するでしょうに」


 さすがに七大魔女家セブンスウィッチズの子を入れる将家はないから、就職するとしたら近衛になるだろうが、それはそれで何の問題もないだろう。

 魔女家としても恥じる必要など全くない、立派な就職先であるし、出世すれば手駒にもなるのだから、文句があろうはずもない。


「なにを言ってるんだい。近衛はカースフィットの管轄だろうに。やつが入れるわけがないよ」


 ふーん。

 そういう事情があるのか。


 しかし、こいつが言ってるのは第二軍の話で、正真正銘の王軍であるところの第一軍には参加できるはずだ。


「どちらにせよ、あなたにとっては要らない子でしょう。どうせ冷たく扱うのであれば、卒業する院くらい自由に決めさせてやるのが親心というものだ」


「はあ? 要らない子だって?」


「あなたは、ミャロが男だからこういうふうに、意地の悪いことまでして、冷遇しているのでしょう。それが懐が狭いっていうんですよ」


 女に産まれたら文句なかったってのか。

 ほんとにバカバカしい家である。


「あんた、ぷっ、ぶわっははははっ、あははははっ」

 ルイーダは突然、大笑いに笑いだした。

「アッハッハッハッハッ」


 なんだ?

 なんか変なこと言ったか?


 分からない。

 何が笑えるポイントだったのだ?


「あんた、あれが男だと思ってるのかい!?」


 ……は?

 なんだって?


「あれは生まれた時っから女だよ! なんだ、男だと思ってたってのかい、あはははははっ! どうも話が噛み合わないと思ったら!! こっちはもう、あんたに抱かれてると思ってたってのにさ!! こんなにおかしいこたぁない!」


 ????????


 なんだって?

 えっ?


 ミャロが女???


 いや、いやいやいや。

 男だろ。

 男のはず。


 いや。ちょっとまて、この流れはまずい。

 とりあえず、どうでもいいんだ、そこは。


 こういう場合は、全てを棚の上にあげて、ということにするんだ。

 相手のペースになってしまう。


「ま、いいでしょう。話は終わった。ミャロの学費は無事。僕はこれで帰るとしますよ」


 こういう場合はさっさと帰るに限る。

 多少バツは悪いが。


「あはは……、帰るのはいいけどね、学費をいつ出してやるといった?」


 …………あのさぁ。

 普通に話できないのか? こいつらは。

 ほんとにうざってぇやつらだな。


「構いませんよ。そうしたら、僕が得をするだけですから」

「なんだって?」


「退学の危機になったら、ミャロにはギュダンヴィエルと縁を切ってもらいます。そして、ミャロは僕の義理のきょうだいになる」


「はあ?」


 思いがけもしない選択肢だったのか、ルイーダは笑うのも忘れて、眉根を寄せた。

 一矢報いたな。


「父上に、ミャロを養子にしてもらうんですよ。なんなら、学費くらい僕が出してやったっていい。いっそ、ミャロの喜ぶ顔が浮かぶようだ」


「そんなこと」


「できないこともない。学費を止めて、無理に学校を辞めさせるようなことを、あなたがすればね」


 これは実際にできるだろう。

 学費など痛くも痒くもない金があるのに、学費不払いで学校を辞めさせるなどという非道を行っておいて、子どもから絶縁状をたたきつけられたら、それは許さない。というのはおかしな話だ。


「それでは、僕は失礼します」


 勝手に席を立って、ここで初めて振り返ると、そこにはソイムが立っていて、足元には四人の筋骨隆々の男が気絶していた。


 ジジイがいなかったらヤバかったかな、こりゃ。


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